たらちね




 鎌倉に到着した一行は、景時の邸に世話になることになった。
 もともと東国出身ではない九郎は鎌倉に邸を持っていない。景時は自分の領地にも邸を持っているらしいが、頼朝が鎌倉に中心を置くようになり、主立った御家人たちは鎌倉にも邸を持つようになったのだという。景時が鎌倉に居た頃は、母も含めて鎌倉の邸と領地の邸を行き来していたが、景時が郎党たちとともに京へ上って以来、母は鎌倉の邸に留まっているという。
 最初、皆が宿泊するには邸は手狭になるかもしれないから、と少し躊躇っていた景時だったが、その邸を見た望美や譲などは、一体どこが、と口を開けて呆れたものだ。京邸に負けず劣らず広く大きな邸に、一行は十分各々の部屋を取ることができた。狭いなんて謙遜することないのに、と唇を尖らせた望美だったが、もしかして景時は自分の母を紹介するのが照れくさかったのかな、と思ったりした。多分、自分だって友人に母や父を紹介するときは照れくさいと思う。しかし、望美はひと目で景時の母を好きになった。優しげな、景時に似ず小柄な女性で、快く皆を邸に招き入れてくれた。話している内容は聞こえなかったものの、一緒に話している景時と朔の様子がどこかいつもと異なって見えて、ああ、家族なのだなあと思われた。じっとそんな様子を見つめていた望美だったが、なにやら慌てたように母に何か言った景時が赤い顔になって顔を上げ、望美と目があった。何かわからず、小首を傾げて景時を見遣った望美だったが、景時はますます顔を赤くしてその場を離れ、望美のところへやってくると
「ご、ごめんね、気にしないでね!」
と言うと、落ち着かない足取りで邸の奥へ入っていった。「ごめんよ〜、部屋を整えてもらえるかな」下働きの者に声をかけるのが聞こえた。何があったかわからない望美は、問いかけるように朔へと顔を向けるが、朔も笑ったきり頭を横に振っただけだった。
 それから各々、部屋を与えられ荷物を下ろし一息ついた。しかし、九郎と景時は二人で頼朝の元へと向かった。二人が帰ってくるまではとりあえず、できることがない。町へ出て情報収集も良いのだが、実を言うと長旅の後で少し休みたかったりもしたので、他の面々は各々自由に時間を過ごすことになった。
 望美は自分に与えられた室に少ない旅の荷物を解くと、早速広い邸の中を探検しに出た。造り自体は京邸と同じようで、だいたい何処にどんな部屋があるかは見当がつく。不躾に歩きまわるのも悪いかなと思いつつ、好奇心に勝てずに望美は邸の中を歩いて廻った。

 主が長く京に出て、母一人で慎ましく暮らしている邸は、それでも何処も整然と綺麗に整えられていた。庭でさえも丹精されていて、それはまるで長く家を離れている二人の子どもがいつ帰っても寛げるようにというような気遣いに感じられた。来たすぐだというのに、京邸と同じような居心地の良さは主の気遣いの賜物だろう。朔はどこだろうかと探すうちに、望美は邸の奥の部屋へたどり着いた。こちらは八葉たち仲間のいる棟から庭を廻った反対にあたって、人の気配が少なく静かに感じられた。朔の部屋ではなさそうだと思った望美はきびすを返して元来た方へ戻ろうとした。

「神子さま?」

そこへ声がかけられる。驚いて振り向くと、部屋の中から声をかけてきたのは、景時と朔の母だった。
「あっ! あの、すみません。勝手にうろうろしちゃって」
慌てて望美はそう言うと深く頭を下げた。ついつい無遠慮な真似をしてしまったことが恥ずかしい。しかし、景時の母は静かに微笑むと
「いえいえ、ご遠慮なさらず、ご自分の家と思って寛いでくださいませ。
 なにぶん、手狭な邸でご不便かと思いますけれども」
「そ、そんな、とんでもないです。広くて立派なお邸で。
 私たちの方こそ、突然押しかけてきてしまってすみません」
この邸で手狭だということになれば、いったい広い邸とはどれほどのものだろうかと望美は考えずにはいられない。これ以上広い邸では迷ってしまいかねないなどと考えてしまう。
「景時は、神子さまのお役に立っておりますでしょうか」
ぼんやり考えこんでいた望美に向かって、景時の母がそんな風に問いかけてきて、望美は改めてその顔を見つめた。
「景時さんには、いつも助けられてばかりです。
 京でもお邸にお世話になってしまっていて……」
望美がそう言うと、景時の母は、そうですか、と頷いた。
「ああ、神子さまにこのようなところで立ち話も申し訳ありません。
 よろしければ中へどうぞ」
そう促されて、望美は景時の母の室の中へ入った。設えも落ち着いた上に、質素な室内は京の邸とは違う。そこで、なんとなく望美は先ほどの景時の母の言葉に何となく気付くものがあった。京と東国……鎌倉では暮らしが違うのだということだ。鎌倉はまだ若い町で、海はあるけれど熊野のような貿易で発達しきったところではないし、京のように都として物が集まってきている町でもない。いや、いずれこれからそうなっていくのだろうが、何をとっても華美さとは縁遠い。なるほど、武家の都とはこういうものかという気さえする。一方で、きっと景時の母はこうした質素な暮らしぶりを以って、京から来た自分たちに此処での暮らしを謙遜したものなのだろう。
「白龍の神子さまとは知らず、おいでになったときは失礼いたしました」
「いえ、えーと、だって朔も黒龍の神子なんですし、普通にして、ください……」
「しかし、景時の話では、白龍の神子さまは鎌倉に必要なお方で、景時がお守りするお方とのことですから……」
「ええっ、景時さんたら、そんなこと言ってたんですか? そんなことないです。
 いえ、景時さんは八葉だからそうかもしれないですけど、でも……」
でも、八葉だから景時が自分を守ってくれる、気にしてくれる、のだとしたらちょっと寂しい。そんな気がして望美は口をつぐんでしまう。そんな望美の様子に景時の母は
「いえ、私がつまらないことを申したものですから……
 神子さまのことを、景時が好いた人を連れてきたのかと勘違いしたので、
 あの子がそう言って嗜めたのです」
「えっ、えっと、あの……」
その言葉の意味を理解して望美の顔が赤くなる。玄関先での景時の慌てた様子にやっと合点がいった。だから『ごめんね』だったのだろう。別に肯定してくれても良かったのに、などと馬鹿なことを考えたりもする。そんな望美の表情から何か感じ取ったのだろう、景時の母は静かに
「どうか、景時のことをよろしくお願いいたします」
と言うと望美に向かって頭を下げた。
「わ、私の方こそよろしくお願いします……って」
自分の言っていることが噛みあっていなくておかしいことに気付いて望美は同じく頭を下げたまま、顔を上げられない。その様子に、景時の母が声を挙げて笑った。
(は、恥ずかしい……)
「神子さまが、あなたのような方で本当に良かったこと」
笑みを含んだ声でそう言われ、それが何処となく嬉しげに聞こえたので望美は不思議に思って顔を上げた。何かを考えるように、視線を御簾の外、そろそろ傾き始めた陽に染まり始めた庭にやった景時の母が呟く。
「朔が……」
望美は促すようにじっと景時の母の顔を見つめた。
「朔が、不思議な人を邸に連れてきたのは3年ほど前のことでしたでしょうか。
 身分のありそうな方ではありましたが、私には良くわからなくて。
 景時が、母上は心配しなくても大丈夫です、自分が全てちゃんとしますから、と言ってくれて
 私もあの子にそれっきり任せてしまいました。でも、その後でした。
 その方がいなくなり、朔が黒龍の神子というものに選ばれて、それ故に出家すると言い出したのは」
望美は黙ってただ頷いた。
「私は、そうしたことには一切疎くて、何ゆえに我が家の娘がそのようなものに選ばれたのか、わかりません。
 景時は、京で陰陽道の修行をしていたこともあり、如何なるものか知っているようでありましたけれど
 今でも、何故、朔がそのようなものに選ばれたのか、良くわからないのです。」
「……えっと、私も、自分が白龍の神子に選ばれたって良くわからないです。
 神子に相応しいのかどうかも、良くわかってません。
 でも、選ばれちゃったものは頑張るしかないかなーとか」
一人、この鎌倉で子どもたちの無事を祈る日々は、母にとってどれほど心配なものだろうかと望美は思って、何か言いたいと思ったものの、碌な励ましの言葉も出てこなかった。自分のような小娘が果たして何か言うことがあるのかさえ怪しいと思ってしまう。けれど、景時の母は望美を見遣ると
「白龍の神子さまがお優しい方で、景時も朔も幸せですね」
と微笑んだ。
「私は、何もしてやれずに。朔のことはその後全て、景時が手を尽くしてくれました。
 今はお役目のために京へ上っておりますけれど、朔のことは、きっと景時が守ってくれるでしょう。
 私にはわからないことばかりですが、この戦の世になって景時は随分と良く働いて
 頼朝様からの信用も厚いと聞いておりますから。
 あの子の父が生きていたら、さぞや驚いたことでしょうけれど」
そういえば、景時の父はもう既に亡く、そして、父は武士としては一角になれぬと景時を見限ったのだったか、と望美は思い出す。いまや源氏の軍奉行とまでなり、その知略に源氏の兵たちが心酔すると知れば、確かにどう思ったものだろう、と望美も思う。
「景時は、お役に立っておりますか?」
先ほどと同じ問いを景時の母はもう一度望美に問いかけた。それが何より気になるのだろう。望美は力いっぱい頷いた。
「景時さん、すごいんですよ。
 その、この間の生田の森の戦で、私がはぐれてしまって……
 そしたら景時さんがたった一人で助けに来てくれたんです。
 景時さんのお陰で、私、今、生きているって言ってもいいくらいです」
その言葉に景時の母はいささか驚いた様子で、むしろ望美はそのことに驚いた。それから景時の母はそっとその袖で目じりを拭った。
「そうですか……景時が、そのような。
 あの子には武芸の才などないと、幼い頃からあの子の父が申しておりまして
 本人もそのことを随分と恥じておりました。
 陰陽師の修行にと京へ行きましたきり、文は欠かさず送ってきてもこちらへは帰ってくることは殆どなくて。
 やはり武士として父に認められなかったことで会わす顔がないと思っていたのでしょう。
 父親の死で結局、陰陽師としての修行も中途で終わってしまったのですが
 梶原の家を背負うようになってからは、それでも何とか立派にやろうと努力していたと思います」
おそらくは、そのように武芸で身を立てることなどできぬと判じられた景時が、戦場で単身望美を救い出すなどという真似をしてのけたことが、半ば信じられず、また、その華々しい活躍が嬉しいのだろう。
「武芸の才がないと言われようとも、陰陽師の真似事をしようとも、
 それでも、あの子は武士なのです。そのことはあの子自身が一番良くわかっていると思います」
その言葉の重みを、そのときは望美は感じることが出来なかった。けれど、その言葉は望美の心に強く残った。
「お母さんは、景時さんや朔が戦に出るの、心配じゃありませんか?」
景時の活躍を控えめに喜び、朔のことを景時に任せると言う母に、望美はそう問いかける。望美自身、最早戦場に出ることに、慣れてしまった部分はある。それでも時々は、これは生死を賭けたものだと思い出して空恐ろしくなる。それはいつも、戦が終わった後、だけれど。その場に横たわる数々の兵の屍を見てやっと、思い出す。そして、自分がそうなるかもしれないということよりも、自分の知る誰かが、『また』そうなるかもしれない、と想像するほうが恐ろしいと感じる。
「……私は、武家の者ですから、疾うに覚悟はいたしております。
 あの子たちもまた、覚悟して戦場に立っておりましょう」
その答えは硬い声だった。望美は礼を欠いた問いをしたと感じて、謝ろうと口を開いた。けれど、それより先に景時の母は言った。
「そうは申しましても、子の無事を祈らぬ母はおりませぬ」
思わず、望美は身を乗り出して母の手を取った。驚いたように、景時の母は望美を見つめる。望美は真剣な表情で言った。
「……私、景時さんも朔も、守ってみせます。絶対に」
それは本気の言葉だった。
「二人をお母さんの所に、無事に帰して見せますから」
望美の手を、景時の母は握り返した。
「……景時を、よろしくお願いいたします」


「九郎さん、景時さん、おかえりなさい!」
「ただいま〜、望美ちゃん」
疲れちゃったよ〜と情けない声を挙げて景時が言うけれど、その声が些か京の邸よりも小さいのは、母親に聞こえることを懼れてのことだろう。
「早速、明日から鎌倉の探索に出るぞ!」
九郎の方はやる気満々だ。
「兄上からも早く解決せよとのお言葉だ! 俺はあまり鎌倉の地理には明るくないからな。
 景時、お前、明日から十分頼むぞ」
「はいはい、御意〜ってね。ま、そんなに張り切らなくてもなんとかなるでしょ」
「景時!」
いつもの遣り取りに望美は思わず笑ってしまう。九郎は、まったく、とぶつぶつ言いながら邸の奥へ入っていった。景時も望美に笑われて、照れ笑いをしている。
「景時さん、明日から頑張りましょうね」
望美のその言葉に景時は頭を掻きながら「うん、もちろん、もちろん頑張るよ」と言った。望美の張り切り具合がなんだか不思議らしい。望美はといえば、景時の母に、景時の活躍を見せたいのだった。
「景時さん」
「ん?」
二人一緒に、邸の奥へ歩いていきながら、望美が呼びかける。
「素敵なお母さんですね。優しくて、芯が強くて。
 そりゃ、景時さんと朔のお母さんだもの、素敵で当然かなって気はしますけど」
「え? あ、ああ、そう? その、何も言ってなかった……よね?」
景時が心配しているのは、どうやら到着したときの例の一件らしいとわかって望美は少し意地悪い笑いをしてみせる。
「さあ〜? どうでしょう!」
「ええっ! 何、何か言ってたの?」
景時が慌てるのが可笑しくて、望美は曖昧にさあ? と言葉を濁したまま、立ち止まった景時を置いて歩いていく。
「望美ちゃん! だから、あれはゴメンねって……」
望美の態度に、どうやら話は知られたらしいとわかったのだろう、どこか上ずった声の景時に、望美は立ち止まって景時を振り向いた。
「私、景時さんのお母さんに、白龍の神子、じゃなく紹介されたかったな〜
 だから、謝ってくれるんだったら、そっちの方でにしてください」
「え?」
わかってない表情の景時に、望美は肩を竦めてもう一度笑って見せると、ぱたぱたと奥へと小走りで駆けていった。
残された景時は、しばらく考えた後、頬を掻いて溜息をついた。
「……そりゃあ……ね」
望美の言いたいことは、わかった。それでも、まだ、そこまで自信が持てなくて。少し自嘲気味な笑みを唇に浮かべてみせる。けれど、彼女が望んでくれるなら、そんな未来が来ればいい……いや、来るようにしたい、と景時は思った。そして、そんな風に思う自分に、何か照れくさく思う。
「……明日っから、頑張らないといけないな」
そう呟いて、景時は歩き出した。




鎌倉に到着しての一幕。
なんだか、景時の母がメインになっている(^^;) 何故。
「景時がこんな可愛いお嬢さんを連れてくるなんて」という例の台詞の場面を
ちょっと捏造してしまいました。ゲームじゃ確か望美も聞いてましたよね(^^;)
そして、今のところ割と前向きな景時なわけですが。
鎌倉の間はまだ元気かなーと思っているわけです、はい。


■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■