とっておき

御門が家にやってきた日。
なけなしの材料(というかたまねぎ)で作った夕食を二人で食べ終え、しばらくたあいもない話をしていた青葉と御門だったが、そろそろ片付けようと青葉は食器を持って立ち上がる。食後の会話といっても、もちろん、半分以上は青葉が話しているばかりではあったが、とにかく、御門がいてくれて、話を聞いてくれて、答えてくれて、それで大満足な青葉なのである。
思ったよりもゆっくりしてしまって、御門の時間は大丈夫だろうかとふと心配になるが、彼が何も言わないのでちょっと甘えて青葉もあえて何も言わないことにする。
台所に食べ終わった食器を運び、流しの蛇口をひねりながら、青葉はちらりと部屋の御門を覗き見る。自分の部屋に、御門がいる。そう思うだけですごくどきどきする。 自分だけの空間だった部屋の中に、御門が存在する。
それだけで、昨日までと部屋の色さえも変わってしまったようで、青葉は自然に顔が緩んでしまう。すごく嬉しい。そうだ、今の自分の気持ちは、ほんとにすごく、嬉しい、というのがぴったりくる。
「えへへ・・・」
自然と鼻歌なんか出てきそうで、うきうきしている青葉であった。
一方の御門はというと、青葉が片付けている間、手持ち無沙汰そうにしているのも何だとは思っているのだが、かといって後片付けを手伝うというほどに何かすることがあるわけでもなく、ふむ、と考え込むように扇を弄んでいる。それに気づいた青葉は、キッチンから顔を出すと御門に声をかけた。
「ね、御門くん、時間まだ大丈夫だったら、お風呂、入っていく?」
それを聞いた御門が、顔をあげて青葉の顔を見返す。その表情がいささか困ったように見えた青葉は、何かおかしなことを言っただろうか、と考え込む。
「・・・え〜と、着替えだったら気にしないでいいよ、お父さんが泊まりに来たときの
 浴衣があるからさ」
「・・・・・・」
御門、沈黙。青葉は首をひねる。違う? 
「え〜と、御門くんちと違って、狭いお風呂だけどさ、
 もうお湯、入ってると思うし」
御門、やはり、やや困惑した顔。青葉は流しの水道の水が出たままなのも忘れて、しばし考えこむ。何か御門が困惑するようなことを言っただろうか、自分は。そうして、ふいに思い当たって顔を真っ赤にしてしまった。
「ち、違うよ、そういう意味じゃなくって、あの、ほんとに、
 外、寒いしさ、温まった方がいいかなって思って、だから、あの
 え〜と、お風呂入ってったらどうかなって思っただけで・・・」
わたわたと青葉が手をふると、手に持ったままの食器洗いのスポンジから泡が散る。御門はその青葉の様子に苦笑すると手にした扇をぱちり、と閉じた。
「わかりましたよ、青葉。
 それより、水が流れたままですし、スポンジからは泡が飛び散っていますよ、
 少し落ち着きなさい」
「あ、えと、うん・・・」
青葉は顔を赤くしたまま、またキッチンに戻った。なんだか、そういうの、期待してるみたいに思われちゃっただろうか、と思うと尚更、顔に血が上る。そういうつもりは全然なかったのであるが、ひとたび意識してしまうと、ついついどきどきしてしまう。
みっ、御門くん、と、泊まってくの・・・かなっ
などと考えてぼ〜っとなってしまうのを、頭を振って我に返る。
慌てて、食器を片してしまうと、青葉はキッチンから出て
「待っててね、今、浴衣出すから・・・って、えっと、時間、大丈夫?」
と御門に声をかける。御門はというと、もうすっかりいつもの表情で青葉を待っていた。
青葉はばたばたと隣の部屋の押入れをあけると、引出しの奥を探る。あれでもない、これでもないと引っ張り出して、やっと一枚を取り出す。
「あった。これ!」
青葉は御門の傍まで戻ってくると、
「ね、御門くん、立って立って!」
と促す。やれやれ、といった顔で御門が立ち上がると、青葉はその背中に浴衣をあてる。
「ちょっと短いかもしれないけど、大丈夫だよね、帰るまでのことだし・・・」
そうして、はい、と御門に手渡す。受け取った御門はしかし、その場で立ったままだ。
青葉は何も言わない御門にまだ何かあるかと首をかしげる。しばらくなんとなく見詰め合ったままで、ん〜と考えた青葉は、あ、と小さく声をあげてから、笑った。
「あはは、ごめん、お風呂の場所、言ってなかったね」
笑って御門の手をとる。いつもなら、こんなことしないのに、やっぱり今日は浮かれているかもしれない、などと我ながら思ってしまう。玄関横の洗面所に入り、横の扉をあける。
「ここ。洗面所で服脱いでね。
 御門くんちのお風呂と比べたら狭いだろうけど、
 ちゃんと洗い場もあるからね。え〜と、石鹸はこっちにあるから。
 タオル、こっちにおいておくしね、シャワーはここで温度調節してね。」
御門に口をはさむ隙を与えず、青葉はそれだけ説明すると、洗面所に御門を残して扉を閉めた。
居間に戻る足取りがつい軽くなるのを押さえて、青葉は後片付けの仕上げにかかる。テーブルを拭いて、御門が風呂からあがったら飲むものがあったかな、と冷蔵庫をちょっと覗く。
そうして、しばし動きを止めて耳を澄まし・・・かすかな水音を聞き取って、やっぱりまた、どきどきしてわくわくする。いつもと変わらないこととか、なにげないこととか、あたりまえのこととか、なのに、どうしてこんなふうに特別に思えてしまえるんだろうと、不思議に思える。
御門くんもそう思ってくれると嬉しいけど、どうなのかな?
今度、聞いてみようかな、とか考えるが、たぶん、答えてくれないだろうな、とも思う。でも、それでもいい。御門が黙って青葉の傍にいてくれるということは、それだけの理由があるのだろうから。そう思うと、やっぱりうれしくて。御門は、自分にも他人にも正直な人間なのだ、と青葉は思っている。小蒔などは嫌味っぽいよ〜とか、京一も、何を考えてるかよくわかんねえ、とか言うけれど、青葉はそれは表面のことだけだと思っている。根底はとても誠実で正直な人だと思う。彼は自分の望まないことは、けしてしない人だと思う。だから、そういう御門が青葉の傍にいてくれるということは、それは、御門自身が望んでくれている、ということなのだ。だから、青葉は御門がいてくれるだけで幸せなんである。
テーブルに肘をついて、青葉はそんなことを考える。
「・・何を一人で考え込んでいるんですか。
 顔が緩んでいますよ」
突然、背後から声をかけられて、青葉は驚いて振り向く。何時の間にか風呂をあがった御門が立っていた。青葉の出した浴衣は細い御門には少し肩のあたりが大きかったようだが、裾は少し短めでやはり、どこか珍妙に見える。それでも、きちんと着こなしているあたりが御門なのであるが、やっぱり青葉はその姿がいつもの御門と異なって微笑ましく思え、つい笑ってしまう。それに御門がムッとした表情を返す。
「ご、ごめん・・・やっぱり、ちょっと短かったね。」
「青葉の義父上のものでしたね」
「うん、そう。」
ふむ、というように御門が頷く。
「何?」
「いえ、どのような方かと考えて、とりあえず、背格好はこれでわかると思っただけですよ」
「あはは、背は高くないけど、顔もそんな良くないけど、いいお父さんだよ」
「でしょうね、見ていればわかりますよ」
御門は小さくそう呟く。聞き取れなかった青葉が不思議そうな顔で御門を見返すが、何でもないですよ、と答える。
御門がいつもの扇を広げてふわりと煽ぐと青葉の元まで石鹸の香りが漂ってくる。
「・・・御門くん、いつもと違う匂いになってる」
青葉は笑って御門の肩に顔を寄せて石鹸の匂いをかぐ。いつもの石鹸の匂いなんだけど、そうなんだけど、なんだか違う気がする。
「二種類置いてあったのですが、何か違いがあるのですか?」
御門がふと気づいたように青葉にそう尋ねる。
「あ、ううん、違うの、普段用とね、あと、とっておきの時用なの」
「そんなこと、使いわけているんですか。」
呆れたように御門が言うのに、青葉がふくれっつらになる。
「・・もう〜、いいの! そういうの、大事なんだから、女の子には」
「それで、私は青葉のとっておき用を使ってしまったんですか?」
苦笑しながら御門が言うのに、青葉はもう一度御門の肩に顔を近づける。
「ううん、これは、普段用。残念でした」
何が残念なのかよくわからないが、そう答える青葉を、今度は逆に御門が引き寄せる。突然の事に青葉は驚いて頭がぐるぐるしてしまうが、御門は別に何をするわけでもなく、青葉の肩にしばらく顔を近づけていたが、すぐに身体を離した。
「な、なに?? なになに?」
青葉は顔を赤くして御門を見返す。
「・・・青葉、違いますね」
「?? な、なにが違うの??」
さっぱり話の見えない青葉がえとえと、と考え込む。
「私はこの香りのあなたと会った記憶がないと、そう思ったんですが。」
そう言って、御門は自分の腕のせっけんの香りを吸い込む。
「もう一方の、花の香りのするあなたしか知らないので、あちらがあなたのためのものかと
 そう、思って使わなかったのですが。
 あれは・・・」
「とっておきなの!!」
御門にみなまで言わせず、青葉は真っ赤な顔でそう言った。
「だって、だって・・・御門くんに会うのは、私にとって、とっておきの出来事なんだから。
 特別なことなんだもん、いいでしょ。」
まくし立てるように言い募るのは、照れているからであって。別に怒ってるわけじゃないんだけれど。どうして、御門くんって、こういうこと、気づく人なんだろう。なんだかとっても、恥ずかしいじゃないの。と青葉は考える。ところが、御門はというと、ちっとも意に介さないといった表情で、青葉を見ている。
「・・・・」
なんとなくバツの悪い思いをしている青葉に向かって、御門が苦笑しながら言う。
「では、今日は、私の前でもいつもの青葉でいらっしゃい。
 私は、ふだんのあなたを知りたいですよ」
え? え? とぐるぐるしている青葉を置いて、御門はすたすたとまたテーブルの前のクッションに腰を下ろす。
「あの、えと、御門くん??」
「今日は、時間ができたと、私は言いませんでしたか? 青葉。
 それとも、帰った方がよければ、帰りますが」
ぷるぷるぷるっと青葉は首を横に振る。そうして、なんだかどきどきして、あちこちにぶつかりそうになりながら、自分もお風呂場に向かったりする。


そうして、その日から、青葉のいつもの石鹸は特別な石鹸になったのだった。
いつもの物も、いつものことも、御門がいるだけで、特別になる不思議をやっぱり青葉は噛み締めていた。





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