その日のパーティーは、隣国ファンガムの大統領を迎えてのものだったため、レイヴも出席することになってしまったのだった。軍部の名門の嫡子としての務めというわけである。もちろん、シーヴァスも出席しているわけで、ヘブロンの政界、軍部、経済界の大立て者がそろったパーティーであった。レイヴはといえば、これは仕事だと考えている。ちゃらちゃらとおしゃべりを楽しむのが仕事なのではなく、このパーティーが無事に終わるように、警戒を怠らないことが仕事なのだ、と。それはともかくとして、レイヴとシーヴァスがこのような場所において、共になることは珍しいことであった。もっとも、お互い近しく語り合うそぶりなどは見せないが。まず、第一にシーヴァスの周囲が華やかなのに比べて、レイヴの周りときたら誰も寄ってこないのだから仕方もないことなのだが。もっとも、レイヴにしてみれば、誰も近づいてこない方がよっぽど気が楽なので、シーヴァスこそご苦労なことだといつも思うのであった。 シーヴァスは、今日の主役であるファンガムの大統領とその息女である少女と会話を交わした後、テラスへ出た。こういう華やかな席では彼はもちろん、注目の的ではあったけれど、今日はどうもその役割を果たす気分になれない。・・・今日は、だろうか? 考えてシーヴァスは苦笑する。そういえば、レイヴも来ていたようだったが、壁際であいかわらず難しい顔をしていたようだ、と思いかえす。あとでからかいに行ってやろうと考えていたシーヴァスの元に、幾人かの女性が訪れた。 「こんばんわ、シーヴァスさま。お探ししましたわ」 「ああ、これは。」 財界を代表する企業の会長であるシーヴァスは、もちろん、政界にも財界にも顔が広い。彼と懇意になりたいと願う者は後をたたない。しかも、彼が若く独身であるということは、つけいる隙があるように人々には思えた。若く美しい娘たちが、シーヴァスには自然と群がった。シーヴァスは、もちろん、その意味するところをよく知っていたので、広く浅く、けして誰かを特別と扱うことなく上手く立ち回っていた。あるいは、自分に気に入られようと取り入ってくる女性たちに、思わせぶりな台詞を吐き、その言葉に一喜一憂する様を見て楽しんでいた。人々はシーヴァスが誰のものになるか、というゲームを楽しんでいるのだ。ならばこちらも、ゲームを楽しませてもらってもいいではないか。そうシーヴァスは考えている。『今度、ふたりきりでお食事でもいかがですか。あなたのことをもっと知りたい。』そんな言葉を誰かにささやけば、それだけで言われた相手はまるで自分が勝ち誇ったかのような顔になる。そう、表だってはおとなしやかにはにかんだ笑顔をしていても、その仮面の下には自分が勝者だと誇ったような顔が見えるのだ。シーヴァスはその顔を見て心の中でそれを嘲る。『私は、誰にだってそんな言葉を言えるんだよ。誰かが私の特別になるということなどないのに、可哀相な人だ』 先だってのパーティーの折りには天使にそんな一幕を見られて少し責めるような顔をされたこともあるが、シーヴァスにしてみればお互い様なのであって自分が責められることなど何一つないと思っている。女性たちもけしてシーヴァスという人間を好んでいるわけではない、フォルクガングの会長という地位を好んでいるだけのことだ。ならば、それ相応の態度で相手をして当然だろう。 彼の後を追ってテラスに現れた女性たちも、そんなゲームの登場人物たちだった。 「シーヴァスさま、ブレイダリク大統領のお嬢様とお話になりまして? とてもかわいらしい方でしたわね」 「ええ、とても利発そうな方でしたね、二言三言、お話させていただきましたよ」 「あら、二言三言だけ、なんですの? ふふ、でもシーヴァス様ならそれだけの言葉でもって お嬢様の心を掴んでしまわれそうですわね」 「まさか、私など歯牙にもかけていただけませんよ。」 「くすくす、シーヴァス様の魅力がわかるには、まだ幼いのかもしれませんわねえ」 心にもない笑い声をあげたシーヴァスは、ふいにいつもの気配を感じ取った。ふわりとした浮遊感と暖かな空気、柔らかい羽音。天使が来ている。 天空を見上げあたりを見回すが、その姿は見えなかった。 女性たちに囲まれながら、シーヴァスの心はもはやそこにはなかった。むしろ、彼女がもしやどこかから今のこの場面を見ているのではないかと思うと、気が気ではなくなっていた。自分でも、何を気にすることがあるのか不思議だと思いはしたが。先だってのように、また彼女に責められるのが疎ましいからか? いずれにしても、これほどまでに彼女の気配を感じているということは、きっと近くに来ているのだろう。きっとどこかの物陰からこちらを伺っているに違いない。 「シーヴァスさま、中に戻りませんこと? ヴィンセルラス中佐にご紹介いただきたいですわ。 お二人の国境紛争のおりの武勇伝などお聞きしたいんですもの」 誰かがそう言うと、他の女性たちも口々に、それはそうですわね、と言い出す。レイヴもまた、軍部の名門の出身で、将来を嘱望されている人物だ。彼女たちにとっては知り合いになって損はない人物といえよう。 「彼は自分の戦功を、自慢げに口にしないという美徳を持ち合わせた男なので、そういった話は期待できませんよ。 それに私も少し人に酔ったようだ、庭を歩いて来ましょう。 戻ってきたらまた、お相手させていただきましょう」 あら、つまらないこと、という囁きを後にして、シーヴァスはテラスから庭に降りた。このところ、パーティーに来ても早々に一人になることが多いかもしれない、などと考える。部屋の灯りから少し離れたところまでゆっくり歩いてくると、シーヴァスは囁くように呼びかけた。 「いるのだろう、天使」 ぼんやりとした光が集まり、やがてその中に人の姿がうっすらと影のように浮かび上がると徐々に色を濃くしてゆき、やがて彼女の姿となった。 「今日は君をパーティーに呼んだつもりはなかったが」 つい棘を含んだ口調になってしまうのは、彼女に見られたくない場面を見られたからだとシーヴァスはふいに自覚する。天使はしかし、そんなシーヴァスの思いには気づかぬげに、少しすまなそうな顔をして上目遣いにシーヴァスの顔を見た。 「しかも、物陰から覗いていたとは、いい趣味だな、天使としては。 また、私が女性に不誠実な態度を取っていないかと見張りにきたのかね?」 我ながら子供っぽい絡み方だとシーヴァスは思ってそこで言葉を切ってだまりこんだ。天使はすっかり困惑したように、彼の顔を見つめている。きゅっと胸の前で握りしめた指が、あまりに強く組まれているせいだろう、白くなっていた。 「・・・・冗談だ、少し困らせてみたかっただけだ。 私に用か? それとも、レイヴに? レイヴなら中だぞ」 シーヴァスはいたたまれなくなったように、そう言ってごまかす。天使はその言葉に少し首をかしげてからふるふると横に振った。それからにこり、と笑ってシーヴァスの胸を指さした。 「? 私に用だったのか?」 天使は深く頷いて、シーヴァスの顔をのぞき込む。とまどうような顔をしたシーヴァスだが、天使はじっと何もかもを見透かすように彼の瞳をのぞき込むようにしばらく見つめていた。シーヴァスは彼女の瞳に自分の姿が映っているのを見ながら、視線をそらせずにいる。 しばらくそうやってじっとシーヴァスを見ていた天使は、やがて安心したようににっこりと微笑んだ。 それから彼女は天を仰ぎ、瞳を閉じて唇を動かす。なにか呪を唱えているのだろうがその言葉を読みとることはシーヴァスにはできなかった。やがて、何かを唱え終わると彼女の手の中に淡い光の球が現れ、その光が薄らぐとともに手の中にはある物が残っていた。天使は、それをシーヴァスに手渡す。それは、銀の鎖につけられた翼を象った守護の印だった。 「これを、私に?」 天使が微笑んでうなずく。首から下げるには短い鎖は、手首につけるものなのだろう。あまりアクセサリーなどつけることを好まないシーヴァスではあったが、繊細な銀の細工がさりげないことと、手に持った瞬間からその守護の印に感じる不思議な力に、その場で利き腕に付けてみせた。 「いい品だな、何か魔力が宿っているかのようだが」 シーヴァスがそう言うと天使は、嬉しそうに微笑んだ。天使の祝福でも宿っているのかもしれない。そう考えてシーヴァスは、ふと彼女がこの守りを持ってきた意図について考える。守護の印。シーヴァスを守るため? いったい、何から。そう考えて、彼は先日の教会でのことを思い出した。 天使の翼は安らかな眠りをもたらす守りの翼。 「・・・すまないな、ありがとう」 彼に安らかな眠りが訪れるように。悪夢を二度と見ることがないように。天使は守護の印をつけたシーヴァスの手をとると確かめるように、それを見つめた。それから、安心したように頷いて、ゆっくりと翼を広げる。 「もう、行くのか?」 少し残念そうな自分の声にシーヴァスは気が付いていた。天使はしかし、そんなことには気づかぬげに頷いて白い翼をはためかせ、最後にもう一度シーヴァスに向かって微笑むと天空へと消えた。 シーヴァスは手首に残った彼女の指が触れた感覚と、守護の印を確かめるようにもう一方の手で触れてみる。引けばちぎれてしまいそうな細い鎖なのに、強い力と思いを感じる。それもまた、自分の心の問題かもしれないが、とシーヴァスは苦笑した。 今一度、天空を仰いだシーヴァスは、再びパーティーの会場へを戻るべく歩きだしたのだった。 レイヴはあいかわらず壁の花になって、あちらこちらで語り合う人々を眺めていた。時折、彼の元に幾人かの女性や、政界の某とかといった人物が訪れることもあったが、レイヴが相手にしないので、早々に立ち去っていった。本来、レイヴはこういう席を好むものではない。何も話すこともなければ話す相手もいないからだ。シーヴァスが今日は来ていたようだったがな、と考えて、しかしながらこういう席はシーヴァスの独壇場になるのだから、同席したところで彼と話すことなどないだろうが、と考え直す。そのレイヴの目に、外に出ていたらしいシーヴァスが部屋に戻ってくるのが見えた。シーヴァスはレイヴが見ているのに気づいたのだろう、こちらへ視線をやると機嫌よさげに笑ってみせて、近づいてきた。 「あいかわらず仏頂面だな、レイヴ。たまには愛想を振りまいてみたらどうだ。 ご婦人方は、お前の武勇伝を聞きたいということらしいぞ」 こういう席では話題の中心になり、女性を喜ばす言葉を巧みに操るシーヴァスではあるけれど、けしてこういう場が好きであるわけではないとレイヴは知っている。だから、彼が上機嫌なのが少し不思議だったのだが、深く考えることもなく彼の軽口に答えた。 「そんなご婦人方には貴様の武勇伝を語ってやるんだな。 私には語るようなことは何一つない」 「やれやれ、あいかわらずそっけないことだ。愛想笑いの一つもできれば お前だって女性に困ることなどないだろうにな」 「お前と一緒にするな」 レイヴの答えにシーヴァスが苦笑した。長い前髪をかきあげるその腕に、光を反射して輝くものを見つけてレイヴは意外そうな顔をした。 「珍しいな。お前はアクセサリーを贈るのが専門で、自分は身につけないものかと思っていたが」 シーヴァスはその言葉にふと手をとめ、腕輪をした手首をもう一方の手で握りしめる。 「先日、教会に行ってな・・・」 その言葉にレイヴが少し意外そうな顔をしてシーヴァスを見つめた。深く事情を聞いたことはないが、レイヴがシーヴァスと知り合って以来、一度も彼が教会へ足を運んだことなどなかったからだ。だが、シーヴァスはそこで言葉を切ると肩を竦めて苦笑しながら言った。 「まあ、お守りみたいなものなんだ。悪い夢を見ないための」 レイヴは不思議そうな顔をしたが、それ以上を深く追求しなかった。人それぞれに理由も事情もあろうというものだとそのときは思ったのだ。 気を取り直したようにシーヴァスがレイヴに向かって言う。 「それにしても、何をそんなに難しい顔をすることがあるんだ? この間の、軍事教練での事故の反省でもしているのか? お前も運が悪い、出来の悪い教え子ばかりではな」 シーヴァスが面白そうにそう言うのに、レイヴは向き直った。 「あれは、事故ではない・・・。あれは、俺やお前の領域の話だったんだぞ。 お前の話を聞いていなければ・・・天使と出会っていなければ、どうなっていたか考えもつかん」 ラダール湖での出来事を、レイヴは忘れようもなかった。自分以外の兵士たちはみな、何も覚えてはいないが。シーヴァスは、レイヴのその言葉に、そうか、と短く言うと視線を賑やかしいホールの人々へと転じた。 「この中の誰も、世界がどうなりつつあるかなど知らないのだろうな。 幸せな連中だ、そう思わないか」 「世界が滅ぶことも知らずに、無為に日々を過ごすことを幸せというのならな」 「そうではなくて・・・自分たちの住む世界が誰かに守られていることも知らずに 自分たちこそが、この世界の王であると信じられることが幸せだというのだ。」 「いずれにしても、愚かな幸せだな。お前はそんなものがうらやましいのか?」 「あいにくと、私はそういう幸せには退屈する性質なんでね」 だろうな、とレイヴは応じた。 「天使に選ばれうる、勇者の資質とは、何なのだろうな。」 レイヴのつぶやきに、シーヴァスは薄く笑った。 「さあな。別に知りたいとも思わんがね。 重要なのは、私も、お前もすでに天使に選ばれたということだ。 その理由など、今更考えても仕方がない」 「シーヴァス・・・先のラダール湖の件はな、俺には・・・俺がいたからあそこに魔物が出たとしか思えん」 「ははは、それはあり得るかもな、天使の勇者を屠ろうと敵も考えたかもしれん。 私も少しは気をつけよう」 「そうではなくて・・・」 レイヴの脳裏には、ラダール湖で最後に見かけた黒衣の青年の姿が浮かんだ。あれは。あの姿は。 「・・・・友を一人救うこともできなかった人間が、果たしてこの世界を救うことなど出来るのだろうかな・・・」 レイヴはそうつぶやいた。 「お前、まだそんなことを言っているのか、レイヴ。 そう思うなら、今からでも遅くはない、降りるんだな。」 「シーヴァス、では、お前は何のために戦う。この世界を救うためか? 自分がそれにふさわしい人間だと言えるのか?」 レイヴのその問いに、シーヴァスはしばし口をつぐんだ。そして、結局、レイヴのその問いには答えず、だが、レイヴの顔を挑むような目で見据えながらこう言った。 「お前の戦う理由が、贖罪のためでも、世界のためでも私は何も構わない。 だが、自信がなくて逃げ出すというなら、早く舞台を降りるんだな。 そして、もし、このまま戦い続けるというなら・・・・いいか、彼女を裏切るな」 静かな声色のわりには激しい言葉に、レイヴはシーヴァスの顔をまじまじと見つめた。シーヴァスは、レイヴの知っているシーヴァスという男は、こんな男だったか? こんなにも自らに課せられた使命にのめりこむような? レイヴはしかし、その違和感の原因にそのときには気が付かなかった。彼がそのことに気づくのは、『彼女を裏切るな』というシーヴァスの言葉が、深く胸に刺さる時を経て後のこととなる。 しかし、シーヴァスは、困惑したようなレイヴの表情に、にやりと人の悪い笑顔になると、冗談めかして 「なんてな、ま、お前みたいにくよくよ考えこんでも仕方のないことだろう。 眉間にしわを寄せるのも大概にして、少しは気楽に考えろ」 と言った。 「俺はお前とは違う」 あいかわらずのレイヴの答えにシーヴァスが声をあげて笑う。どこまで本気でどこまで冗談かわからないシーヴァスの態度に、レイヴがなおも何か言おうとしたそのとき、二人が語り合っているのを遠巻きに見ていた女性たちが、思い切ってなのだろう、声をかけてきた。 「お二人がこういう場でお揃いなんて珍しいですわね。 何のお話ですの?」 「シーヴァスさまは、ヴィンセルラス中佐と旧友でいらっしゃるとか、ご紹介していただけません?」 とたんに艶やかな人だかりが二人のまわりにできあがる。苦々しげな顔になってしまったレイヴにシーヴァスは苦笑するが、一通りの挨拶とともに簡単に女性たちをレイヴに紹介すると、彼はこの人嫌いの友人のために人だかりを連れてその場を離れたのだった。結局、その夜、それ以降レイヴとシーヴァスが話をする機会はなかった。 お互いに、その後、この夜、互いの話をもっとよく聞いておけばと思うこととなるとは、二人ともその時は思いもよらなかったのだった。 to be continued |