HURT<リュドラル編>

その日、天使の様子がいつもと少し違っていたのでリュドラルはちょっと気になっていたのだった。

「なあ、どうかしたのか? あんまり元気ないみたいだけど」
「そんなことありませんよ、大丈夫です。リュドラル」
しかし、もともと物静かな天使ではあったが、今日はその優しい瞳が憂いを含んで見えるのは明らかだった。
「水臭いな、そりゃ、俺じゃ頼りにならないかもしれないけれど、
 困ったことがあったら相談してくれたっていいだろう?
 俺は、天使と勇者っていうだけじゃなくて、
 君とはいい友人でもあると思っているんだぜ?」
リュドラルがそう言うと、天使は優しくほほ笑んだ。
「ありがとうございます、リュドラル。
 勇者がみな、あなたのように素直で優しければいいのですが」
そう言ってから、天使は慌てて付け加える。
「いえ、みな、勇者としての優れた資質を持っているのですが、
 中にはなかなか心を開いてくれない勇者もいるものですから。
 私の努力が足りないのでしょうけれど・・・」
「そんなことないさ。君は十分、よくやっているよ。
 君のことを信頼していなくちゃ、勇者になんてならないだろう?」
「そうですか? そうでしょうか、そう言ってもらえるとうれしいです。
 ありがとう、リュドラル。少し元気になりました。
 いけませんね、私があなたを気遣わなくてはならないというのに」
「だからさ、どっちがどうでもいいじゃないか。
 俺が困ってるときは、君が助けてくれるんだろ?
 それじゃ、君が困っていたら俺が助ける、それが当然だ。
 魔物を倒すってことだけじゃなくて、困ってることがあって
 俺が力になれるんだったら、なんでも言ってくれよ」
そうリュドラルは言った。天使が少し明るく笑ってくれたのがうれしかった。
やっぱり、友達が沈んでいるのを見てるだけなのはつらい。
そして、ちょっとした好奇心もあって、こう付け加えた。
「しかしさ、俺以外にも君に協力する勇者がいるんだよな。
 いったいどんな奴なんだろう。会ってみたいような気もするなあ。
 なあ、俺以外の勇者って、どんな奴なんだい?」
「そうですね、リュドラルのほかにも4人の勇者が闘っています。
 一人は、ヘブロンの貴族、シーヴァス・フォルクガング。
 彼は、私が初めて出会った勇者なのですよ。
 それから、ヴォーラスの騎士団長、レイヴ・ヴィンセルラス。
 彼はシーヴァスの友人でもあります。
 そしてファンガムの王女、アーシェ・ブレイダリク。
 それから、盗賊団ベイオウルフの首領のグリフィン。
 みな、なかなか個性的な勇者ばかりなのですよ。」
「な、なんか、結構すごい奴ばっかなんだなあ、騎士団長とかさ」
「リュドラルだって、すごい人ですよ」
「そうかなあ。で、さっきの4人の中でいったい、誰が君を困らせるんだい」
リュドラルがそう問うと、天使は少し困ったような顔をした。
「それは・・・・それはもういいでしょう。私が勝手にそう思うだけで、
 彼には悪意はないのだと思いますから。」
しかし、その天使の言葉から彼女を困らせているのは男なのらしいとリュドラルにはわかった。
『貴族だの、騎士だのって言ったって、こんないい奴を困らせるんじゃ大した奴じゃないよな』
リュドラルはそう思い、天使の肩を軽く叩いた。
「悪い、俺が立ち入ることじゃないかもな。ま、あんまり気にするなよ。
 そいつが君を困らせるんならさ、俺のところに仕事の依頼にくればいいさ。」

リュドラルが天使の願いを聞き入れて勇者になろうと思ったのは、 自分にもできるなにかがあるということを試してみたかったことと、 彼女がとても切実だったからだ。
それ以来、彼のもとへ時折訪れて仕事を依頼してゆく彼女は、 リュドラルを気遣い、ときには贈り物を用意し、彼を手助けしてくれた。
誠実な態度で彼に接してくれる彼女をいつかリュドラルは深く信頼するようになっていた。
だから、自分以外の勇者でそんな彼女を悩ます人間がいるというのは、 少し彼には信じられなかった。
あんなにいい人間(天使だが)はそういるものではない。
いったい彼女の何が気に入らないのだろう?

天使の訪れはいつも軽やかな翼のはばたく音が知らせてくれる。
その音がするとともに、彼女の姿がリュドラルの前に現れる。
その日も、リュドラルが食事をしようとしていたときに彼女が現れた。
「やあ、今から食事なんだけど、一緒に食べていかないか?
 一人だと、けっこう味気無いものだからね」
「ああ、ありがとうございます、リュドラル。
 でも、私は今は・・・・」
天使はリュドラルが何度誘っても、食事をとっていくことはなかった。
多分、天使の食事というのは人間とは少し違うものなのかもしれない。
「じゃあ、俺は食べるけど気にしないで。用事だったんだろ、何かあったのかい?」
リュドラルは自分の分の食事を皿に取りながら、天使に話しかける。
「え、ええ。話をしにきました。
 食事って、いいものですよね」
天使は、リュドラルが料理の乗った皿をもってテーブルに戻ってくるのを見ながらそう言った。
「へえ、天使さまでも、そう思うんだ。
 俺、天使さまなんてもっと味気無く食事を食べるものかと思っていたよ」
リュドラルは笑ってそう応えた。
「ふふ、そんな事はありませんよ。天使だって食事は楽しみます。
 それに、食事っていいものだっていうのは・・・
 食事のときは皆、楽しそうに嬉しそうにしているじゃないですか。
 いつもは素直じゃない人も、とても楽しそうに。
 そう思うと、食事って偉大だと思いませんか?」
「・・・それって、例の素直じゃない勇者のことかい?
 食事で機嫌がよくなるなんて結構単純なんだな、そいつって」
しかし、そう言ったとき天使が少し赤くなったような気がして、リュドラルは内心ちょっと驚いた。
天使が赤くなるなんて、そんな事があるんだろうか。
でも考えてみれば、彼女が赤くなったり、悩んだ顔をしたりと、 天使らしからぬ顔をするのは、その勇者のせいばかりだ。
俺だったら、いつも彼女を笑顔のままでいさせてやるのに。
そう、ふと考えてリュドラルは、自分のそんな思いに慌てた。
それを振り払うようにリュドラルは天使に言う。
「んで、ホントのところは、何を頼みにきたんだい?」
それを聞いて、天使は少し迷った様子をみせながらもリュドラルに言った。
「仕事を依頼しにきました。少し、今回は手ごわい相手かもしれませんが・・・」

自分の生まれ育った土地と遠く離れた場所までリュドラルは闘いにきていた。
天使に頼まれたからだ。
彼女の友人として、彼女の頼みをきいてやるのが自分のやれることだと思った。
しかし、その依頼を果たした今、さして高揚感のない自分に気づいたのだった。
敵を倒してその場を離れようとしたとき、彼に出会った。
急いでいた様子の彼は、燃え落ちた教会の前でしばらくたたずんでいた。
それで、彼が天使の言っていた勇者なのだとリュドラルには察しがついた。
「・・・あんた、シーヴァス・フォルクガングかい?」
リュドラルが遠慮がちにそう声をかけると、彼は振り向き、不審そうな目でリュドラルをねめつけた。
「いかにもそうだが。君はいったい誰だ?」
その尊大な口ぶりは、いかにも天使の言う通り素直さとは遠く離れた人格を表していた。
「俺は・・・俺はリュドラル。ルーチェに頼まれて、アドラメレクを倒したのは俺だ」
「君が・・・? こんな子供に倒されるとは、奴も口ほどにもないな」
シーヴァスはもう一度、教会を振り向いて眺めた。
「彼女、あんたにも仕事を依頼した?」
リュドラルはシーヴァスにそうたずねた。
「いいや。ただ、私は奴の噂を聞き付けて自らやってきたにすぎない。
 私自身の決着をつけるためにな」
「だろうな。だって、彼女、あんたに頼みたくなくて俺に頼んだんだもの」
そう言ってから、リュドラルはしまった、と思ったが、すでに遅かった。
「それは聞き捨てならないな。私では役に立たないということか。
 彼女の鈍感さにはまったく、ほとほと参るな」
その言葉につい、リュドラルはかっとなってしまった。
「そ、そんな言い方ってないだろ。彼女はあんたを心配してたんだぞ。
 俺はよく知らないけど、あんたと因縁のある野郎だったらしいじゃないかよ、アドラメレクってよ。
 でも、そのために却ってあんたが傷ついたりすんじゃないかって、心配してたんだ。
 だから、彼女は俺に頼んだんじゃないか。
 鈍感どころか、いつもいつも気を使って、いい奴だろ?
 なのに、なんでそんな事、言うんだよ」
しかし、シーヴァスはそんなリュドラルの言葉を軽く笑って受け流した。
「君は、彼女に惚れているのか? 天使に恋をしても救われることなどないぞ」
「だっ、だったらどうだっていうんだよ! あんたには関係ないだろ」
自分でそう言ってから、リュドラルは驚いた。
彼女を好きなのだろうか? 自分は。他の勇者を救うために頼まれた仕事だから、 今回の依頼がおもしろくなかったのだろうか?
「やれやれ、彼女も困った天使だな」
シーヴァスがため息をつく。
「あ、あんたはどうだっていうんだよ。
 お偉い貴族かなんだか知らないけど、いつだって彼女を困らせてたんだろ。
 悲しそうな顔をさせたりして、俺だったらそんな顔をさせたりしない。
 そのために、俺は戦ってるんだ。
 あんたみたいに、自分の退屈しのぎに遊びでやってる奴に言われたかない」
しかし、それに対してシーヴァスはそれまでのリュドラルを小馬鹿にしたような ふざけた態度を一変させ、厳しい視線を浴びせた。
「なるほど、まだまだ子供なんだな、君は。
 私とて、遊びに命をかけるほど人生に退屈をしているわけではない」
そう言うシーヴァスは、確かに死地をくぐってきた勇者だということを納得させられるような力を感じさせた。
それは、瞬時の殺気というようなものだったかもしれない。
リュドラルは少し驚いて、反射的に身を引く。
それを見て、シーヴァスはふと表情を緩め、笑った。
「確かに君が勇者だというのは本当らしい。
 だが、恋は知らぬ子供であるのも確かだな。
 君にいいことを教えてやろう。甘いだけの恋など、本当の恋とは呼ばんよ」
シーヴァスはそう言って、きびすを返して歩きだす。
「待てよ、ルーチェを、彼女を責めないでやれよ」
その背にリュドラルが叫ぶ。
「それは、私と彼女の問題だ。君には関係のないことだ」
そう、シーヴァスは答え、それから一度も振り向かずにその場を去っていった。
その台詞に、リュドラルは、彼女はいったいシーヴァスの前ではどんななのかと考えずにはいられなかった。
自分の前では、おとなしくもしっかりした、いつもリュドラルを導こうとする天使だった。
彼女を傷つけることも、悩ますことも、リュドラルにはできなかった。
あいつの前では、彼女は傷ついたり、悩まされたりしたのだ。
それが、悔しいと今、リュドラルは思った。
君は子供だ、と言われたことが、その思いに重なった。

その後、何度か天使から仕事を依頼されることがあったが、 彼女の口から他の勇者の話をきくことはなかった。
リュドラルも、あえて聞こうとは思わなかった。あるいは、聞くのがこわかったのかもしれない。
そして、同様に、彼女に自分の気持ちを打ち明けようとは思わなかった。
なんとなく、シーヴァスと会って、わかってしまったことがあったからだ。
最後の堕天使との戦いは、リュドラルではない勇者が出掛けていったらしい。
最後に天使に会ったのは、その後のことだった。
「リュドラル、長い間、ご苦労様でした。本当にありがとうございました。
 あなたたちのおかげで、この世界は救われたのです」
「いや、君こそ、長い間大変だったろ。よかったな、本当に。
 ・・・・で、これから、どうするんだい、君は」
リュドラルは、そう尋ねた。
「ええ・・・・実は、人間として下界に留まろうと思っています。
 ですから、また、リュドラルと会うこともあるかもしれませんね」
にっこりと笑って、天使はそう答えた。
誰のところへ、と聞こうと一瞬思ったリュドラルは、聞かなくてもわかったような気がして、その問いを口にしなかった。
「そうか・・・。おめでとうって、言っていいんだろうな。
 ま、もしさ、また困ったことがあったら、俺を頼ってきなよ。
 モンスター退治に限らずさ、俺に力になれることがあったら、言ってくれよな。
 ・・・・俺は、君のこと、大切な友人だって思っているからな」
そう言ったときの、天使の笑顔をリュドラルは一生忘れない、と思った。
甘いだけの恋など、本当の恋とは言わない。
彼女が帰った後、一人になってからリュドラルはシーヴァスの言葉を思い返し、その意味を知ったのだった。






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