オニオン・リング・フライ

緋勇青葉はごきげんだった。
たまにしか会えない御門が、珍しく新宿に私用があるとかで、その後時間がとれそうだから会いますか? と言ってきたのだ。
それはもちろん、二つ返事で「会う!」なわけなのだが、いつものごとく、御門御用達のお店で食事・・・なんていうことになると、青葉の方がなんとなく落ち着かないので、思わず「それじゃあ、私の家に来ない?」ということになったのだった。
青葉は養父母の家を離れてマンションで一人暮らしをしている。洋室2間と、キッチン、バス、トイレ。一人暮らしとしては文句ないが、もちろん、御門の家とは比べものにならない。とにかく、小蒔や葵は遊びにきたこともあるが、御門は初めて・・というか、男友達が来る事自体が初めてなのである。
なんとなく、緊張しつつも顔が緩んでしまう青葉なのだった。
夕食、何にしようかな、と考えつつ足取りも軽くスーパーへ向かう。ご飯を食べて、それから久しぶりだし、いろいろ話もして、忙しい人だから、それくらいで時間切れしちゃうかもしれないけど、もしかして、もしかして、お泊まり・・・な〜んてことになったらどうしよう!! などと、どうでもいいことを考えて一人で赤くなったりしている青葉であった。


御門晴明は、少しばかり困惑していた。
一人暮らしの女性の部屋を訪問するのである。しかも、初めて。それなりに心配りも必要なものではないだろうか、と考えてさりげに青葉の好きな舟和の芋ようかんなどを用意させて持参したのだが。(もちろん、御門自らが買いに出向いたりしたわけではない、念のため)玄関の扉をあけて自分を出迎えた青葉は、目を赤く腫らしていて、泣いていたことは明白だった。
「ごめんね、どうぞ、あがって」
何事もなかったようにそういう青葉に、御門も理由を尋ねることなく部屋にあがった。気にならないといえば、嘘になるが本人が言うつもりもないことを問いただすつもりはない。青葉に何かあっても「助けない」「守らない」それは、御門が青葉に対して最初に言ったことだった。自分には、恋愛に溺れている時間はない。優先させるべきことは、多くある。それでもいいか、と、そう青葉に確かめた。「いいよ、平気」あっさりと笑って答えたのは、青葉だった。以来、青葉が御門に、御門の成すべき事を妨げるような我が儘を言ったことはない。そのぶん、会えたときには、青葉は御門にずいぶんと甘えたがる様子を見せるのだが、何せ相手が御門であるから、取り合ってもらえるはずもなく、どちらかといえば、御門のペースで付き合いは進んでいるように見えた。
 しかし。
 御門にしてみれば、それはどうも違うのだった。
「もう少し、待っててね、今作ってるから」
キッチンから顔だけを出した青葉が、鼻をすすりあげてそう言う。御門は小さな座卓とそこに用意してあったパステルカラーの座布団に腰を下ろすと、考え込むかのように扇を口元にあてた。不躾にならない程度に部屋に視線を巡らせる。いたってシンプルな部屋。窓辺に小さなサボテンの鉢が置いてある。テレビとオーディオ。棚にあるビデオが洋画のおそらくラブストーリーものなのだろうものと並んで、最強格闘技決定戦などというのが置いてあるのが青葉らしい。まあ、武道家として研究熱心なのだというように理解しておきましょう、と御門は苦笑する。雑誌の並んだ棚の上にはノートパソコン。たまにしか会えない御門と青葉をつなぐ手段の一つだ。日記代わりのように、青葉はメールを御門に書いてよこす。それが煩わしくないところが、自分でも理解できないのだが。
 いろいろ注意深く見回したところで、青葉の涙の原因となるようなものが見あたらないことを確認する。彼女の涙を見たのは、そう多くはない。少なくとも、多少のことで涙を見せるような人間ではなかったはずだ。
「・・青葉、何か、用事でもあったのではないのですか?」
実家や道場から何か連絡でもあったのだろうか、と少しカマをかけてみる。
「え? 何もないよ、どうして?」
そう答える青葉は嘘をついている様子もない。
「・・いえ、ならばいいのです。急なことでしたから、あなたの予定を考えていなかったのではないかと思いましたのでね」
「あはは、だいじょうぶ、ありがとうね、御門くん」
さて、そう言われてしまっては、御門も手詰まりだった。小さく溜息をつくと、それを聞きつけた青葉がキッチンから声をかける。
「なあに? お腹空いた? ごめん、今すぐできるから」
そうではないのですがね、と御門は思う。そうして、結局のところ、自分が青葉の涙を気にかけているという事実を認めざるをえなく、なんとなく不機嫌になる。とらわれてはいけない。溺れてはいけない。気にかけてはいけない。自分には、もっと優先させるべきことがあるはずだ。青葉の泣き顔一つで、動揺するようでどうする? それが守れないのなら、自分には青葉と付き合う資格はない。
 そう理性では理解していても、ときどきどうしようもなく感じる彼女に対する衝動。人の感情や思いとは、なんと理解しがたく、そして面倒なものだろう。少なくとも、青葉に出会うまでは、自分の感情を律することなど、さして難しいことではなかったというのに。
「おまたせ! ごめんね、遅くなっちゃって」
そのとき、青葉がキッチンから出てきた。できあがった料理をテーブルにおいて、またキッチンへ戻って次の皿を運んでくる。運ばれてくる料理を目にした御門は、表情を変えることなく、しかし、静かに青葉に呼びかけた。
「・・・青葉・・これは?」
その言葉にこめられた意味を十分すぎるほど感じ取った青葉が、ぎくり、としたように御門を振り返る。
「・・・え、えへへ・・・あの、あのね、今日、せっかくだし、と思って買い物に行ったのね。
 そしたらさ、すっっごく安かったの。一つ10円だったの。
 50個買っても、500円なんだよ? 安いでしょ、長持ちするしさ・・・」
「・・・で、50個買ったんですか?」
「え〜と・・・1ケース、・・・買いました」
「・・・なるほど」
頷いて御門が溜息をつく。
「ほかのものを買えなくなったわけですね、荷物が多くなって」
「あはは・・・当たり・・・(しゅん)
 た、たまねぎ・・・・キライだった???」
御門の前に並べられた料理は、たまねぎのフルコースだった。
たまねぎのマリネサラダ、オニオンスープ、タマネギの炒め物に、メインディッシュはオニオンリングフライ。好き嫌いの問題ではないような気もするではないか。
そうして、御門はもう一度溜息をついた。
青葉の涙の訳が、わかったからだ。己の不明が腹立たしく、眉間に皺がよる。タマネギに涙していたわけだ。それを自分は、何があったかと動揺していたとは。そんなことで、どうするのか。
「・・・怒ってる???」
青葉の指が御門の眉間の皺をなぞっていく。
「・・・あなたに対して腹をたてているわけではありませんよ」
青葉はその言葉に不思議そうな顔をしてみせる。
「そうなの?」
「・・・あなたという人は、相変わらず、限度を知らない。
 怒るというよりも、呆れます」
「あう・・・や、やっぱり」
困った顔をして申し訳なさそうに御門の前にちょこん、と座る青葉。本当に、彼女に感じるこの衝動をいったいどうすればいいのだろう。
「・・・まあ、仕方ありませんね。それが、あなたなのですから」
あきらめに似た心境で、御門はそう呟く。気づかないふりでやり過ごしてしまえば良かったかもしれないが、自分の中の青葉の存在に目を留めてしまったのは自分だ。これは、もしかしたら、生涯最大の不覚かもしれなかったが。
御門は、箸ををとって、青葉のたまねぎフルコースを口に運ぶ。その様子をちょっと心配そうに青葉がじっと見つめている。
「・・・・おいしい?」
「十分ですよ。・・・それとも、また、私に毒味をさせましたか?」
「ち、違うもん!」
赤くなって自分も箸を手に取る青葉に、やっと御門の口の端に笑みが宿る。それを見た青葉が、それは嬉しそうに笑う。御門は唐突に訪れる青葉に手を伸ばしたい衝動を理性で押さえ込むと、何食わぬ顔で食事を続けた。
溺れてはいけない、振り回されてはいけない。
それこそ、彼女と共にあるための条件なのだから。
だが、それもなかなかに難しいものになりつつあることを御門は感じていた。
「・・・まだまだ私も、修行が足りない」
そう漏らした彼の言葉を、果たして青葉はどう聞いただろう。
だが、少なくとも、己の不明と修行不足を腹立たしく感じ、嘆く御門が不幸には見えないことも確かな事実であった。





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