おかえりなさい





「望美、中へ入ったほうがいいわ。疲れているでしょう?」
朔が声をかけた。ずっと宿の外で街道の様子を眺めていた望美は、振り返って答える。
「ありがとう、でも、もうちょっと……」
荼吉尼天を倒して鎌倉を出た一行は京へ向かう道にあった。一人だけ別行動となった景時と合流するために早めに宿を取り、待っているのだが景時はまだ現れない。そろそろ陽も傾きかけていた。宿を取り少ない荷物を置いた後、仲間と労をねぎらう間もそこそこに望美は外で景時を待つように立ち続けていた。
「兄上なら、きっと大丈夫よ」
朔はそう言い、その後に『ああ見えて要領いいところあるし、案外打たれ強いし』と言おうとして辞めた。自分も随分と兄を誤解していて(誤解ではない部分も多々あったが)一人でいろいろ背負わせていたことを思い出したからだ。
「ごめんね、朔だって心配なのにね。まるで私だけが心配してるみたいに」
望美はそう言うと少しすまなそうに朔に微笑んだ。
「ううん、いいのよ、いいの。私なんかは兄上に心配かけさせられるの慣れてるから」
笑って朔はそう言い、望美の隣に立った。
「……ほんとに、望美にこんなに心配かけて。戻ってきたらとっちめてやらなくちゃ」
「朔??」
腰に手を当て望美と同じく街道の様子に目をやる朔に、望美は驚いたように言う。朔はにっこり笑って
「私も、望美と一緒に待つわ」
と言い、まだ何の影も見えない道の果てへと目をやった。

「望美、朔、少しは休め」
しばらくの後、宿から出てきたのは九郎だった。
「九郎さん」
むっつりと不機嫌そうな顔に見えるのは、本当に機嫌が悪いわけではなくて、照れ隠しだったりすることは今ではもう望美にもわかっていた。ぶっきらぼうな言葉も同じだ。
「大丈夫です、もうちょっと待っています」
望美がそう言うと、九郎は
「だが、お前昼前からもうずっと立ちっぱなしじゃないか。それまでだって歩き通しだし、義姉上とのこともあったし、
 とにかく少しは休んだ方がいい」
「ありがとう、九郎さん。でも、もうちょっとだけ、待たせて」
望美はそう言った。景時が戻ってくるのを、自分の目で確かめたい。彼が戻ってきたとき、迎えたい。一時でも早く彼の姿を見たい。押さえていたその気持ちがこみ上げてくる。
「……本当に、お前、頑固だな。わかった、俺も一緒に待つ」
盛大に溜息をついて、しかし九郎はそれ以上言わずに望美と朔の後ろに立った。
「え、でも、九郎さん……!」
「いい、俺も待つと決めたんだ。疲れたら、お前たちは中に入れ。
 俺が代わりに景時を待っているから」
腕を組んで、やはりぶっきらぼうに九郎が言い放った。望美は微笑んで九郎さんらしい、と口の中で呟いた。そして、自分だけが知っている記憶を思い出す。先生を九郎と二人で待ったことがあった、と。あのときは、先生は待っても待っても帰ってこなかった……と思い至って、ぶるっと震える。今はもう、違う、と思い直し、顔を上げた。

「いつまでも戻ってこないと思ったら、九郎、あなたときたら」
呆れたような声でそう言いながら出てきたのは弁慶だった。
「望美さんと朔さんを連れてくるなんて言って立ったっきり、戻ってこないんですから、本当に」
そう言いながら、にっこり笑う様子は、最初からそんなこと無理だと思っていたと言わんばかりだった。九郎は顔を顰めて答える。
「お前まで出てこなくてもいいだろう」
「九郎一人じゃ心配です」
「何が心配なんだ」
相変わらずの二人のやり取りに、望美も朔も顔を見合わせて笑い合う。九郎はそれにも気付いてますます憮然とした表情になるのに、弁慶ときたら何処吹く風といった風情で穏やかな表情を崩しもせずに言った。
「だって、さっき、心配した分景時を一発ぶん殴ってやらなきゃ気がすまないって言ってたじゃないですか。
 それじゃあんまり景時が気の毒ですからね」
「九郎さんっ」
望美が声を挙げるのに九郎は弁慶をにらみつけて叫ぶ。
「冗談だ、冗談! 本当にそんなことをするわけがないだろう!」
赤い顔になった九郎に、望美は笑いながら答える。
「わかってます、九郎さんも、すごく景時さんのこと、心配して思ってるってこと」
尊敬する兄が仲間である景時を苦しめていたことは、九郎にとって自分の責任であるかのように思えもしたのだ。兄に応えることができる弟だったら、こうならなかっただろうか、と。今になっても九郎は頼朝を慕い続けていた。景時が無事に戻って欲しい、それは仲間を失いたくないという以上に、兄を尊敬し続けたいと願う思いの表れであるかもしれなかった。
「大丈夫ですよ、九郎。景時はやるときはやる男ですし、頼朝様も聡い方ですから」
そんな九郎の気持ちを察したのか、弁慶は静かにそう言うと九郎の隣に立った。

「神子、暗くなってきたよ」
心配げに出てきたのは白龍だった。
「神子、景時が心配?」
首をかしげてそう問いかけてくる白龍に、望美はにこりと笑いかけて答えた。
「…うん、ちゃんと戻ってくるって信じてるけどね」
半ばそれは自分に言い聞かせているような言葉でもあった。姿は大人になったのに、未だに子どものような言葉遣いの白龍は、そんな望美の不安を感じ取ったのか
「戻ってくるよ、景時」
と微笑みながら言った。八葉である景時のことも、白龍は何かしら感じ取ることができるのかもしれないと望美は思い、その言葉に頷いた。
「わたしも、神子と一緒に景時を待つよ」
白龍は望美を護るかのように彼女の後ろにそっと立った。

「神子……皆も、景時殿はまだですか」
そっと戸から顔を覗かせ、遠慮がちにそう尋ねたのは敦盛だった。首を振る望美に、そっと外へと出てくる。物憂げな寂しげな瞳が黄昏色に染まった地平線の向こうを見やる。
空の色が暗くなるにつれて、皆も言葉少なくなりがちだった。
「熊野に皆で行ったとき……」
なので、敦盛がそう語りだしたとき、皆がその言葉に耳を傾け、敦盛を見やった。
「仲間がいて賑やかなほうがいいと、景時殿がよくおっしゃっていたことを思い出して。
 私のこともすっかり仲間だと盛り上げてくださったことも……」
「景時、やさしいね」
白龍がそう頷く。九郎は苦い顔をして目を伏せた。優しいことは良いことではあるけれど、今のような時期に、さらには軍奉行という職にあっては辛いことが増えるばかりだっただろうと、今更に思ったからだった。
「何、しんみりしてんだよ、お前ら」
呆れたような声音でいささか乱暴に言いながら出てきたのは将臣だった。その後ろには少し憮然とした表情の譲もいた。
「将臣くん、譲くんも」
「葬式みたいにしけた面並べてんじゃねえよ、縁起でもない」
大げさに溜息をついて首を振る将臣に、譲がすかさずたしなめるように声を挙げる。
「兄さん! 縁起でもないのは兄さんの台詞だろう」
額に手をやり、まったくもう、と小さく語散る譲に対して、将臣は全く気にも留めない様子だった。
「ああ見えて、結構図太い策士なんだろ? 景時は。
 望美を殺したと見せかけて、まんまと助けたって言ってたじゃねえか」
その言葉を聞いて望美はくすり、と笑った。
「なんだよ」
「ううん、その通りだって思って。ありがとう、将臣くん」
皆を混ぜっ返したくてわざと不穏なことを言ったわけではなくて、望美を励ますための言葉だとわかったから、その不器用な優しさに望美は笑ったのだった。相変わらず、変わっていないな、と。
「そうだね、景時さん、ああ見えて策士だものね。一世一代の大芝居をしてくるって言っていたもの」
そんな望美の様子を見て、譲は少し切なげな表情をせずにはいられなかったのだが、その表情は薄暗い薄暮の中で、望美に見られることはなかった。
「先輩は、本当に景時さんが心配なんですね」
「わ、私だけじゃないよ、皆だってそうでしょ?」
慌てたようにそういう望美の頬が赤く染まっていただろうことが譲には予想できたが、それが見えるほどに空が明るくないことに密かに感謝した。
「なんだよ、なんだよ、皆お揃いでこんなとこにいたのかよ」
やれやれと言いたげに出てきたのはヒノエだった。
「誰もいなくなるし、退屈しちまったじゃん。何してんだよ、こんなとこで」
「景時さんを、待ってるの」
望美がそう言うと、ヒノエは溜息をついた。
「はぁ〜。まったく、姫君をこんな黄昏も過ぎるまで待たせるとは、景時も罪な男だな。
 オレなら姫君をこんなに待たせたりはしないのに」
「頼朝さん相手に一人で頑張ってるんだもの、ちょっとくらい時間かかるかも」
弁護するように望美がそう言うと、ヒノエはからかうような笑みを頬に浮かべたが、それでも望美の言葉に頷いた。
「確かに。鎌倉殿相手に一人でなんとかしようなんて、結構大それたことだよな。
 やってのけたら、たいしたもんだと思うぜ」
策士の称号を認めてやってもいいね、と付け加える。是非、と望美は笑って答えた。
(景時さん、皆、待ってるよ、だから、早く、戻ってきて)
明るさを増してきた月を祈るように望美は見上げた。山の端にかすかに残る夕焼けの名残も、もう消えようとしている。 そのとき、宿から出てきたのはリズヴァーンだった。
「……音が、聞こえる」
「先生?」
「神子、耳を澄ましてみろ、蹄の音だ」
静かに言われて望美は目を閉じて一心に耳をすませた。風の音、草木の擦れる音、夜鳴き鳥のかすかな声、獣の鳴く声。望美にはそれ以外にまだ何も聞こえなかった。それでも耳を澄ます。風の中に土を蹴る音を探す。地を伝わってくる音を探す。そして、それが微かに望美の耳に届いたように思えた。それが気のせいではないように、望美はまだ目を開けなかった。それが確かに耳に感じられるまで待った。間違いなく馬の駆ける気配だとわかったとき、やっと望美は目を開けた。もう暗くて、その人の影しかわからなかったけれど、望美にはそれが景時だとわかった。きっと共に待っている皆にもわかっただろう。
「か、景時さーん!」
溜まらず、望美は声を挙げる。
「景時さーん! 景時さーん!!」
「景時ー!」
みなの声に、その影は驚いたようだった。慌てて手綱を引き街道をこちらへと向かってくる。やがて歩を緩めて現れたのは、確かに景時だった。
「な、何、どうしたの、皆」
呆気にとられて驚いた様子の景時に、却って皆の方が気を削がれた。
「何って、お前を待っていたに決まっているだろうが! 遅い!」
九郎が声を荒げるのに、景時は馬から降りると、びっくりしたように両手を挙げる。
「ええー! そ、そんな、皆で? オレのこと待ってたの?」
「そうですわよ、兄上。少しは感謝の言葉とかないんですの?」
相変わらず手厳しい朔が言うのに景時は
「そっかー、皆ありがとう〜。なんか感激だなー。
 いや、でも良かったよ。皆もうとっくに京に向かってるって思ってたからさあ〜。夜通し駆けていこうと思ってたんだ。
 下手したらオレの方が皆を追い越してたかもね」
あはは、と能天気に笑う。その様子に多少嫌味を言いたくなったのだろう、
「いやまあ、俺はそーなってたとしてもどーでも良かったけどね。望美が心配してたから付き合ってやってたんだよ」
将臣がにやにやと少し意地悪く言う。望美の名前を出されて、景時は「えっ、あ、ああ」と何やら慌てた様子の声をあげたが、朔に背中を押されて望美の傍へとやってきた。
「その……望美ちゃん……」
景時が言葉をかけ、皆がその後の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。が、景時が手をあげて望美に触れようとしたそのとき、望美はにっこり笑って景時に向かって言った。
「景時さん。無事で良かった!
 お母様が中で待っておられますよ。ずっと仏様にお祈りなさってるんです。
 早く顔を見せて安心させてあげてください!」
そうして、手のやり場に困っているような景時の背中を押して宿へと押し込む。皆も望美のあっさりあっけらかんとした態度に拍子抜けしたようだった。それでも早く早く、と景時の背中を押す望美にせかされるように、皆もその場を動き出すと、弁慶は景時の乗ってきた馬を繋ぎに行き、九郎は
「宿の者に夕食を手配させよう。景時の報告も聞いて今後の事を話し合わないとな」
と言いながら景時の後に続いた。

母親に帰還の報告を手短に済ませた景時は慌ただしくまた廊下へと出た。そこで夕餉の準備を手伝う朔と出くわす。
「兄上、じきにもう夕餉になりますから……」
落ち着きのない様子の兄に向かってそう言う朔に、景時は
「朔、望美ちゃん、どこかな。見かけなかったかい?」
と尋ねる。
「あら、そういえば、さきほどから見かけていないわ……何処へ行ったのかしら」
その言葉を聞いて即座に背を向けて望美を捜しに行こうとする景時に朔が声をかけた。
「兄上、もうすぐ夕餉ですからね。望美をつれて早く来てくださいね」
わかったという代わりにひらひらと手を振って景時は外へ向かった。
宿の庭は月明かりに照らされるばかりで、薄暗く、人影があるかどうかは目をこらして見なくてはよくわからなかった。それでも景時は辺りを見回しながら歩き周り、望美の姿を探した。宿の部屋から漏れるほの明るい蝋燭の明かりと、九郎たちの声から離れ、庭の外れの植え込みの影に、その姿をやっと景時は発見した。
踞るようにしゃがんだその姿は、草木の陰に隠れてしまっていたが月の明かりに見慣れた薄桃色の花のような衣が照らされていた。
「望美ちゃん」
そっと声をかけると、踞った肩がぴくり、と動いた。
「ちゃんと、約束通り、帰ってきたよ。望美ちゃんがオレのこと信じてくれたから、やり遂げられた。
 皆が外で待っていたのはびっくりしたけど、嬉しかったなあ。
 ……でも、一番嬉しかったのは、望美ちゃんが、待っててくれたことなんだけどな」
静かにそう言うと、踞っていた望美が立ち上がった。それでもまだ景時には背を向けていたけれど、景時の言葉の、言外にある(なのに、あっさりした再会だったからちょっと残念)という意味を感じ取ったのか、小さく何か呟いたようだった。
「望美ちゃん?」
優しく呼びかけると、望美が涙でくしゃくしゃになった顔で振り向いた。
「……って……だって、みんなの前でみっともなく、大泣きしちゃいそうだったんだもの」
そう言いながら望美はやはりぽろぽろと安堵の涙を流し続けていて、景時は、そんな望美に向かって、まるで全部わかっているよ、と言いたげな顔で優しく微笑んだ。そして両手を広げて
「ただいま、望美ちゃん。心配かけて、ごめんね」
と言う。堪らず望美は景時に駆け寄り、その腕の中に飛び込んだ。
「……景時さん……っ!」
きつく抱きついて、声をあげて泣き出した望美を景時はしっかりと抱きしめた。しっかりしていて、強くて、どんなときにもへこたれない、眩しい存在だとずっと思っていた。でも本当は、いつだって不安と戦っていたはずだ。それを自分一人で必死に心を支えて、頑張ってきていたのだ。そう思うと愛しさが募る。
「もう、大丈夫だからね。望美ちゃんが頑張ってくれたおかげだよ。もう、皆、大丈夫」
そう言いながら、零れる大粒の涙を指で掬う。
「ご、ごめんなさ……ホント、嬉しくて、なんか、気が緩んじゃって……」
ごしごしと目元を手の甲て擦って望美がなんとか涙を止めようとするのに、景時はその頬をそっと両手で包んで自分を見上げさせた。額を近づけてじっと望美の目を見て囁く。
「うん、いいよ。もう、我慢しなくていいから。泣きたかったら、泣いちゃっていいから」
途端に、望美の涙が止まり、代わりに顔が真っ赤に染まる。どうしたの? と問いかけたげな景時に望美は突然、その優しい割には強い腕から逃れようとする。
「あの、あの、なんかきっと今、目が腫れててすごく不細工な顔になってると思うから、だから……」
「そんなことないよ、望美ちゃんは、可愛いよ」
「……………………え、ええと。うん、その、ありがとうございます。
 ……あの、景時さんも、カッコイイですよ」
紅い顔をして、とぼけた台詞をいう望美に思わず景時は吹き出す。そして、それにつられてやがて望美も笑い出した。
「……涙、止まったね」
「……はい、景時さんに止めてもらいました」
「泣かせちゃったのも、オレだしね〜。責任取らないと」
そっと望美の髪を撫でて景時が笑いながら言う。望美の前髪を掬うようにかきあげて、その瞳を見つめた。
「……、目、腫れてません?」
心配そうに尋ねる望美に笑って「大丈夫だよ」と答える。ほっとしたようににっこりと望美が笑った。
「ああっ……」
突然思い出したように景時が声をあげたので、望美は心配そうにその顔を覗き込む。
「ど、どうしたんですか、景時さん」
「いや、朔にね、もうすぐ夕餉だから、早く戻って来いって言われていたんだった。
 朔に怒られる前に戻らなくちゃ! 行こうか、望美ちゃん」
そう言って差し出された手を、望美は躊躇うこともなく自分の手を重ねる。
「うわー、参ったな。もう遅いかもしれないなあ。まあた朔に怒られちゃうよ」
空いた手で頭をかきながらごちる景時に望美は笑いながら
「大丈夫ですよ、私も一緒に謝りますから」
と声をかけた。月明かりの庭を建物に戻るまでの僅かな時間ではあったけれど、ぎゅっと繋ぎあった手から伝わる温かさに安堵を覚え、望美はやっと長い一日と、長い戦の終わりを実感したのだった。

「おかえりなさい、景時さん」

END





遙か3より、景時×望美です。
ぜ、全員出すのって大変だなあ……
案外に九郎は動かすのが楽だけど、有川兄弟とヒノエは難しいと思いました。
敦盛とリズ先生も……ってほとんどじゃないか


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