六波羅-2-




その日、京邸に帰って来た景時は、朔から事の次第を聞いて居ても立ってもいられず足音も高く望美の部屋へ向かった。
「望美ちゃん!」
戸を開けると、そこには望美と、そしてもう一人、少年がいた。
「あ、景時さん、お帰りなさい!」
望美はいつもと変わらず明るい笑顔で景時を迎える。その笑顔に、思わず景時はぐっと喉まででかかった言葉をいったん飲み込んでしまった。しかし、すぐに咳払いを一つして望美に向かって言う。
「望美ちゃん、また六波羅で皆とはぐれちゃったんだって?
 だめじゃない、皆から離れないように、って言ったでしょ」
少しばかり威厳のある顔を繕ってそう言うが、当の望美は少しばかりばつが悪そうな顔をして首をすくめてみせただけだった。
「ごめんなさい、でも、ヒノエくんがこの辺に居るって感じがしたから…」
「それは聞いたよ、八葉なんだってね? でも、皆にもそう言って一緒に駆けつけることだってできたでしょう」
「……あー、そうですよねえ」
今頃気付いたとばかりに、望美がそう言う。その様子に景時はがっくりと肩を落とした。先日のどこか頼りなげに不安げにしていた望美とは全く様子が違う。景時としても気にかけていたというのに、悪びれる様子がないのになんだか自分が空回りしていたようだった。だが、望美があの時、心細かったのは嘘ではなかっただろうし、それに今回は八葉が近くにいるということを感じたというのだから仕方ないのかもしれない。もしかしたら、自分たちも早く八葉がそろえば良いなどと望美に余計な期待をかけていたかもしれない。そう思うと、あまり強く言うことができなくなった。何より、望美だって六波羅で荒くれどもに囲まれたときには怖い思いもしただろう、無事に帰って一息ついたところで、また景時から説教では少しかわいそうな気もする。
「……うん、その……まあ無事で良かった」
景時はそう言って、笑った。結局のところ、望美は無事だったのだし、八葉の一人も見つかったのだし、結果的には望美の単独行動が功を奏した訳だし。第一、さっきまでの怒り、に似たものは、確かに望美のことを案じてのものもあったけれど、自分との約束を望美が破ったことが悲しかったから、のような気がするのだ。とはいえ、たとえば望美以外の誰かが、景時との約束を破ったとして、こんな気持ちになるかどうかは自分でもわからない。となると、そんな私情で望美を怒っては自分の方こそ悪いのではないか。そんなことを考えて、現れたときとはうって変わって、結局いつものように笑って済ませた景時に、望美はかえって悪いことをした気になったようだった。
「あの、景時さん、本当にごめんなさい。また心配かけちゃって。
 後先考えずに走り出してしまうの、いい加減改めなくちゃって思ってるんです」
少ししょんぼりした声でそう言う望美に、景時は慌ててしまう。
「あっ、いや、いいんだ、ホントに、無事だったんだし、ね」
取り繕ったようにそう言う。少しばかり寂しく思えた、だなんて、あの日、望美から告げられたこと、自分だけが知っている彼女の不安、それを分かち合ったことで、まるで自分は望美の特別であるかのように錯覚してしまっていたかもしれない。そんな自分の思い込みがずいぶんと格好悪いように思えた。
「なあ」
なんとなく気まずい思いで、その場に立っていた景時に、望美たちと一緒にいた少年が声をかけた。それまでずっと存在を忘れかけていたが、初めて見かける顔に景時は、はっとする。
「えーと、君は…?」
「あっ、そうそう、景時さん、こちらがヒノエくん。八葉のひとりなの」
「あっ、君が。望美ちゃんを助けてくれたんだよね、ありがとう」
望美や譲と同年代くらいに見える少年だが、朔の話では六波羅の荒くれどもから望美を助けてくれた手練らしい。さすがに八葉だというべきかと感心していると、ヒノエの方はどこか胡散臭げな顔つきで景時を見上げていた。
「別にあんたのために助けたわけじゃない、可憐な姫君が困っていたら助けるのが男ってもんだろ」
「……ええと、いやまあ、そうだけど。でも、本当にありがとう」
どうやら自分は値踏みされているのかな、と感じて景時は目の前のヒノエを見やる。望美たちと同年代にしては随分と世慣れた感じがする。
「それってさあ。――神子姫を心配するのや俺に礼を言うのってさあ、源氏の軍奉行としてかい?」
「ええ?」
思ってもいなかった問いに景時はつい、素っ頓狂な声を挙げた。自分でも考えたこともなかった問いだったのだ。
「ええ? うーん、いや、源氏の軍奉行だからとか、そういうわけじゃないよ…。
 だって、望美ちゃんは大切な仲間だし…」
そこまで言って、景時自身も少しばかり考える。大切な仲間、だけれど、望美はけして『源氏軍』の仲間というわけではない。今は目的を同じくしてともにいるけれども。しかし、源氏軍に身を寄せていると考えれば、やはり源氏軍の仲間、なのかもしれない。とはいえ、源氏の軍奉行として―公務として、ヒノエに礼を尽くすとすれば、こんな軽い調子では済まないし、源氏軍の仲間というより、むしろ神子と八葉という関係なのだとすれば、そういうくくりの仲間、なのかもしれない。望美を保護するのは公務としての側面もあるが、それだけではないのだ。
「……オレは、源氏に必要な人だから望美ちゃんの無事を心配しているわけじゃないよ…」
ただわかっているのは、そういうことだけだ。怨霊を封印するために源氏に必要だから―だから望美を心配しているわけではない。むしろ、本当なら、望美も朔も、この世界に関係のない譲でさえも、戦に巻き込まなくて良いならそのほうがずっといいと思っている。
「……へえ。源氏の切れ者と称される軍奉行っていうから、もっと計算高い人間かと思ったら。
 案外、御優しいことで。……それとも、本音を見せない喰えない奴ってことなのかな」
にやりと笑って景時を見上げてくるヒノエに、景時は苦笑した。平家を追いやった源氏の将たちは、どうも京の町の者からは過大評価を受けているらしい。九郎や弁慶はともかく、景時が『切れ者』とは何処から出た評判なのかと苦笑するしかない。
「もうっ! ヒノエくん! 景時さんにちょっと失礼じゃない?」
ところが望美はそれを景時が返答に困っていると見たらしく、ヒノエに向き直って咎めた。
「ああ、いやいや、いいんだよ、望美ちゃん」
京に来て日の浅い源氏の人間は、まだまだこの町の人に受け入れられるのは難しい。同じ八葉だからといって、そうそうすぐに打ち解けられるはずもないだろう。ヒノエが警戒するのだって景時にはよくわかるのだ。
「良くないですよ、景時さんってば」
景時の代わりだとでもいうように、望美が頬を膨らませる。その様子に景時が思わず笑みを漏らすと、ヒノエまで同じになって苦笑した。
「やれやれ、なんだ、妬けるねえ。こんな喰えないおっさんに、神子姫の優しさはもったいないと思うけどなあ」
そう言われて、景時は本当にそうだな、とふと我に返って思う。望美がなぜかわからないが自分に寄せてくれているらしい信頼と、それに裏打ちされたような優しさは、もちろん景時にとって嬉しいもので。彼女が一心に自分を真っ直ぐ見つめる瞳を見ると、胸が締め付けられるようにさえ思えた。けれど――けれど、彼女にそんな風に信頼を寄せられるほど、自分が立派な人間ではないことは誰より景時自身がわかっていることで、嬉しいけれど、でも彼女は何か間違っているのではないかと思うのだ。景時ではない誰かと、景時を間違っているのではないか、と。
「……本当にね。オレなんかにはもったいなさすぎるよ」
つい、そんな言葉が漏れたようで、それを聞いた望美は悲しげな顔になり、その顔を見たヒノエはため息ついて立ち上がった。
「やれやれ、とりあえず、源氏の軍奉行殿に挨拶もしたし、今日のところは退散すっかな」
「え? ヒノエくん、返っちゃうの? もうすぐ夕餉だし食べていけば?
 部屋も余ってるから今晩だって泊まってくれていいんだよ?」
景時が慌ててそういうと、ヒノエはといえば肩をすくめて首を横に振った。
「泊まるところなら別に困っていないし。今はまだ源氏に借りを作るつもりもない。
 まあ、当分ヒマだし、八葉として神子姫に協力はするさ。
 そういうわけで、またな。姫君、また明日、顔を見に来るぜ」
片目を瞑ってそう軽やかに告げると、ひょいと高欄を飛び越えて、ヒノエは去っていってしまった。その軽やかさは風のようだ。
「……へえ〜ヒノエくんって随分としっかりしてるんだなあ」
源氏が彼に信頼を得るためには随分大変かもしれないなあ、などという感想を景時は内心抱いた。ただ八葉として神子には協力するということだし、結果的には源氏にも協力してくれることになるのかもしれないが。
「景時さん」
ヒノエが消えた外を眺めていた景時に、望美が声をかける。
「あ、え? 何、どうしたの、望美ちゃん」
その声が存外に沈んだ調子だったので景時は少し驚いて望美を振り返った。じっと景時を見上げた望美の瞳は真剣で、景時は開きかけた口を思わず閉じる。軽口を言って良いようには見えなかったのだ。
「景時さん、私、景時さんに言って欲しくないことがあるんです」
「……え? ……なに?」
何か自分は拙いことを口走っただろうかと景時は思い返してみるが、望美をこんな表情にするようなことを言った覚えは何もなかった。
「……景時さん。『オレなんか』って、そんな言い方、しないでください。
 景時さんは優しくて、強くて……みんなのためにいつだって気を配ってくれて……
 私には、景時さんがどんなにすごい人か、わかってるんです。だから、『オレなんか』なんて言わないで」
先ほど思わず漏らした言葉に、望美が悲しんでいるのだとわかって景時は驚いてしまった。それは半ば景時にとっては口癖のようなもので、本当に心底、そう思うことであったからだ。
「の、望美ちゃんってば、本当にオレを買いかぶりすぎだって…!
 それにさあ、オレなんて……」
「景時さんっ!」
「……はい…」
その強い声音とは裏腹に、本当に望美が悲しそうだったので、景時はそのまま口を閉じた。そのひたむきな信頼が嬉しくて胸に痛くて、自分はそんな立派な人間ではないのにと後ろめたくて、けれどやはり、どこか嬉しく誇らしく。彼女がそうだと言ってくれるなら、何も自分がむきになって否定しなくても良いような気がして。それでも、どこか困った顔になっていたらしく、望美の方が仕方がないというような表情で笑ってくれたので、景時もほっとして笑った。
「……オレの方が望美ちゃんの無鉄砲を怒りにきたつもりだったのになあ」
思わず口をついて出てしまった言葉に、望美が頬を押さえた。
「ごっ! ごめんなさいっ! あの、ほんとに……ヒノエくんより、私こそ景時さんに失礼かも……」
「あっ! いやいや、そういうつもりじゃなくてさ……うん、望美ちゃんが心配なのは、オレの勝手な気持ちでさ。
 それに、望美ちゃんがオレのこと、そうやって叱ってくれるのも、ちょっとくすぐったいっていうか
 うん、悪い気はしないっていうか、ちょっと嬉しいかもっていうか、だから、気にしないでよ」
言ってしまってから、変なことを言ったと景時は頬を掻いた。しかし、望美はそんな景時の言葉に微笑んで、そして答えた。
「……私も、景時さんに怒られてちょっと嬉しかったですよ。心配してくれたんだな、って」
「……そんなの、当たり前だよ〜」
少し面映くなって、景時は笑ってそう言ってごまかしたけれど。しかし、後になって思ったのだ。どうしてこのとき、望美を心配したのは源氏の軍奉行としてではなく、八葉としてでもなく、ただの梶原景時として、源氏の神子でも白龍の神子でもなく、春日望美という少女を大切に思っていたからだと言わなかったのか、と。そんなことを告げるなどとこのときは思いもよらなかったけれど、でも、たとえ冗談に紛らわせてであっても、そう告げることができていたなら―
けれど、そんな未来が来ることなど、まだこのときの景時はもちろん、望美も知る由もないのだった。






ヒノエ登場〜。またまた捏造ちっくに展開してしまいましたー。てへ。
今回、景時視点で…と思って書いているので、ちょっと大変。
さて、次は梅花の香イベントかな?


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