もうすぐクリスマス。憩いの場にもいつのまにかイベント会場ができていて、教会で、フレアが編み物をしている。それを入口でそっと見ていながら入ろうとはしないまま、見守るように見つめていた。ただ立ち寄っただけの一瞬に。 ふいに誰かに声をかけられて、無視するようにその場から離れるまで。 「何しか、忙しいっちゃね〜」 うしろで残念そうな声がした。聞き覚えがある言葉遣いに振り返ったときには、教会のなかにその姿が消えていた。フレアに声をかけるのだろうと肩をすくめて、キョウは苦笑した。任務が忙しくてというよりも、時間がただ惜しくて家に帰れない日々がつづいている。 フレアを見るのも、ずいぶんと久しぶりだった。誰もいない家に帰ってきて、窓からぼんやり外をながめた。こんなことをしている時間も惜しかったが、たまには、こんなときがあってもいい。ただ、ぼんやりと。 この感覚はよく知っている。この世界にいるのが、自分ただひとりなんじゃないかと思える瞬間がある。夢を見ているような。虚しさを含んだ静寂のなかで、自分の言葉や声がどこにも届かないような感覚にとらわれる。 あの、清らかな教会のなかへ足を踏み入れることができなかった。ひとつの情景を自分のために壊したくなくて、そのなかへ入ることができなかった。 教会と、静かな空間のなかで、編み物をしている白い天使。確かにそこにあるのに、自分とは隔たった世界にあるような気がした。 そのとき、その思考をとめるように、玄関のドアが音をたてた。 「あ、やっぱりキョウだ」 フレアが嬉しそうな声をあげる。息を弾ませて、紙袋を抱えたまま、ぱたぱたと、キョウの傍まで駆けてくる。 「イーリスがね、キョウのこと見かけたっていってたから。 慌てて帰ってきてみたの。来てくれたなら寄っていけばよかったのに。 イーリスもキョウと話したがってたよ」 「おかえり」 驚きをかくして微笑する。 「よかった。会えて。今夜はゆっくりできるの?」 「今夜は傍にいられるよ」 フレアが望んでいるであろう言葉を口にする。条件反射のように出てくる言葉に偽りはない。フレアも嬉しそうに笑う。 「これ、ね。イーリスがくれたの。そこに飾ってもいい?」 はしゃぐ声。手にしていたモノを窓のところに飾っている。手伝うように手をのばして、キョウは、それを不思議そうに見た。 「……これ、何?」 「クリスマスリースだよ。森にあるものでつくってくれたんだって」 「…………」 藁のかたまりに見える。飾られたそれを苦笑しながらながめた。 フレアが、にこっと笑った。 「もうすぐクリスマス、なんだね」 「……………」 その声に含まれる何かに気づいて、キョウはフレアに視線をもどした。フレアが、きょとんと、そんなキョウを見つめた。 「え、なに?」 「……何かあった?」 「え?ううん、何にも。何かあったように見えるかな」 焦ったように笑う。その笑顔のぎこちなさに気づいてしまう。何もなかったというより何かを思い出したといったほうが正しいのか。キョウは、フレアの肩に手をのばした。そうするのが当然のように。 「今夜は傍にいられるから。ゆっくり話を聞けるよ」 「……ありがと」 素直にうなずいて、キョウに寄りかかる。 「けど、わたしのほうがキョウに聞きたいこと、いっぱいあるんだよ」 「任務しているだけだから、話すことはないよ」 できるだけやさしく。そうすることでフレアが安心できるなら、と。キョウはそれだけを願っている。任務に出て離れてから尚更のこと。母親とはとても思えないフレアのことを何よりも大切にしたくて。 「去年の今ごろ、キョウは、わたしのお腹のなかにいたのに。もう、こんなに大きくなって、今こうして傍にいてくれる。なんだか、奇跡みたいね」 奇跡。 それは誰かの力によるもので、奇跡なんかじゃない。魔法を奇跡と呼ぶなら別だけれど。キョウは微笑して、肩にのせた手に力をこめた。小さな肩。背丈すら追い抜いて、フレアを守りたいと思うほどに強くなっていく魔力に、戸惑うことも、もうない。 眠りにおちる瞬間まで傍にいて。 「キョウ…?」 目覚めて傍にない姿を探す。任務に戻ったのかな?と心のなかでつぶやいて、ベッドのうえに置いたままの手編みのマフラーを手にとった。 「渡しそびれちゃったな」 ……思い出すのは、つらい想い出ばかりじゃないけれど。去年の今ごろ、キョウ、あなたのお父さんは眠りについたんだよ。フレアは、そっと言葉を呑みこんだ。 もういちど、と立ち寄ったイベント会場で。 キョウは、生まれてはじめての雪を、てのひらにのせた。微笑が浮かんだ。一瞬でとけていく雪の冷たさと儚さに微笑した。この世に生を受けてから8ヶ月。ここにこうしていることさえ奇跡かもしれない。成長の早さを「奇跡」と呼ぶのなら…… 教会のまえで足をとめた。 昨日と同じ場所で、編み物をしているフレアがいる。キョウは入ろうとして躊躇した。何故だろう。見えない力でも働いているように足がとまる。 「キョウ、久しぶりに会うの〜」 急に肩をおされた。その声に驚いて振り返った。 「教会に用があるんじゃったら、入ったらどうかよ?」 「……別に」 顔をそむけて帰ろうとすると、それをとどめるように大きな声でいった。 「フレア。キョウが来ておるのに気づかんかよ〜」 「え?あ、イーリス。キョウがいるのっ?」 ♪がついているような明るい声とともに、駆けるようにフレアが出てきてキョウを見つけた。 「キョウ。あのね、マフラー、渡したかったんだよ。 今朝、いつのまにかいなくなってるからびっくりしちゃった」 「気持ちよさそうに眠ってたから。…ありがとう」 フレアが肩にかけてくれるマフラーに、礼をいって微笑む。 「よかったのう。ぬくいじゃろ〜」 「……」 一瞥して、軽く頭を下げた。ほかに言葉は浮かばない。変わったやつだと思った。やたら声をかけてくる。会えると「嬉しい」とかいう。友だちだとかいって、寄ってくる。フレアと親しいから気になるだけだろう。この場所にはフレアの知り合いが多いから。 「キョウ…?」 心配そうなフレアに微笑みかけて、 「あたたかいよ。ありがとう」 ほんとうの気持ち。そしていつのまにか教会のなかへ足を踏み入れている自分がいる。勢いのままに。 「広場に行っておったかよ?頭に雪が積もっておるがよ〜」 ぽんぽんぽんと頭の雪を払っているのだか叩いているんだか、キョウはそれを振り払うように、イーリスから離れた。離れることで、また教会の奧へ足を踏み入れる。なかは思ったよりもあたたかくて、思ったよりも冷たくて。 「3人で会うのは、はじめてだね」 嬉しそうに笑うフレアがいる。ひとりではない世界が、そこにある。 「あとで広場で雪合戦するがよ〜」 にこにこ笑って、変わらず声をかけてくるイーリスに、キョウは呆れたような笑顔を向けた。こういうときがあってもいい。時間は惜しいけれど。 今だけ、時間がとまっているような気がするから。 END |