ホワイトデー。バレンタインに思いを伝えられた男の子が、女の子にそのお返しを送る日。バレンタインと並んで、妙に街中がピンクのハートに彩られているような気がする日。それは街中だけには限らなくて、例えば学校なんかも妙に浮き足だっているといえなくもなくて。 しかし、世の中の3倍返しなどという誰が作ったのかも知れない「常識」のおかげで、海老で鯛を釣るがごとくお菓子長者になっている緋勇青葉にとってホワイトデーはバレンタインのリベンジデーだった。 「ひーちゃん、すごいね。クッキー、クッキー、クッキー、チョコレート……」 小蒔が机の上に今日ゲットしたお菓子を積み上げた青葉に向かって言う。 「皆律儀だよね。いろいろお世話になったと思ったから、お礼も兼ねて義理チョコ配ったんだけど、 なんか皆、気を遣ってくれたのか、配ったチョコの何倍もしそうなものあるんだけど」 如月くんは京都のお茶屋の焼き菓子セットでしょ、壬生にーさんからはハンカチとクッキーのセットでしょ、と青葉は数えながらそれらを鞄に詰めていく。倍返しなのは青葉からのチョコだったからだよ、と小蒔も葵も思ったものの、そうとは口にしなかった。 「んで、ほら、京一からはラーメンおごり券5枚つづり、手作りなのが泣かせるよね〜」 びろ〜んとのびた紙に京一の手書きで「ラーメンおごり・ひーちゃん用」とある。 「……本当にお金なかったんだね、京一」 小蒔は溜息をつきながらそう言った。青葉は不思議そうに小蒔を見る。 「あれ、小蒔や葵は、京一から何貰ったの? 一緒じゃないの?」 小蒔も葵も京一にちゃんと義理チョコを渡していたはず。葵など義理というのは勿体ないようなちゃんとしたものを渡していたはずだ。小蒔は肩を竦めて首を振りながら答える。 「飴だよ、飴」 「キャンディ?」 「ちがーう、飴! これでカンベンしてくれって! のど飴クールクールだよ! ホントにもう仕方ない奴だよ」 「京一くんらしいじゃない。お返し期待して渡したわけじゃないから、いいんじゃない?」 葵はあくまで大人の台詞だ。小蒔だって本気で怒っているわけではない。京一らしいネタだと思っているのだ。鞄に頂き物を詰めていく青葉をじっと見ていた小蒔だったが、青葉が「これはえーと、アランからだね。こっちは雨紋からで…」と確かめているのを見ているうちに、とある人物からのものがないのに気付いた。 「……ひーちゃん、本命からのお返しがないんじゃない?」 「……うん、いいんだー、今日、夜貰うから」 さらっと青葉が言う言葉に小蒔と葵は思わず顔を見合わせ、あらぬことを想像して赤くなった。 「え、え、ひーちゃん……??」 つい確かめてしまう小蒔に、青葉は顔を上げ、小蒔の表情を見て誤解に気付いて両手を降った。 「ちがっ……何想像してんのー! 違うよ、夜って、夜だけど夜じゃなくてーって…… 夕食! 夕食ご馳走してもらうの!」 あ、そう、夕食ね、と2人はほっと胸をなでおろした。なんとなく、あの鉄面皮でシニカルで傲岸不遜な陰陽師がこのノンビリ屋の青葉と付き合っているということ自体が未だに信じられなくて、あの鉄面皮で(以下略)な陰陽師がいったいどんな顔してこの青葉に愛を囁くのかと2人としては怖いもの見たさもありつつ、想像したくもなかったりもしつつ、複雑な思いで見守っているのだ。しかし、当の本人の青葉が御門にぞっこんなので友人としては温かく応援もしているのである。 「御門くんと夕食なら、豪華なんでしょうね」 葵がフォローするかのようにそう言う。小蒔もぽん、と手を打って言う。 「そうだよ、御門くん行きつけの料亭とかでなんか、すんごい料理とか出てくるよーな夕食なんじゃないの? いいなあ、ひーちゃん」 しかし、青葉は首を横に振った。 「違うよ。御門くんちでご飯食べるの」 「え、もしかしてデリバリー? あ、御門くんとこならお抱えシェフとかいるかもしれないね」 「ううん、違うよ」 やっぱりそう首を振って言う青葉だが、その顔はにへら、と緩んでいた。 「違うの?」 不思議そうに小蒔が尋ね返す。 「うん、違うの。今日はねえ、御門くんが作ってくれるんだー」 嬉しそうに青葉はそう言い、小蒔と葵はその言葉に有り得ない! と多大な衝撃を受けて立ちすくんだ。あの鉄面皮でシニカルで傲岸不遜な陰陽師が料理を作ると! 事の起こりはもちろん、バレンタインである。手作りのガトーショコラを持って、青葉は御門を訪ねた。意気込んで行ったもののバレンタインらしい甘い言葉をいただくこともなく、ただ手作りのガトーショコラに「及第点」をいただいて帰ってきたのだった。何か釈然としない上に、どうにも悔しい青葉は後日御門に話をしてみた。 「ねー、御門くん、ホワイトデーはお返しくれるつもりある?」 いきなりストレートな質問である。御門相手につくろってみても仕方ないというのはとっくに学習済みなので、直球勝負を最近は青葉も心がけている。御門はといえば例によって、時には武器にもなりそうな扇でもって口元を隠しつつ答えた。 「おや、あなたは何か見返りを求めて私にあのケーキを下さったということですか」 そんな風に言われることはとっくにわかっていた青葉である。それくらいではめげない。 「別にそんなに気を遣ってくれなくてもいいんだけど、フツーに考えるとバレンタインのお返しはホワイトデーにっていうのが 多いから、御門くんともあろう人がよもや頂きっぱなしってことはないんじゃないかしらと思って尋ねてみただけ」 こんな人と付き合っていると毒舌と嫌味のスキルが上がってしまうんじゃないかしら、と時々青葉も自分のことが心配になる。ぺしっと御門が扇で青葉の額を叩いた。 「痛い」 「正直におっしゃい。何を企んでいるんです?」 何も、と言おうものならどうやら二発目が来そうな雰囲気だったので青葉は少しばかり膨れながら言った。 「ホワイトデーに何かお返しくれるつもりなら、リクエストがありまーす」 「……バレンタインにあなたが私に何かリクエストを尋ねてくださいましたか?」 「訊いたもん、チョコとか食べるか訊いたもんね!」 「それはリクエストとは言わないでしょう」 にべもなく却下されたので青葉はなおさら膨れて御門を上目遣いに見上げた。なんら動じることもなくその視線を御門が受け止める。しかし、しばらくの後、御門が溜息をひとつついて目を閉じた。 「それで。何が欲しいのですか」 途端に青葉の顔が明るい笑顔になる。 「あのね、ごはん作って欲しいの!」 「…………は?」 御門がそれこそ意味がわからない、という言葉をもっとも短く表現したといえるような声を挙げた。青葉はそんな御門に更に言い募る。 「だからね、御門くんにごはんを作って欲しいの!」 「……私に、ですか」 「そう!」 にっこりと青葉は笑い、御門は無表情に青葉を見返した。 「そんな御門くん御用達の料亭とか高級ホテルでのディナーとか、お抱えシェフのご馳走とかいいの。 どんなに質素でも無様でも不味くてもいいから御門くんが作ったごはんが食べたいな!」 何か失礼な気もする言葉を吐きつつ、とんでもないことを青葉はリクエストしていた。 「……お断りします、と言ったらどうします?」 御門は呆れかえった様子で溜息混じりにそう返す。しかし、青葉はめげずに言い返した。 「まさか〜、苦手なものがあるとも思えない御門くんが、料理作るの駄目だなんてことないでしょ。 皇神の家庭科は男女共通って村雨くんに聞いたよ」 村雨の奴はまたいらぬことを……と御門が口の中で呟いたかどうかはともかくとして。 「……それは、私があなたのリクエストをお断りすると、自動的に私が包丁も使えないとレッテルを貼られるということですね」 ま、そんなもの使えなくても使える人間を雇えるのなら何ら問題はありませんけどね、と御門は嘯いて、青葉はもしかしたらこの時点で自分の負けかも、と少しだけ覚悟した。御門という人間は自分がどう言われようとさして気にも留めない人間だし、青葉がネタ以上に御門のことを謗るはずもないというのを良く知っている。悔し紛れに憎まれ口を叩いたところで、青葉は御門に勝てない。少し冷汗をかきつつ、青葉は御門をじっと見つめた。 「…………良いでしょう。あなたも、出来はともかくとして私に手作りの品を作ってきたのですから それに返礼するに私も自らの手であなたの期待にお答えしましょう」 やった!! と青葉は手を叩いた。 「ほんと? ほんとにほんとだよ? 御門くんがごはん作ってくれるんだよ? わーい!」 それこそ羽が生えたかのような勢いで飛び上がると、青葉はくるくるとその場で喜びのあまりに踊りまわった。その上機嫌のままに御門邸を辞した青葉だったが、その後御門が相変わらず扇で皮肉な笑みを浮かべた口元を隠しつつ、傍らの芙蓉に向かって言った言葉を知らない。 「……ねえ、芙蓉、あれで私に勝ったつもりでいるんですから、可愛らしいものですよ、青葉は。 まあ、当日までは勝った気分でいてもらいましょうか」 それを聞いた芙蓉はといえば、言えるものであれば目の前の主人に言いたかった。 『それはいったい、何の勝負でございましょうか』 と。 そんなわけで本日ホワイトデー。青葉はうきうきした気分で御門邸へとやってきた。あの御門に自分のために料理を作ってもらえる。単純に嬉しい。もちろん、普段御門にいじめられている(と思っている)仕返しとばかりに料理を選んだというのも嘘ではない。たまには御門にだって苦労してみて欲しかったりするのだ。いつも涼しい顔をして、四苦八苦するのは青葉ばかりではなんだか一人相撲で寂しいではないか。もちろん、忙しい人だからワガママ言えないのも十分承知ではあるけれど。 「こんばんはー! お邪魔しまっす!」 元気に挨拶した後、勝手知ったるとばかりに靴を揃えて上がりこむ。廊下を進んでいくと御門と出くわした。 「……案内も乞わずに本当にあなたときたら人の家を……」 「だって御門くんのことだから嫌なら通してくれないでしょ。家に上がれるってことは御門くんが許してくれてるってことじゃない」 しれっと言い放つ。なんだかんだと言って、実は自分は御門に好き勝手させてもらっているとはあまり気付いていない青葉だったりする。御門は少しばかり眉を顰めたものの黙ってそこで踵を返すと廊下を青葉の先に立って歩き始めた。ここは大人しく青葉もその後を追う。御門のご機嫌を損ねたら家の中だって迷路になってしまうのは既に経験済みだ。 座敷に通されると、既に箸が揃えて置いてあった。御門と向かい合って青葉は座布団に座る。 「本来ならば、こういったものは送る側の好意の問題であって、リクエストされる謂れもないかとは思いますが ま、私はそういうことは気にしませんのでよろしいでしょう」 前置きを言うあたり、十分気にしてるじゃん、と青葉は内心呟いた。しかし、リクエストしなければ一体何をお返しにもらえたか、はちょっと気になるので後で芙蓉に尋ねてみよう、とも考える。 「正真正銘、私が作らせていただきましたので。疑ったりしないように」 「うん、まあ、御門くんはこんなことでつまんない嘘ついたりしないってわかってるから」 えへへ、と笑って青葉は姿勢を正す。御門は青葉の言葉には頷きもせずに扇を置くと、ぱんっ、と手を叩いた。 「芙蓉、では、ここへ」 しばらくすると、恭しくお櫃と茶碗をお盆に載せて芙蓉が現れる。そしてお盆を置き、自らも正座して青葉に向かって礼をすると、お櫃の蓋をとり、茶碗に米をよそい、青葉と御門の前に置いた。 それはそれは美しく白くつやつやとした米であった。……が。 それ以外のものが出てくる気配がない。 「…………」 青葉は茶碗に盛られた米を見つめてから、御門を見上げた。これは、もしや。 「……リクエストどおり、私の作った「ごはん」ですが。いかがなさいましたか」 ごはんって、ごはんって。 「ええ、「ごはん」ですよ。何か?」 そりゃまあ、米だけ指してご飯とも言いますけれども、普通に考えたらおかずに汁物ついた一式で「ごはん」ってわかりそうなもんじゃないの! と青葉は考えて、それから脱力する。そうね、わかっていてやってるんだよね、御門くんは。……なんて負けず嫌いな意地悪なんだ! 箸を握り締めて青葉は脱力から何とか復活する。ヤケクソとばかりに茶碗を掴んで、ありがたいご飯を一口口へ放り込んだ。 「…………美味しい」 「当たり前です」 なんの感動もなく言い返される。 「いいですか、米は最高級魚沼産コシヒカリ、それをまた一粒づつ大きさ、形のそろっているものを選り分け、 水は富士の霊水を用い、炊くのは土を信楽の古層から運んで焼いた土鍋でもって、薪で炊いたのです。 質素なご飯一膳と思われては困ります。これこそ究極の贅沢というものですよ」 滔々と語られ、青葉は黙って白いご飯をいただいた。それはそれ、確かに炊飯器でスイッチ入れて炊いたといわれるよりはありがたみもぐんと増すとは言うものの。 「私にこんなことまでさせたのは、あなたが初めてですよ」 言い知れぬ敗北感が背中に漂っている青葉に向かって御門がそう言った。そうは言われても。 「…………なーんで素直にご飯作って、って言ったら別にこんな凝ったご飯炊かなくったって フツーにカワイイ夕食作ってみたりしてくんないかなあ」 膨れっ面で青葉がそう言うと、御門はしれっとして言い返す。 「それは面白くないからですよ」 がっくりして青葉は溜息をついた。白いご飯は、確かにそれだけでも十分美味しくて、美味しいだけに敗北感もまた深かったりしたのだった。いったい自分はこの人からいつか、十分愛されているなんていう印を言葉だろうが行為だろうがで受け取ることが有り得るのだろうか、いやなさそう。 やけっぱちにもなって白いご飯をお代わりして十分堪能した青葉は、御門邸を辞することにした。玄関先まで送ってくれた御門は、相変わらず今ひとつがっくりした様子の青葉に向かって言う。 「……しかし、まあ、あなたには感謝していますよ」 一体何事かと思って青葉が見上げると、御門はそれが癖の皮肉っぽい笑みを浮かべた口元を扇で隠しつつ言葉を続けた。 「おかげさまで、料理であれ、何であれ、私がその気になればできないことは何もないという自信が更につきました」 大抵の人間がこんなことを言えばなんて嫌な奴なんだろうと思われるだろうに、なんだってこういう台詞が似合ってしまうんだろう、この人は、と青葉はしみじみ感じ入った。 「ごちそーさまでした! もう御門くんにご飯作って、って言わないから。 今度はちゃんと食事作ってって言うからねっ!」 はーっ、と溜息をつきつつ青葉はとにもかくにもご飯だけでも作らせたんだから、そこは良しとしておこうと自分に言い聞かせて家路についた。その後姿を見送りつつ、御門が傍らの芙蓉に向かって尋ねる。 「ところで芙蓉、例の手配はしておいてくれましたか」 「……御意、もうお届け済みでございます」 「そうですか。ではもう30分もすれば電話がかかってきますかね」 満足げにそう言った御門が自室へと戻る。その携帯電話に、家に戻った青葉からえらい勢いで電話がかかってくるのはもう少し後のこと。 『みみみみ、御門くんー! ななななななんか、すごい荷物が届いてるんですけどーー!!』 「私のほんの気持ちですよ。ホワイトデーというのはそういう日でしょう?」 やられっぱなしの青葉が今回もやっぱりやられっぱなしで終わったのは間違いのないことではあったけれど、その結末はいつもよりはかなり幸せでもあったのだった。 |