陽春




 自分の対となる存在がいてくれる。それは朔にとって、とても嬉しいことだった。
 宇治川で出逢った白龍の神子・望美は明るく前向きな異世界の少女で、初めて出逢った朔とも直ぐに打ち解けてくれた。まるで、今まで育ってきた環境が全く違うというのが嘘であるかのように、朔も望美をひどく近しく感じた。それが対の神子として惹かれあうということなのだろうか、と感じつつ、同じ年頃の女の子が身近にいなかった朔にとって、望美は大切な友だちとなった。

 朔が兄・景時について京へやってきたのは、頼朝の命を受けて黒龍の神子としての勤めを果たすという義務感もあったけれど、黒龍と来るはずだった、彼の護っていた町を見たいという気持ちも強かった。そして彼を亡くす原因となったものを突き止めたいと。故に、どうしても焦る思いを隠せずにいて、兄の景時はおそらく心配していただろうと思う。
 源氏軍の中は、周りはむさ苦しい兵たちばかりで、同性といえば京邸で僅かに身の回りの世話をしてくれる女房がいるくらいで、気を緩めることができる場所がなかった。息苦しいと感じる余裕さえなく、多分、朔の自分でも気付いていなかった息苦しさは景時に向けて発散させられていたように今となっては感じる。殊更に情けない様子を身内だけの時には見せていた景時だが、あれも兄としての一つの思いやりなのかもしれない。そんな張りつめてばかりだった朔が、望美が現れてからは変わった。

 望美や幼い白龍を自分が護ってあげないと、という使命感が芽生えたのもその一因ではあった。そして望美という少女の気質も影響していただろう。彼女の屈託のなさ、物怖じしないところ、異世界から来ただけにこちらでの常識が通じないこともあるけれど、それが嫌味ではなくて微笑ましく感じられるところ。なんでもないことが、望美がいると楽しく感じられること、ちょっとした愚痴でも彼女なら話すことができること。朔の周りの空気が望美が来てから随分と柔らかくなっていった。

 それには兄である景時も十分気付いていただろう。朔を眺める視線が嬉しげに笑っているのが良くわかる。心配かけていたのだなあと、頼りないところは多くとも兄は兄だと感じはするものの、照れ臭くてそんな景時に向かって、やはり朔は小言を連ねてしまうのだ。
 けれど、そんなことはお見通しであろう景時は大げさに『ひどいなあ〜』としょげてみせるが、やはり嬉しげな顔であったりして、そういうところは兄にはけして敵わないと実は朔は思っていた。

 実際、朔は邸の中では兄の景時を窘めたり、小言を言ったりはするものの、けして兵たちの前ではそのようなことはしないし、悪し様に言い放つわけでもない。一線を越えることはけしてしない。朔は本当のところでは、景時が自分をどれほどに大切にしてくれているか理解している。むしろ、窘めるのも小言を言うのも兄を軽んじていたりするせいではなくて、ただ心配しているからなのだ。本当は優しすぎて、武士らしからぬ景時故に、いらぬ荷物を背負ってしまうのが歯痒く感じてしまうのだ。

 景時が白龍の神子の八葉であるとわかったときも、それが心配だった。また景時の背負う荷物が増えたということなのだろうか、と、また、無理をするのではないかと思ったからだ。
 意外なことに景時はそう気に病んでいる様子はなく、むしろ『嬉しい』などと呟いて朔を驚かせた。だが朔にはやはり心配だった。望美が景時に大きすぎる期待を抱いたりしないか、そしてそれ故にまた景時に失望したりしないか、と。望美ががっかりするのも哀しいが、景時が誰かに失望されてしまうのも朔にはひどく心が痛い。なので、景時の陰陽師としての力が試されるといってもよいような鞍馬行きの話は、朔にとって少しばかり不安なものだった。




 京へ来てまだ間もない望美や譲のためにしばしば足を止めての道行きのため、鞍馬行きは案外のんびりしたものとなっていた。いつもは口うるさい九郎も久しぶりに自分の師匠に会えるために緊張しているのか、大人しい。本日の主役ともいえるはずの景時の方はといえば、望美や譲、白龍にあれこれ解説に忙しいらしく相変わらず賑やかだ。そんな兄を見て朔は小さく溜息をついた。

 そんな朔に気付いたのか、望美がちらりとこちらを見遣るとぱたぱたと朔の傍まで駆け寄ってくる。

「今日、お天気良くて良かったよね。鞍馬までって後、どれくらいかなあ?」
「そうね、もうそんなにたくさん歩かなくても大丈夫だと思うけれど」
「う〜ん、こっちでの『たくさん歩く』って本当に半端じゃなく歩くからまだ油断できないなあ〜」

そんなことを呟きながら望美が両手を天へ突き上げ伸びをする。その先へ視線を送って空を見上げると、春のうっすらと霞んだ空色にほんのり色づいた桜の花びらが舞うのが見えた。
 不意にその光景は朔に黒龍と出逢った季節を思い出させた。柔らかな春の空の下で、語り合い、微笑みを交わし、約束を契ったこと。抑えていた筈の胸の痛みが身体を突き抜ける。黒龍の神子なのに、自分にはもう、黒龍はいない。黒龍はもういないのに、神子としての自分はまだながらえていて、その力さえ持ち合わせているなんて。

「……朔? どうかしたの?」

心配そうな顔をした望美が朔を覗き込んでいた。

「……何でもないわ、大丈夫よ、望美」

朔は笑ってみせた。いつか、望美も朔と同じようにこの世界で誰かに恋をするだろうか。白龍は幼い少年だけれど、望美には八葉と呼ばれる者たちがいる。
 景時によれば神子と八葉には絆があって惹かれあうものなのだという。だから、必ず八葉は神子の元に集うのだ、と。そう思うと、望美には朔とは違って幸せな恋をして欲しいと思う。もしかしたら、異世界から一緒に来たという譲や、今は何処にいるかわからないというその兄に、既に恋をしているのかもしれない。そんな風に思って朔は望美に問いかけてみる。

「ね、望美、今、誰か好きな人っている?」
「な、なに、どうしたの、急に。朔ってば〜」

些かに直接すぎる問いに望美がうろたえる様子が、やはり微笑ましいのだけれど、ぽうっと桜色に上気した頬がその問いに対する答えを表しているような気も朔にはした。

「ずっと一緒だったっていう譲殿や、その兄上……とか?」

そう言うと望美は今度はきょとんとした顔になって朔を見返した。それから笑い出す。

「やだなあ、譲くんや将臣くんは、そうだな、なんか兄弟みたいな感じで、全然そんなんじゃないよ」
「あら、そうなの?」

その答えには朔は拍子抜けしてしまった。そして、なんとなくこの屈託のない望美にはまだ恋などというものはぴんとこないものなのかもしれない、と微笑ましく感じる。朔が経験したような、全てを引換にしても良いとさえ思うほどの激しい想いを、きっと望美はまだ知らないのだ、と。

「そう。でも心配ね、その……将臣殿? どちらにいらっしゃるのかわからないなんて」
「うーん……たぶん、元気だと思うから、あんまり心配してないんだ。
 将臣くんなら、何処ででも上手くやっていそうだし。それに、いつかちゃんと会える気がするから」

 にこり、と笑って望美がそう言う。それは本当に確信に満ちた笑みで、望美が気に病んでいたらと心配していた朔はそれだけで安心した。望美の肩に落ちた桜の花びらをそっと拾いあげ、ふっと息を吹きかけて飛ばすと、朔は微笑みながら望美に向かって言う。

「ね、望美。さっきの話の続きみたいなものなのだけど。
 いつか、あなたに好きな人ができたら、きっと私に教えてね。
 あなたの恋を応援したいの。だから……」
「だっ、だから、朔……そんなの……」

途端にまた頬を紅潮させて望美が声を挙げる。だが、その後口を噤んだ望美は、そっと朔に伺うように囁いた。

「……神子でも、恋をしてもいいのかな? 皆に平等じゃなくてもいいのかな……
 好きな人ができても、怒られない?」

そんなことを気にしていたのかと朔は笑いを漏らす。そしてそんなことが気になるということは、きっと恋とまでいかなくとも気になる人がいるということでは、と思ってなんとなく望美を可愛らしく思った。

「どうして? 神子だって普通の女の子だわ。
 あなたは、まったく知らない世界へやってきて、戦も知らないのに怨霊を相手にしなくてはならなくて。
 龍神の神子、というだけで周りの人は皆、あなたに期待を寄せているなんて、本当に大変なことだと思うの。
 私は、元々この世界の人間だし、武家の娘だから幼い頃からある程度の覚悟は教えられてきたわ。
 今は、兄上が源氏の軍奉行でもあるし。でも、あなたはそうじゃないもの。
 そんなあなたが、誰か特別な人に頼りたい、護られたい、と思うのをどうして咎められるかしら。
 だから、もし、そんな人ができたとしたら。迷わないで、そして何か在れば私に相談して欲しいの」

神子であっても普通の女だと。黒龍に恋をして自分自身が一番良くわかった。そんな自分を何も言わずに見守ってくれた兄や母には随分と救われた。
 そんな存在が望美にはこの世界にいないから、せめてそんなとき、朔だけは彼女の味方でいてあげたいと、そう思った。朔の言葉に望美は頬を紅く染めながらも嬉しげに微笑んだ。

「うん、ありがとう、朔。朔が居てくれるだけで、なんだかすごく……いろんなことに勇気づけられるよ」
「それは、私の方よ、望美」

お互いに顔を見合わせて笑い合う。対の相手がいてくれるということ、自分はひとりじゃないと思えること。それが何より嬉しいことなのだと朔はしみじみ感じた。
 前方を譲たちと一緒に歩いていた景時が立ち止まり、二人が歩いてくるのをしばらく待っていて声を掛けた。

「何なに、何の話? 女の子が二人いると、なんだかいいね。
 おしゃべりしてるのがさ〜、なんか、華やか? 和やか?
 うん、ほんと、この春の日の空みたいにさ
 桜の花で霞みかかってるみたいにぽわ〜んとほのかに色づいた空気っていうか」

舞い上がっているのではないかと思うほどに、嬉しげに脳天気な笑顔でそう言う景時に、朔が途端に不機嫌そうな顔になる。

「兄上には関係ないことです! もう!」
「え〜、お兄ちゃんに内緒なのかい? 酷いなあ、朔。寂しいなあ……」

膨れっ面になった朔に、景時は苦笑しながらも戯けた調子でそう言うと言葉を続けた。

「鞍馬までもうあとそんなにかからないけど。疲れたら言ってね。すぐ休憩にするからね」
「兄上が休みたいだけじゃありませんの?」
「あれっ、やだな〜、ばれちゃった?」

朔の言葉にも全くこたえないように笑いながら景時はそう言って、再び前方へ戻って行く。その後ろ姿を眺めて朔は溜息をつき、望美はそんな朔を見て可笑しそうに笑った。

「いいなあ、朔、羨ましい」

意外な言葉に朔が驚いて望美を見る。

「何が羨ましいの?」
「え〜、だって、景時さん、いいお兄さんじゃない」
「兄上が? 頼りなくてお調子者で、今だって見たでしょ?」

今までも朔の前で景時を褒める人はいた。でもそれは、本当の景時を知らない人だ。若くして源氏の軍奉行だとか、源氏の恩人とか。そういう人達は景時本人と会うと少しばかり絶句する。
 洗濯好きであんな軽口を叩く景時の姿を見て、それでなおこんな風に言ってくれる人は初めてだった。そんな驚きを隠せずについ、朔は望美に向かって景時の駄目なところを挙げてしまったのだが、逆にむしろ望美に窘められてしまう。

「もう、朔って素直じゃないところあるんだから。本当は景時さんが心配してくれたってわかってるでしょ?
 優しい人だよ、景時さん。朔だって本当は頼りにしてるじゃない」

にっこり笑ってそう言われると、まるで朔の方が間違っているかのような気分になる。というより、確かに望美の言う通りなのだろう。

「……確かに、優しいひとだわ……でも頼りないのも本当なのよ。
 もっとしっかりしてくれればって歯痒いんだもの」
言い訳のようにそう言うと
「どうして? 景時さんらしいじゃない。頼りないってことないと思うけどなあ。
 朔はどうしてもっとしっかりして欲しいって思うの?」
先ほどまでとは逆に朔が望美に問いつめられる。そうと気付かずに朔は望美の問いに答えさせられていた。
「……だって。兄上ってば、平気平気って言いながら本当は全然平気じゃないんだもの。
 ちゃらちゃらしてみせてるけど、後ですごく落ち込んだりするのよ。
 それくらいなら、最初から戯けて見せたりせずに、もっとしっかりしてくれればいいのに」
「ほら、やっぱり、朔、景時さんのこと、大好きなんじゃない。だから心配なんだ。
 お兄さん思いの妹だし、妹思いのお兄さんだし、やっぱり、いいなあ」
そんな風に言われて、朔の顔が赤くなった。
「いやあね、望美ったら! あんな兄上が羨ましいならいくらでも差し上げてよ
 あなたの八葉でもあるんだし、せいぜいこき使ってやって!」

そう言うと途端に望美が笑い出した。それに釣られて、朔もついつい声を出して笑ってしまう。

「あまり前と遅れてはいけないわね、少し急ぎましょうか」

前を歩きながらもときどき振り返って二人を見ている景時が目に入る。二人は手をつないでそれに追いつくように少しばかり早い足で歩きだした。
 こんな風に楽しく笑える日が来るのが信じられなかった時もあったけれど。感慨深くそう思う朔は、望美が前方を歩くひとの背中を眺め小さく「ほんと……優しいよね……」と呟いたのに、気付くことはなかった。

END




今回は朔と望美で。女の子二人の会話。
朔は景時に手厳しいけれど、兄の良いところもちゃんとわかっている子だと思う。
わかっているから、ふざけたり、情けなかったりする景時が歯痒いんじゃないかなあ
小言も全部、景時を心配してのこと。そして、自分はそういう兄に本当は護られてるとも判ってると思う。
たまには兄上に感謝の気持ちを素直に言ってみようよ(笑)


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