時の船 2

船に乗るのは、初めての経験だった。
もちろん、こんな大きな船を見たこともなかった。
アルバレアの誇る水軍の旗艦バハムート。
蒼流聖騎士団長が乗る船だ。
水軍の演習について行きたいと言ったのは、 船に乗って海に出てみたかったからだ。
『俺は、船の旅は好きだったな。なかなかに面白かった』
珍しく、饒舌だった彼のことが思い出されて。

聖乙女になったばかりの去年は、ギアールとの戦闘がくり返され、 忙しい日が続いた。
まだ慣れないこともあり、緊張の続く毎日だったが、 信頼できる聖騎士団長たちがアシャンを支えてくれた。
アルバレアの勝利に終わった戦いに、 聖乙女として、アルバレアの国民の期待と敬愛を裏切ることなく 勤めを果たすことができたと、少し気が楽になったことも確かだ。
聖乙女として勤める日々は、忙しくも充実していた。
けれど、心の奥に棘が刺さっている。
その棘が痛い。寂しい。哀しい。
そんな思いも忘れたくて、海を見たかった。

水軍の演習は、初めてのアシャンにとって、 大規模で珍しくもおもしろいものだった。
陸地での戦闘とは異なる指令系統と、高度な操舵術を求められる。
実際には、水軍どうしの戦闘は少ないものだったが、 統率されたアルバレアの水軍は、存在そのものが 他国にとっては畏怖の対象なのだ。
青い海原を進む優美な船の姿は、 その船に乗る人にふさわしいものに思えた。
風に髪をなぶられ、聖騎士のマントを翻し、 常には無口な彼が、的確な指事を部下に次々に下してゆく。
初めて、一緒に実戦訓練に出た時も、 戦場での彼とふだんの彼の違いに少し驚いたものだ。
そう思い、アシャンは誰にもわからないような 小さな微笑みをもらした。

演習の間、同じ船に乗っていながらも、 カインとは特に言葉をかわすことはなかった。
いや、聖乙女になって以来、報告と指示、 そんな事でしか言葉を交わしていない。
何かを期待していたわけではない。
だが、演習最後の夜、一人甲板で海を見つめるカインを見つけた時、 アシャンは思わず、その姿に近付いていた。
「何を、見ているのですか?」
そう、声をかけると、カインが驚いたように振り向いた。
だが、カインはアシャンの質問には答えず、
「・・・もう、遅い時間です。お休みにならないと」
と言った。いまだに、敬語で相手から話されることにアシャンは慣れない。
今も、彼の言葉に胸が痛む。
「質問の答えになってませんよ」
少し、怒ってみせる。
『そう、怒るな。悪気があったわけではない』
そんなふうに笑われたこともあった。でも、今は。
変わったのは、自分なのか、カインなのか。
カインが見つめていた海は暗く、昼の大らかで雄大な姿を微塵も感じさせない。
星のない夜の空のように、暗く、深く、そして吸い込まれるように美しい。
「・・・夜の海は、どこまでも闇が深いんですね。
 でも、恐いくらいに、きれい。」
この闇の向こうに、光はあるのだろうか。
カインが見つめていたものが何か知りたくて、 アシャンも遥かな沖を見つめる。
それが、この海ではなくて、彼の心の中の何かだとしても。
「演習は、いかがでしたか」
カインがそう、語りかけてきた。
そんなふうに、話し掛けられることがなかったので、 アシャンは、鼓動が早くなるのを感じた。
声が震えないように、気をつけながら、ゆっくりアシャンは答える。
「こんなことを言っては不謹慎かもしれませんが・・・ 楽しかったです。
 いつだったか・・・船での旅について、話してくださいましたね。
 あれ以来、私も、船に乗ってみたかったんですよ。」
夏の日、カインの好きな翔洋の岬で、あの時も、二人で海を見ていた。
いつか、一緒に連れていってください、と言ったら、 そうだな、そんな機会があればな、と答えてくれた。
どんなことにも、真面目に答えてくれた。嘘のつけない人だった。
「・・・そうでしたか?」
しかし、カインはそんなことも覚えていないように言う。
「あら、忘れてるんですか?」
そう、軽く答えながらも、アシャンは次の言葉を捜せずにいる。
傍らにいるはずのカインが、遠く感じられた。
胸の棘が痛い。寂しい。哀しい。
この棘を抜くことができるのは、傍らにいる彼だけだというのに。
それから、しばらく、二人だまったままで海を見つめていた。
こんなに近くにいるのに、こんなに遠い。
そう思うと切なくて。アシャンは小さくため息をつくとその場を離れた。
「もう、寝ますね。明日も早いんでしょうから、早く、お休みになってください」
部屋に帰ると、ベッドに入り目を閉じる。
だが、目を閉じた闇に見えるのは、孤独な闇に佇む彼の姿だった。






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