還る場所



大倉御所を出た景時は、梶原邸へ馬を飛ばした。そこには最早、母の姿はないであろうことはわかっていたし、一刻も早く仲間の元へ向かって、上手くいったと安心させたかったけれど、やるべきことがある。急いて手抜かりがあってはならない。
案の定、邸はといえば御家人たちが上を下への大騒ぎだった。
「か、梶原様っ…!」
門の辺りで蒼い顔をした御家人に声をかけられる。馬上から見下ろせば、縋り付かんばかりに狼狽えた様子で景時に向かって声を震わせた。
「も、申し訳ございませぬ……!
 こちらにて預かりとなっておりました九郎義経と還内府、武蔵坊弁慶の3名に逃げられたばかりか
 お母上と妹君まで賊に奪われてしまいまして……」
平伏してそう言うのに、賊に奪われたというか、朔が賊を手引きしたというか……と少し気の毒になってしまう。実際、彼らには何ら責任などない。景時は馬上から降りると、身を屈め、平伏した者の肩に手を置いて彼を立たせた。きっと、この場の責任者だったのだろう、やはり邸に戻って来て良かった、下手をしたら腹など切らせてしまったかもしれない。
「ああ〜、もしかして、知らせが来ていないのかなあ?」
景時の拍子抜けしたような言葉に、男は顔を上げて驚いたように景時を見つめた。なんと言っても、叱責を受けると思っていたのだ。この場で腹を切れを言われても文句は言えないと思っていたというのに。
「九郎義経殿一行は、謀反の嫌疑が晴れて、京にて引き続き西国統括を、との命が下ったんだよ。
 それに、還内府と言われていた男も平家とは無関係だとわかったんだ、人違いだね。
 だから、朔にはそのように告げるように、って言っておいたんだけど……」
「は……? え、では、賊ではなく……?」
「ああ〜、やっぱり、行き違っていたのかね。
 賊ではないよ、それに、九郎殿たちはもう罪人ではないし、ここに閉じこめる必要もない」
そう景時が言うと、途端に男は再び平伏してしまった。なんでどうしてと景時がまた彼を立たせようと腕を取るが、畏まってしまって顔を上げない。
「そ、それでは私は、九郎殿に大変失礼な真似をしてしまいました。
 もはや嫌疑晴れた九郎殿を罪人と扱い刃を向けるなど……」
嫌疑が晴れてしまえば、九郎は頼朝の弟、御曹司である。それへ向けて刃を向けたなど、これまた確かに大変なことではあるが、それもまた彼の責任ではない。むしろ、景時こそ彼に対して申し訳なく思う。
「いやいやいやいや、九郎はそんなことを悪く思うような人間ではないよ。
 大将も務めた器なんだ、
 むしろ、職務を全うしようとした君の心をこそ褒めるんじゃないかな」
慰めるようにそう言う。男は景時を見上げて感極まったような表情になるが、そんな風に感激されることさえ、後ろめたい。
「大丈夫、心配しなくていいよ。それと、九郎殿出立ということで、ここの警備はもういいから
 いつもの持ち場に戻っていいよ」
そう言うと、男を無理矢理に立たせる。そうして皆をまとめて伝えるようにと言い、自分も邸の中へ入った。
(そっかー、九郎たち、ここにいたんだねえ)
それは居心地良かっただろう、勝手知ったる邸だからなあ、と景時は苦笑する。頼朝の狙いが何処にあったのかはわからないが、それでもまあ、良かったかな、と思った。部屋を覗くと、あれこれそのままになっていて、取るもの取りあえずそのまま出ていったものと思われた。それは確かに荷物をまとめる準備も何もあったものではなかっただろうが。
(また、いろいろ整理しに来なくちゃいけないね)
とはいえ、今、取りあえず持っていけそうなもの……弁慶が読んでいたのであろう開いたままの書物や、九郎の飾り紐や、細々とした彼らの残していったものをまとめる。
(うーん……まあ、これくらいしないと申し訳ないしねえ)
元はといえば、彼らがここに幽閉されたのだって景時のせいと言えなくもないわけで。少しだけ、仲間に会うのが怖かった。自分のしてきたことを知った彼らは自分をどんな目で見るだろうかと思って。もう一度九郎と共に京で働きたいと思ってそう話をつけてきたけれど、もしかしたら九郎の方が願い下げだと言うかもしれない。それでも。それでも自分は仲間に謝って、許して欲しいと伝えて、一緒にいたいと言わなくては、と思う。それが自分の望みだと伝えたい。そう伝える勇気は望美がくれる。
警護に来ていた兵たちもいなくなり、すっかり静かになった邸を景時は見渡した。
鎌倉はとても大切なところだ。景時の育った場所、父祖が守ってきた場所。きっとこれからも変わらないだろう。けれど、還りたいと思うところは、大切な人が待っていてくれる場所だ。
人のいない邸を見て、そう思った。
いつかまた、この大切な故郷に戻ってくることがあるとしたら、そのときは大切な人と一緒に。そうでなくては、きっと意味はないのだ。景時はもう一度、邸を見遣って、そして背を向けた。

磨墨を駆けさせて朝夷奈を目指す。不思議に心は静かだった。今、自分が感じているのが、成し遂げたという達成感なのか、終わったという感慨なのか。今まで心にのしかかっていたものが、もう無いということが俄かには信じがたい気がした。いや、まだ本当には信じられない。ちゃんと望美や仲間たちの姿を見るまでは。
鎌倉を出る朝夷奈の細い道を辿りながら、かつて同じように一人、この道を歩いたことを思い出す。あの時の自分は、抗えない命に支配され、あのときから自分は生きることに罪を感じていた。景時は磨墨から降りると同じ道を辿る。あの時と変わらない清らかな流れ。この流れを血で穢したのは自分だった。あのときから刀を握らなくなった。あのときから逃げて逃げて逃げてばかりいた。かつて邸があった場所は今は跡も残らず。
『その人は、景時さんに生きて欲しかったんです。
 その人は、鎌倉の町を景時さんに、見て欲しかったんです』
本当に、そうでしたか。本当に、そう思ってあのとき、自分を斬ろうとはしなかったのですか。
問いかける言葉に応えはもちろん、ない。もしも自分を恨んでいるなら、いや、きっとそんな人間は数多いるだろうけれど、だから自分は死ぬべきだとずっと思い続けてきたけれど、それでも。
――生きていたい。もう誰も殺さずに済む世を、誰も殺されずに済む世を、作りたい。
ゆっくりと歩いて景時はその道を辿った。生きていて、良いですか。生きていて、良いですか。自分の罪が赦されることはないと思うけれど、それでも浅ましく生きていたいと願っても良いですか。
俯いたまま、自分の靴先を眺めながら景時は歩いていた。このまま行けば、鎌倉を出て、そして仲間と再会して、そこには望美もいて、そして、その先は何も恐れることのない日があって――それはなんと幸せな日だろう、本当に自分はそんな日々を手に入れてもいいのだろうか、そんなことを赦されるのだろうか――
『梶原殿!』
不意に呼ばれたような気がして景時ははっと顔を上げた。聞き覚えのある声だった。いや、忘れるはずのない、声だった。
(上総介殿……?)
あたりを見回すが、もちろん、誰の姿もない。けれど、景時はその声に『顔を上げて行け』と言われたような気がした。振り向く先には切通しの狭い道しか見えないけれど、景時はその先へ向かって深く頭を下げた。犯した罪は消えることはない。自分が奪った命を忘れることはできない。それでも、いや、それだからこそ、顔を上げて生きていけるように、努めよといわれたような気がした。
生きたいと望むことは罪だと思っていた。けれど、生きよと、生きて欲しいと願ってくれる人がいる。その人のために生きようと、思う。

朝夷奈を越えて景時は再び磨墨に跨る。最後に一度振り向いたきり、もう振り向かなかった。
この先に、仲間がいる。
「磨墨、もう少し頑張ってくれよ〜。追いつけるかなあ」
任せろといわんばかりに磨墨が嘶いた。
過去は消せない、過去からは逃げられない。けれど、それらを背負った上で、それでも未来は作ることができる。それを望美は教えてくれた。
(心配してるだろうなあ〜、オレが上手く行ったって知らせることができたら良かったけど…)
そこではっと、式神を飛ばせばよかった、と思い出したが、すぐに考え直す。
(……オレの式神って速くないからなあ、きっと磨墨に追い越されるよなあ)
ぐんぐんと鎌倉が遠くなる。どんどんと西が近くなる。仲間との距離が縮まっていく気がする。そうするうちに、だんだんと、まるで鈍っていたようだった心が高揚してくるのがわかった。あれほど静かだった心がざわざわと騒ぎ出す。早く早くと気が急く。早く会いたい、望美の顔を見たい。約束を守ったと彼女に告げたい。やっと、自分にも本当の意味で大切なものを守りとおすことができたと。そして、彼女に話したい。朝夷奈を通るときに聞こえた声のことも。
駆け通しに駆けて、陽も傾きかけた頃に道の先に何軒かの家と木立が見えた。磨墨を休ませようかという気もしたけれど、早く皆に追いつきたい一心で、先を急ごうと心を決める。
「大丈夫かい?」
そう磨墨に尋ねると、少しばかり不満げに鼻を鳴らすので宥めるように首を叩く。それでも落ち着かなげな様子の磨墨に少しばかり走る速度を落とすと、民家の外に立つ人影に気付いた。遠くてまだ定かではないけれど。それでも、ああ、と景時にはわかった。懸命に手を振っている様子がよくよくわかった。
「磨墨、教えてくれたんだね」
そう言うと満足げに応える愛馬に、ありがとう、と伝える。そうして進路を変えて駆け出す。
「景時さーん!!」
声が確かに聞こえてくる。
やっと、帰って来た。やっと、たどり着いた。
自分が居るべき場所、大切な人が自分を待っていてくれるところへ――。




ゲームの中でも、梶原邸を護っていた兵とか
望美と朔が倒しちゃった兵とか、あの後何か責任取らされてたら
可哀相だなーと思いつつ、でも結果的には皆、無罪放免なんだから
問題ないってことになってんのかなーと思ったりしたのですけど
景時がフォローしていそうだなあと思ったりしているわけです。
こ、細かいかしらっ


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