HURT<シーヴァス編/1>

初めて彼女を見たとき、魔物かと思った。
その理由は、人ならぬ美しい姿をしていたからだ。
目を奪われた。魂を奪いにくる魔物の美しさはこのようなものかと思った。
しかし、彼女は自分は天使だと言った。
私に勇者になってほしいと言ったのだ。

もちろん、彼女の言葉をすべてそのとき信じたわけではない。
では、なぜ勇者になることを引き受けたのか。
暇を持て余し、退屈だったからだ。
いいかげん、私は何の変化もない退屈な日常には飽き飽きしていたのだ。
仕事を依頼しにくる以外にも彼女は時々私の様子を伺いにきた。
たあいのない会話をしにきては、帰って行く。
私の時間は、いつの間にか彼女にいやおうなしに奪われていた。
彼女は、世間知らずで純粋で、汚れをしらぬまさに天使だった。
勇者としての私を導くことを自分の使命と信じ、 悪意もなく、ときとして私の心に踏み込んできた。
私はもちろん、退屈な日常には飽き飽きしていたが、 たとえそれが天使であろうと、美しい女性であろうと 私自身の中にまで踏み込まれるのは大いに迷惑だった。
だから、私は彼女の訪問に対しては随分と冷たい態度をとっただろう。
しかし、それでも彼女は変わることなく、一生懸命にそれを自身の務めと信じて、 いつも私の元へと現れた。
今まで、私は多くの貴婦人と語らってきたが、 彼女のような人間と出会ったことはない。それが、天使たる所以であろうが。
私は少し勇者になったことを少し後悔してもいた。
私の生活への遠慮ない侵食の他に、 彼女の姿は私にあるものを思い出させることにもなったからだ。
仕事を放棄して、母の絵を見に行ったのはそのせいだったかもしれない。
最早、忘れたはずの母は、今も絵の中でほほ笑みを浮かべている。
この絵と対峙している時間だけは、誰にも見せたことのない 私の一人だけのものだった。
しかし、私は、そのとき背後に彼女の気配を感じ取っていた。
だが、私は何も言わなかった。彼女もまた、私に語りかけようとはしなかった。
そのときに限って、私は彼女がいるということが気にならなかった。
むしろ、不思議な安心感さえ覚えていた。
いつのまにか、私はいつも誠実な彼女を信頼し始めていたのかもしれない。

しかし、私はそうと自分で認めることができなかった。
私は誰にも自分自身を見せたいとは思ってはいなかった。
もし、相手が私に、優しくも都合のいい恋の相手を求めるのなら、そう振る舞うだろう。
天使が私に勇者であれと望むなら、勇者らしく振る舞うだろう。
だが、彼女は私に勇者であることを望む以上に、 彼女に心を開いてほしいと望んでいた。
今だから私もそうと言えるが、私もまた、彼女に自分を理解してほしいと望んでいたのかもしれない。
けれども、それを認めるには私は臆病だった。
だから私のしたことといえば、子供のように彼女に冷たく振る舞うことだけだった。
だが、私が彼女を遠ざけようと冷たい態度をいくらとっても、 それは彼女を傷つけはしなかった。
彼女はそんなことではけして傷ついたりはしなかった。
だから、私は本当に彼女を、彼女の心を傷つけたとき、とてもうろたえた。
それは、私にとっては軽い冗談のつもりだったのだ。
純粋で恋も知らぬげな彼女を私は軽い気持ちで口説いた。
天使というものが女性としてどんなものか試してみたいという興味もあったが、 本気というには程遠いものであったには違いない。
だが、目を見開いて私を驚いた顔で見つめる彼女の瞳をじっと見ていると、 私は自分の言葉が嘘なのか本気なのかわからなくなってきた。
彼女の瞳に引きこまれる自分を感じていた。
だから、それ以上我慢できずに、さっさと彼女にこれは冗談だとばらした。
だが、その時の彼女は、それまでと違ってひどく傷ついた顔をした。
涙を見せることはなかったが、それでも泣かれた方がましという事もあるものだ。
彼女のその姿は、私の胸に深く深く刺さった。そう、まるで心臓に届くかのように。
その後、それまで頻繁だった彼女の訪問がぱったりとやんだ。
私は、気が付けば彼女の事を考え、彼女の訪問を待っていた。
庭の木々に鳥の舞い降りる音に彼女の訪問かと振り向き、 あるいは、貴婦人に恋をささやくと、彼女のあの傷ついた顔が目にちらついた。
後味の悪い別れ方をしたせいだと考えた私は、 屋敷のワインセラーからとっておきのワインを出してくると、天使を呼んだ。
彼女がもし、私に対してなおも怒りを抱いているなら、この呼び出しに彼女は応じないだろう。
それも一つの賭けのつもりだった。だが、彼女は私の元にやってきた。
それだけで、まず、私は少しほっとした。
「どうかしましたか? 何か悩み事でも?」
彼女は、いつもと変わらぬげに私に向かってそう言った。
「これを君に。少し、いいものが手に入ったのでね」
私は用意したワインを彼女に手渡した。
受け取ってもらえないかとも思っていたが、彼女は快く受け取ってくれた。
「ありがとうございます、シーヴァス。大切にしますね」
彼女はそう言ってほほ笑んだ。少し、私は救われた。
彼女を傷つけたことを帳消しにできたとは、思ってはいなかったが 彼女にそのことを謝るほどには、まだ私も大人になりきれてはいなかった。

勇者として戦ううちに、私は自分の両親の死についての事実を知ることになった。
もし、両親が今も生きていたならば。
もし、という選択はすぎてしまった過去については意味のないことではあるが、 それでも、考えずにはいられないときもある。
私はけして不幸な子供ではなかった。愛された子供だった。
私は今の自分を不幸だとは思わない。
両親が生きていたとしても、いずれ私はフォルクガングの家を継ぐことになっていただろう。
しかし、愛する者を奪われた痛みは今も消えることはなく、 私は、心のどこかにいまだ傷ついたままの子供の自分を隠していた。
それが、あらがうことのできない運命というものと思えばこそ、 私は仕方のないものと、両親を失った痛みも悲しみも忘れようとしていた。
だが、それが、意図的なものだとわかったとき。
その痛みと悲しみは、怒りに変わった。
アドラメレク。私の幸せな記憶を炎の忌まわしい記憶に塗り替えた者。
私はけして、許すことなどできないだろう。
奴だけは、私自身の手で倒す。
私が、私の中の傷ついた子供を解放するために。
だが。
私はアドラメレクを倒すことができなかった。
私が奴の元へたどり着いたときには、もう奴は他の勇者によって倒された後だった。
勇者になって、初めて自ら倒すことを望んだ相手だった。
まるで、やっと見つけた目標を失ったかのように、 母の絵とともに焼け落ちてしまった教会の前で私は呆然と佇んでいた。
「・・・あんた、シーヴァス・フォルクガングかい?」
そう、声をかけられたのはそのときだ。






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