City of Angel<11>








ヘブロン陸軍、レイヴ・ヴィンセルラス中佐の失踪は、大きなニュースになることはなかった。軍部は事実を隠し、極秘裏にその足取りの調査を行っていた。発見されたのは、国境付近のハイウェイで乗り捨てられた車のみ。広がる黒い森以外に何もないこの地域で、中佐が何を思って車を降りたのか、理解する術はなかった。森の中へ入っていったのか、もしくは他の車へ乗り移ったのか。
直前に軍司令部を出ていった中佐が、「死者の軍団」と呼ばれるテロリスト集団について、何らかの情報を得ており、それを確かめるべく独断にて現地へ向かったという証言もあった。
いずれにしても、表面上は何事もなかったかのように日は過ぎており、水面下での動きは焦りの滲む関係者とは裏腹に緩やかなものでしかなかった。

レイヴの失踪を知ったシーヴァスは、やはり、という思いを拭う事が出来なかった。
軍の人間にはわからないだろうが、シーヴァスはレイヴが誰によって連れ去られた(もしくは、自ら望んでかもしれないが)かを推察することができた。
レイヴのかつての親友であり、今は「死者の軍団」に組する男、リーガル。一度は死んだはずのリーガルがレイヴの前に現れたと聞いたときから、シーヴァスには、いつかこうなるのではないかという懸念があった。レイヴは先の国境紛争での功績をもって一躍軍部の英雄となった。だが、彼のその栄誉は、リーガルの死と引き替えに手にしたものでもある。レイヴは英雄たることなど望んだことはなく、彼自身の名声が高まるに比例して、リーガルへの罪の意識も深くなっていった。
だが、そのことに気づいていたのは、レイヴ自身とシーヴァスだけだった。誰もが英雄になることを望んでいるわけではない。だが、その事を知りうる人はごく僅かでしかないのだ。
リーガルが絡んでいる以上、レイヴがどこにいるか、簡単にわかることはないだろうとシーヴァスにはわかった。一度は死んだ男である。そして、この世のものならぬ力を手にしている男だ。シーヴァスにできることは、ただ待つことしかなかった。天使を、待つことしか。
 しかし、ここしばらくの間、天使がシーヴァスの元を訪れることはなくなっていた。
苦い思いでシーヴァスはその事実を鑑みる。もはや、自分は天使に見放されたのか。そうであっても仕方がないとは思うが、レイヴの事を思えばそれと諦めることもできなかった。結局のところ、シーヴァスが懸念した通りの結果となったレイヴのことを、腹立たしく思いながらもシーヴァスは心配していたのである。
いっそ、レイヴがいなくなったという黒い森までいってみようか。
そう思ったのは待っていても埒があかないと、そう感じたからだった。


暗い窓ひとつないその牢獄でレイヴは闇の中の一点を見つめていた。
口の中にまだ血の味が残る。
リーガルの姿はなく、ここへ連れてこられ鎖につながれてからどれほどの時がたったのかわからない。
『貴様の惰弱な精神が、何をもたらすか見てから死ね』
そうリーガルは告げた。そして姿を消した。
リーガル。
レイヴは目を閉じた。かつて、ともに闘った友。今、レイヴを憎しみとも侮蔑ともつかない目で見るリーガルは、本当にあのリーガルなのだろうか。彼をあのように変えてしまったのは、自分の裏切りだったのか。償うことで許されると思っていた。自分の死こそ、リーガルの求める復讐なのだと思っていた。
自分は、間違っていたのだろうか。
リーガルは何を求めていたのだろうか。
世界を支配することか、世界を破滅させることか。
そのとき、重く軋んだ音がして鉄の扉がゆっくりと開いた。
レイヴは閉じていた目を開ける。暗闇に慣れたその目に、扉からもれる光が眩しく見えた。
逆光を浴びて入ってきたのは、リーガルだった。レイヴはその顔を見上げる。影になって表情が見えないが、その手が何かを持っていることには気がついた。
その手がゆっくりと持ち上げられ、握られたものがレイヴの鼻先に突き付けられる。
その匂いをレイヴは知っていた。血の匂い。
「・・・リーガル・・・」
レイヴは眉根を寄せて逆光の中にあって表情の見えない男の名を呼ぶ。
「レイヴ、これが何かわかるか? この血にまみれたものが何かわかるか?」
レイヴはそう言われてつきつけられたものを見つめた。影になっているためにはっきりとわからなかったが、闇に慣れた目を凝らし、血の匂いの染みついたそれを見た。それは靴だった。子供の靴。
「お前の惰弱な精神の代償だ。
 今日、俺は町を一つ滅ぼしてきてやったぞ、お前のためにな」
その靴に染みついた血は、子供のものなのだ。レイヴは全身が総毛立つほどの衝撃を感じた。リーガルは自分の言葉が嘘でない証明にこれをもってきたのだ。レイヴに見せるために。血塗れの靴を。
「・・・・リーガル!!!」
腹の底からわき上がる怒りを押さえられず、レイヴは空気が震えるほどの大声でリーガルに向かって怒鳴った。つかみかかろうとするにも、鎖につながれた身体は自由にはならず、じゃりじゃりと金属がぶつかりあう音が響いた。
リーガルはそんなレイヴに向かって嘲笑を浴びせる。
「どうした、レイヴ。
 お前があのとき、俺を止めていたらなあ。こんなことにはならなかったのにな。
 この子供は、可愛い子供だったぞ。まだ歩き始めたばかりのな。
 きっとこの靴も親が初めて買ってやったくらいのものだろう。
 最初で最後だったわけだ。
 お前が、俺を止められなかったから、この子供も死んでしまったぞ。
 死にたがっているお前はここでこうして生きているのにな。」
レイヴはきつく唇をかんだ。血の味が舌に沁みる。怒り。憎しみ。どす黒いこの感情。誰に対して。
リーガルか。それとも、自分自身か。リーガルを止めることができない自分自身にか。止める。リーガルを止める・・・? そのとき、レイヴは気が付いたのだった。
顔を伏せたレイヴの髪を掴んで、リーガルは頭を上げさせる。首を仰け反らせてリーガルを見上げる格好になったレイヴの顔をのぞき込み、リーガルは笑い声をあげた。
「見ろよ、レイヴ。
 お前は俺に償いたかったんだろう。もう戦いたくなどなかったのだろう。
 お前が逃げた結果だ、見ろ。
 俺は、まだ、やる。わかるか。俺は、此の世界を手に入れるんだ。
 お前は、ここで、それを、見ていろ。鎖につながれたまま、腐っていくといい。
 これから毎日、こうやって手みやげを持ってきてやる。楽しみだなあ、レイヴ」
「リーガル・・・・」
レイヴの瞳にこれまでと違う光を見て、リーガルは掴んでいたレイヴの髪を離す。
「どうした、レイヴ。もうやめてくれ、とは言わないのか。」
「・・・リーガル、お前、俺に止めてほしいのか」
レイヴは静かにそう言った。力尽くで止めてほしかったのか、リーガル。とどまることを知らぬ欲望に流されていく自分を。止めてほしかったのか。
リーガルは瞬間、黙り込んだ。そうしてギラギラとそれこそ憎しみに満ちた目でレイヴを見返す。それまでの嘲りに満ちた余裕の表情はそこにはなかった。
「・・・レイヴ。俺を憐れむのはよせ。
 お前にだけは、俺は憐れまれたくない。いいか、俺は、此の世界を手にいれるんだ。
 お前に憐れみを受ける理由などない!」
そうして、腹立ちまぎれにレイヴの腹を蹴り上げる。レイヴは低く呻くとこみ上げる胃液をなんとかこらえながら、リーガルを見つめる。
俺に、止めてほしかったのか、リーガル。俺は、駄目だな。お前のことを何一つわかってやれない。 だが、リーガルは腹立たしげに壁をなぐりつけると
「俺を、そんな目で見るな!」
と叫んだ。
「・・・まあ、いい。レイヴ。どうせ、お前はもうここから出ることなどできないんだからな」
リーガルは忌々しげにそう言い捨てると、レイヴを残して牢獄を出ていった。暗闇に残されたレイヴは、しかし、この牢獄を出て行かねばと、そう強く思っていた。リーガルを止めるために。鎖を断ち切ることはできそうもなかったが、一つだけ、レイヴは希望を持っていた。
天使。彼女がなんとかしてくれるかもしれない。
もし、勇者としての自分に愛想を尽かしていなければ、の話ではあるが。


シーヴァスは黒い森へ続くハイウェイを車で飛ばしていた。
待つのももどかしく、結局、自ら車を走らせてきてしまったのだ。所詮、無駄足になってしまうだろうと思いながらも、じっとしていられなかった。低く、舌打ちをする。自分がそんな感傷的な人間だとは思いたくはないが、そうなのだろう。
「まあ、あれでからかうと面白い男だからな、いなくなられては少しつまらん」
そう独りごちてみる。しかしかといって、これからどうする宛もないのも確かだった。
このまま国境を越えてみようかとそう思っていたとき、天空を駈けるひとすじの光に気付いた。
・・・天使!
光を視線で追っていると、近付いてくるのがわかった。自分のところへ来るのだろうか?
シーヴァスは、車を路肩に止めるとドアをあけて道に出る。見上げた空に、確かに白い翼が見えた。
シーヴァスと視線を合わせた天使は、ほっとしたような顔つきになり、彼の元へと降りてきた。いつものような無垢で無邪気な様子はどこへやら、憂いを含んで寄せられた眉根が彼女の悲しみを物語っているようだった。
「・・レイヴか?」
シーヴァスが問うと、天使は頷いた。
「見つかったのか、どこへ行けばいい? 教えてくれ」
頷いた天使が祈るように手を組むと光りの中に一枚の地図が現れた。天使はその中の一点をさし示す。 「・・・バルバ島?」
エスパルダ沖の小さな島。漁港があり、人が住むものの人口も少ない田舎の島だ。そんなところに何故。一瞬考えたシーヴァスだが、とあることに気付いて苦笑する。
「なるほど。趣味の悪いことだな。いいだろう、すぐにレイヴを助けに向かう。
 ・・・・君も、来るのか?」
シーヴァスの問いに天使は深く頷いた。それがレイヴを助けられなかった天使としての義務感からだとしても、シーヴァスは彼女との縁が切れていなかったことを少し感謝していた。天使と勇者というだけのつながり。それでも、何もないよりはマシだといえた。

数時間後、バルバ島へ向かう定期船の上にシーヴァスは天使とともにいた。
飛行機を飛ばしたり、船をチャーターしたりなど軽いものだが、目立ちたくない。定期船なら観光客にまぎれて島に上陸することができる。
「・・・観光客が多いのが不思議だろう。
 バルバ島はな、罪人が送られた島なんだ。
 かつての皇帝が帝位を追われ、この島で捕われの身となったのが始りだといわれている。
 どういうことか、わかるか?
 つまり、レイヴは罪人だと言われているということだ。例の男にな。趣味が悪い例えだと思わないか」
最寄りの港から30分程度で到着したバルバ島は、この島に死者の軍団が潜んでいるとは思えないほどにのどかな島だった。船から降り立ったシーヴァスは空を見上げる。天使が指差す方向を目指し駆け出した。
「・・・・無事でいろよ、レイヴ。」


リーガルが出ていってからどれくらいの時間がたっただろう。
レイヴは手首に食い込む鎖をなんとかしようと身を捩りながらそう考えていた。ここを出なくてはならない。リーガルを止めてやらなくてはならない。
泣きそうな顔でレイヴを見送っていた天使。彼女に賭けるしかないのだろうか。
もはや無理かもしれないと、身体の力を抜いて壁にもたれる。
そのとき、その耳に聞き慣れない音が聞こえてきたのだった。
最初は風の音かと思われたが、その音に続く外の物音に目を開いた。
何かが倒れる音。誰かが上にいる。そして、風のような音。その音をレイヴは知っていた。
柔らかく羽ばたくその音は。
「・・・来てくれたか」
あんな風に望んでリーガルの捕虜となった自分を、あの天使が放っておけるはずがない。そう思い当たってレイヴは苦笑した。だが、闘う術を持たない天使が、いったいどうやって、と思うところへ、静かに思い鉄の扉が開く音がした。
「誰だ」
意味もなく名を尋ねてみる。
「・・・ずいぶんと御挨拶だな、せっかく助けに来てやったのに」
それは、シーヴァスだった。天使は、と聞こうとしてその傍らに立ちレイヴをじっと見つめている視線に気が着いて、レイヴは顔を伏せた。
「私は、お前に言ったはずだぞ。 こうならないように気をつけろ、とな」
シーヴァスはレイヴに毒舌を叩きながら、その身体を戒めている鎖を天使の剣で断ち切った。しゃらん、と鎖が地に落ちる音がして、レイヴは久方ぶりに腕に自由を取り戻したのだった。
「・・すまん、シーヴァス。迷惑をかけた」
レイヴは身体を慣らすように鎖の痕の残る手首を握りしめ、考えるように視線を伏せた。シーヴァスはしかし、いつもと変わらず皮肉な調子で答える。
「どうせ、私にだけは借りを作りたくなかった、とか考えているだろう」
あまりにもその通りだったために、レイヴは少し黙り込む。シーヴァスはそんなレイヴにむかって苦笑してみせると、あっさりと答える。
「だから、わざとここまで助けに来てやったんだ。
 わかっているだろうな、これは、嫌がらせなのだからな」
その言葉にレイヴもまた苦笑する。自分には、まだ、こういう友も残されていたというのに。 「しかし、ここまで、あまりにも敵が手薄で驚いたぞ。空家かと思ったくらいだ」
せっかく意気込んできたものを、と大袈裟に溜息をついてみせるシーヴァスだが、レイヴはその言葉を聞いて違うことを思い浮かべていた。
リーガルと彼の一味は、再びどこかの町を屠るために行ってしまったのか。それとも・・・それとも、レイヴが助け出されることを知って、わざといなくなったのか?
そんなレイヴの思いをよそに、シーヴァスは言葉を続ける。
「で、どうなんだ、レイヴ。
 まだ、ここに残りたい、死にたい、などと思っているわけじゃないだろうな」
レイヴはのろのろと立ち上がるとシーヴァスの問いに答えた。
「・・・いや、リーガルが戻ってくるまでに、ここを出る。
 俺はやっと自分が何を成すべきだったのかをわかったような気がする」
その答えを聞いたシーヴァスは、そうか、と一言呟いた。


お前は、俺に止めてほしかったのだな、リーガル。
レイヴは胸の内でリーガルに語りかける。
もう、迷わない。自分が何をするべきなのか。
次に会ったときは・・・・・リーガル、お前を止めてやる。
俺が、お前を止めてやる。




to be continued






めっちゃお久しぶりです〜。
なんか、あまりにも久しぶりすぎてどうするつもりだったか思い出せなかったり(^_^;)
後半もしかしたら、近々リテイクでちと改訂するかもですが(^_^;)
とりあえず、もう少ししたらレイヴは片付いて、シーヴァスの受難が始るのねん。(苦笑)





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