甘いきみ




(「あれ、これなんだろ」
景時のマンションへ行く途中、コンビニに立ち寄った望美は、チョコレートの棚の前で足を止めた。この時期、チョコレート売り場はどこも賑やかだ。もちろん、望美もいろいろと気になるわけで、ついいろいろな場所のチョコレート売り場をチェックしてしまう。とはいえ、望美も今年は手作りで頑張ると決めているので、チョコレート売り場のチェックはどちらかといえば、敵情視察みたいな気分だ。もちろん、売っているチョコレートより素晴らしく美味しいものが出来る……とは限らないが(というか、出来るとは思えないが)手作りにするのは、心意気の問題である。 そして、コンビニでチョコである。望美はそのチョコレートを手に取った。特に変わった種類のチョコではない。普段から普通に売られているチョコレートだ。ただ…そのパッケージの表示がすべてさかさまだった。まるで鏡に映ったように文字も裏返っていたのである。
(……ええっと……不良品……、な、わけ、ないよね。堂々と売り場に並んでるし)
不思議に思いながらも、そのチョコを棚に戻し、顔を上げると、棚の上にPOPが貼ってあった。それを見て、望美は納得したように、ああ、と大きく頷いた。そして、なんとなくおかしくなって小さく笑う。考えてみれば、バレンタインデーなんてイベントに振り回されているのもおかしな話。でも、なんとなく、これは。そう思ったからだ。

□■□

「それでね、なんか『やっと時代が景時さんに追いついたのね』なんて思ったらおかしくなっちゃって」
ボウルに入ったクリームを四苦八苦しながら泡立てながら(電動の泡だて器を使いながらどうしてこんな苦労するのかと我ながら不思議に思いながら)望美は、このチョコレートケーキの先生である譲に言った。
「……ええと、それは」
譲は望美の手元を注意深く見つめながら、望美の言葉の意味を図りかねてそう尋ねた。
「だから、ほら、今年は『逆チョコ』なんていって、男の子から女の子にチョコを送ろう、なんてやってるでしょ。
 でも、そんなこと言い出す前から景時さんてば、バレンタインは女の子から、なんて通念関係なく、チョコをくれたなあ、なんて思って」
望美の言葉は、景時に対する賛辞が十分に込められていたが、譲にしてみればそれは褒めすぎというところだ。昨年もこの時期、景時からチョコを貰ったと望美は言っていたが、反面渡した方の景時は、『バレンタインが女の子からの行事だって知らなくて』と少々恥ずかしげだった。つまりは、この時代に来て間もなかった景時が、この時代の通念を知らないが故にたまたまそうしただけのことであって、今年逆チョコなんて風潮が高まらなければ、今年は景時だって……、とそこまで考えて譲は、いや、どうかな、と少し考え直した。たとえば今年、逆チョコなんて考えが広まらなかったとして、それでも景時なら、昨年あんなに望美が嬉しそうだったのを見ていたら今年だってチョコレートを探して用意したに違いない。そういう人間だと思う。
「……そうですね。景時さんは逆チョコだの、なんだのっていう風潮に関係なく、先輩が喜ぶから、っていうブレない芯がありますからね」
『普通は』なんてこと、景時には、あまり意味はないのだ、多分。
「なんかね、バレンタインだからとか、普通なら、とか、そういうことは余分な部分で。『好きだから、喜んでほしいから』っていう一番シンプルで大切なことを景時さん見てると、思い出すなあって。なんかね、ついつい、忘れてしまいがち、なんだけど」
「……それって、随分な惚気ですよ、先輩。ごちそうさまです」
くすり、と笑って譲は言った。もう、こんなことを口にしても、胸は痛まない。大切な人であることは違いないけれど、彼女が選んだ人もまた、譲にとって大切な人で。そんな二人を祝福できる自分が誇らしくもある。なかなか、はらはらとさせられる二人ではあるけれど。これはもはや、母のような気持ちとでもいうのだろうか。
「やだ、ちょっと譲くん、それ政臣くんには言わないでよ。ぜぇぇぇええったい、からかうんだから!」
「……さあ、どうしましょうかね」
「ちょ、ちょっと、譲くん、変なところ政臣くんに似てきたんじゃないでしょうね!」
「先輩、そろそろもうあわ立ては良いですよ。次に行きましょう」
望美の腕からいくと、チョコレートケーキが完成するのは、まだまだ時間がかかりそうだ。

□■□

「はい、景時さん、召し上がれ!」
バレンタイン当日が土曜というのは、なかなか嬉しい。朝から時間があるというものだ。望美は景時のマンションを訪れ、朝からキッチンにこもりきりだった。景時が少しでもキッチンに顔を出そうとすると、「駄目!」と叱られる。望美が嫌がるものを、無理やりに見たいとは思わないので、景時は大人しく待つことにしていたのである。時折キッチンからもれ聞こえる小さな叫び声や金属音は、心に蓋をして聞かないようにし、13時を半時間も過ぎたころにやっと、望美の声がかかったのである。
望美が景時の前に広げたのは、しかし、一般的に見ればさほど豪華と言われる類の料理ではなかった。むしろ、質素な方だろう。唯一、ハート型のチョコレートケーキだけが洋風で少しばかり異彩を放っていた。それ以外がすっかり和風だったからだ。けれど、並べられた料理は、どれも景時にとって随分と懐かしいものばかりだった。
「……望美ちゃん、これ…」
「景時さん、こっちの世界に来て、洋風な料理だって好きで良く食べてくれるけど、本当はやっぱり、生まれた場所のお料理が懐かしいし、食べたいんじゃないかな、って思って。
 和食は難しくて、こういう簡単なのしか今は出来ないけど、これから頑張って覚えますからね」
魚は今日は焼いただけだけれど。煮物もところどころこげているけれど。景時には十分だった。鍋がひとつくらい使い物にならなくなっていたって、この際どうだっていい。
「……オレももうちょっと頑張って料理を覚えないとね」
景時は美味しく望美の手料理をいただきながら、そう言う。元来器用な景時のこと、こちらの世界に来て以来、一人暮らしを始めたこともあって、料理を少しずつ覚えているが、その腕前は今のところ、望美以上ではあるがさほど凝った料理を作るほどではない。
「だ、だめですよ、景時さんがこれで料理までもっと上手になったら私、ちょっと立つ瀬がないです」
こげた煮物を少々情けなく視線で追いながら望美は口を尖らせた。
「でも、今日、オレ、待っているの楽しみだったけどちょっと寂しかったかなって。
 望美ちゃんと一緒に料理できたらもっと楽しいだろうなあって思ったしさ」
「それは……そうですけど…」
この景時の気持ちに素直なところには敵わない。向こうの世界に居た頃はむしろ、自分を抑えていた印象だったのに。けれど、多分、こちらの景時が本当の景時で、彼が自分の気持ちに正直であれることは嬉しい。そう考えると、望美はひとつ大きく頷いた。
「うん、そうですよね。じゃあ、今度からは一緒にお料理作りましょうか。
 ……でも、チョコケーキだけは、私の手作りにさせてくださいね」
「そ、それは、うん。もちろん、オレだって、本当に望美ちゃんの手作りが嬉しいんだしね」
少しばかり複雑そうな望美の様子を察したのか、景時はそれはもちろん、とでもいうように何度もこくこくと頷く。
それ以外にも少しばかり後ろめたいことがあるらしい。何やら急に視線が泳ぎだしたようだ。
「……景時さん?」
望美は箸を止めて、景時を上目遣いに見上げた。景時の視線がさまよう様子を見つめていると、なんとなく怪しげな場所があった。流しの上の棚だ。普段は買い置きの品が置いてあって望美が開ける事はない。ピンときた望美は立ち上がってその棚の戸をあけた。
「あっ、そのっ、の、望美ちゃんっ!」
そこにあったのは、どう見てもチョコレートらしき包み紙。
「あのねっ、その、バレンタインより先にチョコレート買わないでって言われていたんだけど、そのっ
 ほら、今年はさ、逆チョコっていって、なんだかその、男から送るチョコもアリって言ってたし
 だから、やっぱり売り切れちゃうより先に買っておこうかなっ、とか、それに望美ちゃん、今年は手作りにするって言ってたし、かぶったりしないかなって思って」
望美が何か言うより先に景時が必死に言葉を尽くすのを聞いて、望美はおかしくて噴出してしまった。
「えっと……の、望美ちゃん……」
「ありがと、景時さん。ちゃんと覚えていてくれたのね」
去年、チョコレートを景時からもらったとき、バレンタインより先には買わないで欲しいと頼んだりしたものだ。今思えば、我侭なお願いだったなんて思う。ただ、景時の気持ちを受け取っていれば良かったのに、と。
「いつ、渡してくれる予定だったんですか?」
「ええっと、明日の夜……」
ちょっと出掛けてくるフリでもして? そこで買ったように見せかけて? そう考えるとますます可笑しい。気づかないフリをして、その様子を見ていたかった気がするほどに。
「じゃあ、明日の夜まで置いておきますね」
望美はそう言って、戸を閉めた。そして再び食卓に戻る。
「ええと、約束破った、って怒らないの?」
景時は望美の様子を伺うように聞いてくる。
「だって、今年は逆チョコもあり、って言うことですし。それに私は手作りケーキが出来て満足ですし!」
「それにね、逆チョコっていうのを見たときは、景時さんってすごいなって思ったんですもん」
その言葉に景時は思わずむせ返る。
「なっ、なんでオレがすごいことになるの」
「だって、景時さん、世間よりもずっと早く、私に逆チョコくれてたじゃないですか」
「そ、それはバレンタインってどういうものか知らなかったから……」
「でも、すごく大切なことに気づかせてもらいましたよ? 世間でどうかってことより、相手が喜ぶことを想像する気持ちを大事にしたいなってこととか。いつも私、景時さんからたくさんの想いをもらってて幸せなんだな、とか。 さっきのも、ほら。去年の私のあんな言葉もちゃんと覚えて、気にしてくれてたり…」
「ご、ごめん、あのっ、望美ちゃんっ」
まだまだ先が続くかと思われた望美の言葉を景時がさえぎる。小首をかしげて望美が景時を見上げると、首から耳から真っ赤になっている。
「……望美ちゃん、オレ、ほんと、降参。バレンタインだからって、そんなにオレを嬉しがらせないで…」
「え? だって、別にお世辞じゃなくて、本当に私、そう思って……」
「だから、ほんと、オレもう、ご飯喉通らなくなっちゃう」
「そんなあ…でも本当に私、景時さんのこと……」
「だめだってば、オレの方こそ、本当に……」
なんとなく今年ばかりは景時に勝てそうな気がした望美だった。
「本当に、チョコケーキより先に、望美ちゃんのこと食べたくなっちゃうから、勘弁してっ」

さて、実際に最後に勝ったのはどちらだったか、それは当人たちだけが知っている。




バレンタインな景時×望美でした。
一日遅れてしまいましたが(^^;)
今年はほんと、逆チョコなんですってね!
それだけのネタでございました。
あと、たまには望美にノックダウンされる景時とか。


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