その知らせが入ってきたのは、ラダール湖での事件から1カ月ほどが過ぎたころだった。首都ヴォーラスにある国防総省。自分のオフィスに向かってエレベーターを降りたレイヴは、慌ただしい空気を感じ取った。案の定、すぐさま会議室へと呼び出される。 ただならぬ緊張感に、先日の出来事を重ね合わせながら、レイヴは会議室の扉を開けた。重い扉に隔たされた会議室は、幹部以上のものしか出入りを許可されない。入室にはIDが必要となる。もちろん、下士官たちも入室を許可される会議室もある。そうではなく、この会議室が利用されるというところに、何かただならぬことがあったとレイヴは感じていた。 正面の椅子に腰掛けて難しい顔をした長官は、メンバーが揃ったのを見計らって傍らの男を促す。 「もう一度、報告を」 立ち上がった男は、機械的な声で手にもった紙面を読み上げた。 「本日午前400時、ラダールの演習基地が攻撃されたとの報告が入った。 ただちに、駐在部隊が応戦したものの、被害が出ている。 敵は、自らを「死者の軍団」と名乗り、犯行声明を発している。」 ざわざわした空気が室内に満ちる。先だっての事故といい、失態続きといっていい有様に、怒りともつかぬ声があがる。だが、レイヴには、それがそんな単純なものであるとは思えなかった。 「死者の軍団なんて、テロ組織は今まで聞いたこともないぞ」 「第一、どうして攻撃を受けるまで活動がわからなかったんだ」 「被害の程度はどれほどなのだ。国民に対して不安を与えるような結果をもたらしてはならないぞ」 「被害の程度は機密とするべきだ」 「マスコミは抑えこむべきだろう、もう手は打ったのか」 口々に言い合う声を聞きながら、レイヴは「死者の軍団」というその名前にひっかかるものを覚えていた。そのレイヴの耳に、さらに続く報告が届く。 「犯行声明は、マスコミに対しては今のところ流されていない。 軍部に対してのみ、挑戦状のように送られてきたのみだ。 その内容はこうである。 『偽りの地位につく者に告ぐ。 汝は、死せる者の栄誉を簒奪し、自らの栄誉とした 恥ずべき者である。 死者の呪いの声を、その耳に聞くがいい。 裏切られたる者の憎しみを、その身に受けるがいい。』 彼らは、国家ではなく、軍に対しての憎しみで動いているように思われる。国境紛争以来、ファンガムとの和平は続いており、しかもファンガムとの国境地域ではない場所が攻撃されたことを考えても、これはファンガム人の仕業である可能性は低い。 むしろ、国境紛争で肉親を亡くしたようなヘブロン国内の人間である可能性が考えられる」 「少し聞きたいのだが・・・」 レイヴは、ざわついた人々の中で一人冷静にそう声をあげた。視線が集中する。 「・・・その声明文は、軍というより、その中の個人にあてたもののような気がするのだが。 複数ではなく、「汝」「恥ずべき者」など、単数なのが気になる。」 「では、ヴィンセルラス中佐は、軍内部の誰か個人への恨みがこのような事件をもたらしたと言うのかね? それはいったい、誰だというのだ?」 そう問われてレイヴは黙ったが、その声明が自分に対して差し出されたものなのではないかという思いは強くなっていた。死者の栄誉を簒奪し、今の地位についたのは自分だ。裏切り者なのは、自分だ。何もかもが、自分にあてはまるではないか? 結局のところ、「死者の軍団」を名乗る者に対してわかっていることは皆無に近く、次なる攻撃に備えると共にその動きをつかむため、にわかにレイヴも忙しくなったのだった。もちろん、任務である以上、懸命に取り組むのは当然ではあるが、あの、声明文は、自分自身にあてられたものではないのかという思いが、彼をそれ以上に事件にのめりこませることになった。 眠りを貪っていた夜明け前を急襲されたラダールの訓練基地は、無惨な姿をさらしていた。宿舎の壁は崩れ落ち、格納庫は燃え落ちている。セキュリティは万全のはずのこの基地へ、どうして彼らが攻撃をしかけることができたのか不明だった。彼らは、上空へ進入したわけでもなく、基地を囲む電流の通った塀を越えてきたわけでもなく、地下を進んできたわけでもない。進入の痕跡などどこにも見られないのだ。ただ、破壊された基地と、声明文だけが、彼らが実際にやってのけた事を示している。当夜の状況を聞いていたレイヴは、彼らが口を揃えていう言葉に自らの疑念を深くした。いわく 『奴らは、突然にまるで土の中から湧いて出たかのように現れた』 『奴らは、死ぬことを怖れていないようだった』 『奴らは、死んだ人間の顔をしている』 これは、軍の仕事ではない。天使と勇者のかかわるべき仕事なのだ。そして、レイヴ自身の。 しかし、天使の姿は現れなかった。勇者は一人ではないし、自分とシーヴァスだけでもないらしく、天使自身が二カ所に一度に姿を現すことができないらしいとうっすらと理解しているレイヴは、そういうこともあるのだろうと思ったが、実際に天使の力なしにこうした事件に関わることは初めてとなるため、多少の緊張と不安は隠せなかった。 軍の「死者の軍団」に対する捜査も進行せず、彼らがどこに身を潜めたかもいまだ霧の中だった。まさしく、彼らは土の中にでも消えてしまったかのようだ。焦りを隠せないレイヴだったが、そんなある夜、彼が待ちわびていた天使が現れた。 「・・・現れないかと思っていたが」 レイヴは久しぶりに見る天使の姿に今までの苛立ちを隠そうともせずにそう言った。天使は申し訳なさそうな顔をしてレイヴに向かって頭をさげる。 そうして、天使の手が空中に丸く円を描くとそこに淡い光の玉が生まれた。何度見ても、天使の奇跡というものは、慣れるものではないなとレイヴは妙に感心する。その光の玉は淡く輝いていたが、やがてその中心に色を宿し始めた。黒っぽく濁った色が中心から広がりはじめ、やがてそれがどろどろと流れるように動きだし、そして、緑、青、黒、白と色に別れはじめていく。見る間にそれはレイヴにとって見たことのある風景へと変わっていった。 「・・・・ここは・・・」 それは、かつての国境紛争の折りにレイヴたちが前線基地とした町、サルファだった。 始まりは、軍人としての出発点を記したラダールだった。そして、次は紛争の前線基地、サルファ。それは、偶然の所為とは思えなかった。だが、レイヴはそれについては天使に何も言わなかった。 「・・・死者の軍団はここに現れるというのか?」 レイヴは天使に短く尋ねる。天使がもたらしたものがそれ以外の事件のことだとは、思いもしなかった。そして、それは深く頷いた天使によって肯定される。 「・・・わかった、行こう。」 レイヴがそう応じると天使は、深く頭を下げてレイヴに礼をすると、その白い翼を広げた。 ヴィンセルラス中佐がまたもや、功を成したらしい。 足取りの追えぬ死者の軍団の存在をサルファに見つけたという報告はそんな噂を呼んだ。レイヴとしては自分一人で動いても良かったのだが、軍としてもこのグループを追っている以上、それを黙って独自に動くことはできなかった。そして、おそらく何があったとしても、何を見たとしても天使の力がそれを勇者ならざる人間の記憶から消してしまうであろうことは、先の出来事でわかっていたから、問題にしなかったのだ。それでも、人ならざる者との闘いとなると思えば、少数精鋭の部隊を組むことを求めた。 カノーアの地に向かう途中、レイヴはずっと考えていた。自分は確かに、軍人として死者の軍団という組織を壊滅させに行っている。そして、勇者として人ならざる者たちと闘うために向かっている。だが、レイヴ・ヴィンセルラスという個人として、闘うより確かめに向かっているのだと。もし、自分が考えている通りの結末がサルファに待っていたら、どうすればいいのか、それはレイヴにもわからなかった。 天使は姿を現さなかった。レイヴ以外の人間も同行しているがゆえかとも考えたが、レイヴ以外の人間には彼女の姿は見えるはずもないのだから、気にする必要もなさそうなものだ。しかし、レイヴは自分の側に、なんらかの存在を感じていた。それが姿を隠した天使かどうかはわからなかったが。 サルファの街は国境紛争の折には前線の街として、軍人たちが駐在した賑やかな街だった。今はかつての基地もがらんとした廃虚のようで、街も人の姿はほとんどない。戦争によって栄えていた街と思えば、今のこの様子は平和になった証拠なのかもしれない。軍用車で街に入ったレイヴは、街を覆う空気に不快なものを感じ取っていた。憎しみ、怒り、呪詛。黒く濁った人間の思いが寂れた街をよりうす寒く感じさせているようだった。 人影のない街をゆくレイヴたちの前に、歩いてくる一人の男の姿が見えた。特に変わったところの見えない男だったが、近付いてくるにつれレイヴは背中に泡立つものを感じた。すべるように進んでくる男。レイヴが銃に手をやったそのとき、男が立ち止まった。顔を上げた男はレイヴを見ると笑った。その口は赤く耳まで裂けていた。ラダールで倒したおぞましい化け物。それが人の姿になったように見えた。 『纂奪者よ、来るがいい。 お前の罪を償う場所へ、来るがいい』 その口から唸るような言葉が発せられる。レイヴが銃を抜いて男に発砲したとき、男の姿は消えた。 「どうしたんですか、ヴィンセルラス中佐」 驚いたように同乗していた部下がレイヴに向かって言う。どうやら男の姿はレイヴにしか見えていなかったらしい。なるほど、天使の使うような技を相手も使うということか。レイヴは銃をしまうと、廃虚となった基地へ向かうようにと指示をした。 閉鎖された基地の入り口は鎖がかけられていたが、さして役にたってはいないようだった。レイヴは車を降りて歩いて中へ向かう。かつて、この場所に人が集まっていたとき。確かにそれは命を賭けた戦いの最前線ではあったけれど、戻るべくもない懐かしい想い出に充たされた場所であった。友がいて、自らに誇りを持ち、未来は輝けるものだと信じて疑わなかった。それらはすべて今となっては、消え失せてしまった。そう、廃虚と化したこの基地そのもののように。 思いにふけるレイヴは建物に向かって歩いていたが、何かに引き戻されるような軽い衝撃を受けて立ち止まる。はっと気がついたとき、レイヴは自分たちが立つ地面が盛り上がりまるで石柱が生えるかのように聳え立つのを見た。レイヴの背後で惑い、慌てる部下たちの気配がする。落ち着けと言うのも下らない気がしてレイヴは天使から受け取った剣の柄を探った。土塊は人の姿に変わり、命を吹き込まれたかのように、レイヴたちに向かってくる。 「馬鹿な! お前、死んだはずだ」 部下の一人が恐怖に満ちた声で叫ぶのが聞こえた。『死者の軍団』それはそういうことなのだ。おそらく、これらの土人形は国境紛争で命を落とした兵士たちなのだろう。レイヴは剣の柄を握りしめると意識を集中する。白い光が柄から剣のように伸びるていく。 「銃を使うんだ、頭を狙え!」 果たして効果があるのかどうかも知れないが、レイヴはそう部下たちに向かって言った。そうして自分は剣を手に土塊どもをなぎ倒す。簡単にぼろぼろと崩れ落ちるが、切っても切っても手ごたえがない。そして、次々と現れるその土人形たちは、倒しても切りがないように思えた。 レイヴの目に、さきほど町の中で見た男の姿がうつった。男はやはりレイヴを見て蔑むような笑いを浮かべると建物の中へ消えていった。レイヴはその後を追い掛ける。襲いくる土人形たちは、建物の中に飛びこむと、追い掛けてこなくなった。外で繰り広げられているであろう闘いが嘘のようにひっそりとしていた。レイヴはゆっくりと足を進める。 「罪を償いに来たの? 裏切りを懺悔しにきたの?」 滲むようにじわりと空気が歪んで男がレイヴの前に現れた。レイヴはその男の姿をじっと見つめる。・・・違う。この男は違う。 「お前たちは、何だ?」 レイヴは男の問いに答えずそう言った。男はにやりと笑うと突然レイヴに襲い掛かった。 「!!」 避けるのが精一杯だったレイヴは床に膝をつく。肩に男の爪が食い込んだ。剣を握る手に力が入らない。 (しまった・・・) 天使の姿が見えない。どうやら今回は天使は別口へ向かったらしい。レイヴは舌打ちをする。このままでは苦戦しそうだと思ったそのとき、レイヴは自分の中にエネルギーが流れ込むのを感じた。天使の力と同じように、傷付いた肩が癒される。それが何かわからなかったが、天使の力とはもしかしたら、離れていても届くものなのかもしれない。レイヴは剣を握り直すと男に向かって攻撃を仕掛けた。男の動きは素早く、レイヴの動きを凌駕していた。剣が届くより早く男はとび退る。 「この世界は呪詛に満ちているんだ。 裏切りを重ねても生きていたいと願う弱くて醜い者だけが 栄誉を享受しているんだ。 こんな醜い世界は消えてしまえばいい!」 呪いの言葉が男の口からほとばしる。 「そんなことが許されるものか!」 「どうして? どうして。 知っているぞ、本当はお前だって思っているはずだ。 この世界にどんな価値があるというのか、疑っているだろう? 自分は裏切り者だと、誰よりも知っているはずだ」 男に向かっていこうとしたレイヴが一瞬その言葉を聞いて躊躇する。男は高らかに笑い声をあげるとレイヴに向かって飛びかかってきた。しかし、そのとき、男が何かに打たれたように床に倒れる。何もいないはずの空中を見上げて喚く。レイヴはその隙を逃さず、男に飛びかかった。床に倒れた男を押さえ込み、その首に剣をつきつける。 「・・・答えろ、お前たちは一体、何だ」 男はレイヴの目を見つめ返すと声をあげて笑った。その瞳はどこまでも暗く、生気はなかった。 「死者の軍団だ。そう言っただろう。 殺せばいい、だが俺たちはまた蘇る。 この地に無念の死を迎えた者たちの呪詛が満ちている限り 何度でも蘇るんだ」 「お前たちを蘇らせたのは、誰なんだ?」 「知りたいか、知りたいんだろう、ヴィンセルラス中佐。 国境紛争の英雄。偽りの英雄、裏切りで栄誉を得た纂奪者。 お前は知っているはずだ、知っているはずだぞ」 いやらしい声をたてて男は笑った。レイヴの剣を握りしめる手から力が抜けそうになる。 (・・・本当に、奴が・・・?) 一瞬の隙をついて男がレイヴの元から身体を逃れさせる。反射的にレイヴはその背に剣を閃かせた。倒れこむ男はしかし、無気味な笑い声をあげていた。 「何度死んでも、俺たちは蘇る。永遠の命を得たんだ。 死を迎える度に呪詛は大きくなる。呪詛が大きくなるほど、 俺たちの力は強くなるんだ! 見ているがいい、また会うことになるぞ ヴィンセルラス中佐! そのときまで、お前が生きていたらなあ」 やがてその笑い声にひゅーひゅーという空気が混じり、やがて男は動かなくなった。 立ち上がって男を見下ろしたレイヴは、人の気配を感じて顔をあげた。 建物の奥、天窓から射す光に足元を照らされて一人の男が立っていた。全身を黒い衣服で覆った男の顔は影になって見えない。だが、レイヴにはそれが誰かわかった。男は、何も言わず、きびすを返すと建物の奥に消えていった。 「待て!・・・・!」 レイヴは男を追い掛けようとしたが、そのとき、部下たちが建物の中に駆け込んできた。 「中佐! 御無事ですか!」 どうやら、レイヴが倒した男の死をもって、外の土人形たちも土に戻ったらしい。駆け寄ってくる部下たちの声もしかし、レイヴには届いていなかった。黒衣の男の消えた建物の奥を、レイヴはずっと見つめていた。 to be continued |