「なんだ、レイヴか。どうした、珍しいな」 慰霊祭からしばらくたち、シーヴァスが初めて勇者としての依頼をこなした後のある夜、シーヴァスはレイヴからの電話を受けた。彼からの電話など、ここ数年、受けたことなどない。そう、シーヴァスが軍に入ると知ったときに、電話をもらって以来のことだろう。 「この前、一度電話したんだがな、お前、留守だっただろう。 行き先を聞いたら随分と山の方へ行っていたらしいな。何があったんだ?」 レイヴが電話をよこしたのは、シーヴァスが天使とともに出掛けたあの日だったらしい。 「それは、こっちのセリフだな。お前が私に電話してくるなんて、一体何年ぶりだと思うんだ?」 シーヴァスのその言葉に、レイヴは慰霊祭以来ずっと気になっていたことがある、とシーヴァスに言った。 「お前は、天使に会った、天使を見た、と言ったな、シーヴァス。 あの、慰霊祭の日も、天使はお前の近くまで来ていたんじゃないのか?」 レイヴは、シーヴァスが慰霊祭の始まるその時に振り仰いだ木の頂に、白い翼が見えたことをずっと考えていたのだった。天使などいるはずもない。そう思うはずなのだが、シーヴァスという人間が、そんな冗談を言う人間でもなければ、幻想の中に耽溺して生きる人間でもないとはわかっていたので、彼の言う天使とは何かを知りたいと思っていたのだった。 「天使はお前に何をさせたがっているんだ?」 「レイヴ、私がカルト集団にでもはまっているとでも言いたいのか?」 シーヴァスは電話口で苦笑する。 「お前に限ってそれはないと思っているがね。 お前も俺と同じ、人の語る神になど興味ない人間だとわかっているからな」 シーヴァスはソファにもたれ天井を仰いだ。柔らかな背もたれに体が埋もれる。天使と出会ってから、そういえば、空を振り仰ぐことが多くなったような気がする。 「レイヴ、私が天使の勇者として、戦ってきたと言えば、お前は驚くかな。 それとも、やはり、自分の目で見なくては信じられないか?」 「・・・・シーヴァス、俺は、本当は信じたいのかもしれん。天使というものの存在を。 俺は、期待しているのかもしれん。天使がもしも本当にいるのなら、もしかすれば・・・」 シーヴァスは、そのレイヴの言葉にしばし、黙り込む。 「・・・レイヴ。お前は天使に救ってほしいのか?」 シーヴァスも、その全容を詳しく知っているわけではない。だが、紛争後、共通の友人でもあった男の葬儀で会ったレイヴの言葉と、その後のレイヴの様子から薄々と何があったのかを察してはいた。自罰的になりすぎるのが、レイヴの悪い癖だ、とシーヴァスは思っている。人間、死ねばそれまでのことだ。死んでしまった人間は、何も思わない。思い悩むのは所詮、生き残った人間だけだ。 「・・・・シーヴァス、俺は、救われたいと思っているわけではない。 だが、天使がいればいいとは、思う。今は、な。 あの慰霊祭の日、お前が見上げた木の上に、俺も白い翼を見た気がした。 あれが、天使なのだとしたら、と思うと、お前に確かめずにはいられなかった」 電話ごしに、レイヴのため息が聞こえてきそうな声だった。 「レイヴ。天使はいる。その資質をもつものだけが、天使を見ることができる。 お前が白い翼を見たというのなら、お前もまた、天使の勇者たる資質を持つのだろう。 お前の元に天使が現れるかもしれんぞ」 シーヴァスは、半ば冗談まじりに、しかし半ば真剣にそう言った。その言葉を聞くか聞かないかのうちに、電話の向こうでレイヴが息を呑む気配がした。 「? レイヴ?」 シーヴァスは、レイヴに問いかける。レイヴはしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと低い声でシーヴァスに告げた。 「・・・シーヴァス、お前の言うことは本当なんだな。 天使は、いる。・・・・俺の目の前に。」 レイヴは、自分の目の前の天使の存在を信じられずにいた。 いや、シーヴァスから話を聞いてはいたし、慰霊祭の日、白い翼を見たような気はしていた。だから、半ばはもしかして、という気はしてはいた。だが、自分の目の前に、こうやって天使が姿を現すことがあるとは思ってもいなかったのだ。 天使は、レイヴに向かって何かいいたげな表情をしていた。 「・・・俺に勇者になることを望んでいるのか?」 レイヴのその言葉に、天使は少し驚いたような顔をした。シーヴァスから話を聞いているということを、天使は知らないのだろう。レイヴは苦笑すると、天使に向かって言った。 「君の勇者は、私の友人だ。彼から君のことも少しは聞いている。」 天使は、その言葉を聞いて首をかしげる。 「ああ・・・あいつは誰彼となくそんな事を話してまわるほどおしゃべりではないが、 ただ・・・俺なら他の誰かに話すことはないと思ったのだろう。 それに、珍しくはしゃいだように、君の事を話していた。 奴は、君を気に入っているらしい。誰かに話したかったんだろう」 はにかんだような天使の笑顔に、レイヴは天使とはこういうものだっただろうか、と内心思う。シーヴァスの話を聞いていたとはいえ、思ったよりも天使は幼い印象がした。姿がではなく、その表情や仕草が。シーヴァスのような女性と遊びなれた男が、ああも楽しげに語ることがあるとは思えもしないのだが。 「それで、俺は君の勇者になることになるのか?」 レイヴはそう天使に問い、天使はそのレイヴの問いに首を縦に振った。 「レイヴのところへ行ったらしいな」 天使の顔を見るなり、シーヴァスは、そう言った。天使は不思議そうな顔をしてシーヴァスの顔を見ている。まるで、シーヴァスがそんな事を気にすることが理解できないというかのように。シーヴァスも、そう言ってから、自分がそんなことを気にすることがおかしいような気がして、黙り込む。だが、天使がその先を促すように、シーヴァスの顔をのぞき込むので、シーヴァスはごまかすように先を続けた。 「レイヴは、私の古い友人だ。君が彼のところを訪れたとき、 ちょうど、電話で彼と君のことを話していた。だから・・・・」 だが、本当はそれだけではないことに自分でも気づいている。実際、彼女がこの世界を守護しているというのなら、シーヴァス一人で彼女の依頼のすべてをこなすことなど無理だろう。神に選ばれる勇者が一人である必要などない。 気分がすっきりしないのは、レイヴもまた、勇者となったから、ではない。勇者という使命は、シーヴァスにとってはさして意味のあるものではない。だが。 彼女の顔を見て、シーヴァスは黙った。何がこんなにすっきりしないのか。 黙ってしまったシーヴァスを、天使は不安そうに見上げる。 シーヴァスは、そんな彼女の顔を見て笑った。何も、自分が気にすることなどないというのに。きっと疲れているのだろう、だから、気分がすっきりしないのだ。それだけのことだ。彼女にこんな心配そうな顔をされるほどのことではない。 「レイヴは・・・まじめすぎて面白みに欠けるが、誠実で信頼に足る男だ。 勇者の仕事もしごく、まじめにこなすだろう。もう、何か依頼したか?」 天使は首を横に振る。しかし、シーヴァスとレイヴが友人であるということが、おもしろいのだろう、楽しげに目が輝いていた。もっと、その話を聞きたげなその様子に、シーヴァスは肩をすくめる。 「ま、私もレイヴと顔を会わせたのは久しぶりで、最近はさして親しく付き合っていたわけではないが。 彼も今や軍部の未来を担う人物だ。いろいろと大変だろうからな」 それで話を打ち切ると、天使は少し膨れたような顔をした。彼女のそんな顔を見たのは初めてで、シーヴァスは少し驚く。天使というものは、人間らしい表情とは掛け離れた存在だと思っていた。 「私やレイヴの他にも、勇者と呼ばれる人間はいるのか?」 シーヴァスは、興味半分に天使に尋ねてみる。天使はその言葉に不思議そうな顔をしてシーヴァスの顔を見たが、しばらく考えて頷いた。 「そうか」 シーヴァスは短くそう答えた。天使は、それきり黙ったシーヴァスを見つめる。 「君も、大変だな。こんな風に、私の所へ顔を出すヒマがあるとは思えないが」 シーヴァスは、自分のその台詞にいささか刺が含まれているのを自覚しつつそう言った。天使は少し唇をとがらせ、何か言いたそうにシーヴァスを見る。が、彼の言葉にわかったとばかりに翼を広げて飛び立とうとした。 シーヴァスは、その天使の手をとると笑いながら彼女に告げた。 「悪かった、冗談だ。 ところで、今日は君は時間はいいのか?」 唐突なシーヴァスの問いかけに、天使は広げかけた翼を畳み、彼の顔を見上げる。そして、とまどいつつも頷いた。 「そうか、では、一緒にパーティーへ行かないか。 つまらない取引先とのパーティーなのだが、出席しないわけにはいかなくてね。 君が一緒なら退屈だけはせずにすむかもしれない」 天使は、パーティーという言葉に興味ありげに瞳を輝かせる。彼女にとってはこの地上のもの、出来事、すべてが珍しいものなのだろう。シーヴァスは彼女のそのわかりやすい反応に苦笑する。返事を聞くまでもなく、彼女が同行するのが見てとれたシーヴァスは、 自身も出掛けるための準備をするために立ち上がった。 to be continued |