さくらさくら。


BY. ただすけ   2000.AUGUST.





 穏やかな日差し、閑静な室内。
御門は無言でやや小さめの液晶端末に視線を落としていた。
静かに思える今のこの時も、闇の存在が生む事件の片鱗をその画面はリアルタイムに報じている。


「また…波乱の予感がしますね」
 ゆっくりと顔を上げ、外の景色を見やる。世俗から切り離されたようなその景色は、御門のその言葉とは裏腹に現世のものとは思えぬほどうららかで…目の前を薄桃色の花弁が一枚、ひらりと空を舞った。
「芙蓉、そろそろ支度をしておきなさい」
「御意」
 脇で控えていた芙蓉が音もなく立ち上がる。
御門は来るべきその時に備え、手元の携帯端末の画面をぱたりと閉じた。
「……」
 ひらり、ひらりと舞い散る花弁。
 緩慢に見える日常の陰にいつでもピリピリしたものを感じずにはいられない。
今こそが自分の存在の、持っている力の意味と真価を問われる時なのだろうと思わずにはいられない。
 悲観しているわけではない。己が立場に重責を感じているわけでもない。
ただなんと言うのだろう?

『何かが足りない、ナニかが足りない。』


「…そう、思ってしまうのですよ」
「ふ―――――…ん」
 珍しく殊勝な態度で自らの内を語る御門の背に、夜麻はきっちり正座をしたまま静かに相槌を打った。
「でもね」
 ふっ…と小さく客人の少女は笑いをもらす。
「今私が聞きたいのは、そういったことじゃないと思うんだけどな?」
「そんなことはありませんよ。個人的な認識で全てを断定するのは性急でしょう」
 きわめて尊大に夜麻のほうへ振り返ると、御門は大仰にため息をついた。
「毎度の事ながら貴方は随分といきなりですね。アポイントもなしに私に目通りなど、普通できるものではないのですよ?」
 う―――っ、と声をあげ、夜麻は携帯電話を御門に向かって突き付けた。
「なに言ってるのよ!御門くんがこんなモノ送りつけてくるからじゃないの!」
 自宅に電話を引かない彼女にとって唯一無二の通信手段。昨今の携帯電話は機能的に随分と充実しているので、これで充分事足りる。
それよりなにより、家庭用設置電話にはない便利な機能がコレには標準装備されているのがいいところなのだ。



 『夜麻さん、貴方に是非お教えしたい事があり、通信します。』


 御門 晴明 18歳。陰陽師の家系に生まれ、東方に散る陰陽師を束ねる御門家第八十八代当主。
政界の大物と精通してたり、紙から生き物を作ってみたり、なんだか「雲の上の人」ちっくな御仁とお知り合いになる機会があってよりはや数日。

(…なんだろう?こんな時に)
 時刻は朝の10時、ちょうど2時限目の真っ只中である。
夜麻はスカートのポケット内に振動を感じ、携帯を取り出す。そして教師の目を盗むと教科書の陰に隠して受信メールの操作をした。
 送信相手は御門から。稀代の陰陽師様はデジタル機器の扱いにも案外長けていらっしゃる。

『&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&』

(?)
 スクロールした画面からはわけのわからない羅列の怪文書。いやいや御門のことだ、なにか深い意味を持たせた暗号かなにかなのかもしれない。
 もっとよく見ようと夜麻は小さな液晶画面に顔を近づけた。その瞬間

『集団体育座り』

「ぶはっ!」
 数行の改行の後にいきなり出てきた破壊力満点のくだらないオチに思わず脱力気味な声をあげた。
「べ、ベッタベタの文字ギャグ…」
 でも笑いのツボというのは案外シンプルなものにこそ反応するものであり、しかも「御門が」コレを送ってよこしたところに高いポイント点がある。
「ああ〜、そういえば見えないこともナイナイ」
 ぷくく…と笑いを堪えながらもう一度スクロールを戻してみたりする。
「緋勇」
 がしゃん。
 いきなり横から声をかけられ、手から携帯を取り落とした。
「…随分と楽しそうだな?」
 ゆっくり、そして恐る恐る夜麻は横にいる男を仰ぎ見た。
「せ、先生………?」
 前々から思っていたが、こうも気配を感じさせないこの生物教師は絶対ただ者ではない。
「いつバレた!?」という点は一連の感想が迂闊にも声に出ちゃってたあたりの事実から不問にするけど。


「ひどいわよね…あの先生、ふざけてる生徒が何人かいてもとりあえず最初に私の注意をするのよ?
きっと私目をつけられてるのよ…狙われてるのよ、スキあらば辱めてやろうと目論んでるのよ、絶対そうよっ」
 あああ〜!と頭を抱えて的外れな悶絶する。いったい普段からどれほどの注意をこの人はうけているんだろう。
「知りませんよそんな事」
 はあ?なに言っんの。とばかりに御門は夜麻の上告を冷ややかに却下した。
「それがどうして私の所為になるのです?
 どんな時間にアレを見て、それについてどう思おうとも全ては貴方の心次第でしょう。
 私は軽い気持ちでお送りした、ただそれだけではないですか」
「うっ」
 実に見事な正論に夜麻は言葉を詰まらせた。確かに授業が終わってから中身を見て、京一たちと一緒にでも
「くっだらな〜!」と笑ってればそれで終わっていた話なのだ。
いや、でも、でもよ?今私たちの置かれている立場の事情が事情なだけに、ひょっっとしたら火急のピンチとかかもしれなかったじゃないの。そうしたら笑い話なんかじゃ済まなかったわけだし?
「いや、でもね……!」
「夜麻さん」
 扇を口元にあて、失念したように御門が口を開いた。
「私は…貴方が自己の精神の安寧の為に他人の言動にまでも介入して、
 尚且つそれを制限しようとなさるような利己的な人間だとは思いもよりませんでしたよ」
「―――」
 夜麻は御門に指を突き付けたままぴしり、と凍りついた。頭の中でヒヨコがぴーよぴーよと走り回っている。
(…か、勝てない…………)
 そしてそのままがっくりと両手をつく。
(それじゃなに?まるっきり私に非があるわけ??あああ、言い返したいけど今の言葉にうまく対応できない自分のアホさ加減が恨めしい…!)
 勝ち誇られる陰陽師様の横で、器様は口惜しげに手をついた畳にどすどす拳をくらわせた。
「まあ、それはさておき」
 さておきじゃない。
「今日はたまたま都合良く用事もありません。せっかくおいでくださったのですし、お茶くらいは出しますよ?」
「…いえ、もうそろそろおいとまを…」
「どうぞ」
 敗北感に打ちひしがれ、一刻も早く退却したい夜麻の横に芙蓉は暖めたカップを置いた。
そして赤い砂の入った砂時計、銀の茶漉し、ミルクや薔薇のジャムなどを手際良く台の上に並べていく。
みるみる台いっぱいになっていく「急なお客様にお出しするお茶」に夜麻は正直呆然とした。なんていうかもう、レベルとスケールが違いすぎる。
「あの、御門くんの家ではいつもこんな…?」
「時と場合と相手によりけりですね。普段ならば客間でお茶などはお出しするものですし?」
 そうです。感情に任せて直接部屋にのりこんでいった直情人間は私です。けれどたびたびやるせいか、今では止める人もいません。
「冷めませんうちに」
「あ、ありがとう…」
 芙蓉に促されるまま夜麻は紅茶の入ったカップを思わず手に取った。なんかうまくはぐらかされたというか、奸計にはまっているというか、そんな気がしないでもなかったがお茶とお菓子と芙蓉さんに罪はない。
(キレイな色)
 手もとのカップを見下ろしながらぼんやりそんなことを思う。あんまり高尚な知識なんて持ち合わせてはいないけれど、華美すぎないこのカップもすごくいい香りのするこのお茶もきっととても良い品なのに違いない。
(きっとアレよね、『英国王室御用達』の紅茶とか買ってるんだろうなあ。そこになにげに置いてあるチョコレートも『ベルギー王室御用達』かなにかなのよ、きっと)
 うんうん、と夢見ごこちで下世話なことを考える。
「おいしいですか?」
「うん、もうとっても…」
 機嫌良くシャルロットポワールにフォークを入れながら笑顔で顔を上げ、その後はっ!と我に返った。
「―――――」
「……………」
 無言でくすりと笑う御門に、無言でだらだらと汗を流す夜麻。
 か…かっこ悪い……。いったい何をしに来たんだ、私は。
「おいしいなあ!うん、もう全部もらっちゃうよ?」
 ウフフフフ〜!とカラ笑いしながらひょいぱくひょいぱくとお菓子を口に放りこんだ。わずかな自尊心を支えにグランドキャニオンに小指1本でぶら下がっている気分だ。
「本当に貴方は面白いですねえ。最初はそんな方だとは思いませんでしたが」
 むっ、と御門のその言葉に夜麻は眉を寄せる。
「な、なによ、そう言うなら御門くんだってね」
 口にクリ−ムをつけたまま切り返すように軽く両手を上げた。
「和風テイストな生活を送っているのかと思いきや紅茶にケーキにEメール?なーんか、イメージと違ってたっていうか?」
 勝手なイメージ先行も甚だしいが、夜麻としては「言ってやったわよ、ふふん」みたいな感じで言葉を続ける。ちょっと如月の生活に影響受け過ぎだ。
「花の枝にでも手紙くくって持ってきてくれるほうがそれっぽい、っていうのかな。
 それに案外くだらないネタを考えてたんだな…っての?」
 矢のように相手に毒づきながら、今度は負けじと対応できたね、と自分を誉めて再びケーキに手を伸ばした。が、晴明様の対応の方が短いながらも威力があって、
「花の枝に?…なんですか、夜麻さんは私に恋文でも送ってよこせと言ってるのですか」
 がちゃん。手から落ちた銀細工のフォークが派手な音をたてる。
「お行儀が悪いですね」
「…こ、ここ…こい…??」
 私はひょっとして、またバカなことを軽はずみに口にしたのだろうか。
「お望みでしたらしたためますよ?」
「いやっ、いい!」
 誰が?誰に?まさか私にじゃないわよね?
「ああ、そうそう」
 ぱちんと音をさせて開いていた扇を折りたたんだ。
「今日お送りしたものも…ただ考えなしに送ったわけではありません」
「え」
 一見くだらない冗談めかした短いメール…。やはりここにはなにか深い考えが…?
「なにか、目的があったの?」
 夜麻は御門に向かってきちんと座り直した。自分に宛ててなにか意味のあることを送ってきたというのなら、それがなんなのかちゃんと聞いておかねばならない。無下にがなりたてたことも場合によっては謝らなくてはならない。
「ええ」
 御門は考えを巡らすように目を細めた。そして淡々と話し始める。
「貴方のことです、多分届いたと同時に御覧になるだろうと本当はわかっていました」
「うん」
「そして簡潔でくだらない内容の方が逆に興味を引くだろうと予想もついていました」
「……は?」
 ちょっと待って、なんだか話が妙な方向に。
「そして送る時間ですが、10時ならば遅刻からも早退からも免れている絶妙の時間だろうと考えたのです」
 なんだかいやーな予感が胸中をよぎった。
「―――あの、で…そのココロは?」
 ぱん!と扇を再び広げると、口元にかざして花弁の舞い散る窓の外に遠い視線を御門は投げる。
「――――今頃……夜麻さんは困っていることでしょうね…と」
「愉快犯―――!!」
 テーブルをひっくり返したくなった気持ちを必死で押さえ、とんでもなく邪悪な男に夜麻は声高に一喝した。
い、意味なんてまったくないじゃないの…!
「いいじゃありませんか、日々の雑事に追われていると一時の清涼感を得たい時があるのです」
「ウサ晴らしだったらもっと健全なことでやってくださいな…!(怒)」
 黙って聞いてればいけしゃあしゃあと。普通は思ってても口には出せないでしょう。
「不健全ですか?」
「健全ですか?」
 夜麻は御門に顔を突き合わせて、頭痛を覚えながら返答してのけた。
マサキさん…この人は実に素直にまっすぐ歪んでおられです。

「ですが考えを巡らせて…あれこれと想像するのは楽しいでしょう?」
 悪びれた様子もなく御門はそう言うと、男にしては華奢な腕を前に伸ばした。
「自分の行ったことで相手がどのような行動を起こすのか…それを考えると愉快でしょう?」
 御門の指が頬に触れた途端、夜麻の体が小さく跳ねた。険しくなっていた表情が緩み、驚きの色が浮かぶ。
「? あの、ちょっと……?」

「ましてやそれが…自分の想う人であるのなら」

 耳を疑いそうなその告白に、夜麻は元々大きな目を限界近くまで見開いた。
凍りついたかのようなこの時に…舞う薄桃色の花だけが時のその流れを密やかに主張していた。
「私、は…」
 頬にあてられた指が滑り、小さく開きかけた唇に触れる。
「なんですか?」
「…私は―――…」
 苦しそうに目を細めると、夜麻は自分に触れる御門の手をそっと取った。そして――――

 がぶ。
「は、は、晴明様っ!?」
 今まで無表情で静観していた芙蓉が夜麻のとった行動に珍しく声をあげた。
「そこまで甘くないっての」
 駆け寄る芙蓉と入れ替えに、夜麻は御門の傍から素早く退避した。
「夜麻さん、貴方…」
 意図のわかりにくい笑みを薄く浮かべ、御門は歯型のついた指を軽く振った。
「わかってる、わかってるのよ!
 ここで私が動揺でもしようものならさらに笑ってやろうって魂胆なんでしょ!?」
 は? 部屋の隅に逃げ込みながらそう言う夜麻に、御門は宇宙語でも聞くかのような不思議な顔をした。
「いくら私がバカでも単純でも、『そんなありえない嘘』に引っかかるほど人生ナメちゃないんだからね!」
 びしりと指を突き付け、夜麻は危ない危ないと激しく頭を振る。
「…私の言ったことが嘘だと、そう仰るのですか?」
「あ、なに?この後に及んでまだ言うか?」
 芙蓉は2人の間に立っておろおろと困惑した。本来なら主に仇なす者ならば奥義でもって瞬殺しているところだが、相手が相手なうえに自分にはイマイチ事情がのみこめていない。
「じゃ!暗くなってきたしそゆことで。ご馳走様でしたっ」
 しゅた!っと右手を上げると夜麻は鞄を抱え、足早に部屋を後にする。なにがそういうことなのかは知らないが、ここに長居するのは分が悪いと直感したらしい。
「――――晴明様…」
 嵐の去った後に芙蓉はおずおずと主の次の言葉を待った。
『想い人』、と称した方からあのような処遇を受けて…いったいいかような気持ちでいらっしゃるのでしょう?
「芙蓉」
「はっ…」
 御門は彼女の去った後の空間を見つめ、静かに無口な付き人に言葉を投げかけた。
「お前は人生で最も愉快なことがなんなのか…知っていますか?」
「いえ…無粋ながら私は人ではありませんゆえ…」
 芙蓉は御門の顔を見上げ、思わず我が目を疑った。そう問う御門の顔は確かに笑っていたのだ。
「それは、自分の思い通りにならないことです」
 それでこそ、ですね。と笑う御門に芙蓉はなんだか主としてのもの以上の畏怖を感じた。
やはり人間というものはわからない…と複雑怪奇な人の心というものに改めて思いを馳せるのだった。


 嘘つきな狼少年。本当のことを言ってももはや信じてもらえない。
 嘘つきな狼少年。最後は乱暴な狼に無残に噛みつかれてしまいました。

 でも少年が最後には本当のことを本当に言ったのかどうか。それは、誰にもわからない。



Copyright(c) ただすけ All rights reserved





メニュー メニュー メニュー メニュー