「お付き合い」というものをするようになって、というか、その前からではあるけれど、とにかく連戦連敗中の青葉ではあるが、この日ばかりはどうにかして初勝利を納めたいと思っているわけで。 一ヶ月も前から世間は甘いピンク色とチョコレート色に彩られていて、いくら浮き世と離れた別世界に片足突っ込んでいるからといっても、陰陽師さまだってこの行事くらいは知っているだろう。 「ということで、質問!」 最近遠慮なしに家まで突然やってくることが多くなった、多少脳天気な黄龍の器たる少女を玄関で迎えた御門晴明は、口元を扇で隠しつつもその目の不機嫌さは隠していなかった。 「……いきなりやってくるなり、なんですか」 あからさまに迷惑そうな声音にも、すっかり慣れたもので青葉は動じない。こんな程度で動じるようではこの男と付き合っていられない。照れ隠しに不機嫌な声出しちゃってー、とか思うに限る。 「御門くんは、甘いモノ好き? チョコレート食べられる?」 「ほんっとにストレートな人ですね、あなたは。少しは取り繕うとか、なんとかないんですか」 呆れた声も、とうに聞き慣れている青葉は、 「だって、どうせ取り繕ったって御門くんにはお見通しでしょ。 だいたい隠したら隠したで後ろめたいことでもあるんですか、とか言っていぢめるくせにさ」 負けじと言い返す。とはいえ、後半はかなり小さい声で呟くに留めたけれど。 「何か言いましたか」 じろりとねめつけられて、首を竦める。本当のことだもん、とは心の中だけで呟いた。とりあえず、ここで引き下がっては先へは進めないのでもう一度問いかける。 「御門くんは、チョコレート大丈夫?」 大丈夫というのなら、そりゃもう当日までに選りすぐっていろいろ考えさせてもらっちゃおうと思っているわけですよ、これが。そんな期待に満ちた目で自分を見上げてくる青葉に、御門はしばし考えた後に言った。 「無駄な時間を費やされた食べられたものじゃない手作りチョコレートよりは、 時間も手間もかかっていなくとも市販の食べられるチョコレートの方が好きだと断言できますよ。 ついでに言うと、一粒が300円以下のチョコレートは食べたことがないので好きかと尋ねられても返答しかねます」 それは青葉の質問に対する答えになっているのかいないのか。青葉は御門を見上げる。まったく、なんだってこんなへそ曲がりを好きになってしまったんだか、というか、こんな台詞の応酬をしている自分たちは本当に「お付き合い」をしているのかしら、と不思議に思うけれどもチョコレートをあげること自体は却下されなかったよね、と頷く。つまりはチョコを贈っても大丈夫だと。 「そんじゃ、当日をお楽しみにね!」 強気にちょっとびしっと指さし、決めてみせると挨拶もそこそこに御門家を去る。一粒300円だって、私なんか一粒300mのキャラメルでも十分美味しいのにな。食べたことないんだって、それはそれでもったいないよね。そんなことを考えながら、青葉は自宅へ向かって駆けて行った。 「……晴明さま……」 青葉が帰った後、御門の背後に控えていた芙蓉が声をかける。御門の式神として彼のやることに絶対の服従をする芙蓉が、やや不満げな声をしているのを彼は聞き逃さなかった。黄龍の器たる少女は誰彼となく味方につけるのが上手らしい。 「……芙蓉、心配しなくとも、あんな程度では彼女にとっては何のダメージでもないですよ。 断言します。お前も、私の部屋がどうなってしまったか考えれば良くわかるでしょう」 苦々しげに語る御門に芙蓉は、出過ぎた真似をいたしました、と深く頭を下げて詫びる。嫌なら「いらない」と断ればいい。そう言わないところが結局のところは御門の弱みなわけで、しかし、そのことに気付いているのは本人だけで、青葉でさえも気付いていなかったりするわけで。へそ曲がりな恋人の本音はなかなか見抜くのが難しい。 「いらない」の一言を言わずにいた結果、無機質だった御門の部屋が青葉から送られたものでカラフルに彩られるようになったのはここ最近のこと。苦々しげに「部屋がどうなったか考えてごらんなさい」という御門だが、それでもやっぱり、青葉から送られるものを「いらない」とも言わなければ受け取ったものをどうにかすることもしないのであるから、半分は自業自得である。 その後一ヶ月近く、珍しく御門の前に姿を現さなかった青葉だが、御門はといえば特に気にする様子もなく過ごしていた。だいたい彼女の行動様式はわかりきっているので余裕綽綽なのである。カレンダーの日付を確認して、芙蓉に言付ける。 「芙蓉、今日は来客があるでしょうからね、お茶の用意を頼みますよ」 「御意……」 出て行こうとする芙蓉に向かって、御門は思いついたように更に声をかける。 「……そうですね、今日は珈琲をお願いします」 芙蓉は一礼をすると言われたように来客の準備のために出て行った。その気配も失せぬうちに、玄関に声が響く。 「御門くん、お邪魔しまっす!」 予想の範疇だったのであろう御門は驚く様子も慌てる様子もなく、玄関へと向かった。 「いらっしゃい、と言う前に上がり込んでいるのは誰ですか」 「どうせ来るのわかってたんでしょ、珈琲のいい匂いがしてるよ」 廊下で鉢合わせした青葉とそんな会話をしてみせる。甘いんだか甘くないんだか、文句は言っても結局青葉の好きなようにさせている御門は、甘くないように見えて甘いのではないか。勝手知ったるとばかりに座敷に進んでちょこんと座る青葉の向かいに御門も座る。背筋もまっすぐに正座して相変わらず扇を手にした姿は大変格調高い。 「ねーねー、御門くん、学校でチョコレート貰った?」 自分が持ってきたものはすぐには出さずに青葉がそう尋ねてくる。 「それがあなたに何か関係が?」 「うーん、御門くん、モテそうだけど、どんな顔してチョコもらうんだか、と思うとちょっと興味あって」 本人に尋ねるよりも、村雨くんにでも訊いたほうがよかったかな、と小さく呟く。 「食べきれないものはいただいても無駄ですから、すべて最初からお断りしています」 「あ、そーなんだ」 「昔からそうなので、今では私にそんなものを渡そうと言う人はいませんよ」 涼しげにそう言う御門に、青葉はなんだもったいない、と言う。 それはチョコがもったいないのか、何がもったいないのかわからないが御門は眉を顰めただけで何も言わない。そこへ芙蓉が珈琲を運んできた。 「青葉さま、いらっしゃいませ」 深く礼をして、相変わらず高そうなカップに淹れられた珈琲を青葉の前に置く。 「あ、ありがとう、芙蓉。そだ、芙蓉も一緒にどう?」 無邪気にそう言いながら、青葉は持ってきた手提げ袋から四角い箱を取り出した。 「……芙蓉よりも先に、言う相手があるんじゃありませんか」 約一名不機嫌そうに言う人に向かっては 「御門くんがひとりで全部食べてくれるんだったら、それはそれで嬉しいけど、無理かもしれないし。 それとも、ひとりで全部食べてくれる?」 ちょっと上目遣いに見上げるのは、わかっていてそうしているのか、わかっていない無意識の嫌がらせなのか。御門は、まあ、いいでしょう、と諦め半分の溜息をついた。 「じゃーん! 作ってきました、ガトーショコラ!」 チョコレート色のホールケーキに白い粉砂糖でハートが描かれている。多少でこぼこしているのは愛嬌といえなくもない。 「言っとくけど、『食べられない』手作りじゃないからね。『無駄な努力』をしたわけでもないよ。 ちゃんと美味しく、食べられるケーキを作るために『甲斐ある努力』はしたけど」 「……『食べられる』か『食べられない』かを決めるのは、私かと思いましたが」 手作りするヒマがあるなら、他にすることあるでしょう、無駄な時間をこんなことに割くくらいならもっとやるべきことがあるでしょう、という私の忠告はまったく通じていなかったのですね、と御門は何度目かの溜息をついた。 「……御門くんの言うことは、わかりにくいよ」 膨れっ面で青葉が言う。あれはそういう意味だなんて、一体誰がわかるんだろう。 「わかりやすく言ったところで、あなたが忠告に従うとは思えませんけどね」 まあ、そりゃそうだけどね、と青葉は言って、ずずい、とケーキを御門の方へと押しやった。 「……でも、ちゃんと受け取って食べてくれるつもりがあるから、待っててくれたんだよね? 珈琲用意してくれてたんだよね?」 きらきらと期待に満ちたその瞳。何かよからぬことを考えていますね、と御門は顔を顰める。 「……それって、御門くん、私のこと、ちゃんと好きでいてくれるってことだよね?」 一体、これまで何度尋ねたことだろう。なんだかなし崩しのままに、なんとなく「お付き合い」しているわけなのだけれど、この人の口から愛だ恋だ、好きだなんだと聞いたことがない気がする。連戦連敗、いつも言わされるのは青葉ばかりだ。今回ばかりは、なんとかこの鉄面皮の陰陽師から好きの言葉を引き出してみたい、それが青葉の野望だったり。しかし、今回も御門は呆れたと言わんばかりの溜息を扇で隠した口から漏らした。 「……本当に、あなたと言う人は、いつになってもそんなことを……」 「……ちゃんと言ってくんなきゃ、ケーキ食べさせてあげない」 「別に私は困りませんよ」 しれっと言われると、悔しいけれど青葉には次の言葉が出てこない。なんで、絶対言ってくれないんだろう。じっと御門を見つめるけれど、彼は全く動じる様子もなく、珈琲を口にするばかりだ。 「……照れてるんだ」 「……なんですって?」 「御門くん、照れてるんだ! ホントは恥ずかしくって言えないんだ! そう思うことにする! もういいもんね。 勝手にそう思うことにするからね。本当はもー、私のこと、好きで好きでたまんないけど、 恥ずかしくって言えないって思い込んでやるからね! 御門くんが、嫌だって言っても、そう思い込んでやるー!」 そうして、ケーキも片付けようと手を伸ばすと、青葉より先に御門がそのケーキをさっと取り上げた。 「一旦、いただいたものですから、これは私のものですよ。勝手に取らないように。 まったく、勝手に一人で何を怒ってるんですか。 いいですか。言っておきますが、私は愛だの恋だの、好きだのなんだの、 そんな薄っぺらい言葉で、あなたと私の間の事柄を語るつもりはありませんからね」 「……だから、もーいい。御門くんに言ってもらうのはもういいよ。 でも、私は、御門くんのことが好きなんだからね。私が言うのは、勝手だからね」 むーっと膨れっ面のまま、青葉は出された珈琲を飲み干した。芙蓉は御門と青葉の顔を見比べて、何やら不思議な顔をしていた。 「じゃあ、今日は、お邪魔さまでした!」 玄関まで見送られて青葉は、納得しかねる表情で御門を見上げた。結局、御門は、青葉の持ってきたケーキをあれこれ言いつつも食べてしまった。今日も御門に負けてしまった、やっぱり好きだと言わせられなかった、と肩を落とす青葉に向かって、御門は 「まあ、そんなに意気消沈しなくとも良いでしょう。ぎりぎり及第点はさしあげますよ」 とケーキに合格点を与えてくれた。……嬉しいような嬉しくないような。 「ありがと」 でもやっぱり嬉しいので、そう言ってみる。ああ、これが嬉しいんだから、本当に自分はかなり重症だと青葉はもう一度溜息をついた。 「あなたを見ていると、退屈はしませんしね」 褒められている気がしないけれど、見上げた御門はどうやら笑っているらしいので、まあ、いいか、と思う。こういう表情を見るだけで、何でも許せてしまうような気がするのだ、これもやっぱり重症だ。 「それに、あなたと居ると、生きることに絶望することもなさそうです」 今度はちょっと真面目な顔でそう言われた。どういう意味かと尋ねようと思ったら、御門はそれより先に 「私が今日言ったことがわかるようになったら、あなたの欲しがっている言葉を差し上げていいですよ」 と言い、そしてそれに対して青葉が何か言うより先に、陰陽師は自分の領域から青葉を放りだしてしまったのだった。 「それって、なに、どーゆーこと?」 見回してももう、影も形もない御門の屋敷を、きょろきょろと探すようにあたりを見回して青葉は多分、そんな自分を見ているであろう御門に向かってそう問いかけた。もちろん、答えるものはなくて。今日も御門にいぢめられたとしか思っていなかった青葉にとって、青天の霹靂、一体自分は今日御門に何を言われただろうか、と頭を悩ます種となった。 「晴明さま……」 咎めるような芙蓉の声に、御門は 「……心配しなくても、彼女はこんなことではへこたれたりしませんよ。 見ててごらんなさい、明日にはもう、けろっとした顔をして屋敷にやってきますから。 それより、3月14日は予定は空いている筈ですね。客人を迎えての夕食の準備を頼みますよ」 と言いつけた。 わかりにくいことしか言わない恋人が、実はかなり熱烈な台詞を吐いていると青葉が気付くのは、いったい何時のことになるのか。もちろん、御門はわかっていて言っているわけで、彼は彼でそんな彼女を「退屈することなく」眺めて楽しんでいるのであった。 「ま、あなたの言ってたことも、当たらずとも遠からずなんですけどね」 御門がそんな風に呟いたのも、青葉は知らない。へそ曲りな恋人と青葉の勝負は当分続きそうな気配である。 |