再会―1―




(ああ……三度目だ)
重苦しい雲が垂れ込め、淡雪が降る空を見上げて望美はそう思った。
二度目にこの空を見上げた時は、もう二度と間違わないと思って、もう誰も失いたくないと願っていた。今、三度目の空を見上げて思うのは、今度こそ、彼を失わない、彼が生きる運命を目指したい、それだけ。
(……龍神の神子、なのに)
なんて身勝手な。でも、それが願い。この時空へたどり着く前も、同じようにこんな雪空を見上げていた。そのまま冷たい雪に横たわって、埋もれてしまいたいと思った。心が空っぽになって、元の世界へ戻るとか、戦を終わらせるとか、何も考えられなくなった。どうしても知りたくて、何故彼がそんな運命を選んだのか、何故彼は微笑っていたのか知りたくて、そして、どうしても彼に生きて欲しくて、また戻ってきた。
(……ごめんね、みんな)
あのまま先へと進めば、他の仲間たちにはまた違った未来があったのだろう。けれど、望美はそれを棄ててきた。目を閉じて、置き去りにしてきた時空の閉ざしてしまった未来を自分の中に沈める。この罪はずっと自分が背負っていくのだろう。
冷たい大地に横たわった望美の耳に、叫び声が聞こえた。はっと目を見開いた望美は、同時に立ち上がる。冬の宇治川、全てが始まった場所。そして――
「朔っ!」
望美は駆け出していた。その先で、怨霊武者たちが取り囲み、斬りかかろうとしているのは朔だった。小さな白龍が怨霊たちの前に剣を持って立ちはだかろうとし、剣を弾き飛ばされる。弧を描いて宙を飛んだ剣は怨霊たちと望美の間の地面に突き立った。駆けながら望美はその剣を引き抜き、今にも白龍たちに襲いかかろうとする怨霊武者に斬りつけた。
「やあぁぁぁぁっ!!」
一撃でその怨霊武者を切り伏せる。
「神子!」
白龍が弾んだ声で望美を見上げた。
「まだだよ! お願い、封印するから助けて!」
怨霊たちは剣で切り伏せただけではすぐに復活する。白龍の神子だけが持つ封印の力で浄化しなければ怨霊たちは永遠に地上を彷徨うことになるのだ。
「……封印……?……! では、あなたは……」
「うん、そうだよ。あなたの対の神子。お願い、力を貸して!」
一瞬驚いた顔をした朔だったが、すぐに厳しく顔を引き締めると立ち上がり望美を援護するように扇を手にした。
白龍の力と朔の力が望美の元に集まる。復活と共に襲い掛かってこようとする怨霊たちを望美はその力を借りて封印した。白い光があたりに溢れ、その光が収まったときには怨霊たちの姿は消えていた。
「大丈夫だった?」
望美は朔と白龍を振り向いてそう尋ねる。しかし、朔は立ち尽くした体で望美を呆然を見つめていた。
「……本当に、あなたは白龍の神子なのね……白龍の神子には怨霊を封印する力があるって本当だったのね」
「……うん、そう」
ああ、ここにいる朔は私のことを何も知らないのだなあ、と望美は当たり前のことを思い出し、そしてちくりと胸が痛むのを感じた。こんな寂しさは初めてではない。そして今回のこれは自分が選んだこと。でも思い出すのは本当に姉のように優しく、いろんなことを話し、悩みを打ち明け、恋の話だってした朔のこと……きっといつか、この目の前の朔とだってそんな話をできるようになるのだろうけれど。
朔は望美が白龍の神子だと頷くと、途端に破顔して望美の手を取った。
「私は朔、梶原朔というの。あなたの対、黒龍の神子なのよ。
 そしてきっと、この子があなたの龍――白龍なのね」
どこか懐かしげに白龍の姿を見つめて朔は言った。白龍は望美を見上げて頷く。
「あなたが、私の神子!」
その笑顔に望美も頷き返す。
「よろしくね、白龍。朔。
 私は、春日望美。こことは違う世界から来たの……って信じてもらえるかわからないけど」
「いいえ、私は信じるわ。白龍の神子は異世界から龍神に呼ばれるという伝承があるのだと
 兄から聞いたことがあるもの」
朔の口から「兄」という言葉を聞いて、望美の心が震えた。知ってる、あなたのお兄さんを私は知ってるよ。その人を助けたくて私はまた運命をやり直すことを決意したの。どんな形だっていい、彼が生きていてくれれば。彼が生きていてくれる運命があれば。そう思ってここへ来たの。
「……お兄さん、詳しいんだね」
でも口から出したのはそんな言葉。それでも彼についての言葉にしたのは、朔からもっと彼について聞きたかったからかもしれない。
「……一応、陰陽師の修行をして、ほんの少し術を使ったりもできるの。
 もっとも、それがあんまり役に立ったりはしないのだけれど」
「そんなことないよ、陰陽師ってすごいじゃない」
つい、そんな風に答えてしまい、朔が訝しげに望美を見返す。慌てて望美は言葉を続けた。
「だって、私のいた世界じゃ陰陽師で術を使える人なんて居なかったもの」
「そうなのね」
朔はふっと微笑むと、それでも少し肩を竦めて溜息混じりに言った。
「…でも、本当にそんな、期待しないでね、口だけなのだもの、兄上ったら」
けれど、望美にはそんな朔の言葉も態度も、大好きな兄が誰かに失望されるのを見たくない、そんな風にしか見えなかった。景時のことにだけは、朔はいつも素直ではなくて、そして、そんな部分だけが、いつもしっかりしている朔を年相応に感じるところだった。だから、思わず望美も微笑んでしまう。その望美の表情をどう思ったのか、朔は少し決まり悪げに笑い返してきて、そして、感慨深げに言った。
「……やっぱり、あなたとは対の神子だからなのかしら、なんだかとても懐かしいような……
 とても不思議な気持ちだわ」
「……私もよ、朔」
ほろ苦い気持ちで望美もそう応えた。私が知っている朔は、あなたと同じ。私が置いてきた朔は、あなたと同じ。そうやって、私を受け入れてくれた、私を支えてくれたの。
「でも、本当に良かった、ありがとう。あなたがいなければ、私だけでは怨霊を封印できなかったわ。
 鎌倉殿から、黒龍の神子だけでも怨霊を鎮められるからと京へ行くように言われたけれど
 彼らの声は聞こえても、私には何もできなかったの。
 暗い、悲しい声に体が動かなくなるばかりで……本当に、だめね」
「そんなことないよ! 朔が力を貸してくれたから怨霊を封印できたんだし。
 白龍も、力を貸してくれたし、ね? 私一人では、力だって限りがあるもの」
「神子! 私は神子の龍だから、神子が望めば力を使うよ」
嬉しげに白龍がそう言う。いつも無条件で望美を許してくれたあどけない龍神。彼が命と引き換えに与えてくれた逆鱗は望美の『御守』になっていた。
無邪気な白龍の言葉に朔もほっとしたのか、小さく頷いた。
「……そうね、ありがとう、望美、白龍。」
「それより、そろそろ何処か移動しないと……また囲まれたら大変だもの」
望美はあたりを見回してそう言った。暗く雲とも霧ともつかぬものが立ちこめ、それが体にまとわりついてくるようだ。ぴりぴりとした緊張感が肌に残っていて、けしてまだ安心できるわけではないと感じられる。朔もそう感じていたのだろう、厳しい顔付きに戻って頷くと望美たちを促す。
「橋姫神社へ向かいましょう、そうすれば源氏軍に合流できるわ」
「うん、わかった!」
橋姫神社への道も3度め。見慣れた道は最早迷うはずもない。荒れた道に人影はなく、矢羽が折れ地に刺さり、時に打ち棄てられた兵の変わり果てた姿さえあった。
「平家と木曽の長い小競り合いが続いていたし、坂東の源氏と木曽源氏の戦もあったから」
何度見ても直視できない光景に望美が眉を顰めると、朔が視線を落としてそう呟いた。
「……戦が続くと土地も荒れるわ。そして死んだ兵は平家の手に落ちれば怨霊になる……
 早く戦を終わらせないと、悲しい怨霊の声は無くならないのね」
望美には聞こえない声が朔には聞こえるのだろう。その声は悲しく暗い声で朔を苛むものなのだろう。朔にもまた、戦に出る理由があったのだと望美は思った。
「怨霊を封印しないと、五行は解放されない。土地は荒れていくよ」
白龍も痛ましげにそう呟く。しばらくそうして3人が立ち尽くしていると、望美は突然背後から何者かに抱きかかえられるように突き倒された。
「先輩、危ないっ!!」
「ゆ、譲くんっ」
すぐさま望美は体を起こし、傍らに倒れた譲を見遣る。怨霊の放った矢に傷ついた譲が腕を抑えている。
「大丈夫? ごめんね!」
ああ、わかっていたのに、と望美は自分を罵った。わかっていたのに。源氏と合流するまでに怨霊に会うことはわかっていたのに。そしてまた思う。けれど、こういう形で譲と再会することは変えられない運命なのだろうか? と。変えられない運命はあるのだろうか、と。
その怖れは、何度も何度も望美にやってくる。前の運命でも何度も何度もその怖れを感じ、そのたびにねじ伏せてきた。今回だって、同じだ。望美は胸の内にわき上がろうとする怖れを押さえつけた。何度でも、自分は運命に挑戦するだろう、望む未来を手にするために。それがどんなに罪深いことでも。
望美たちを狙った怨霊がゆっくりと近づいてくる。それは一体だけではなかった。行く手を遮るかのように何体もの怨霊たちが現れ出でてくる。
「先輩、早く逃げないと…! やつら、一体なんなんだ!」
焦る譲を望美は落ち着かせるかのように手で制した。譲はその動きにはっと望美を見遣り、その落ち着きぶりに驚いた顔をする。望美は怨霊たちから目を離さずに、強く言う。
「……譲くん、ありがとう、でも、私なら大丈夫。怨霊を倒すから、力を貸して!」
「先輩、無茶だ!」
「…大丈夫、私は、大丈夫だから!」
譲の声を遮るように望美はそう言い、駆け出す。その言葉はまるで自分自身にも言い聞かせているようだった。
「先輩っ!」
怪我をものともせずに、譲も望美についてくる。朔や白龍も二人の援護をするように陣形を取った。
怨霊を封印する自らの中にある力を解放しながら、望美は感じていた。運命を繰り返している自分が、その力を身につけているのは理解できる。けれど、もう既に強く感じる朔や白龍や譲との絆はなんだろう。過去の時空で、自分が置き去ってきた時空で、紡いできた絆が受け継がれているというのだろうか。
「神子、あなたが歩んできた道は無駄にはならない。絆は強くなるよ、時空を越えて」
まるで望美の心に呼応したように白龍が笑って言う。
では今度は、今度こそは。最後まで知ることのなかったあの人の心の奥を、知ることはできるのだろうか。そんなことを考えながら、望美は手にした剣を天へと振りかざした。
「封印するよ! お願い、皆の力を貸して!」
絆が本当なら、今度こそ。今度こそ、違う結末を紡ぎたい。誰も死なない終わりを見たい。
まばゆい光が辺りに溢れ、その場にいた怨霊たちはその一撃で皆が封印される。しばらく降り注ぐその光の雨を望美は見上げていた。


――今度こそ、私は、運命を変えてみせる。






十六夜記を今更ながら書いてみることにしました。
この望美は、志度浦から戻ってきた望美です。
それにしても久しぶりに十六夜記プレイしなおしたら
いろいろ細かいイベントとか仲間にする手順とか忘れてる〜
終章ばかりプレイしていたりするもので(汗


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