遅かれ早かれ、もう一度彼に会うことになるだろう。 レイヴはそう予想していた。 サルファで出会った黒衣の青年。・・・かつての親友、リーガルに。 「・・なんだ、めずらしいな、シーヴァス」 滅多にかかってくることのない友人からの電話に、レイヴは夕食を中断して受話器に向かった。夕食といっても、通りのカフェテラスで買ってきたローストビーフのサンドイッチとサラダだし、さして食欲があるわけでもなかったので、たぶん、電話が終わるころには、どちらも冷蔵庫にしまわれてしまうことだろう。 『ああ、いや・・・天使と・・最近会ったか?』 歯切れの悪い口調で電話の向こうのシーヴァスが問いかけてくる。彼には珍しく、疲れたような声だった。 「いや・・・サルファの一件の後、傷を治しに来たがそれだけだな。 なんだ、どうかしたのか?」 レイヴがそう問いかけると、しばらくの沈黙の後にシーヴァスが応えた。 『いや、なんでもない。そうか。お前の所にも現れていないのか。 では、なんでもないのだろう』 どうやら、天使が最近訪問してこないのを不審に思ったらしいが、それにしてもあまりに沈んだ声にレイヴが心配そうに声をかける。 『・・いや、なに、なんでもない。お前こそ、どうなんだ? サルファでは苦労したらしいが』 かつての基地を占拠しようとしたテロリストの殲滅。そんな風に一般には流れているらしいサルファでの一件を指して、シーヴァスが言う。レイヴは、言おうか言うまいか迷ったのだが、結局シーヴァスならと思ってこう漏らした。 「・・・あれは終わりではない、始まりなんだ」 『? どういうことだ、何かその予兆でもあるというのか?』 「・・・あれは、リーガルだ。リーガルがこの一件には関わっている。 奴が首謀者なのか、あるいは奴らの仲間の一人という立場にすぎないのかはわからんが・・・」 しばらく、電話の向こうのシーヴァスが沈黙した。 『・・・お前、それで、リーガルと戦えるのか?』 「・・・・・」 今度はレイヴが沈黙する番だった。戦わねばならないのだろう。だが、ずっとリーガルに抱いてきた罪悪感が、親友と呼んだ男を2度まで殺していいのかとレイヴに言う。次は自分が償う番ではないのかと。それを察したかのように、シーヴァスが言った。 『言っておくが、妙なことを考えるなよ。 あのとき、リーガルがああなったのは、お前のせいじゃない。』 「だが、俺が残っていたら奴は死なずにすんだはずだ」 『だが、残ることを選んだのはリーガルだ』 「俺のためにそう言ったんだ」 『・・・違うな』 あっさりそう言うシーヴァスに、レイヴは言葉に詰まった。違う? 俺のためにリーガルは自分が囮になると言った。それがどう違うというのか? 『レイヴ。私は、お前ほどリーガルという男を信頼してはいないのさ。 囮に残ったリーガルが美しい同胞愛と友情のためにだけそう行動したなんて思うな。 いいか、どんな奴にでも、どんな局面にでも打算はあるんだ。 あれが成功したら、リーガルは今頃、ヘブロンの英雄だったろうさ。』 シーヴァスの言う意味がつかめずにレイヴは黙ったままだった。シーヴァスとリーガルは、レイヴを通して面識があった。レイヴは、リーガルを軍人としても人間としても信頼していたが、今のシーヴァスの言葉を思うと、シーヴァスはそうではなかったらしい。もちろん、当時はそんなことを表向きには何も感じさせはしなかったのだが。 「・・・だがな、シーヴァス。 俺一人が、奴の受けるべき賛辞も栄達もすべて手に入れた。憎まれても仕方がないことなんだ」 『ばかばかしい。 とにかく・・・感傷に浸るヒマがあるのなら次の襲撃に備えることだな。 少なくとも、あれで終わりだと思っていないと言うならな』 結局、シーヴァスが何のために電話をかけてきたのかレイヴにはわからないままだった。感傷。シーヴァスはそう言った。確かにそうなのかもしれない。だが、喪くしたものを埋める術をレイヴは知らず、そして罪の意識は自分が軍の中で認められれば認められるほど大きくなっていくのだ。 シーヴァスは受話器を置くとベッドに転がった。あれ以来、天使の姿を見ない。もはや見放されたか。今、電話した限りではレイヴのところにも現れていないというのだから、そういう訳ではないかもしれないが。今も手に、天使を抱きしめたときの感触が残っているような気がする。やわらかく、暖かく、かぐわしく、抱きしめれば折れてしまいそうなほどにほっそりとしていた。掴んだ手首の細さを覚えている。今にも触れそうになった唇の美しい色を覚えている。胸にかかった柔らかな呼吸を覚えている。 「・・・重傷だな」 シーヴァスは苦笑した。重傷といえば、レイヴもだな。シーヴァスは電話を眺めて先ほどまで語り合っていた受話器の先にいる友人を思い浮かべる。同じ部隊に所属していた親友を亡くしたレイヴは、いまだにその傷から立ち直っていない。生来が生真面目にすぎる男だからな、とシーヴァスは考えた。そして、リーガルという男を、レイヴは心から信頼していたし、尊敬していた。 ・・・そこが私とレイヴの違うところだが シーヴァスは苦笑する。軍人としてのリーガルの実力を認めていなかったわけではない。行動力、決断力、確かに優れた人間だったと思う。だが、シーヴァスはレイヴほどにはリーガルと親しかったわけではなく、気があったわけでもない。それだけに、リーガルという人間に対してレイヴとは違う見解を持ってもいた。 リーガルは確かに軍人として優れた実力を持ち合わせていた。レイヴでさえも叶わなかったほどに。しかし、そのリーガルの熱意の底には常にたたき上げのコンプレックスがあった。名門軍閥出身のレイヴはやはり、父の影響力もあって上層部からの覚えもいい。シーヴァスであってもまた、軍部出身でないとはいえ、家の軍部に対する影響力は大きい。そこへいくと、一般出身のリーガルは自分の力だけではい上がってきた人間である。彼は、そうと認めなかっただろうがシーヴァスの目には「たとえレイヴであっても、エリートコース出身の坊ちゃんに負けるわけにはいかない」というリーガルの対抗心が見えた。もう少し言い方を変えるなら「レイヴになど負ける気がしない」という奢りが見えたのだ。リーガルは、レイヴと仲が良く、互いを補いあっていたというが、レイヴに言わせると「俺が一方的にリーガルの世話になっていた」という。それもつまりは、リーガルは「レイヴを自分より下に置いておきたかった」のだとシーヴァスは感じている。そういうことについては、レイヴはまったく鈍感だ。それが彼の幸せなところであり、不幸の源でもあるわけだが、とシーヴァスは思う。政治的な駆け引きが常に行われているような環境で祖父の顔色を窺い生きてきたシーヴァスにはそれがわかるのだ。おきれいなだけの人間などこの世に存在するものか。 だから、リーガルが死んだという例の作戦にしても、レイヴは自分の身代わりにリーガルは囮になって死んだと自らを責めているが、シーヴァスにしてみれば、あれはリーガルが勝負に出たのだと思えた。生きて戻れば、国の英雄だ。そして、戻れる自信もあったのだ。それだけが理由ではないとはいえ、「国の英雄になれる」という打算がそのときのリーガルの中になかったとは言えまい。そして、リーガルはその勝負に負けたのだ。 「くだらん話だ」 シーヴァスはそう呟いて目を閉じた。国家の英雄。空しい響きだ。天使の勇者と同様に。 ヘブロンとの国境に間近いエスパルダ国の町が襲われたという報告は、早朝に入った。 「死者の軍団」 それは、先日ヘブロンを襲ったテロリストと同じ名前だった。今回はヘブロンの国内のことではないこともあり、混乱はなかったものの、攻撃に備えての警戒体制が指示された。レイヴもまた例外ではない。早朝から軍本部へ出てくることを命じられた。エレベーターに乗って会議室のある階のボタンを押し、重力に逆らう力を感じながらレイヴは考えていた。 前回、直接指揮によって彼らと戦ったレイヴは、今回も期待されている。本部に出頭を命じられたのも会議においていろいろ発言を求められてのことだろう。しかし、なぜ、今回の攻撃がヘブロンではなくエスパルダなのだ? その答えはおぼろげではあったが、思い当たることがあった。それはエスパルダが、国境紛争のもう一方の主役となった国だからだ。結局痛み分けに終わった空しい戦争の、エスパルダ側の前線拠点となったのが、その町だったからだ。 あの戦いをなぞっている。 それに気づかせようとしている。 おそらく、挑発されているのは、自分だ。 レイヴは、エレベーターの扉が開いたが降りなかった。そのまま、階下へ戻るとロビーを抜けて走り出す。 「ヴィンセルラス中佐! 会議が始まります、どちらへ?!」 レイヴのただごとでないような様子に、受付が声をかける。 「エスパルダへ行く。奴らは俺を待っている」 「ヴィンセルラス中佐! いけません、エスパルダでのことにヘブロンの軍が介入することはできません!」 その声を背後に聞きながら、レイヴは軍を後にした。 実際にはレイヴはエスパルダに入国するつもりはなかった。もはや、彼らはエスパルダにはいないだろう。あの戦いをなぞっているというのなら。 始まりの地だったラダール。 共に過ごした前線基地、サルファ。 そして、届かなかった攻撃目標、エスパルダ。 では、次は? 次は、最後の地だ。レイヴがリーガルと別れた場所。エスパルダとの国境に広がる黒い森。 そこで待っているはずだ。 森を貫いて走っているハイウェイは、紛争の後に新しく作られた。もともとは補給用のジープが走っていた軍事道路だと思うと数年の間にずいぶんと変わったものだと思う。エスパルダとの国境越えのメイン道路は森を迂回した旧街道の方で、この道は昼もさして車が混むことはない。レイヴはあれ以来初めてとなるかつての戦場へ続く道の傍らに車を寄せた。道路のわきに広がる森を眺める。今も耳に爆音と銃声が響く音が聞こえるようだ。固く目を閉じて深く息を吸い込んだ。 その耳にあの音が聞こえた。柔らかな羽音。レイヴははっと目を開けると空を振り仰いだ。 天使が真っ直ぐに彼の元へ降りてくる。その表情は硬い。 「・・・すまないが、君の依頼を聞くゆとりが今はない」 レイヴは降りてきた天使にむかってそう言った。しかし、天使は首を横に振ると、レイヴの前に立った。そして、森へ向けて歩み出そうとするレイヴにむかって両手を広げる。 「・・・行くなというのか?」 レイヴが言うと、天使は頷いた。 「だが、行かねばならない、そうだろう? あれは、君の敵でもあるはずだ」 天使の表情が揺れた。眉根が寄せられ、辛そうな顔に見える。彼女には、自分の心がわかるのだろうか。 「俺は、会わねばならない。俺はもう、終わらせたいんだ・・・行かせてくれ」 天使は両手を広げたまま動かなかった。動いたのはレイヴだった。彼は天使の脇を通り過ぎると、森へと入っていった。もう、天使を振り向かなかった。 『うっとおしい森だよな、レイヴ。いっそ全部木を切っちまいたいな』 『自分の身を隠す場所もなくなるぞ、砂漠と森とどっちの戦闘がましかなんて考えないほうがいい』 『冗談だ、しかし、お前こんなときまでも優等生な答えだな』 泥まみれの顔でそんな事を話した。今はもう静かな森。足下でかさかさと音をたてる枯れ葉の音さえもあのころとは違うようで。あの時は足音一つにさえ神経をすり減らしていた。張りつめた空気、死と隣り合わせの日常。だが、それでも。心は今よりは生きていたかもしれない。皮肉なことだが。 森に深く入り込むにつれて、時があのころに戻っていくようだった。 木陰に影が見えた。 レイヴは立ち止まる。 黒衣の青年。その顔を初めてレイヴは見た。 いや、初めてではない。ずっと昔から知っているその顔を、やっと確認したのだ。 「リーガル・・・」 「久しぶりだな、レイヴ。元気そうじゃないか、何よりだ」 何もなかったかのように、うち解けた挨拶。そう、言葉は。だが、そういうリーガルの目は冷たかった。 「リーガル、死者の軍団は、お前の仕業なのか?」 レイヴが問いかける。リーガルはその頬に皮肉な微笑を浮かべていた。レイヴは辛そうに視線を落とす。リーガルはこんな笑い方をする人間ではなかった。 「そうだと言ったら? 」 「何が狙いなんだ、リーガル。俺への復讐か?」 「くだらないな、レイヴ。お前への復讐? そんなことどうでもいいことだ。 世界が自分の手中に収まるというときに、3日前に刺された虫のことなど覚えているはずもないだろう? レイヴ、お前は俺の親友だった男だ。だから特別に言ってやる。 お前も俺と一緒に来い」 「世界を手中に? 本当にそんなことができると思っているのか? お前・・・」 「できるさ。あの方ならな。俺を生きながらえさせてくださったあの方なら、 この世界を手中に収めることなどたやすいだろうよ」 レイヴは手を握りしめた。あのリーガルの言葉とは思えなかった。 「リーガル・・・・なぜなんだ、どうしてそんなことになってしまったんだ」 「何を嘆くんだ、レイヴ? 俺は至極爽快な気分だ。 きれいごともなく、自分の欲望に忠実に生きている。お前にだってあるだろう? この世界を支配したいと思う気持ちがあるだろう? 」 リーガルはそう言うとレイヴに向かって近づく。青い瞳はきらきらと熱っぽく輝いていたが、その光は邪悪な色だった。レイヴはたまらず瞳を伏せる。 「俺はそんなことは思わない、リーガル。世界など支配したいとは思わない。 俺は、ヘブロンの英雄にだってなりたくなどなかった。お前が生きていてさえくれればそれで良かったんだ!」 その答えにリーガルの顔色がかわる。リーガルはレイヴの胸ぐらを掴むと木に押しつけ首を締め上げた。 「相変わらず、きれいごとだな、レイヴ。反吐がでる。 俺はお前のそういうところが許せなかったよ。 それとも、骨の髄までヘブロンの軍人ってところか? 国家に忠誠を誓う犬のほうがお似合いかもな?」 「・・・違う、リーガル、思い出せ、お前だって俺と同じだったはずだ・・・」 苦しい息の下でレイヴが答える。 リーガルは抵抗しようともしないレイヴを突き放した。したたかに背を木の幹に打ち付けられてレイヴが咳き込む。 「よせよ、レイヴ。俺はお前と同じだったことなど一度もない。 お前は所詮おきれいな理屈が通じると信じているお坊ちゃんなんだ。 お前にその気がないとは残念だな、せっかく世界の半分をお前にやろうと思っていたのに。」 「・・・やめろ、リーガル。 そんなことやめるんだ」 のろのろと立ち上がりながらレイヴがそう言う。 「では、お前が止めてみせろ、レイヴ。お前に、俺が止められるならな」 しかし、レイヴは首を横に振った。 「リーガル、俺が憎いなら、俺を殺してくれてもかまわん・・・ だから、憎しみにとらわれて馬鹿なマネをするのはよせ・・・昔のお前を取り戻せ・・・!」 それを言い終わるより早く、リーガルの拳がレイヴの頬を打った。よけようともしないレイヴは地面に倒れ込む。口が切れて血の味が口内に広がった。 「相変わらず、甘いんだな、レイヴ。反吐が出ると言ったはずだぞ。」 しかし、レイヴは口の端を流れる血をぬぐおうともせず、リーガルを見上げて繰り返した。 「俺を、殺せ、リーガル・・・。それでもう、おしまいにしろ」 その腹部をリーガルの足が激しく蹴り上げる。低く呻いてレイヴがうずくまる。その背をリーガルの堅い靴の踵が激しく何度も打ち据えた。 「・・・そうまでお望みなら、殺してやろう、レイヴ。 ただし、そう簡単に終わらせると思うな、お前のその惰弱な精神の代償がどんなものか しっかりと目にしてから死ぬんだな。」 「・・・何を・・・リーガル・・・・」 もう一度、鈍い衝撃がレイヴを襲った。胃液がこみ上げる。その耳に遠く優しい羽音が聞こえた。天使・・・泣きそうな顔で中空に舞う彼女の姿がちらりと目に映った。だが、それだけだった。もう、目を開けていられなかった。暗い淵にレイヴは沈んでいった。 『彼女を裏切るな』 シーヴァスの声が思い出された。 ・・・・すまん、シーヴァス・・・・すまん・・・・・ to be continued |