誰のためにもならぬものだから 忘れてしまえと声がする。 一人だけ楽になるつもりかと 声がする。 誰かこの心にとどめをさしてくれないか。 嘘を本当だとまだ言い張れる間に。 川辺に立ってイーリスは流れる水を見つめていた。水は寒い冬の間も凍ることなく流れていた。 行く川の水は戻らず。過ぎた時間も、戻ることはない。 後悔するよりもそのときに出来うることを、出来る限りしたいと思ってきた。それでも望む結果が訪れるわけではないのは、承知していた。 何かに執着することをずっと避けていた。手痛い失敗はもう二度と繰り返さない。好きなものも好きな人も、いずれは去るもの、いずれは消えるもの、いずれは思い出に変わるもの。流れ行く水に浮かぶ木の葉のように、目の前を通り過ぎていくもの。自分はそれをただ眺め居るものなのだと、そう思いつづけていた。それでいいのだと、ずっとそう思っていた。それが自分の在り方なのだと思っていた。 今も、その思いは変わらない。 変わらない。ただ。 流れ行くものを手元にとどめることの虚しさを知っていた。それなのに、今、流れ行く木の葉を自らの元にとどめたいと願う自分がいる。すくいあげたいと思う自分がいる。それは、困る。困る。 誰のために自分は今、何を望んでいるのだろう。 自分のために。自分の望むもののために。それだけではないのだろうか。 それは、間違っている。それは、間違っているのに。 何もかも迷うことばかりで。口にする言葉さえも後ろめたさに彩られる。 流れ行く木の葉は水のもの。流れ行く木の葉は木のもの。自分のものではない。 木の葉の望むままに、水の望むままに流してやるのが木の葉のためと。 だが、それさえも言い訳のように思えて。 流れ行く川の水をただ眺めている。 誰かに正しいと言ってほしいわけではない。誰かに救ってほしいわけではない。 ただ。ただ自分自身の心の淀みが後ろめたくて。 後ろめたい気持ちが臆病にさせる。 どんな言葉もどんな望みも。 誰かのために望んでいるのではない。自分の願いのためにあたかも誰かのためを思って言っているかのように。偽善と欺瞞に満ちている。 どんな言葉も、どんな行いも。すべてが間違っているようで。 迷っている。 けれど、迷い続けるその間も水は目の前を流れていき、時間はとうとうと流れていく。 ふと。川の水に浮かぶ一枚の木の葉がするりと水面を眺めるイーリスの元へと流れ寄り、川辺にひっかかって留まった。イーリスは手を伸ばし、そして一瞬迷うように手を止めたが、その木の葉を水の流れに戻した。するすると再び、木の葉は川の流れに乗って流されていった。 しばらくその後を目で追っていたイーリスは、しかし、その木の葉が視界から消えそうになったとき、ふいに立ち上がって川べりを追い掛けていった。けれど、川の流れは早くて。もう、イーリスにはその木の葉が流された先などわからなかった。 立ち止まったイーリスは、ふいに笑い出す。 どうしようと思ったのだろう。あの木の葉は望んで自分の元にやってきたのだと、だから手にしてもいいのだと、そう思いたかったのだろうか。どんな事象も現象も、意味付けをするのは自分の中でのことで。木の葉の気持ちなど、わかるはずもないのに。 わかっているのだ。どんな道を選んでも。後悔はつきまとう。 手許に留めても。それは自らのエゴなのだと思い続けるだろう。それを流れに戻しても、本当にそれで良かったのかと思い続けるだろう。 ならば自分は。それでも自分は。 選ぶしかないのだ。それが偽善でも欺瞞でも。エゴでも後ろめたさがつきまとっても。 流れ行く木の葉が、自ずと木の葉の望むままであるようにと。 それが、最初からの願いだった。だから。 それが偽善でも欺瞞でもエゴでも後ろめたさがつきまとっても。同じように望むだろう。 木の葉が、木の葉の望む場所へと流れ行けるようにと。 後悔がつきまとっても。痛みが伴っても。自分に迷うことがあっても。 それが嘘でも。 川辺に穴を掘ろう。そして、その穴に、小さな箱を埋めよう。その箱には何も入ってはいない。 目に見えるものは、何も入れない。けれど、確かに何かをその箱に入れて、そしてその穴に埋めてしまおう。大丈夫。まだ行ける。まだ。まだ、笑える。だから。大丈夫。 END |