二ノ姫が部屋に閉じこもって出てこない、という知らせを受けて、風早は師の元を早々に退出した。羽張彦に付き合わされて、今日も課題の補習をびっしりさせられていたので、ちょうど良いところだった。柊と羽張彦の『お前だけずるい』という視線もものともせず王宮にやってきた風早だが、もちろん心配なのは二ノ姫のことだ。昨日も実は姫と会えなかった。これというのも、やはり羽張彦のおかげなのだが。王宮へやってきて師の下で学ぶうちにできた気の合う友人とはいうものの、これは「悪友」という範疇になるだろう。気の良い人間であり、けして悪い者ではないが、いかんせん、二ノ姫との時間を邪魔されるのは迷惑千万極まりない。
「姫」
王宮の奥、誰もほとんど出入りしないところに二ノ姫の室はあった。金の髪と青い目、異形とされる二ノ姫を誰もが遠ざけ、人目につかぬところに追いやった。好奇の目や畏怖の目にさらされる中、姫自身も人の目に触れることを恐れるようになった。そんな二ノ姫につけられた従者が風早だ。最初は人見知りしたようだった姫も、今では風早を誰よりも信頼し懐いていた。だからこそ、今回、室に閉じこもり誰の呼びかけにも応えようとしないという姫を説得するのに風早が呼ばれたのだが。もちろん、姫の閉じこもった原因が風早にあるのではないかという推測もある。
「姫、ここをあけていただけませんか。俺です、風早です」
風早はもう一度扉を叩いて、そう中にいるであろう姫に呼びかけた。カタン、と室内で音がして、姫がいるらしいことがわかる。ほっとして風早はもう一度扉に向かって語りかける。
「姫、ここを開けてください。皆、心配していますよ。聞けば今朝からお食事も摂っていないそうではないですか。俺もちょうど昼ごはん前なんです、一緒に食べませんか」
音はしたものの、その後の応えはない。風早がそれでも辛抱強く待っていると、扉のすぐ向こうに居たのであろう、姫の声が存外近いところから聞こえた。
「……風早の、うそつき」

****************

「なっ、なにっ」
慌てたように千尋が振り向こうとするのを抑えて、風早は千尋の髪をそっと梳いた。
「お詫びに俺がまとめますよ」
「いっ、いいよ、自分でやるからっ」
千尋がなおも抵抗するのに風早は構わずに髪を丁寧に梳いていく。
「千尋がやっていたんじゃ、いつまでかかるかわかりません。遅刻させたりしたら俺まで千尋の担任の先生に怒られます。第一、何年か前までは俺がやってたんだから今更でしょう」
確かに、こちらの世界に来た後も中学生になってしばらくまでは風早が千尋の髪の手入れをしていたのだった。それくらいから恥ずかしいからといって千尋は自分で髪をまとめるようになったが。そうやって少しずつ自分の手から千尋が離れていく度に、その成長を感じほっとすると同時に寂しくも思ったり、残された時間を考えたりしたものだった。いつか来る日を思うからこそこの世界に来てからも一日一日が風早にとってはとても大切なものだった。
久しぶりに触れた千尋の髪は、幼い頃と変わらず柔らかく、風早に今は遠い豊葦原の王宮を思い出させた。いずれ運命がまた千尋をあの世界へ導くことがあるだろう。
「風早?」
丁寧に髪を梳く風早に千尋が訝しげに問いかける。時間がないと言いながらのんびりしているように思えたのだろう。風早は、はっと我に返ると千尋の髪を編み始めた。ずっと無言で少し身体を硬くしていた千尋が、やっと少し緩んで、そして笑い声を漏らした。

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