ある晴れた日に





パンパン……軽やかな音が耳に届く。それと一緒に、楽しげな鼻歌。
優しい風が頬を撫でていく。望美はそっと目を開けた。
開け放された部屋に明るい日差しが差し込んできている。柔らかな光に包まれた庭は、もう見慣れた京の梶原邸のもの。そして、その庭先で鼻歌を歌いながら楽しげに洗濯物を干しているのは……勇猛果敢な智将と知られた源氏の軍奉行、梶原景時。望美はその後姿に微笑んだ。景時を慕う兵たちがこの姿を見れば驚くだろうな、ということと、彼が本当に楽しそうで、それが、10歳も年上の男性に向かって言う言葉ではないかもしれないけれど、可愛くて。
「景時さん!」
起き出した望美は自分も庭に降りると、景時の傍まで歩み寄って声をかけた。
「やあ! 望美ちゃん、目が覚めたのかい? あ、もしかして起こしちゃったかなあ〜?
 ごめんね」
にっこり笑いつつ、ちょっとすまなそうな顔をして景時がそう言う。
「どうして、ごめんね、なんですか? とってもいい目覚めでしたよ」
くすくすと笑いながら望美はそう答え、景時の足元のたらいから自分も洗濯物を取り上げた。
「私もお手伝いします」
「え、ええ、いいよ、いいよ」
慌てて恐縮したように言う景時に、有無を言わせないように望美が言う。
「お手伝いしたいんです。させてください」
真っ直ぐそういわれて、景時は照れたように頭をかき、じゃあ、頼むね、と言った。望美は笑いながら景時の隣で洗濯物を干し始める。
「私のいた世界では……」
ぴん、と干した布地を伸ばしながら、望美は話し始める。
「ん?」
景時は望の横顔を見下ろした。
「私のいた世界では、洗濯って機械……んーと、人がしなくても、勝手に洗濯してくれるものがあるんです。
 それでやってもらうのが普通で、私の家では、洗濯物を乾かすのも、全部、こう……」
と望美は手で大きく箱のような形を空に描いた。
「こう、こんなのに入れておくと乾くようになってたんです」
「へぇ〜! それはすごいねえ。うん、ほんとうにすごい! どういう仕組みなのかなあ〜
 陰陽道の応用で作れないものかなあ?」
発明好きの血が騒いだのだろう、景時が腕を組んでしきりに感心する。それを笑って見ながら望美は続けた。
「でも、なんだか、もったいなかったなあ〜って、思っちゃうんです」
「晴れた日にこうやって洗濯物干すのが、こんなに気持ちいいって知らなかったなんて、もったいなかったなあ、って」
「……それは……そうだねえ」
青い空を見上げて言う望美につられて、景時も空を見上げる。
「だから、私、景時さんには本当にいろんなこと教えてもらったなあって思っているんですよ」
「えっ、オレ? オレが望美ちゃんに?」
驚いたように声をあげる景時に、また、望美はくすくすと笑う。本当に、いろんなことを教えてもらった。胸が躍るような喜びも、心が引き裂かれるような悲しみも、強さも弱さも。
「オレ、何もそんな、教えてなんかいないよ〜。間違いじゃないの?
 ほら、弁慶ならさ〜、薬のこととか、九郎やリズ先生なら武芸でしょ、敦盛なら笛とか教えてもらえることあるけど、
 オレなんて、何もないっていうか〜、いい加減なことしか言ったことないっていうかさ〜」
やれやれ、というように溜息をつきながらそう言う景時に、望美は
「だって、晴れた日のお洗濯が楽しいとか、空がとってもきれいだとか、景時さんに教えてもらいましたよ」
と言う。それは、オレが教えたんじゃなくて、望美ちゃんが自分で気付いたんであってさ〜と、困惑した顔で言う景時に、望美はちょっと怒ったような顔を無理に作って人差し指で景時を指し、黙らせるように言った。
「とにかく! 景時さんは、いっぱい私に大切なことを教えてくれたんです!
 だから、『オレなんて』って言うの、禁止!」
強引な望美の言葉に、景時が目をぱちくりとさせる。
「……禁止、なの?」
「そうです。景時さん、『オレなんて』って言いすぎですよ? とってもすごい人なのに。
 もっと自分に自信を持ったって罰は当たらないですよ」
「ええ?! すごい? だから、望美ちゃん、何か間違ってない? オレなんて何処がすごいってのよ」
「ほら! また言った! 禁止って言ったでしょ」
ぷうっと頬を膨らませて望美が景時の鼻を人差し指で押さえる。
「『オレなんて』って言わないこと。わかった?」
「……御意〜」
勢いに押されたように景時がそう答えると、望美は表情を一変させてにっこりと笑った。振り回されてばかりの景時は、訳がわからないとばかりにそんな望美を見つめていたが、やがて顔をほころばせる。残りの洗濯物を手にとって再び並んで干しだすと、景時がまた歌を口ずさみはじめる。その横顔をそっと横目で見上げ、望美は景時が教えてくれた一番大きなことを考える。今のこの平穏な時間の大切さ。隣にいる人の温もりを感じられることの幸せ。何げない毎日を護るために、どれだけの苦しみと悲しみを繰り返してきたか思い至ることができたこと。
自分は、龍神の神子としてこの世界に呼ばれ戦ったけれど、自分が正義だったとも、平家が悪だったとも、頼朝が悪だったとも思わない。それぞれに、それぞれが正しいと思うことを為しただけで、正義とか悪とか、そんな単純で簡単な言葉で切り捨てることができるほど誰の命も軽いものではないはずだ。自分自身、身近な人々を失いたくなくて、そのために戦ったのだ、正しい世の中やより良い世の中なんて理想があったわけじゃない。神子なんていってもその戦いの動機は驚くほどに利己的でしかない。こんな自分が神子としてふさわしかったかどうか、今も疑問に思っているくらいだ。それでも。
望美の視線に気付いたらしい景時が、手を止めて望美を見下ろし、問いかけるように首を傾げる。自分の考えていることが、わかったのだろうかと望美は慌てて視線を外すと手にした洗濯物の皺を伸ばすように広げた。
自分が正義だったとは思わない。龍神の神子としてふさわしかったかどうかもわからない。それでも、死ぬことが苦しみから開放されるための手段だった景時が、自分を取り戻す手助けができたこと、それが望美にとってこの世界に来た価値ある結果だった。
「望美ちゃんは、オレから教えてもらったって言うけどさ〜
 オレの方こそ、望美ちゃんに大切なことを教えてもらったよ」
最後の一枚を丁寧に延ばして干しながら、景時が言った。見上げると照れ臭そうな景時の顔。でも、どこか誇らしげな笑顔にも見えた。
「勇気を持つこと、諦めないこと…… 自分の望む未来を手にするために必要なことだよね。
 望美ちゃんはさ〜、今、こんな風に暮らせるのがオレのおかげって言うけどさ〜
 オレがあの怖〜い頼朝様相手に博打を打てたのは、君がオレならなんとか出来る、なんて信じてくれたからだよ。
 大切な人にあそこまで信じてもらっちゃったら、そりゃもう一世一代のつもりで頑張らないと男じゃないもんね。
 だから、こんな風に今いられるのは、オレなんかよりも、望美ちゃんのおかげだよ」
ずっと、伝えたかったけど照れくさくてなかなか言えなくてごめんね、ほんとにありがとね、と景時は言葉を続けた。思いがけない景時の台詞と、『大切なひと』という言葉に、望美の頬が熱くなる。本当は、自分が気絶していたときに、北条政子に向かって景時が自分のことをそう言ってくれたと朔から聞いたのだけれど、面と向かってそうと言われたことがなくて。嬉しくてたまらなかったのだけれど、それを悟られるのが気恥ずかしくて、望美は
「景時さん! また、『オレなんか』なんて言う!」
と怒った顔を作って言ってみせた。そりゃないよ〜、と情けない声を出した景時がしょんぼりした表情になるのに、望美はまだ熱い頬のままぎゅっと抱きつく。『神子だから』景時に出会えた、『神子だから』景時を、皆を救えた。でも、景時からは『神子だから』必要なんじゃなくて『大切なひと』だから一緒にいたいと思ってもらいたかった。
「なな、なに、どうしたの、望美ちゃん?!」
強い力でぎゅっとしがみついてきて胸に顔を埋める望美に、景時がうろたえる。望美を抱きとめていいのかどうかと迷うような両の手が空を泳いでいる。
「わ、私も、ずっと、伝えたかったけど照れくさくてなかなか言えなかったことがあるんです。
 言ってもいいですか?」
意を決したように顔をぐっと上げて景時を見上げる望美に、何を言われるのかさっぱり予測もつかないというような顔で景時が頷く。まだ熱い頬は桜色に染まったままだけれど、強い意志を宿した瞳はただまっすぐに景時を見つめていた。
「わたし、景時さんが好きです。だから、景時さんと一緒に居たかった。生きて欲しかった。
 景時さんだから、信じられた。景時さんが、好き。……大切なひとって言ってもらえて嬉しいです。
 嬉しくて、いいですよね? 景時さんを好きで、いいですよね?」
少し、最後は自信なさげに小さな声になりかけた。けれど、空を泳いでいた景時の両手がしっかりと望美の肩を抱きしめてくれたので安心する。言葉はなかったけれど、伝わってくる温もりはそれ以上に雄弁だった。
「……望美ちゃん、ほんとにオレなんかで、いいの?」
しばらくしてから発せられた言葉が、まだ少し自信なさげなのは、景時がこれまで背負ってきた罪の苦しみをまだ忘れていないから。いや、きっと彼は忘れることはないだろう。そんな景時だから、やっぱり、好きだと思い、いとおしいと望美は思う。
「景時さんが、いいです」
ぎゅっと強くだきついて、それから飛び跳ねるように身体を離す。恥ずかしくて顔が熱いけれど、景時だって照れた顔だ。でも、お互い顔を見合わせると自然と笑顔になる。
「だから、景時さん、もう、『オレなんか』って言わないでくださいね。私が、悲しくなっちゃうんですから。
 たとえ景時さんでも、景時さんのこと、悪く言うのは許しませんからね」
言い聞かせるように言うと、おどけたように景時が答える。
「御意〜」
でもお互いの言葉に込めた思いはわかっていたので、それで十分だった。

青い空と、はたはたとはためく洗濯物と、それは平凡でなんてことのない風景で、そして、何よりも得がたくて大切なもの。

……気付かせてくれて、ありがとう。

……守らせてくれて、ありがとう。

END





遙か3より、景時×望美です。
いろいろと思うことがあって、なかなかまとまらないのですが
これは一応、ED後のネタということで。ゲーム中のネタもからめて
シリアスな話も書きたいなあ、と思っていたりします。
現代版EDの話も(^^;)



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