同じ月




「敦盛くん、これ」
三草山から戻ると、京邸に新しい住人が増えた。景時はとりあえず揃えさせた当座に必要であろうもの一式を持って、敦盛の部屋を訪れる。誰もいないというのに、部屋の中で敦盛は一人堅苦しく居住まいを正して考え事をしていたようだった。景時が戸を開けると顔をあげ、戸惑ったような表情で景時を見上げた。
「当座に入用になりそうなもの、揃えさせたんだけど。足りないものとかあったら、言って?
 なんとかなりそうなものだったら、なんとかするからね〜。あんまり贅沢はできないんだけどさ」
冗談めかして笑いながらそう言い、景時は手にしたものを敦盛へと渡した。
「申し訳ない……住まいまで世話になってしまって……」
敦盛はそれを受け取ると深く頭を下げた。
「いやいやいやいや、気にしないでよ〜っていうか、むしろこっちの方が申し訳ないかな〜、なんて。
 元のお邸に住んでもらえたりしたらいいんだけどさ、
 やっぱり、あれこれ言う者もいるし、敦盛くんもそういうの面倒かもしれないし。
 かといって九郎の邸や弁慶の邸じゃ堅苦しかったりするかなーと思って。
 まあ、ここなら他にもお客人がいるし、幸い部屋も空いているし、気楽にしていてくれたらいいからね〜」
そう言いながら、目の前のこの少年が平家の御曹司、平敦盛だと思うと、こんな口を利いていいものかどうかと考えてしまい、景時は一瞬口をつぐんだ。それを不安そうに敦盛が見上げる。気付いて景時は首を振ってなんでもない、ということを伝える。そのまま部屋を出ようかとしたものの、相変わらず硬い表情で床に視線を落としている敦盛の様子に去りがたく、床に座り込んだ。
少し驚いた表情で敦盛が顔を上げる。
「あ、えーと……そのね、なんだかんだと言っても九郎は仲間になった人間のことはちゃんと守る人間だし、
 敦盛くんのことも半端な気持ちではないってわかっていると思うから。
 ぶっきらぼうに見えるとこもあるかもしれないけど、気にしないでね」
これまで敵だった軍に身を置くということはけして居心地の良いわけはないだろうと思い、そう声をかける。実際、九郎も未だ敦盛に対してどう接して良いか図りかねるところがあるようだし、源氏の他の兵たちも遠巻きに噂するばかりだ。
 しかし、三草山からの帰路、怨霊に襲われたとき敦盛が協力してくれたおかげで封印も容易く行えた。平家の中でさえ、怨霊を使うことを良しとしている者たちばかりではないのだと、敦盛や鹿ノ口で出会った経正を見て景時も九郎も感じたのだった。だから、距離の取り方を図りかねてはいても、九郎の心にはもうわだかまりは殆どないだろうと景時は想っている。むしろ、敦盛の方こそ簡単に割り切れるものではないのではないかと想像している。
「いや、これまで敵であったのだし、私は平家一門の者だ。
 簡単に信じてもらえるわけがないのは良くわかっている。
 むしろ、このように仲間だと受け入れてもらえることの方が不思議で、申し訳ないとさえ思う」
「や、だって、ほら。敦盛くんは八葉じゃない。
 源氏や平家っていうのを超えてさ、八葉は仲間なんだから」
「……本当に、私が八葉なのだろうか」
じっと手にある玉を眺めて敦盛が呟く。その惑いは景時にも覚えのあるものであったので、何も言わずにそんな敦盛を見つめていた。本当に、こんな自分が望美を護る八葉なのだろうか、と。その迷いは今も尚、心の奥に残っている。つい、景時もつられて自分の鎖骨の玉に触れてみる。
「……望美ちゃんが、そう言ったんだから間違いないよ。白龍だってそう言ったでしょ?」
まるで自分にも言い聞かせているようだな、などと思いながらそんな風に景時は言った。
「……神子は、不思議な人、だな」
望美の名を出すと、敦盛はふと遠くを見るような眼差しになりそう呟く。確かに、望美はまるで最初から敦盛が誰であるか知っているかのようだった。八葉であるということを知っていたのか、その人が平敦盛であるのを知っていたのかまではわからないが。不思議な人、その言葉に心の中で景時も頷く。誰も彼女のようにはなりえないだろうと思う。
「望美ちゃんには、何でもわかっちゃうみたいなんだよね。あれも龍神の力、なのかなあ。
 オレもねえ、いろいろ隠し事、見抜かれちゃったりしてさあ」
敦盛が訝しげな表情で景時を見る。それへ景時は片目を瞑って内緒話をするように小声で言った。
「ホントはオレ、洗濯好きとか?」
それを聞いて敦盛の表情が僅かに緩んだ。
「あ、敦盛くん、多分、オレが洗濯してるの見かけるかもしれないけど、
 内緒にしといてくれないと困るよ?」
「……景時殿……あなたも、本当に良い人だ。本当に、ありがとう……」
初めて微かに笑顔になった敦盛がすぐにまた真顔になり、次いで哀しげな表情になってそう言いながらまた、頭を下げた。戯けるように言葉を紡いでいた景時は、そんな敦盛を痛々しく感じて口を噤む。
「話に聞く源氏の武者たちは、もののあはれも知らず作法も礼儀もわきまえぬ者たちばかりと言われていた。
 九郎殿も、乱暴極まりなく血に飢えた者であると言われていた。だが、実際は違う。
 源氏の者とて戦を望む者ばかりではない。……それなのに、何故、このようなことになってしまったのだろう。
 私たちは、平家は、一体何処で道を誤ったのだろう」
その問いはおそらくは敦盛の中でずっと繰り返されてきた問いだったのだろう。心優しく聡い敦盛は、平家が怨霊を使うことに心を痛めてきたに違いない。『道を誤る』と敦盛は言ったが、しかし、京しか知らぬ者たちが東国の暮らしを知ることも、そこに生きる者たちのことを想像することもできなかったのは仕方ないことに景時には思えた。もちろん、それが奢りであることは間違いないのだが、『持っていることが当たり前』な者には『それを持っていない』ことが想像できないこともわかるのだ。しかし、それを、だから仕方のないことなのだ、と言うことが敦盛の慰めにならないのもわかる。
「それでもね、敦盛くん。自分の一族の過ちを正そうとする君は、とても強い人だとオレは思う。
 オレには出来ないことだよ」
その言葉が、敦盛の救いにならないだろうと考えながらも、景時はそう言わずにはいられなかった。
「私は強くなどない。本当に強い人間であれば、怨霊を生み出すことを止められただろう。
 そう出来なかった私は強い人間ではない」
「ううん、強い人だよ。君は、自分をそんな風に責めちゃいけないよ。
 オレは……オレも、望美ちゃんも、九郎も、弁慶や譲くんだって、君が仲間になってくれて嬉しいんだ。
 きっと、やりにくいことや辛いこともあると思うけど、もう仲間なんだと思って何でも言ってね」
その言葉に答えることはせず、敦盛は深く頭を下げた。
「ごめんね、なんだか長居しちゃった。ゆっくり休んでね」
景時は、まだ自分は敦盛の心を解すほどに打ち解けられるわけもないと考え、これ以上の会話は彼を疲れさせるだけだろうと思いその場を立った。
部屋の戸を開けると、今宵の月がぼんやりと光を投げかけてきていて思わずそれを見上げる。
「月は何処で見上げても同じ月なのだな」
景時の背後で、同じく月を見上げたのであろう敦盛の声がした。敦盛は、けして一族が憎くて平家を裏切ったのではない。怨霊を用いるそのやり方に疑問を抱き、それを止めるために苦渋の選択をしたのだ。平家に残る者の中には慕う肉親もいることだろう。離れた地で同じ月を見上げているであろうと懐かしむ気持ちは理解できた。そして、それを咎める気にはならなかった。
「景時殿、時折で構わないのだが、笛を奏でる赦しをいただけないだろうか」
少しの躊躇いの後にそう乞われ、景時は敦盛を振り返った。
「もちろん! 時折なんて言わずに、何時でも是非!
 オレも敦盛くんの笛、聴きたいしね。きっと、邸の皆も喜ぶと思うよ」
そう言うと敦盛は寂しげな笑みを湛えて黙礼した。
「月明かりがきれいだから、ここ、開けておくね」
そう言って戸を開けたまま、景時は敦盛の部屋を後にした。


自室に戻り、自分の部屋にも月明かりを入れようと少し戸を開けたままにしてみる。
しばらくすると、笛の音が響いてきた。
(敦盛くんだね……)
月光の下、嫋々たる調べが胸を締めつける。敦盛の哀しみが笛の音となり天へ昇ってゆくかのようだ。自身の哀しみを笛で昇華し、自分が信ずる道を歩もうとする敦盛を、やはり景時は強いと思わずにはいられなかった。
『敦盛は、源氏が正しいと思って味方するわけではない。
 平家を止めたいと思うが故、そして、怨霊を封印できる望美が源氏にいるが故、こちらに加わっただけのことだ。
 だが、敦盛が本当に源氏に味方してくれるというのであれば、何時か鎌倉を見せたい。
 兄上がお作りになる武家の都を見せて、兄上の目指すものを見て欲しい』
九郎がそう呟いたのを聞いたとき、景時は、九郎が敦盛を仲間として受け入れたと納得した。そして、『そのとおりだね』と相づちを打った。だが、内心は異なることを考えていた。
 東国に作られた武士の都。それはなんと心惹かれるものだろう。京を離れ東国に暮らしてきた武士たちがずっと望み思い描いてきたもの。頼朝が指し示す先にある武士の世を信じるが故に東国の者は頼朝に従ったのだ。元が平氏である者たちも。景時であっても同じである。東国に武士の都が出来る、それは誇りであり夢でもある。それを為すことができるとすれば、頼朝以外に有り得ないとも思う。だが、景時は同時に思うのだ。頼朝が作る武士の世とは、いったいどのようなものなのだろうか、と。その世に、九郎は、自分は、今、共に闘っている仲間は、存在するのだろうか、と。
 裏切り者と呼ばれるとしても、自身を賭けて一門の過ちを正そうとする敦盛は強い。怨霊という人ならざるモノを使ってまで平家の世を築くのは間違いであると思い、血縁さえも敵とする敦盛は本当に強く純粋な人なのだろうと思う。奏でる笛の透明な音そのままに。
 ふと、自身の手に視線を落として景時は顔を歪めた。仲間を裏切り、屠ってきた手。時に、それが必要であったことも知っている。だが、仲間さえも裏切り、その上で築かれる世は、それは本当に誇りえるものなのだろうか。
 正しい行いだけでは平家に勝てないと思ったのだろうか。人ならざる力を以て臨まねば平家を倒せないと思ったのだろうか。
(……オレは……オレも、九郎のように頼朝様を信じることが出来ればどんなにいいだろう。
 頼朝様が東国のために新しい世をつくるとおっしゃったなら、石橋山で何がなくともオレはきっと頼朝様に従った。
 頼朝様の作る新しい世を誇りに思いたかったよ。鎌倉は武士の都と誇らしく語りたかった)
 しかし、もうそのようには語れない。鎌倉は遠い。距離だけではなく、想いからも遠く離れてしまった。
 そして、それであっても、敦盛が平家を捨てたように、鎌倉を捨ててしまうことはできない。


 敦盛の奏でる笛の音が夜の空に響く。月光は僅かに景時の部屋の中をも照らしている。月は誰をも同じく照らす。
 京も、福原も、鎌倉も、見上げる月は同じものだ。しかし、見上げる者の心は同じではない。それでも、遠く同じ月を見上げる平家の中にも敦盛の哀しみを知る者がいるようにと景時は祈った。

END




珍しい組合せかもしれない?<景時と敦盛
景時の頼朝に対する思いってどういうものかなあと考えつつ書いていますが
憎んでいるわけでもないし、怯えているだけでもないと思うんですよ。

ところで敦盛って京邸で暮らしてるのでよかったのかしらん。良いということで。
譲も出したかったのに無理でした……白虎コンビの話もそのうち……!


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