レイン、もう一度、君とやりなおすチャンスを私にくれないか。 そう言ったシーヴァスは、以来、日を開けずにレインの元を訪れた。ヨーストの街はそれでも馬で何時間とかかるほど遠く、シーヴァスの公務の忙しさを考えれば、彼はかなり無理をしているといえた。レインにもそれはわかったが、彼の元へ帰る、と素直に言えずにいた。 『帰る』 その考えにレインは気づいて、口元を緩める。帰るということは、本来の自分の場所が彼の元にあると、そう思っているということだ。では、なぜ彼ととも行こうとしないのか。それは、まだ、自信がないからだ。 あの日、一人でも歩いていけるようになりたいと、そう思ってレインは彼の元を離れた。そして、2年以上の日がすぎて、自分はインフォスの地で生きていけると、そう思うようになった。だが、シーヴァスと再会して以来、レインは本当にそうなのか自信がなくなった。 彼の姿を見ると、心が揺れる。彼のそばにいたい。一人、教会にいる時も、ふと気づけば、シーヴァスの訪れを待っている。まだ、自分はシーヴァスに甘えたいと。そう思っているのだろうか。 レインの手は無意識に胸のペンダントを握り締める。一人になってから、考え事をするときのレインの癖になったそれは、そのペンダントが彼女の唯一のより所だった何よりの証拠だった。 今日、まだシーヴァスは来ない。外は、雨だ。 この季節に珍しい雨は、激しさを増しつつあった。 レインは、不安そうに窓の外を眺める。シーヴァスは、今日は来ないかもしれない。こんな天気では、来れるはずもない。ヨーストからここへ来るまでには、細い山道に近い場所もある。ぬかるみに足をとられてしまえば、怪我どころではないだろう。そう、あきらめる反面、期待もしている。彼はかつて、勇者だったのだ、この程度の雨は、きっとものともしないだろう。きっと、彼は来るはずだ。 窓の外を眺めながら、レインは自分の中の相反する思いについて考え、そして、自分はどっちであることを望んでいるのだろうかと思う。もちろん、その答えは簡単だ、レインはシーヴァスに来て欲しい。だが、期待をして裏切られることがこわい。だから、彼は来ない、とそう思っている。結局、自分は何一つ変わっていないのではないか。 レインの手がペンダントを握り締める。自分はなぜ、あのとき、これを持ってきたのだろう。たぶん、望んでいたのだ、シーヴァスが自分を捜し出してくれることを。一人で歩くと、そう言いながら、シーヴァスが来てくれることを心の底で望んでいた。 シーヴァスは来るだろう、おそらく。彼はいつも、レインが望むことをなしてきた。いつも。レインは、そんな彼のために何をしてきただろう。 窓の外に降り続く雨を眺めながら、レインは彼の事を思う。自分に自信がないといいながら、ずっと彼からも自分の正直な心からも逃げてばかりだ。今のまま、いつになったら、彼の元に帰ることができるというのか。今のまま、ずっと彼を待つばかりでいいのだろうか。 彼が常に訪れる時間を過ぎても、シーヴァスは現れなかった。雨は降り続き、レインは不安にかられる。シーヴァスは来ないのかもしれない。それとも、途中でなにかあったのだろうか。彼に限ってそんなことはないはずだ。だが、もしも、そうだとしたら? レインはそわそわと部屋の中を歩きだす。シーヴァスは、レインのために、多くのことをしてくれた。自分は、彼を待って、ただじっとしているだけだ。彼の思いに応えることもなく、立ち止まって彼が来てくれるのを待っているだけ。いつも、彼女を歩きださせてくれたのはシーヴァスだった。今も、そうだ。彼はレインが今ある場所から歩きだすのを待っている。レインは立ち止まり、そして玄関へと歩きだす。シーヴァスに会いにいこう。自分から。彼の思いを受け止めて、彼の元へ歩きだそう。 レインが玄関の扉を開けようとした瞬間、扉が開いた。 「レイン? ああ、今日はひどい雨だ、びしょ濡れになってしまったよ。」 シーヴァスが立っていた。流れる髪が水を含んで重そうに張り付いている。レインは、彼を見るとさっきまでぐるぐると頭の中に渦巻いていた不安が解けていくのがわかった。彼の笑顔を見るたびに感じる安心感。こんなにも、自分は彼を信頼しているというのに。 レインは、シーヴァスの胸に飛び込んだ。シーヴァスは驚いたようにレインを見る。 「レイン? 君まで濡れる、レイン、私はびしょ濡れなんだから」 だが、レインはシーヴァスにしがみついて離れない。シーヴァスはしばらく自分の腕をどうするべきか迷ったように宙に泳がせていたが、やがて、レインの肩を抱き、彼女を包み込むようにしっかりと抱き締めた。 濡れた服を脱いでしまえば、あとは簡単なことだった。 レインは柔らかな布でシーヴァスの濡れた頭を包み込む。シーヴァスは彼女の手が彼の頭をそうやって拭くのをおとなしくなすがままになっていた。レインは、シーヴァスのひざの上に座って、彼の髪を布で包んでかき回す。湿り気を帯びた髪がレインの指に時々からまり、彼女はやがて布をゆっくりと彼の頭から滑り落とした。シーヴァスはレインを見上げ、それから、彼女の胸元に光るものに気づく。 「レイン・・・これは・・?」 レインがずっと、その胸にペンダントとして抱いていたもの。シーヴァスの元を去るときに、それだけは返せなかったもの。それは、かつてシーヴァスからレインに送られた指輪だった。あの日の朝、レインはベランダで光るその指輪を見つけたのだった。グリフィンが、彼女の元に戻してくれた指輪。しかし、それをレインはシーヴァスに返すことができなかった。彼と自分の間の絆をその指輪に託していたのかもしれない。 「・・・どうしても、あなたに返すことができなかった。 あなたと私をつなぐものがなくなるような気がして・・ ずっと、私の支えでお守りでした・・」 シーヴァスはレインの白い胸元に光るその指輪に唇を寄せる。柔らかな彼女の胸にも口づけながら、彼はそのペンダントを彼女の首から外し、指輪を鎖から抜くとレインの手をとり、その指にはめる。 「隠す必要などない、この指輪は君のものなのだから。 大事に持っていてくれて、ありがとう」 シーヴァスはそう言うと彼女を見上げる。レインは、そっとシーヴァスの唇に自分から口づけた。雨で冷えた彼の唇は冷たく、レインは彼の身体をも暖めるように、ぴったりと彼の身体に素肌を寄せた。シーヴァスの指がレインの背中をすべり、彼女の身体のラインをなぞる。 冷たい指先がレインの身体に熱を灯す。不思議なその感覚にレインは目を閉じて、シーヴァスにしがみつく。シーヴァスがレインの身体に熱を灯し、レインがその熱をシーヴァスに分け与えるように、冷たかったシーヴァスの身体がやがて温かくなっていくのがレインには感じられた。 「シーヴァス・・・」 レインは吐息まじりに彼の名を呼ぶ。シーヴァスは彼女に口づけることで、それに応えた。レインの唇に、首に、肩に、胸に、シーヴァスが口づけを繰り返す。優しい中に秘めた激しさを感じ取って、レインは彼の思いの強さを垣間見る。彼の思いを受け止められるようになりたい。今まで彼が自分を包んでくれたように、今度は自分が彼を包む存在になりたい。 シーヴァスの行為が激しさを増し始め、レインは耐え切れず、シーヴァスの肩に顔をうずめ、彼の背中に腕を回してきつく彼にしがみつく。身体の隅々でレインはシーヴァスを感じていた。指先までも、髪の一筋でさえも。一人で歩ける強さが欲しいと思っていた。けれど、今は。二人で一緒に高いところを目指したいと思う。一人では弱い自分も、彼と支え合って強くなりたいと思う。彼のためであれば、きっと、強くなれるから。 そんなレインの思いを知ってか、離れていた時間さえも埋めるように、シーヴァスはレインをゆっくりと、愛した。 夕方には雨もあがり、夕日の名残が山の端を染めていた。レインは窓から宵の明星がまたたきだした空を見る。夕食用の野菜を裏の畑に取りにいって、テーブルに並べたところだった。そんな彼女の傍らにシーヴァスが並ぶと同じように外を眺めてため息をついた。 「やれやれ、しかし、いったい私はこんな情けない格好を いつまでしていればいいのかな、まったく」 彼はシーツを身体に巻き付けた格好でほどいた髪もそのままに、まるで寝起きのような有り様だったからだ。 レインは、そんな彼にむかって笑いながら応える。 「だって、まだ服が乾いていないんですもの。 濡れたままの服では風邪を引きます」 「君でなければ、こんな姿、見せたくないね」 そっと抱き寄せてその髪に口づける。 「大丈夫、明日の朝には乾いていますよ、きっと」 レインはそう言うと彼の胸にそっと頭を寄せる。それから、するっと彼の腕を抜け出し、夕食の準備を整えるために、テーブルへ向かった。シーヴァスは少し残念そうにそんな彼女の後ろ姿を見送り、それからシーツを引きずったまま、テーブルについた。しばし、考えた後、シーヴァスは、少しいたずらっぽい笑顔で、レインに言った。 「なるほど、明日の朝まではこのままというわけか。 ということは、明日の朝までは君と一緒に過ごせるわけだ。このままで、ね?」 その彼の言葉の意図するところを理解して、レインは少し頬を染める。だが、シーヴァスの前に夕食のスープをおきながら、彼女は応えた。 「・・・明日の朝までで、いいんですか? 私と一緒に過ごすのは・・」 レインの言葉にシーヴァスの方が少し驚いたように彼女の顔を見る。レインはそんな彼の顔を見て、嬉しそうにほほ笑む。彼のこんな顔を見るのはとても珍しいことだから。 「・・・レイン、それは・・」 「・・・私、あなたと一緒にヨーストに帰ります。 あなたが、今もそう望んでくださるのなら」 その言葉を聞いてシーヴァスがレインに腕を延ばす。彼の腕の中に収められて、レインは彼の瞳をのぞき込む。 「本当に、レイン。本当に?」 「・・・ええ、シーヴァス・・・」 レインはそう言って彼に軽く口づける。シーヴァスの腕が彼女を抱き締め、その口づけが深くなりそうになったが、レインはその腕を抜け出して笑った。 「だめ、です、先に食事をちゃんと済ませてください。 せっかくのスープが冷めてしまいます」 シーヴァスは、そんなレインの顔を見てため息をついたが、やがて、楽しそうに笑い出した。 「・・・いいよ、私は君にはどうしたってかなわないんだからね。 それに、君と過ごす時間はこれからずっと長い。 ・・・もちろん、今夜もね」 END |