夜半の月




 結局、寝付けなくなってしまった景時は諦めて床を起きあがった。
 普段は考えないようにしていることを、ふとしたきっかけで考え始めてしまうと身動きが取れなくなってしまう。敦盛との会話もその類で、鎌倉のことをぐるぐると考えてしまい眠れなくなってしまったのだ。 (……最近、こういうこと増えてる気がするなあ)
はあ、と息を吐いて暗闇にじっと目を凝らす。何故そんなことが増えているのかは自明のことだった。戦が進むにつれて考えることが増えていくのは当たり前で、その上、白龍の神子や八葉や敦盛や、思いもよらない事態が起こりつつある現状では、何も考えないでいられるわけもない。何事もなく戦が終わって欲しいという祈りにも似た気持ちが強くなるばかりだ。それが、平家によって痛手を受けるということではなく、鎌倉から何事も言われることなく終わればいいという気持ちの方が強いのは、なんだか可笑しいが。
(……オレにとっては、平家よりも頼朝様の方が脅威だってこと、なんだろうなあ)
自分が大切に思うものを失うことがあるとすれば、それは平家によってではなくきっと鎌倉によってだと感じる。それでも、自分が大切に思うものは源氏の中に今はあって、だから、失うことを怖れつつも今、ここで出来ることをするしかない。
(あー駄目だ。水でも飲んでこようかな)
またもや出口のない思考に陥りそうな自分を押しとどめ、景時は床から立ち上がって部屋の戸を開けた。月の明かりがほのかに影を作る。戦場でのざわついた夜と違い、京の夜はとても静かだ。
 庭に降りて井戸へ向かう。ふと何か胸に浮かぶものがあって、三草山に出陣する前の晩に望美と会った庭の奥を見遣った。
(!!)
覚えのある白い影がやはりそこに見えて、慌てて景時はそちらへ向かう。
「望美……ちゃん?」
声をかけると、やはり望美が顔を上げた。
「あ、やっぱり、見つかっちゃった」
にこり、と笑って景時を見つめる。
「み、見つかっちゃったって……オレ、たまたま目が冴えて眠れなかったから、庭に出たけどさ……」
困った顔で諭すようにそう言いながら、景時は望美の傍らへ歩み寄ると隣にそっと腰を降ろした。
「んー……でも、なぜかな。景時さんだったら気付いて見つけてくれるような気がしたんです」
「……それって、神子の勘?」
三草山でのことを思い出して、ふと景時は訪ねてみる。すると望美は少し笑って首を横に振った。その笑顔が一瞬哀しげに見えたので、景時は何か自分が悪いことを言ったような気になって落ち着かなくなってしまう。
「違いますよー。勘とかじゃなくて……うーん、むしろ願望かな。
 来てくれたらいいな、って思ってたんです」
どきん、と景時の鼓動が跳ねた。深い意味があるはずもない、と思いながらも、その望美の言葉にむやみに胸が反応する。いつも、こうして望美と二人で向き合うのが夜で良かったと思いながらも、今日の月は少し明るすぎるかもしれない、などと考える。
「な、何か、また、考え事?」
自分の早くなった動悸を誤魔化すようにそう言いながらも、実際、景時にはそれが気になっていた。平家との戦は回避され、平家は三草山から福原へと戻った。それは罠を見破った望美のおかげとも言える。しかし、無傷での帰還というわけには、やはり行かなかった。平家の放った火によって、また怨霊によって、源氏の兵は失われていた。戦の回避はこれ以上の痛手を避けるためでもあったのだ。
何かしら強い決意を以て戦に臨んでいたらしい望美が、結果的には戦を避けることができたものの、払った犠牲について心を痛めているのではないかと、帰途の道、ずっと気になっていた。しかし、望美は明るい表情を見せていて、そうと誰にも気取らせなかったのだ。
「……本当は、もっと、ちゃんと出来たのかもしれないのにな、って。
 もっと、私がちゃんとしてたら山火事で亡くなる人もいなかったかもしれないし
 怨霊に襲われる人もいなかったかもしれないし、もっと上手くやれたかもしれないのかなって
 あれで良かったのかなって、ぐるぐる考えちゃって」
やっぱり、駄目ですよねえ、と自嘲気味に笑った笑顔が痛々しい。景時は思わず手を伸ばして、望美の頭を優しく撫でた。
「望美ちゃんは、十分良くやってくれたよ?
 望美ちゃんがちゃんとしてなかったから源氏の軍勢が失われたんじゃない。
 望美ちゃんがいてくれたから、本当だったらもっと兵を失い敗戦していたであろう戦を避けることができたんだよ?
 源氏を救ってくれたんだよ、望美ちゃんは」
「でも……本当はもっと何か出来たんじゃないのかな?」
ゆっくりと顔を上げて景時を見返した望美の目には光るものがあった。
「火の中に置き去りにしてしまった人たちのことを、思い出すんです」
そっと伏せた視線が望美の哀しみを表しているようで、景時は彼女のその心を思って顔を曇らせた。
「……望美ちゃん、今回は戦を避けることはできたけれど、いずれまた、必ず戦になる時はくるよ。
 そのとき、源氏であれ平家であれ、無傷であることは有り得ないし、死ぬ者は出てくる。
 君は、それも自分の責任だと思うの? 全ての人の命を自分なら救えると思っているの?」
びっくりしたような顔で望美が景時を見返す。けして、責めるような口調ではなかったけれど、景時の言葉は望美の『思い上がり』を突いたものだった。無論、景時はわざとそういう言葉を使ったのだ。望美には、神子だから出来ること、をあまりに大きく捉えて罪悪感に囚われて欲しくはなかった。自分を責めて欲しくなかったのだ。
「……そんなこと、思ってません。思ってない、けど……」
堪えていたのであろう涙が望美の瞳に盛り上がる。ぽろり、とそれが零れてしまうと、あとは耐えきれなかったように次々と雫が零れていった。
「……例え神子様だって、どうにもできないことってあるんだよ。過ぎちゃったことは、やり直せないし。
 戦なんだから仕方ない、って言うのは残酷な言葉だけど、でも、本当に仕方ないんだ。
 兵たちだって、オレや九郎や弁慶だって、何時だってこの戦で死ぬかもしれないって思ってるよ。
 そうなったとしても、それもやっぱり仕方ないことなんだ。自分が死ぬときも、きっと誰のせいでもないと思うと思うよ。
 もちろん、何時だって死なさないように、死なないように、全力を尽くしているけどね」
自身の膝に顔を埋めてしまった望美の肩がぴくり、と震えた。泣いているその肩を優しく抱いて、髪を撫でて、腕の中で思い切り涙を流させてあげたい、などと思いながらも景時はそうしなかった。しなかったというよりも、できなかった。自分の中にある疚しい想いを悟られそうで望美にそれ以上触れることができなかったのだ。だから、そう言った後は黙って、彼女が落ち着くまで、触れるか触れないかというほどに近く、彼女の隣に座っていた。そして、少し落ち着かない気持ちで月を見上げていた。
 月明かりの薄暗い庭で二人寄り添い座っているのは、寂しいような嬉しいような、微妙な心持ちだった。座り直すように身体を動かすと肩先が望美に触れる。それを合図にしたかのように、望美が膝に埋めていた顔を少しだけ上げた。
「……死なせません、からね」
鼻が詰まったような声で、ぼそり、と望美が呟いた。
「……え?」
ぼんやりしていた景時は、その声に引き戻されたように望美を見遣る。月明かりに、頬の濡れた涙の後が光って見えた。それでもやはり、じっと前を見据える瞳の強さは変わらないままで、景時はそんな望美の横顔を綺麗だな、と思った。
「景時さんや、九郎さんや、弁慶さん、朔も、先生も、敦盛さんも……死なせませんからね。
 いくら戦で死ぬ覚悟はあるって言われたって、仕方ないって言われたって、死なせません」
兵たち皆は無理だけど、それでも……それならせめて私の両手の届く範囲は絶対に。そう言って望美は鼻をすすり上げて息をついた。戦のない世界から来た彼女にとって、戦も、それに伴う死も、やはり大きな衝撃だったのだろうと景時は思う。しかし、その当然のように誰にとっても近い死に対して、挑むように『死なせない』と言う彼女の強さが、眩しいとも思った。けして何にも屈しようとはしない、強い心。眩しくて、そして何処か危ういとも思う。
「君も、だよ。望美ちゃん。誰も死なせない、と言うなら、何よりもまず、自分のことを考えなくちゃ。
 無理はしない、無茶もしない。一人で頑張らない、辛いときには、ちゃんと辛いって言う。
 ……こんな風に、夜に一人で泣いたりしない、ね?」
「……一人じゃありません、景時さんが居てくれるじゃないですか」
「オレが来なかったら、一人だったじゃない」
「でも、景時さんは、私が来てくれるといいなって思ったら、来てくれるじゃないですか」
拗ねるような甘えるような顔になって望美が景時を見上げる。慌てて、景時は望美から視線を逸らせた。望美はきっと無意識なのだろう、しかし、景時にしてみればまるでその表情は、自分が彼女にとって特別なのだと錯覚しそうなもので。
「た、たまたまだったかもしれないでしょ? ほら、オレなんてニブいからさ。
 言ってくれないと、ホントはな〜んにも全然気付かないかもしれないよ?
 だから、心配かけないようにって無理はしないで、ちゃんと、言って?」
困ったように笑いかけながらそう言うと、望美は少し渋々といった様子でそれでも頷いた。
「……景時さんには、じゃあ、言います。なんでかなあ、景時さんだったら、大丈夫な気がする。
 泣くところ見られたりするの、好きじゃないんだけど」
「そ、それはきっとさあ、オレの情けないところを望美ちゃんも知ってるからだよ。
 それに、ほら、オレは朔の兄だし、望美ちゃんも兄みたいに思ってくれてるとかーって
 それはオレ、自惚れすぎかなあ」
「…………」
白々しく明るい調子で言った言葉に対して、望美が沈黙してしまったので景時はしばらく望美の顔を見ることができなかった。何か、また、自分は間違ったかもしれない、という気がして。それでも自分の気持ちを自分に対して誤魔化すためには、そう言うしかなかったのだ。
望美を好きだ、と思う。彼女にとっての特別になりたいと思う。そういう自分をとっくに知っている。けれど、それを表に出すことは出来ない。仲間として、兄として。それなら自分の気持ちを少しばかり満足させながら、彼女の傍に居ることも許される気がする。だから。
「……そろそろ、戻った方がいいよ、望美ちゃん。疲れてるはずでしょ?」
これ以上近くに居ることがなんとなく後ろめたくてそう言ってみると、望美が景時の衣の袖を掴んで首を振った。
「……もうちょっと。もうちょっと、ここに居させてください」
掴まれたのは衣だというのに、手が触れ合ったかのような熱を感じながら景時は黙ってまた月を見上げた。望美は景時の袖を掴んだまま、膝に顔を半分埋めて池に映る月を見ている。


やがて望美が立ち上がるまで、ただ二人黙って並んだまま、天と地に別れた月を眺めていた。






三草山後。もう一度やればもっと上手く皆を助けられるかも、とか
望美は考えたりしなかったかなあ、とか思ったりします。
やっぱり、逆鱗で時を遡れるって思ったとき、完璧(?)に皆を救えるまで
何度でもやり直したらどうなるだろう、とか思ったりしなかったかな? と。


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