その日、クリスは言い付けを破って森の中へ入っていった。 森は昼間も日の光が薄暗く、時にはおとなしいとはいえボルンガのような樹属性のモンスターが現れることもある。クリスのような子供が一人で森に行くのは危険なことで、日ごろからきつく言いつけられていた。しかし、その日、クリスには森へいく理由があったのだ。 薄暗い森の中は、思ったよりもクリスの恐怖心を煽った。もう少し行けば、炭焼き小屋があるはずだ。この季節は誰も住んでいないが、それでも人の気配がする場所にたどり着く。 クリスは周りを見ないようにして走り出した。 はあはあと息を切らせて走りつづけ、やっと小屋の扉にたどり着く。鍵のかけられていないその扉は、けれど子供のクリスが開けるには重かった。苦労の末、やっと扉を開き、中へ入る。しばらくは扉を背に、荒い息を整える。 埃っぽい小屋の中は昨年の炭焼きの季節から人が入っていないままに、荒れていた。暗い部屋の中になれたクリスは、辺りを見回す。気の机、椅子、その奥のベッド・・・・そのとき、ゆらりと大きな影が部屋の奥から立ち上がった。 クリスはあまりの恐ろしさに声をなくす。がちがちと奥歯が鳴り、早くここを出なくてはと背後の扉をまさぐるが、あまりのことにノブを回すことさえできない。 「あ・・・・、あ・・・」 恐怖に見開かれたクリスの目に、黒い大きなその影がクリスに向かって手を伸ばすのが見えた。 「あ〜〜〜〜〜〜!!!」 「なんちゃ〜、子供が、こねいなところに一人で来たんかよ〜!」 クリスが恐怖のあまりに叫ぶのと、その黒い影がクリスの頭を乱暴に撫でながらそう言うのとが同時だった。 「なんね〜、でっかい声じゃ〜、わしにも負けんくらいの声じゃのう、ちみっと驚いたがよ〜」 そう言って、そいつは大声で笑った。クリスは改めて目の前の男をまじまじと見上げる。でかい。クリスの父親よりも頭ひとつくらいは大きい。髪は漆黒の闇色、といえば聞こえがいいが、くしゃくしゃのぼさぼさだ。浅黒い肌に無精ひげが点点と残っていて、大きな口には何でも噛み切れそうに丈夫そうな真っ白い歯がならんでいる。 「・・・あ、あんた、新しい炭焼きの人?」 「にゃっはっは、違うがよ〜、ちくとこの辺りに用があったんじゃけんど、とまるところがなくてのう〜、ちくと使わせてもろうたんじゃ〜」 「な、なんだ・・・びっくりさせんなよな」 人間だとわかったうえに、この辺りを知らないよそ者だと知って、クリスは少しばかり安心したうえに、気が大きくなる。目の前のこの男は図体こそでかかったが、悪い奴には思えなかった。どこかの田舎から出てきたとしか思えないような男だ。 「じゃけんど、おんしこそ、こねいな森の奥に一人できてええんかよ〜。 なんしか、怖うて走ってきたんと違うんかいねえ?」 がっはっは、と笑いながら男が言う。クリスは図星をさされて赤くなりながらも、照れ隠しに怒ったように叫んだ。 「ちっ、ちがわい! オレ、もう10歳になるんだぞ、怖いなんてあるわけないだろ! オ、オレが走ってたのはなあ、急いでたからなんだよ! それに、オレの名前はクリスっていうんだ、覚えとけ!」 「わっはっは、そりゃすまん! わしゃ、イーリスっちゅうんじゃ、よろしゅうなあ、クリス」 男はそう言うと、またまたクリスの頭をぐりぐりとなで回した。 「やめろよ、もー! オレ、急いでんだからさー」 クリスはイーリスの手を払いのけると、はたと自分がここへ来た理由を思い出してはっとする。まだ 森をもう少し奥へ入っていかなくてはならないのだ。しかし。イーリスにはああ言ったものの、なお暗い森の中へ入っていくのは、クリスにはちょっと怖かった。 「ほほう〜、なんね? 何をしに行きたいんじゃね?」 クリスはイーリスの顔を見上げた。興味津々という顔で黒い瞳をきらきらさせているイーリスは、無言でクリスに先を促している。 一人で行くのは、怖い。そして、どうもこのイーリスはそんなに悪い奴ではなさそうだ。クリスは、そう思うとイーリスに向かって言った。 「き、聞きたいなら言ってやってもいいぜ」 「おお! おお、言ってくれい〜♪」 「オレ、ばーちゃんがいるんだ。 ばーちゃんは、優しいし、強いし、昔はすっげえもてたんだって。 じーさんが結婚できたっていうのは奇跡だって言われてたんだぜ。 オレも大好きなんだ。 でも、ばーちゃん、最近、体調が良くなくて・・・ 町の医者が、もう無理だろうって・・・」 そう言うクリスの目に涙が滲みはじめる。クリスは手でそれをぐいっとぬぐいさると、イーリスを見上げた。 「でも、この森の奥には万病に聞く薬草があるって言われているんだ。 だから、オレ、それを探しに行こうと思って!」 「そうかよ〜! クリスはえらいのう〜! よっしゃ、わしも一緒に探しに行ってやろう!」 ホントか?! とつい嬉しくて顔が緩むのをクリスは我慢すると 「なんだよ、足手まといになるなよな、連れていってやってもいいけどさ」 と言った。それを聞いたイーリスの顔が、見透かしたような笑顔だったのがクリスには大いに不満だったのだが。 「お〜、クリス、見てみるがよ〜、ほれ、ここにこねいな花が咲いておるがよ〜」 「それは、ツキヨミシロガネ草っていうんだ、探してる薬草じゃないってば」 「クリス〜、ほれほれ、ここにこねいな穴があいちょるよ〜」 「それは、リスのねぐらなんだ! さわんじゃねえ!」 イーリスはとにかくいちいち騒がしくて、クリスは森の中のあれこれを説明するのに忙しく、薬草どころではなかったが、おかげで森の中に入る恐怖心がなくなっていたのも確かだった。結局、夕方までかかってもクリスの思う薬草は手に入らなかった。 「なあに、クリス、始めっから全部うまくいくわけやないがよ〜、 なんでも上手にいくっちゅうて決まっておったら、人生たのしゅうないじゃろう〜 わし、明日もおるさけ、また明日くるとええがよ〜」 「なんだよ、また炭焼き小屋で寝るのか?」 「おお、あそこ、けっこうええとこやがよ〜」 変な奴・・・クリスはそう思ったが、口にはしなかった。今日一日でこのおかしなイーリスという旅人を気に入ってしまったせいである。そして、明日も森に来ることが楽しみになっていた。 「なあ、イーリス、食べるもんはあるのか?」 「おお! 森の中っちゃ〜いろいろ木の実とかあるけえ、大丈夫じゃ〜」 「・・・なあんか不安・・・だってお前、森のことなんも知らなかったじゃんか。 仕方ねえなあ、明日の朝、何か食べ物も持ってきてやるよ」 「にゃっはっは〜! クリスは優しいのう〜 ほいだら、お礼にわしのお守りをやろうなあ」 そう言ってイーリスが取り出したのは、一枚の白い羽だった。 「なんだよ、これ」 クリスの知るどんな鳥の羽よりも大きいその羽を手にとって不思議そうに言った。 「にゃっはっは、天使の羽じゃよ〜」 大真面目にそう言うイーリスにクリスは笑った。 「ばか、そんなことあるわけないだろ、へへ、でもいいや、もらっといてやる」 そうして、その日からクリスは森へ通い始め、イーリスとともに薬草を探した。イーリスはいろんな国を旅してきた冒険者なのだという。さまざまな国の話を、薬草を探す傍ら、イーリスはクリスにしてくれた。果敢にして忠義にあつい騎士の話、国中の騎士が集まる華やかな英霊祭のこと、北方の華と呼ばれる文化の都の夜会のできごと、ときどき、こんな小汚い男が出入りできるはずもない場所の話が出てきたけれど、それもきっと、イーリスがどこかの酒場とかで人から聞いた話だったりするのだろうとクリスは思っていた。 「クリス! 毎日あんた、どこへ行ってるの!」 母親の声もそこそこに、毎朝クリスは自分の朝ご飯分よりちょっと多目のパンを手にして森へ向かう。 イーリスはいつも、森の入り口近くまでクリスを迎えに来てくれていた。クリスは薬草を探すことをもちろん、第一の目的にしていたけれど、薬草が見つかったらイーリスもどこかへまた行ってしまうかと思うとつまらなかった。 いつものように森で薬草を探していたクリスが夕方、家に戻るとテーブルの上に来客用のカップが置いてあった。 「なに、母さん、誰かお客さんが来たの?」 元気にクリスがそう問い掛けると、母親は涙を拭いてクリスを振り向いた。 「おばあちゃんがね・・・もう、意識がなくなって・・・ お医者さんが来てたのよ・・・もう、おばあちゃんは助からないって。 このまま、意識が戻らないで死んでしまうだろうって・・ クリス、おばあちゃんに、お別れをしなくちゃいけないわ・・・」 それを聞いたクリスは驚きと悲しみのあまりにその場に立ちすくんだ。自分のせいだ。森で過ごす時間があまりに楽しくて、おばあちゃんのことを忘れようとしていた。 薬草を探せば・・・今からでも助かるかもしれない、薬草を・・・ クリスはそう思うともう夜になろうとするのに家を飛び出した。 「クリス!! どこへ行くの! クリス!!」 暗い道をクリスは走った。森が目の前に広がる。もう、炭焼き小屋に帰っただろうイーリスをクリスは呼んだ。 「イーリス! イーリス!! おばあちゃんが、おばあちゃんが!」 泣きながら走るクリスの耳に、聞こえるはずのない声が聞こえた。 「クリス、どうしたんじゃ〜、何を泣いちょる〜」 「い、イーリス〜〜・・・・」 相変わらずののほほんとした表情でイーリスが立っていた。炭焼き小屋には戻っていなかったらしい。 「おばあちゃんが・・・おばあちゃんがぁ・・・」 「お〜、よしよし〜、泣いておっちゃいかんがよ〜、クリス 薬草を探しに来たんじゃろ? ほいだら行くがよ、わしも行くさけなあ」 イーリスは、クリスの手を引いて森の奥へ進んでいった。初めての夜の森は昼にも増して暗く恐ろしかったが、クリスの手を引くイーリスの背中の大きさに安心ができた。下草の茂る森の奥、クリスとイーリスはうっすらと茂る木々の葉の隙間から差し込む月光をたよりに薬草を探した。クリスはついつい涙がこぼれそうになるのを堪えて、一生懸命に薬草を探していた。 「クリス、まんだできることがあるうちは、泣いちゃいかんがよ〜」 「おう〜!!」 クリスは鼻をすすりあげて、空元気に声をあげると薬草を探した。森の奥、ぽっかりと木々の葉が隙間をつくり、そこだけに月の光が差し込んでいた。昼間、その場所は何もなくありふれた草が茂っているだけのように見えていた。だが、今、月光に照らされたその場所には、月の光を受けて不思議な光を発している草があった。 「あ・・・・・あった・・・あった〜!! イーリス、あったよう〜!!」 涙でくしゃくしゃになった顔でクリスは手にその薬草を持って叫んだ。イーリスは、すぐにやってきてクリスの頭をなで回した。 「おお〜! やったのう〜! クリス、ようやったのう〜! ほれ、早う帰るがよ〜! 暗いさけ、わしもついて行ってやるさけな〜」 クリスとイーリスは、夜道を駈けて家に戻った。玄関の扉を開けるが中には誰もいない。 「母さん? 父さん・・・!」 「ちゃ〜、クリスを探しに行っておるやもしれんのう〜」 クリスについて家に入ってきたイーリスがそう言う。 「と、とりあえず、薬草を・・・」 クリスはそう言うと台所へいき、薬草を鉢に入れてすりつぶした。イーリスが一生懸命なクリスのために、鉢を押さえてくれている。クリスはそれから水を加えて薬草を液体にすると、コップに入れる。 そうして、家の奥、祖母の眠る部屋に入ると眠る祖母の傍らに駆け寄る。 ベッドの上で、祖母は静かに眠っていた。もう、このまま、目覚めることはないのだと医師は言ったという。そんなことが信じられない。 「おばあちゃん・・・!」 クリスはスプーンで薬草をすくうと祖母の口元に運ぶ。だが、薬草は口元を滑っていく。 「おばあちゃん、飲んでよ・・・」 クリスは泣きそうになってそう言うが、なかなか上手く飲ませることができない。諦めそうになったクリスがその手を止めてしまったとき、大きな手がクリスの手からコップを取り上げた。 それは、イーリスの手だった。 「イ、イーリス???」 イーリスはクリスの手からコップを取り上げると、薬草を口に含み、クリスの祖母に口移しで飲ませたのだった。ゆっくりと、祖母の喉が動くのをクリスは見た。 「おお、ちゃんと飲めたがよ、な、クリス」 「う・・・うん」 クリスはちょっと複雑そうな顔をしてイーリスを見上げた。だが、傍らの祖母が動いた気配に、ベッドの上を振り返る。 ゆっくりと、祖母の瞼が開いていく。 「お、おばあちゃん・・・!!」 クリスが駆け寄ると、祖母は弱弱しくではあったが、腕を伸ばしクリスを抱きしめた。 「クリス・・・?」 「おばあちゃん・・・良かった、良かったよう・・・」 クリスの目から涙が溢れる。 「まあ・・・、何を泣いているの、クリス。お父さんたちは・・・?」 「あ、いけない・・・外なんだ、呼んでくるよ!」 クリスはドアへ駆け寄る。 「イーリス、お願い、おばあちゃんのこと、見てて!」 そう言いおいてクリスは家を駈けでた。 イーリスは、ベッドの傍らに歩み寄った。 「・・・随分と久しぶりよね・・・」 「おお。・・・姐さんは、ちくと元気そうっちゅうわけにはいかんで残念じゃけんど」 「やあねえ、あんたは全然変わってないっていうのに、 あたしだけこんなにおばあちゃんになっちゃってさ・・・」 「ちゃ〜、そねいなことないっちゃよ、姐さんは、今でもべっぴんさんじゃ〜」 「こ〜んなに皺皺なのに?」 「おおよ〜、ええ人生を送ってきたっちゅうことがようわかるがよ」 イーリスは満面の笑みをこぼした。 「・・・あいかわらずなのね・・・」 ベッドの中の主が小さく笑みを漏らす。 「あ〜あ・・それにしても、やっぱりあんたって、ヘボ天使だったのねえ・・ だって、あたしの中から記憶を全部、消すんじゃなかったの? 今になって全部思い出しちゃったわよ・・・?」 「ん〜、ええがよ、わしも久しぶりに挨拶しとうなったんじゃ〜」 「・・・もう、会えないから?」 しばらくの沈黙の後、イーリスが答える。 「そねいなことは、ないっちゃ。また、会えるがよ。」 「・・・ふふ、嘘つきねえ。」 細い手が伸びてイーリスの手を握る。イーリスは、ただ立っているだけだったが、優しく彼女を見下ろしていた。 「あ〜あ・・・つまんないこと、思い出しちゃった・・・」 その視線が天井を彷徨う。 「あたしの好みはねえ・・知的で都会的な人だったのよ。 そんな人からも、もちろん、プロポーズされてたわよ・・・ なのに、ど〜して、あんな田舎者の人と結婚しちゃったのか自分でもわかんなかったのよね・・ でも、わかっちゃったわよ・・・あの人、あんたに雰囲気が似てたんだわ・・・ つまんないわねえ・・・・」 「はっはっは、そりゃすまんのう〜 けんど、それで当たりじゃったじゃろ〜?」 「ええ・・幸せだったわよ。」 「姐さんは、ちゃあんと見る目があるっちゃ。 わしゃ、わかっておったがよ〜」 「ねえ・・・・」 「ん〜?」 「迎えに来たの? あたしのこと」 「にゃっはっは、それは、わしの仕事やないがよ〜」 「なあんだ、残念・・」 しばらく、黙ったまま二人はいた。大きく彼女は息をつくと、イーリスの手を握っていた手に力をこめる。 「ねえ、手を握っていてくれる?」 しかし、イーリスは首を横に振った。 「それは、わしの役目やないがよ・・・」 「・・・あいかわらず、最後の最後で女心がわかってないのね・・・ つまんない男・・・」 「すまんのう〜、けんど、それは、クリスたちの役目じゃろ・・・ 姐さんも、わしとやのうて、クリスと話をせんといかんじゃろ」 イーリスがそう告げたとき、部屋の扉が開いてクリスが入ってきた。その後ろに、クリスの両親が続く。 「母さん・・!!」 祖母の傍らに立っているイーリスに、クリスが声をかける。 「イーリス、ありがとう!!」 だが、そんなクリスに両親は怪訝そうな顔をした。 「クリス、誰かいるの?」 「え?」 クリスは両親の顔を見比べる。祖母の傍ら、そこに立つイーリスが、両親には見えていないのか? クリスは、イーリスの顔を見上げる。イーリスは、いつもと変わらない満面の笑みでクリスを見返すと天を仰いだ。そのとき、イーリスの背に大きな真っ白い翼が広がった。 「!!」 まるでそれ自身が光を放っているかのように、白く輝く翼。クリスは慌てて、以前にイーリスにもらった羽をポケットをまさぐって手に握る。これは、これは、ほんもの? 「クリス、おばあちゃんの手を、握ってあげて」 じっとイーリスを見つめていたクリスだったが、母にそう促されて祖母の手を握る。 それを見つめていたイーリスが、いつものあの笑顔で頷くと翼をはためかせた。 (イーリス・・・行っちゃう・・?) そのとき、祖母がもう一方の手をイーリスに向けて伸ばし、イーリスが一瞬だけその手を握ったのがクリスには見えた。だが、その後、ふわりと優しい風が頬を撫でたような気がしたかと思うと、イーリスの姿は消えていた。 一週間ほど後・・・ クリスは再び、森の奥に向かっていた。 不思議と、一人でももう森が怖いとは思うことがなくなっていた。 炭焼き小屋の扉を開ける。重くきしんだ音がして、扉が開いた。埃っぽい部屋の中に人の気配はなく、かつて、イーリスがここにいたことさえ、夢のような気がした。 「・・・イーリス・・・?」 おそるおそる、そう声をかけてみる。 「お〜〜!! クリス、久しぶりっちゃの〜!!」 クリスの予想に反して、背後からでっかい声が響く。驚いたクリスが振り向くと、そこにはイーリスがいた。 「な、なんだ、いたのかよ・・」 「なんね〜、おると思うておったから、わしのこと、呼んだんと違うんかよ〜」 「いや・・・え〜と」 バツの悪そうな顔をしていたクリスは、はっと思い出したようにイーリスに向かって言った。 「おばあちゃん・・・いっちゃったんだ・・・ あれから、元気になったみたいで、いっぱい話をしてくれたけど ある朝、眠ってるみたいに・・・・」 だが、イーリスは驚いた様子も見せなかった。 「薬草、効かなかったんだ・・」 じわっと涙が滲みそうになるクリスの頭をイーリスが撫でた。 「違うがよ〜、クリス・・・人の生き死にはのう、誰にも何にもどうにもできんことなんじゃ〜」 「・・・天使でも・・?」 「・・おお、天使でも、じゃ」 イーリスを見上げたクリスの目から涙が溢れ、クリスはイーリスにしがみついて泣き出した。 「よしよし〜、けんどなあ、クリス、姐さんといっぱい話ができたじゃろう〜 それで良かったがよ〜」 イーリスはクリスが泣き止むまでずっと頭を撫でていてくれた。 やっと涙の止まったクリスは、イーリスを見上げてちょっと笑った。 「おばあちゃんがね、若いころに会った天使の話もしてくれたよ。 おじいちゃんは、その天使に似ていたんだって・・・ 全然、好みのタイプじゃなかったのにってそう言って笑ってたよ」 「にゃっはっは・・・そうかよ〜」 「オレもさ〜、好みのタイプ変わっちまったら、イーリスのせいだよな」 「お〜、クリスもきっとべっぴんさんになるじゃろうからのう! きっとええ男にもてもてじゃのう〜!」 「なんだよ、それ〜ホントにお前って、いんちき天使だよな!」 クリスは声を出して笑った。イーリスも笑っていた。 だが、その笑いが収まったとき、クリスは少し悲しそうな目をしてイーリスを見上げた。 「・・・もう、行っちゃうんだろ? そんでさ、イーリスのこと、オレ、忘れちまうんだ」 イーリスは黙ってクリスの頭を撫でた。 「イーリスにもらった羽、大切にしてるよ。 ホントにお守りにしてるんだ。」 「おお〜。本物の天使の羽じゃよ〜、効き目絶大じゃ、大切にしちょき〜」 「・・・うん・・・今も、ほら、持ってるんだ」 クリスは、ポケットから白くて大きな羽を取り出して見せる。イーリスは嬉しそうに笑うとクリスの頭をもう一度、撫でた。 「・・・さんきゅーなあ、クリス。 ほいだら、・・・またな〜」 大きな手が頭を撫でてそのとき、そんな声を聞いたような気がクリスはした。 気がつくと、クリスは炭焼き小屋で一人だった。 「あれっ? こんなとこに何しにきたんだっけ・・・ うわ・・・森に一人で来たなんて母さんにバレたら、まあた怒られちゃうよ・・」 ばれないうちに、早く帰らなくちゃ、とクリスは慌てて炭焼き小屋を出ようとする。そこで、気がついてもう一度部屋に引き返す。 「いけない、これを取りに来たんだ・・・」 クリスのお守り代わりの白い大きな羽。そういえば、この羽、誰にもらったんだったっけ・・・おばあちゃんにもらったんだったっけ? しばらくクリスはその白い羽を見つめていたが、やがてそれを大切にポケットにしまうと小屋を出て駈けていった。一度だけ、炭焼き小屋を振り向いたのは何故だったのか、自分でもわからなかった。 END |