白 妙 2




朝の光が木の梢の先を微かに明るく照らしていた。朝早い時間故にまだ喧噪は遠く、朝餉の準備をする厨の煙が静かに細く空に向かって伸びていくのがいく筋が見える。
まだ日が明るく射しこんできてはいない庭で、せっせと働く影が一人。
縁からその姿を認めた人影が、庭にいる人間に向かって声をかけた。
「え……景時さん? こんな朝早くからお洗濯ですか?」
驚いた声音は、先日からこの京邸で過ごしている白龍の神子・望美のものだった。庭で立ち働いていた景時は振り返り、少し決まり悪そうな表情になる。
「あちゃー、望美ちゃん。また見つかっちゃったなあ。おはよう、早起きだね。もっと寝ていてもよかったのに」
「早起きって……お洗濯済ませている景時さんには敵いませんよ」
そう言って、身軽にひょいと望美は庭に降りると景時の傍までやってきた。昨日出会ったばかりだというのに、全く物怖じもせず、まるでずっと昔から景時を知っているかのように傍らに立つ。
「お手伝いします!」
そう言って、景時を見上げて、にこりと微笑んだ。その望美の行動は景時が全く予想もしていなかったもので、不意のその微笑は真っ直ぐに景時を貫いていった。それは本当に不思議な感覚で、心の奥までつきぬけていったような感じではあるものの、衝撃というように強烈なものではなく、むしろ心地よくて、しばらく景時は望美を見下ろしたまま立ち尽くしてしまった。
「……景時さん?」
訝しげにそう問いかける望美に、景時は、はっと我に返ると慌てて誤魔化す。
「いや、いやいや、そんな、望美ちゃんに手伝ってもらうなんて、だめだよ〜
 それに、もう終わっちゃうから! ね、朝餉もすぐだし、望美ちゃんは気にしないで」
突然に、朝日が顔にあたったわけでもないのに顔が熱くなってくる。それを気付かれないように、足元においた盥に屈んで中の洗濯物を取ろうとした。
「え〜、いいじゃないですか! お手伝いします!」
しかし、望美は引き下がろうとせずに、景時と一緒に盥の中の洗濯物を取ろうとした。勢いよく差し入れられた手は、盥の中で景時の手に重なるように触れた。思いがけず触れあった掌の感触に景時は思わず手を引いてしまい、そのせいで中の洗濯物が外へと零れ落ちた。庭の土についてしまった洗濯物を望美が「ああ!」と声をあげて拾い上げる。

「あっ、ご、ごめん!」

慌てて景時は望美の拾い上げた洗濯物を奪うように取ると、ぱんぱんとはたいて土を落とす。
「大丈夫。うん、オレ、良くやるんだ。ごめんね」
「なーんで景時さんが謝るんですかー。私が邪魔しちゃったのに」
何故と問われても、景時も困る。洗濯物を落としてしまったことに対する謝罪なのではなくて、多分、触れてしまった手とか、その笑顔に顔が熱くなってしまったこととか、今も妙にどぎまぎとしていてそのことが変に後ろめたいこととか、そういうことに対しての謝罪である気が自分でもしていて、だから、やはり、景時は繰り返した。
「あー、うん、ごめんね」
途端に、望美が声をあげて笑い出した。
「ほんっと、景時さんったら……そんな簡単に自分が悪くもないのに謝っちゃ駄目ですよ。
 優しすぎるんだから……」
そう言った彼女の瞳が一瞬どこか遠くを見ているように見えて、また景時はその表情に目を奪われた。しかし、すぐに照れたような笑みにその表情はかき消され、望美は次の洗濯物を盥から取り上げた。

「二人で干したら早く終わりますよ。それから一緒に朝餉に行きましょう!」
その笑顔に自然と景時も笑みを零すと
「そうだね、じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかなあ〜」
と軽く言いながら並んで洗濯物を干し始めた。朔などは今でも兄のこの趣味を眉を顰めて眺めていたし、屋敷の下働きの者たちも未だに戸惑いを隠せないようだ。鎌倉に居た頃は母も面と向かって言うことはなくとも困った顔をしていたことだろう。こんな風に当たり前のように隣に立ってくれる人などいなかった。妙にくすぐったい気持ちになって、つい景時の口から鼻歌が漏れ出す。
 それを、望美は見上げると楽しげに笑って洗濯物を干し出した。
「毎日、こんな風にお洗濯、してるんですか?」
そう問いかけられて景時は、ちょっと困ったように頭をかく。
「いやあ、さすがに毎日じゃないよ。でも、今日はちょっと早くに目が覚めちゃってね。
 衣を洗っているとさ、汚れが落ちていくのも嬉しいし、それから、一心に洗っていると何も考えずに済むでしょ
 なんか集中しちゃって、心が落ち着くんだよね〜」
そう言いながら、景時はどうして彼女にはこんなことを言ってしまえるのだろうと不思議に感じていた。彼女は自分のこの『らしくない』趣味であっても受け入れてくれるからだろうか? つい、その優しさに油断して普段なら誰にも言わないようなことを口にしてしまう自分に、すこし戸惑う。
「あ! じゃあ、もしかして今日のこのお洗濯は……」
望美が少しいたずらっぽく笑いながら、そう言って景時を見上げた。そして、景時はやはり、その笑顔についつい自分を引き出されてしまう。
「えーと。いや、別に、今日の鞍馬山行きがどうこうってワケじゃないよ?」
その答えこそが何より正直に本当のことを語っていると景時自身もわかっていて、笑い出す望美を見て慌ててごまかす。
「いや、ほんとに今日は大船に乗ったつもりで、任せちゃってくれて大丈夫なんだから。
 どんな結界だって、もう、すぐに解いちゃえるって」
本当のところは、実際の結界を見てみないことには大船に乗ったつもりでとは言いがたいのだけれど、この隣で微笑む彼女に失望されたくないし、失望させたくない。もっとも、今のこの様子では、景時の本当のところなど、すっかり彼女にはばれてしまったことだろうと思われた。ところが、望美は景時のその言葉に力強く頷いてみせたのだった。
「はい! もちろん、景時さんに任せれば安心だってわかってますから! 今日、よろしくお願いしますね!」
それがあまりに、確信に満ちた響きだったのでかえって景時は驚いて望美を見下ろす。京で嘘にまみれた自分の評判を聞いた、それだけではけしてないような、まるで自信に満ちたその言葉。
 その言葉に自分などよりもずっと、もしかして望美の方があらゆることを見通しているのではないかとそんな気さえして、景時は頭を振った。そんな不思議な力を持っていたとしてもおかしくはない、白龍選ばれた異世界の少女は、まるで心配することなど何もないとでもいうように、先ほどの景時と良く似た歌を小さく口ずさみながら洗濯ものを干していく。その姿を見ているうちに、景時も今日一日が総て上手くいくような気がしてきて、朝からそれこそ『不安を忘れて集中するために』やりだした洗濯も、ただ楽しむためだけのものになったような気がした。最後の一枚を丁寧に干し終わると、庭木の梢のあたりまで昇った太陽が、あたりを照らしはじめる。その光に映えて、白い衣がはためくのを満足げに二人並んで眺める。
「君は本当に、なんだか不思議な子だね、望美ちゃん。
 オレの洗濯好きを変だって言わなかったのも、嫌な顔せずにつきあってくれたのも、君が初めてだよ」
大きく天に向かって伸びをしながら景時は言った。
「そうなんですか? だって、変だなんてちっとも思いませんから。
 あ、もしかして、今日も私に見つかっちゃったから、なにか言われるかも、とか思ってました?」
悪戯っぽく笑いながらそう言う望美を見下ろして、果たしてそうだっただろうか、と考える。それから、ゆるゆると首を横に振った。
「うーん……なんだか、見つかっちゃったなあ、とは思ったけど
 なんとなく、望美ちゃんだったらいいか、って思った……かも」
「あはは、本当? 景時さんに信用してもらってるみたいでちょっと嬉しいかな」
「……それは、きっと、君が、昨日のことも何も聞かずに黙ってるって約束してくれたりしたから、かな」
すっごく感激したんだよ〜、と景時はおどけた調子で言葉を続けた。小心者のオレを笑うことなく、しかも、オレに話を合わせてくれたでしょ、と言うと少し真面目な顔になって望美は言った。
「だって、景時さんは自分で言うような小心者じゃないってわかりますもん。
 洗濯が好きでも、戦が嫌いでも、小心者だって限らないでしょう?」
小心者とかっていうのは、もっと違う人のことを言うんですよ、と望美は笑った。その笑顔が景時の心になにか暖かいものを注いでいくような気がした。
 本当に、なんて不思議な女の子なのだろう。
 しみじみそう思って少女に見愡れる。姿形ではなく、その鮮やかな魂故に自分はきっとこの少女に見愡れずにはいられないのだと感じる。それは予感のようでもあり、あるいは、とうの昔から良く知っていたことのようでもあり、そんな景時を見返す望美の瞳も、それを肯定しているかのように見えた。
「あの……ね、望美ちゃん……」
何を言おうと思ったのか自分でも良くわからないままに、少女にそう呼び掛けたとき、屋敷の方から朔の少しばかり呆れたような声がかかった。
「もうっ! 兄上ったら! 今日は鞍馬へ出かけるから朝は早いって言ってましたでしょう!
 洗濯だなんて呑気なことをまたしてらっしゃるなんて……しかも、望美を巻き込むなんてどういうおつもりですの!
 朝餉の時間が遅れてしまいますでしょう!」
「うわっ、朔! しまったなあ〜」
勿論、朔が朝餉に呼びにくるまでに終わらせてしまうつもりでいたし、望美を巻き込むつもりがあったわけでもない。が、結果的にはどうやら朝餉はとっくに準備できているようだし、望美にも手伝わせてしまったので、景時の朔への立場は、大変悪いように見えた。
「違うよ、朔。私が、景時さんにつきあってもらったの!」
ところが、傍らに立つ望美がそんなふうに朔に向かって言い放ち、景時は驚いてしまった。
「え、え、ちょっと、望美ちゃん」
朔の方もなおさらに呆れ気味だ。
「兄上ったら……本当に情けない、望美にかばってもらうなんて」
しかし、その朔の言葉を聞いた望美が逆に朔をたしなめる。
「どうして? 私が嘘をついてるって朔は言うの?
 最初から景時さんが悪いって決めつけるのっておかしいよ。
 もしかしたら本当に私が景時さんにつきあってもらったかもしれないじゃない。
 それに、景時さんは情けない人じゃないよ。そんなの、朔だって良くわかっているでしょう?」
けして朔を咎めるでなく、友に向かって笑顔でそう語る望美に、朔は口を噤んで望美をじっと見返した。
 それから小さな嘆息をついて困ったように笑った。
「……そうね、腑甲斐無いと思うのは、本当はそんな腑甲斐無い人じゃないのに、と思っているからとも言えるわね。
 今日は望美に免じて、望美が洗濯をしたかったのに兄上がつきあったのだということにするわ。
 兄上、良かったですわね、望美が理解ある神子で。」
「あぁ〜……うん、ごめんね、朔」
困ったような顔で頬を掻く景時と対照的に望美は至極満足げな表情だ。
「私、お世話になるばかりじゃ何だから、お洗濯くらいお手伝いしようと思うんですけど
 慣れないし、上手じゃないから、景時さん、これからも助けてくださいね」
「ええっ、いや、ダメだよ、望美ちゃん、そんな君が洗濯だなんて、気にしなくてもいいから」
「いいんです。私がやりたいんだから。だから、絶対、お洗濯するときは誘ってくださいよ?」
そうして、景時の羽織を握って屋敷へ戻ろうと促すように歩きだす。その様子を見て縁に立つ朔が、また、呆れたように嘆息をついた。
「いいじゃないの、朔。お天気の良い日に、お洗濯ができて、風の中で衣がはたはたとはためいていて
 そういうなんでもないのどかな風景って、一番大切なんだよ。
 私は、そういう風景を守りたいって思うから戦おうって思うんだもん」
何気なくさり気なくそう言った望美の横顔を景時は見つめて、そして柔らかな表情と言葉に似合わぬ意志の強い瞳に気付く。いったい、彼女は何を知っていて、何を背負っていて、何をなそうとしているのだろう。そして、自分はそんな彼女を守ることができるだろうか。そんな景時の視線に気付いたのか、望美は景時を振り向いてにこりと笑った。
「そういう風景の大切さをわかってる人だと思うから、景時さんは大丈夫な人だって思うんです」
そして庭から屋敷へあがると、二人を待っていた朔に
「でも、朝餉に遅れちゃったのはごめんなさい、朔。
 ほんとは、厨房のお手伝いもしたいんだけどね……」
と謝る。そう言われるまでもなく、望美に対して怒っているわけなどない朔は、もういいのよ、と笑いながら言うと望美を促して朝餉の間へ向かった。
その後ろ姿を見送りながら自分も屋敷へ上がった景時は、望美の言葉の重さに、また、その言葉の投げかける救いにひどく心を揺らされる自分を意識せずにはいられなかった。






望美を前回出せなかったので、出してみましたってやっぱ洗濯ネタなのね
本当は、朔じゃなくて京邸にやってきた九郎に見つかって……とか思っていたのですが

そして、望美が九郎に景時の背中に隠れながら口答えしたりとかして
『やーい、九郎さんのおこりんぼ!』とかなんとか……と思ったりしたのですが
そこまでくだけるのはまだ早いかなということで、またの機会(あるのか?)に。
でも、景時の背中に隠れてあっかんべーな望美とか、カワイイんじゃないかとか
ついつい考えてしまうのでした。そして、喧嘩の相手は天地青龍どっちかなんだな(笑)
そして、この望美は、京邸炎上を経て戻ってきた望美なのですね。


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