再会―2―




橋姫神社で望美たちを迎えたのは、九郎の怒号だった。
「朔殿! 霧で道に迷ったとはいえ、隊から離れられては迷惑だ。
 我々とて遊びに来ているわけではない、足手まといになるなら外に出ないでくれ!」
「申し訳ありません……」
うなだれる朔に、望美は寄り添った。相変わらず、九郎さんは口下手だしすぐにカッカと怒るし…と内心、少しばかり呆れる。
「……怒る気持ちもわかるけど、怨霊に囲まれて朔は動けなかったんだよ?
 ちょっとは理由くらい聞いてもいいんじゃない? 
 第一、そんなに怒るくらいなら、朔の傍を離れなければ良いのに…」
つい、見知った気持ちでそんな風に気安く声をかけてしまい、胡乱な目で見られる。
「それは……」
少し、言い過ぎたと思ったのだろう、そう一瞬口ごもり、それからすぐに望美に向かって厳しく問いかける。
「そう言うお前は一体、何者だ。木曽の女武者とは違うようだが」
言い負かされそうになると、そうやって言い返してくるのも九郎さんだよねえ、負けず嫌いなんだからなあ、と望美はやっぱり何処か懐かしく思ってしまう。けれど、やっぱり、この九郎も自分と会うのは初めてなのだなあと思うと不思議だ。
「この子は、春日望美。白龍の神子です、九郎殿」
望美が口を開くより先に朔がそう言う。しかし、白龍の神子と言われた九郎の方はピンと来ない様子だった。相変わらず胡散臭そうに望美を見ている。
「……白龍の神子だと? あんなものは御伽噺ではないのか」
「……御伽噺とは失礼な」
むっとしてつい、望美も言い返す。つい、これまでの時空での彼との接し方を繰り返してしまう。この彼にとって自分はまだ出会って間もない人間にすぎないというのに。
「…九郎、それくらいにしてはどうですか。
 まったく、君はもう少し口の利き方を覚えた方がいいですよ」
そこに現れたのは弁慶だった。いつものように静かな微笑みを讃えながらも、何もかも見透かしたような瞳で望美を見つめる。
「かわいいお嬢さん、すみません。
 九郎はこれでも朔殿のことを心配していたんですよ。
 朔殿も……無事でよかった。君に何かあっては僕達、景時に合わせる顔がありませんからね」
朔は固い顔で弁慶に頭を下げた。弁慶はしかし、朔よりも望美に興味を持っているようだった。望美に、というよりも、『白龍の神子』に。
「春日、望美さん……とおっしゃいましたね。白龍の神子というのは、本当ですか」
柔らかでありながらも、嘘を許さないような厳しさを含んだ声で弁慶が問う。望美の背後に立つ譲もその声音の静かな強さに気付いたのか、心配げに「先輩……」と呟いた。
「うん、神子だよ、白龍の神子だ!」
しかし、無邪気な白龍が嬉しげにそう声を挙げる。弁慶も九郎もその小さな童の姿に今更気付いたように驚いた顔を見せた。朔が一歩前に進んで白龍の頭に手を置き、口を開いた。
「この子は龍神です。黒龍の対である白龍ですわ! 五行の乱れのせいで人の形と幼子の姿をとっているのです。
 そして、望美が白龍の神子であることは間違いありません。
 現に、ここへ来るまでの間に封印の力の発現を見ました。怨霊を封印できるのは白龍の神子しか在り得ません…!」
力説する朔に、弁慶が笑みを深めた。
「……疑っているわけではありませんよ。それに、僕も、白龍の神子が現れるかもと思っていました」
そうして、手を差し出してその甲を見せる。
「……玉が…!」
朔が驚いたように言うと、弁慶は頷いた。
「どうやら、僕たちは八葉に選ばれたようですね。もしやと思っていましたが」
しかし、こうなってなお、九郎は肩を竦めて興味無さげに言う。
「…白龍の神子も八葉も、それが何だというのだ」
「九郎。僕たちが何を相手にしているか忘れているわけではないでしょう?
 封印の力を持つ白龍の神子は、どれほど力強い存在かわからないんですか」
言われて九郎が言葉につまり、頷いた。それを見てにっこり弁慶は笑みを深めると改めて望美に向き直り言った。
「すみません。口が悪いもので。
 名前がまだでしたね、僕は武蔵坊弁慶。源氏軍の軍師を務めています。そして、こちらが…」
「九郎だ、源九郎義経」
途端に譲が悲鳴のような声を挙げる。
「義経?! 源義経だって?!」
望美には、そんな譲の驚きがわからない。そんなに驚くことでもない、九郎が義経だということは、とっくにわかっているではないか………そう、望美にとってはとても当たり前のことだったのだ―
「譲くん、義経って…」
そんなに驚かなくても、と言いかけて、譲が彼らの名を知るのは勿論今が初めてで、ここが自分たちのいた鎌倉時代に近いということもまだ知らないのだと思い出す。
「義経って、って。源義経ですよ! 鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟です!」
「兄上を呼び捨てにするなっ!」
相変わらず、兄を盲目的に尊敬している九郎が譲の言葉に反応して声を荒げる。譲の方はといえば、そんなこと構っていられないという風情だ。それもそうだろう、教科書で習ったような歴史上の人物と自分が対面しているのだ。それでも、やがて譲も九郎や弁慶を教科書の中の人物から自分たちの仲間として認め、今は神子や八葉を重要視していない九郎も八葉たちを仲間と認め――互いに絆を築いていくのだろう、この時空でも。そうあって欲しい。
 睨みあう九郎と譲の間に弁慶が入って諌める。
「九郎、望美さんたちは異世界から来たそうですから、僕達とは常識が異なることもあるでしょう。
 追々覚えてもらえば良いのですから、そんなに目くじら立てて怒らないでください。
 それより、朔殿も見つかったことですし、そろそろ出発しませんか」
「……わかった、そうだな」
いささか不服そうにではあるが、九郎が弁慶の言葉に頷く。譲や望美に構うよりも先を急がねばならない用がある様子なのは明白だった。
「あの! 何処へ行くのですか」
九郎が弁慶に頷いて、その場を後にしようとするのに望美は声をかけた。そんな望美に九郎がまた、胡乱そうな目をむける。
「……この先の宇治上神社に平家が陣を張っているというのでそちらへ向かうところだ。
 先陣はもう向かっているからな」
「私も行きます!」
考えるより先に望美はそう言っていた。――景時の命を助けるために、望美が一生懸命考えたことは……早く戦を終わらせることだった。戦が長引けば危険も大きくなる。危機に陥った源氏軍を救うために景時は犠牲となった。それなら、望美が…何が起こるかわかっている望美が、源氏を勝たせて戦を終わらせてしまえばいい。
だから、今のこんな早い段階であっても、叩ける平家は叩いておく。怨霊を封印して、源氏を有利に導いて。戦を終わらせる。
「何を言ってるんですか、先輩!」
「お前は! 遊びではないんだぞ!戦場は!」
 それでも勿論、望美は引くつもりはない。戦場がどんな場所かなんてとっくに知っている。それを終わらせるために自分は戻って来たのだから。
「大丈夫、譲くん。私は、大丈夫だから。九郎さんも……連れて行ってください」
「先輩、先輩はわかってないんです! 遊びじゃないんですよ、戦場です。
 さっきみたいなのがうようよいるんですよ、剣を持って戦ったことなんて、さっきが初めてでしょう!」
「初めてじゃないよ。それに、剣は習ったの。だから、心配ないよ」
いつ、誰に、と問いたそうな顔を譲はした。口からでまかせの嘘だと思っただろう。けれど、望美のけして退かない強い意志を秘めた瞳に口を閉ざす。そんな望美を一瞬探るような目で見た弁慶が、それでもすぐにいつもの微笑みを浮かべて二人の間を取り成した。
「……まあまあ。いずれにしても相手が平家なのですから怨霊を封印できる望美さんが同行してくださるのは心強いですよ。
 ねえ、九郎」
にっこりと有無を言わさない調子でそう言われ、憮然とした表情の九郎も仕方なさげに頷いた。半分はまだ望美の封印の力を疑っているのだろう。
それでも何とか同意を得て、望美たちは九郎たちと一緒に宇治上神社へと向かった。


そして、望美はそこで思ってもいなかった人物と――そして、誰よりも会いたかった人物と再会する。
「えーっと、もしかして、じゃあ、君が……望美ちゃん、が、白龍の神子?
 ああ〜そっか、この玉……そうじゃないかな〜って思ってたんだけど、そっか〜八葉の玉だね」
変わらない軽妙な口調と、軽い身のこなし。ちょっとおどけた態度で場の空気を軽くする。いつだってそんな調子で、人を煙に撒いて本心を隠したまま、居なくなってしまったその人が、望美の目の前にいた。様々のことを思い出して、一瞬望美は泣きそうになって、それを堪える。その手をとって、温もりを確かめさせて欲しい、その手が優しく自分の頭を撫でてくれたのは、その手が力強く自分を戦場から救い上げてくれたのは、もうどれくらい前のことだろう。
つい一心に景時を見つめてしまう自分を抑えて、普通に振舞うように心がける。まだ、彼にとって自分はただの、初めて出会った女の子、でしかない。そんな望美の様子に、一瞬景時が訝しげな表情を浮かべ、小首を傾げて問いかける。
「えーと。……オレ、やっぱり『神子さま』って呼ばなくちゃ駄目かなあ?」
どうやら、初対面から『望美ちゃん』と呼んだことを不躾だと思われたかと思ったらしい。慌てて望美は首を横に振った。
「そんなの…! 私もそんな風に呼ばれたら畏まっちゃいますから……普通に呼んでください」
今も耳に残っている、優しい声で、名前を呼んでください。にこり、と笑って見せれば、安心したように景時も笑みを浮かべてくれた。
「そっか〜、うん、良かった。じゃあ、望美ちゃん、って呼ばせてね」
「それで景時! 一体平家の誰が来ているというんだ」
待ちかねたように九郎が景時に声をかける。先に陣を張るはずだった景時が軍を率いて一旦退いて来たことに、何があったかとじりじりしているのだ。
「あ〜…平家の御曹司だよ。嫡孫殿さ。まさか、こんな大物が来てるとはね〜」
「惟盛ですか」
考えるように弁慶が言い、九郎もその名に言葉を詰まらせた。望美もまた口を閉ざす。惟盛…鎌倉を呪詛で穢した男だ。望美は鎌倉で彼を封印した。
(もし、今、彼を封印できたら……)
無理だろうか。できるだろうか。けれど、もし今彼を封印できたら、きっと戦の行方は源氏に傾くに違いない。
「…行きましょう! 怨霊は私が封印します」
考える間もなく望美はそう言った。驚きを孕んだ視線で皆が望美を見つめる。けれど望美はもう一度、力強く言った。
「行きましょう」
その言葉に、やはり皆が言葉を失くしている中、景時が驚きから笑顔に表情を変えて言った。
「……いや〜、望美ちゃんってカッコイイなあ〜! うん、そうだね、行こう!
 どっちにしたって、ここに居座られるわけにはいかないからね。
 もちろん、望美ちゃん一人に怨霊全部任せたりしないよ? オレだって一応、陰陽師だからね!
 オレにも活躍の場は残してね!」
その軽い口調に皆もいつもの空気を取り戻す。やや強引な望美の言葉には簡単に頷けなかったものを、景時の言葉にその通りだと思ったのだろう。ただ強引に皆を促しても人の気持ちを動かすことは難しい。その機微を景時は本当に良く知っているのだと改めて望美は感じた。
宇治上神社に向かう準備をしながら、望美は深く息をつく。内心抱いている意気込みに、変に緊張している。以前の時空で培ってきたものがあるとはいえ、本当にここで、惟盛を封印することができるのか。
その背をぽん、と軽く誰かが叩いた。
はっと顔を上げると景時が笑っている。
「ま、今日のところはね、お引取り願うあたりで十分だから。
 あまり深追いするのは得策じゃない。まだオレたちも京に着いたばかりだしね。
 だから、望美ちゃんも無理しないで」
無理でも、無謀でも、それでもやるしかないなら。そう思ってやはり視界が滲みそうになる。けれど、望美はそれを振り切って景時に笑ってみせた。
「……はい、でも、大丈夫です」
「…駄目だよ、『大丈夫』って言うとね、その分、望美ちゃんの心が大丈夫じゃなくなっちゃうでしょ?
 言ったよね、一人で頑張りすぎないで、オレたちにも見せ場を残してね、って、さ。」
「でも…!」
「とにかく! 望美ちゃんのことは頼りにしてるけど、オレたちのカッコイイとこも少しは見て欲しいかな〜? な〜んてね」
片目を瞑って笑いながら景時はそう言うともう一度、望美の背を軽く叩いてその場を離れていった。
「…………心が、大丈夫じゃなくなっちゃうんですか」
望美が小さく呟いたその言葉は誰に聞こえることもなかった。けれど、望美は景時の背中を見送りながら胸の内で問いかける。
(『大丈夫』って景時さんの口癖でした。景時さんも、そう言う度に、心が重くなっていったの?)
また、視界が歪みそうになる。こんな泣き虫じゃなかったはずだ、自分は。ぐっと堪えて望美は景時の背中を強く睨んだ。

――それでも、景時さん、私は大丈夫なんです。
――あの時以上に辛いことなんて、もう、きっと、ない。






こんな調子で果たして梅花イベントとか
ほのぼのできるんだろうかと心配になってきました。


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