六波羅-1-




京に居を定めてから落ち着くまで、一月ほどの時間がかかった。かつての平家の栄華も過去の話で、いまや京は荒れ果てており、率いてきた御家人たちの住居を定めるにも、まず荒れた邸の修繕から始めなくてはならないほどだったのだ。もちろん、治安とてけして良くない。九郎はもちろん、景時も市中の視察に出る毎日が続いた。その間、京邸で暇をもてあましている望美や譲、白龍たちにも気を配らなくてはならない。朔には十分言い含めて、けして単身で市中に出ることのないようにと言い聞かせてはあったし、さほど心配することもないかとは思っていたのだが、自分の暢気さ加減に呆れてしまう事態が起こっていたのを知ることになるのだった。
その日も夕刻をすぎてから京邸に戻ってきた景時は歩き回って疲れた足を濡れ縁から庭に投げ出して一息をついた。京に着いたころはまだ雪深い季節だったというのに、もう今は日差しも温み、春の息吹が感じられる。この邸の庭には紅白の梅の木があって、それが景時の気に入りだった。数日前から花も咲き始め、この場所に座ると梅花の香りが花を擽る。目を閉じて、胸いっぱいに花の香りを吸い込む。これから長い戦が始まり、当分鎌倉に帰ることもないだろう。それが良いのか、悪いのか。ただ言えるのは、戦が続いている間は安全だということか。それもおかしな話ではあるけれど。そんなことを頭の片隅でぼんやり考えていると、濡れ縁を歩いてくる足音が聞こえた。目を開けた景時は、音のする方を見遣る。朔とは違う軽快な足音に誰かと思えば、それは望美だった。彼女らしいと思わず笑みを零す。
「景時さん、お帰りなさい!」
明るい声とともに、景時の傍に望美は座り込んだ。
「ただいま〜」
「今日は夕餉が一緒に食べられそうですね。九郎さんや弁慶さんは一緒じゃないんですか?」
このところ、遅かったりしたものだから皆が夕餉を終えてから九郎や弁慶たちと3人で食べることが多かった。半ば軍議の延長のようなものでもあったけれど、九郎にしても一人で食べる食事が味気ないのだろう、京邸までよく一緒に来ては食べてからまた弁慶と共に堀川まで戻っていたりした。
「オレだけ一足先に帰ってきたんだけどねえ、あの二人ももう一刻もして夕餉の時間になったら来ると思うよ〜」
「じゃあ今日はにぎやかになりそうですね」
嬉しそうに望美がそう言う。もうすっかり、仲間に馴染んだ彼女は、京邸での暮らしも楽しんでいるようだった。生まれ育った世界とはまったく違うという話なのだが、そんな様子を少しも見せない。
「ずっと邸に閉じこもりっぱなしだと退屈じゃないかい? ごめんね。……って言っても、まあ、京を離れるといえば戦になるわけだし、どっちにしてもありがたくない話だけどさ」
「平気ですよ。退屈なんてしていません。今日も、朔や譲くんと一緒に六波羅に出かけたんですよ」
「六波羅!? 大丈夫だった? あの辺りはまだ荒れているから危険だよ〜」
「ですね。焼け跡とか残っていて。早く街が復興するように、戦を早く終わらせないと、って思いました」
望美のその答えに、一瞬景時は引っかかるものを感じたが、望美がすぐに言葉を続けたのでそれは霧散してしまった。
「そうだ! ねえ、景時さん。今日って十六夜の月ですか?」
「……? ええっ?? えーと、いやいやいや、違うよ。違う。ほら、あそこに月が出てるけど違うでしょ」
「あ、そっか。そうですよねえ」
景時の指差した先を眺めて望美は頷いた。突然どうしてそんなことをと景時は訝しんで尋ねると、望美は自分でも首を捻りつつぽつりぽつりと話し出した。
「実は、ええと、六波羅にはみんなで行ったんですけど、私、はぐれちゃって……」
「はぐれちゃったの?! 大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫だから、今、こうして景時さんと話しているわけですし」
「あ、ああ、そうだよねえ〜ちょっとびっくりしちゃった」
かつて平家の邸があった六波羅も、今は焼け跡となっていた。その焼け跡に残る金品を求めて昼間から盗賊のような者たちもうろついていて、本来ならけして朔や望美のような妙齢の娘が出歩くのを勧められたものではない。多少腕が立ち、複数人で出歩いていたというから景時も不安ながらも話を聞くことにしたのだが、望美ときたら、一人だけはぐれてしまったというのだ。よくもまあ無事だったと溜息をついたところで罰は当たるまい。
「ええと、それで、皆からはぐれちゃって、どっかのお邸にまぎれこんじゃったらしくて」
「はあっ?! ちちち、ちょっと、どこかってどこの」
「いえ、それはわからないんですけど、知らない家の庭? にまぎれこんじゃって」
「……屋敷の警護の者とかに見つからなかったの? 大丈夫だった?」
「ええ、いえだから、大丈夫だから、今、こうして景時さんとお話しているわけで」
「あ、ああ、そうだよねえ……うん、本当に望美ちゃんにはびっくりさせられるなあ」
平家の没落とともに、京に起こった戦乱は貴族たちの暮らしも荒れさせた。京の邸とはいえ、もはや荒れたものだったのかもしれない。人が住むとも思えぬ有様なれば、迷いこむのも無理はないかもしれない。
「それで、その邸の人が、なんていうか、十六夜の君、とか呼んできて、桜の花を一緒に楽しみませんか、みたいなこと言って…」
「ちちちち、ちょっと待ってー! 待って待って、その邸の人に会ったの?」
「いえ、会ってはいませんよ。御簾越しだったから顔は見てませんもの」
「いやいや、それはそうなんだけど、ええと……」
棲む世界が違うともなれば仕方のないことではあるけれど、本当に自分がしでかしたことが一つ間違えばどういうことになったのか、わかっているのだろうかと景時は内心溜息をついた。木曽義仲は京の貴族たちと諍いを起こし、結局京を追われた。法皇は気まぐれで、そして政治の実権は源氏でも平家でもなく自身に帰するようにと願っている。今は平家追討の命を以って京に拠を構える源氏ではあるけれど、貴族たちとの間の諍いは起こしたくはない。つけいられる隙があってはならないのだ。
「それで、十六夜の君、とか呼ばれたから今夜って十六夜の月だったかなあ?? と思ったわけです」
「ああ、そうだったんだねえ……でも違うよ、今日は十六夜の月じゃないねえ」
「そっか。まあ、別にどうでもいいんですけどね、別に一緒にお月見するつもりもなかったですし」
「ええと、念のために聞くけど、そのお邸の人の名前とか…わからなかったんだよね」
わかったらどうするかというのも悩むところだし、特に何の問題もなかったのだから聞かなかったことにしてやり過ごすのが賢明なのだろうが少し気になる。
「あ、名前はわからなかったです。聞いてみたんですけど、名前を名乗りあうのは夜半すぎてからでしょ、とか
 訳わかんないこと言うし。
 とにかく、声かけられてびっくりして……それで、ええと、戻ってきちゃったから」
「……いやいやいやいや、望美ちゃん? それは……」
望美の言葉に景時は、またまた驚いて顔を上げた。そうして望美の姿をまじまじともう一度見つめる。朔よりもひとつ年下の少女で、お日様の似合うような溌剌とした彼女は、景時の中では妹より年下だからと、そんな風に見たことはなかったのだが……だが、なんの不思議もない、朔だって黒龍と夫婦の契りを交わしていたのだ、望美だってそういう対象になるのは当然だ。しかし、望美の方はといえば自分が何を言われたのかはわかっていない様子だ。
「…………ええとね、望美ちゃん。まずは迂闊に一人にならないこと。
 今回は良かったけど、本当に危険なこともあるんだから。
 それから……」
それから、どう言ったものか景時は逡巡した。望美は自分が何を言われたのかわかっていない。その無防備さが危険だとは思うのだけれど、なんとなく望美がそんな眼で見られたということを教えたくなかった。
「……それから、顔を見せてとか、御簾のこちらへとか言われても、その通りにしないこと」
「……ぷっ……なんですか、それー! 第一、顔なんて毎日景時さんにも見せてますよう」
「……ううん……それはそうなんだけど、雅な方々にはそういう意味じゃないときもあるっていうか…」
決まり悪そうにぽりぽりと景時は頭をかいた。可笑しそうに笑う望美をちらりと見遣る。確かに、綺麗な子だと思う。今まで気付かなかったことの方が不思議だ。そう思うと急に望美が眩しく思えて、景時は慌てて顔を伏せた。自分が意識してしまって、顔が赤らむのがわかった。
(なんだ、オレ、いったい本当に……)
「景時さん?」
顔を伏せてしまった景時を不思議そうに望美が覗き込む。間近くその顔を見て、景時の鼓動が跳ね上がる。
「あああっと、いや、だから……」
「はいはい、知らない人についていったりしませんよー」
くすくすと望美が笑い、景時はその無邪気な様子に、苦笑した。本人も自分がどんなに眩しくて綺麗なのかなんて知りもしないのだろう。
「ホントだよ? さっきの話だってね、いわれるままに望美ちゃんが相手の人に顔を見せてたり、
 お邪魔しまーす、なんて言って御簾の向こうに入ってたら今頃どうなってたかわからないんだからね」
「……え、じゃあ、あの人そんな悪い人だったんですか、やっぱり…」
「……いや、悪い人じゃない……かもしれないけど…。むしろ、望美ちゃんのことを誤解したんじゃないかなあ。
 自分のところへ忍んでやってきた人だって」
「突然のお客さんだと思われたって感じですか」
「……まあ、そういう感じかな。一晩一緒に過ごしに来たと思われたというか、そう誘われたというか」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ええと、望美ちゃん…?」
「ええええー!!」
かなり遠まわしに穏やかに伝えたつもりだが、それでも望美はかなり驚いたようで大きな声を上げた。
「ええええ、ええと、ええと、私ってナンパされたんですか、っていうか、逆ナンパしたと思われたのかな」
「ええと、なんぱ?? 良くわからないんだけど…」
「つまり、初対面っていうか、顔も見てないのにヤらせてくれ、って言われたってこと?」
「あのー、望美ちゃん、だから良く言葉がわからないんだけど君の世界ではそういうのかな……」
「うわー、そんな軽い女じゃないし、って言ってやれば良かった、やっぱだめ、ほんとだめ。」
「いや、望美ちゃん、でも、ほら、勝手に迷い込んじゃったから誤解されたっていうか…」
「じゃあ、景時さんはここのお庭に夜に見知らぬ女の子が迷い込んでたら、そういうこと言うんですか?」
「ええっ? いや、オレはそんなこと言わないよ、っていうか、そんな雅で気の利いた台詞なんて言えないし」
「言えなくていいんですっ!」
唇を尖らせて怒ってしまったような望美に景時は頬を掻きながら言う。「ええと、……ごめんね?」すると、望美はますます頬を膨らませた。
「なんで、景時さんが怒るんですか。私が迂闊だっただけです。っていうか、私のこと怒っても良いのに」
「それはー、怒れないでしょ。望美ちゃんは、ここに来て間もないんだし。
 いろいろ知らないことや、間違っちゃうことが多くても当然でしょ。
 むしろ、なかなか落ち着けなくて、ちゃんとした警護もつけてあげられなくてごめんね?」
本当はオレだって八葉なんだし傍についていてあげられたらいいんだけどね、と景時は笑って言った。
「腕は立たないけど、まあ、これでも源氏の軍奉行だからね、肩書きの力はあるかな。虎の威を借る狐みたいで情けないけど」
「そんなことありません!」
途端にそう声を張り上げた望美に驚いて景時が望美を見下ろすと、一瞬また彼女が泣きそうな顔になっていて言葉を詰まらせる。
「景時さんは、少しも情けなくなんかないんですから、そんなこと言わないでください」
「ええと……うん、ありがとう」
強く一途に景時を見つめるその瞳に、景時は息を呑む。なぜそんな瞳で自分を見つめるのかと不思議だったけれど、その答えが不意にわかった気がして、けれど俄かにはそれを信じがたくて景時は望美を見つめる。じっと自分を見つめる景時に驚いたのか、望美も声を失くして景時を見つめた。言葉もなく見詰め合う間に景時の手が無意識に望美に伸びる。柔らかな髪に手が触れた。それでも望美の瞳は揺るぎなく景時を見つめていた。
こんな一途な瞳を景時は知っていた。朔が黒龍を見つめているときもこんな瞳をしていた。ただ一心に懸命に、それは恋をしている瞳だった――
(望美ちゃんが、オレを……?)
どうして、とか、なぜ、とか思うけれども、それでも確かにその瞳が物語る感情は恋慕のようで景時は戸惑った。戸惑って、けれどひどく胸の奥が熱くなるのも感じた。熱い塊が喉の奥からこみ上げてくるようで、思わず口を開こうとしたとき。
「兄上? お戻りですの? もうすぐ夕餉ですわよ、あら、望美?」
朔の声がして奥から朔が現れた。はっと我に返った景時は望美から手を離す。
「あの、景時さん……っ」
立ち上がろうとする景時にすがるように望美が声をかけてきて、景時はまだどこか熱が残っているような心持ちで彼女を見下ろした。
「あの、はぐれたのは私のせいで朔のせいじゃないし、朔には何も話していないから……」
「……うん、わかった、朔には何も言わないよ。
 でーもー、もう二度と、一人でふらふらしないようにね? 出かけるときは複数で。
 それから、皆からはぐれてしまわないように気をつけて」
「はい」
望美はそう言って小さく頷いた。その表情に何処か翳があるような気がして景時は少し気にかかったけれど、すぐに望美も立ち上がって朔の方へと景時を追い越し軽やかに向かったので、何を問うこともできなかった。そして、六波羅近くに、そんな貴族の邸があったかどうかも景時には心当たりがなくて、第一、今は桜の季節でもなく、さらには彼女が迷い込んだ時間に月が出ているどころか、まだ太陽が空にある時間だったんじゃないかとも思い……それでも彼女が嘘をつくとは考えられなくて、過ぎった疑問に無意識に蓋をした。
ただ―ただ、望美が自分の傍らを通り過ぎるとき、その長い髪がふわりと流れていったのを綺麗だと思い、自分が彼女を見る眼が変わったことに気付いて、しばらくその場を動けなかった。






六波羅にての出来事をこんな風にしちゃっていいのか。
でも、この望美は屋島一周目から戻ってきた設定なので、知盛は敵将としか思ってないので
あのイベントが起こっても「は?」って感じだろうなあ。知盛だと思ってるなら尚更。
というか、あのイベントの銀の台詞、うろ覚えで今ひとつ自信がない(´-ω-`)
本当は六波羅繋がりでヒノエ登場まで行きたかったんですけど、続く。
次回は、またはぐれちゃって望美、景時に説教されるの巻??


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