繋いだ手




「ごめんなさい……いっぱい迷惑かけちゃって」
褥に横になった望美が申し訳なさそうに傍らの景時を見上げた。
「そんなことないよ、大丈夫。無理させているのはオレたちなんだし」
安心させるように景時が望美を優しい目で見つめてそう言う。反対側の枕元にいた弁慶も傍らの盆に何包かの薬を置くと柔らかく言った。
「疲れが出たのだと思いますよ。ゆっくり休めばすぐに良くなります。
 滋養のある食べ物を取って、念のために食後にはこの薬を白湯で飲んでくださいね」
望美はくるりと首を回すと弁慶に向かって言った。
「弁慶さんも……すみません」
「いいんですよ、景時も言っていましたが、無理をさせているのは僕たちですから。
 しばらく動きはないでしょうし、2、3日ゆっくりしてください」
にっこり笑うと弁慶は軽く一礼して立ち上がった。そして望美にはわからないように、目線で景時を促すと部屋を出ていく。景時はその視線を見返して小さく頷くと、再び望美を見遣った。褥の中からそっと手を出して座した景時の膝に触れてくる。その手に触れて軽く握ってやると、ふわりと小さく微笑んだ。愛おしいという想いが瞬間に溢れそうになる。



『大事にしてさしあげてくださいな、景時。
 源氏にとっても大切な神子様ですもの』
景時が望美を抱きかかえているのを見て、政子は艶やかな笑みを浮かべてそう言った。少しだけほっとしたのは確かだ。『大切にせよ』と言う言葉に。笑顔とは裏腹な冷たい瞳は、言葉通りの感情を政子が抱いているわけではないという証拠ではあるが、それでも『源氏にとって望美は必要』だという判断を下したのは間違いないだろう。だが、一方できっと政子は、景時にとって望美が大切な存在であるということも見抜いただろう。だから、わざわざ九郎ではなく自分に向かって、望美を大切にしろ、と言ったのだ。



「景時さん……?」
黙ってしまった景時に訝しげに望美が小さく問いかける。景時は大丈夫だ、と言うように笑いかけた。ほんのりと望美の頬が色づいたのは気のせいではないだろう。守りたいという自分の心に正直になってしまえば、今度はもっとと溢れる想いを押さえることに苦労する。その絹糸のような髪に触れて、桜色の頬を撫でたいと考える浅ましい想いに、景時は内心苦笑した。
「大丈夫だよ、望美ちゃん。もう、眠った方がいい」
そんな理由をつけて空いている方の手を彼女の額にあて、そのまま目の上へと滑らせる。触れた手のひらから彼女の体温とともに、違う熱が伝わってきそうだった。そっと手を離すと素直に目を閉じた望美が、景時を引き留めるように繋いだ方の手に力を込めた。
「……眠るまで、手、繋いでいてもらっていいですか?」
「……うん、オレで良ければね。ちゃんとついていてあげる」
ほっとしたように、望美の手から力が抜ける。景時さんが手を握っていてくれたら怖い夢を見ないで済みそうです、と小さく呟くのが聞こえた。その言葉に、今度は景時が繋いだ手に力を込めた。
 知盛に向かって行ったときの望美を思い出していた。何かに衝かれたかのように一心に剣を振るっていた。それは何かに恐慌をきたしているかのようにさえ思える姿で、これまでの戦いの中で望美が見せたことのないものだった。そのまま望美が知盛と同じ、戦いの狂気へ身を落とすのではないかと不安になり、気付いたら彼女の前に出ていた。手をとって、こちら側へ引き留めなくては、とそれだけ思った。何が彼女をそうさせたのか、彼女が怖れるものが何なのか、景時にはわからない。けれど、そんなものからも望美を守れたら、と思う。もし、自分がこうやって彼女の手を握っているだけで、怖ろしい夢からも、戦の狂気からも彼女を守れるというのなら、どれだけだって自分の腕を差しだそうと思う。
「……夢の中だって望美ちゃんのためなら駆けつけるよ。だから、安心してね」
目を開けずに、望美が微笑んだ。景時も自分の顔を見られない方が良かったのでほっとする。きっと今の自分はみっともないくらいに、泣きそうな顔をしているだろう。大切で大切で、守りたくて、苦しくて、不安で。
(大丈夫だよね? きっと、オレは君を守れるよね……?
 だって、オレの鎖骨の宝珠は、君を護るためにオレが存在するっていう印なんだもの)
今度こそは、守り抜きたいのだ、大切なものを。





 望美が眠った後、景時はそっと部屋を出た。自室へ向かうべく角を廻ったとき、弁慶が腰を降ろして待っていた。
「望美さんは、眠られましたか?」
にこりと微笑んで問いかけてくる。
「うん、ありがとね、弁慶。2、3日ゆっくりしてたら治るんだよね?
 また明日、様子を診てあげてよ」
多分、先ほどの様子からして自分に用事があるのだろうとは察するが当たり障りのない答えを返す。もちろんです、と言いながら立ち上がった弁慶は、景時をじっと見つめながら問いかけた。
「龍神の神子から一心に想いをかけられるというのは、どんな気分ですか?」
「な……なにを言うのさ、弁慶!」
弁慶の言葉に景時の声が上擦る。見返した弁慶の表情は真面目なものだった。景時は目を合わせられなくて顔を背ける。
「そんなこと……あるわけないじゃない。望美ちゃんがオレのことなんて……」
「九郎ほど鈍いならともかく、誰だってとっくに気付いていますよ。
 君と望美さんの間に特別な絆が出来ていることなど」
ぐっ、と景時の胃の底が重くなった。それは確かだろう。生田での出来事を見れば誰であれそう勘ぐることはできるはずだ。黙ってしまった景時に弁慶は苦笑しながら言う。
「勘違いしないでください、僕は何も君や望美さんを責めるつもりなんてない。
 まあ、ヒノエあたりなら悔しがっていそうですけれどね」
景時はゆっくりと顔を上げて弁慶を見る。疑わしげなその様子に弁慶は人の悪い笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「本当ですよ。むしろ、僕は喜んでいるんですから」
その言葉に景時は今度ははっきりと疑問を表情に浮かべて弁慶を見遣った。弁慶の表情から笑いが消える。時々怜悧になる軍師は、その表情のまま景時に向かって静かに言った。
「望美さんが君を好きだというのなら、源氏を裏切ることはないでしょうからね。
 君が源氏を裏切るというのならともかく」
「弁慶!!」
かっとして景時が声を荒げるのに、弁慶は静かに、というように口元に指をあてる。
「本来、望美さんは源氏の人間ではありませんからね。
 怨霊を封印できるからといって源氏に従う理由もない。
 平家の公達に誑かされてあちらに通じるなんてことがないともいえない」
「望美ちゃんは、そんな子じゃない!」
「……そうだとは僕も思いますが、可能性がないとはいえないということですよ。
 でも愛しい男が源氏にいるなら話は別。彼女は源氏のために尽くしてくれるでしょう。
 君は本当に有能な軍奉行だ」
「オレは……そんなつもりじゃ……!!」
景時は喉から絞り出すような声でやっとそう言った。弁慶にそんな風に思われることが心外で、ひどく混乱した。仲間なのに……と無意識に思って、そして思い出す。仲間であって仲間ではない自分と弁慶や九郎との関係を。口を噤んで視線を落としてしまった景時に弁慶は溜息をついた。
「……そう、君はそんな器用な人間じゃない。だから心配するんですよ。
 君がもっと狡猾で自分のことしか考えない人間だったら、もっと楽でしょうに。
 君が、今僕が言ったようなことを割り切って考えられるなら心配もしませんが
 そんな人間であったなら、望美さんが惹かれるはずもないですしね」
上手くいかないものです、と弁慶が呟く。意味がわからなくて景時は弁慶を見つめる。居心地が悪くて仕方がない。一体自分は、弁慶に咎められているのだろうか。
「僕からの忠告を言うとすれば、望美さんを早く自分のものにしてしまうことです。
 名実ともに、君のものにしてしまうのが一番いいと思いますよ」
今度こそ景時は不快そうに弁慶を見つめた。
「そんなこと、こんな戦の真っ最中にするべきじゃないってわかるだろう?
 ……第一、オレが望美ちゃんとそんな風になるなんて、あるわけない。
 オレたち御家人は、頼朝様のお許しがなくちゃ姻戚は結べないんだから」
言い訳がましいことを口にしているが、確かにそれも理由だけれど言われて不愉快なのはきっと自分の奥底の願いが弁慶と同じ、名実ともに望美を自分のものにしたいと願っているからなのだろうと景時は想った。そのまま弁慶の答えも聞かずに歩き出す。弁慶も何を言うこともなくそんな景時を見送った。廊下の先にその姿が消えた後に弁慶が呟く。
「……だからこそ、鎌倉殿に赦しを得て望美さんを君のものにするのが一番安心だと思うんですけどね。
 もちろん、簡単ではないでしょうし、無理な話かもしれませんが」





自室に戻って景時は座り込むとじっと自分の手を見た。
多くのものを奪ってきた手。何も守りきることができなかった手。その手を、でも、望美は怖い夢を見なくなる手だと言ってくれる。自分も、彼女を護りたいと思う。生田の森で彼女を見つけたとき、きっと変われると思ったのだ。彼女と自分を繋ぐ絆が自分の身体には刻まれていると。二人だけで術を使うことができたとき、自分は確かに彼女を護るための力を持っているのだと実感したのだ。
なのに不安は消えない。弁慶の言葉も政子の笑みも、ただ不安を強くする。源氏のためになるから赦される恋なのだろうか? 源氏に必要だから彼女を引き留めるために役立てということなのだろうか? 自分は早まったのだろうか。本当に自分は、望美を守る盾になれるのだろうか。いつか、彼女が自分に寄せてくれる想いが、自分が彼女に寄せる想いが、彼女を追いつめることにはならないだろうか。
深く深く、景時は息を吐く。
それでも、彼女を護ると自分は決めたのだ。どのような思惑が周囲にあろうとも、自分はただ彼女を護りたいと思い、それを為すのみだ。強く拳を握りしめて景時は強く祈った。自分を八葉に選んだ運命に。どうか、最後まで彼女を護りきることができるように、と。




合間の話ということで、生田編はこれで終了、次からは鎌倉です。
生田の戦いを政子は見てるわけで、それが頼朝に報告されたんでしょうね。
弁慶さんに苛められる(?)景時さんというのは書いてみたかった場面です。


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