おくりもの




 人の秘密を知るというのは、なかなか重たいものだけれど、その秘密がなんだか微笑ましくて、自分がそのひとの秘密を知っていることが嬉しくなったりするのは何故だろう。朝目覚めたときには、あの炎に包まれた邸から戻ってきた朝のように、焦燥感にかられて剣を取らずにはいられないのに、そのひとの足音が聞こえると、なんとなく肩に入った力が抜けるのは何故だろう。それは多分、そのひとの、のんびりした調子に引きずられてしまうからだと思うのだけれど。

 望美はそんなことを考えながら、手にした短冊をじっと眺めていた。京邸の望美の部屋で、夕餉までの少し空いた時間を過ごしている。手にしている短冊は今朝、景時からもらったものだった。
 しかし、何が書いてあるのかは、望美にはさっぱりわからない。読めないのだ。ただ、流麗でいて端々に力強さを感じる線に、上手だなあと感心する。出逢いからして意外な人だと驚いたけれど、その後もいつもいつも意外な驚きを感じる人というのも珍しいな、と望美は思う。もうかれこれ望美の中では1年以上を彼と過ごしていることになっているのだけれど、以前は彼のこんな一面を知らずにこの時間を通り過ぎていた。そう思って少し胸が痛んだ。一度なくしたものを取り戻すために望美は今ここにいる。そして、一度なくしてしまった人たちのことを改めて知る度に、なくしたものの大切さと今まだ彼らがここに居てくれることに感謝し、自分が運命を変えるために戻ってきたのは間違いではないと確信するのだ。

「……それにしても、なんだか面白い人なんだなあ、景時さんって……」

ふふ、と笑いながら望美は短冊を文机の上に置いた。その人の姿を見ると少し胸が痛むのは仕方がない。何故なら、燃える京で彼の死を知らされたことを思い出してしまうからだ。そんなはずはないと思った。最後に会ったときも、笑顔で軽くいつもみたいに『任せといて〜』と言っていた。いつも余裕たっぷりで、皆のお兄さんみたいで頼れる人だと思っていた。『死ぬ』ということが似合わない、一番遠くにいるような人に思っていた。
 だから、それを聞かされたときに、何か張りつめていたものが切れてしまったような気がしたのだ。運命を変えるために戻ってきたこの世界で、最初に出逢ったのも景時だった。

(……紀州だったけどね)

 いつものように鼻歌交じりに部屋にやってきた彼の姿をみて、間に合ったと安心したことを思い出す。その後時の流れを変えるにはもっと上流から……とリズヴァーンに言われ、宇治川までさらに時間を遡ってきたのだが。

 正直に言うと、今の自分が歩んでいる道が正しいのかどうかわからない。このまま行って本当にあの未来を変えることができるかどうかという保障はない。その思いが望美に毎朝、焦燥をもたらすのだ。もちろん、誰もそんなことは知らない。知らないままに、望美だけが知っている日々を生きている。それでも日々の中、以前とは違うのだということを僅かに望美は体験して、その小さな積み重ねが違う運命を辿るのだという思いに希望を抱くのだ。

(だって、前のときは景時さん、こんな書なんてくれなかったしね)

そして、この書を貰った今朝の経緯を思い出すと、やはり望美はふわりと笑みを零さずにはいられないのだった。



 朝餉も終わり、日課としている剣の鍛錬も終えた望美が自室へ一旦戻ろうとしていたとき、軽やかに縁を歩く足音が聞こえた。

「あ、望美ちゃん!」

間違えようもなくその足音の主は景時だった。いつだって彼は楽しげな顔をしているが、今日はまた一段と嬉しげな笑顔で、望美もつられて笑顔になってしまう。

「どうしたんですか、景時さん」

その理由が知りたくてそう問うと、景時は手にしていたものを望美に示してみせた。

「今日はね、なんだか自分でも会心の出来だと思うんだよね!」

それは文字の書かれた短冊だった。望美には何が書いてあるのかわからないが、それでも達筆だということはわかった。

「綺麗な書ですね。景時さんが書いたんですか?」
「そうだよ。嫌いじゃないんだよね、書を書くの。
 それに、心を落ち着かせるために、時間を見つけて毎日書くようにしてるんだ」

素直な望美の感嘆の眼差しに、照れたような顔で景時が答える。それは望美にとって少しばかり意外な驚きだった。落ち着きがないといつも朔に小言を言われている景時は、望美に言わせても賑やかで、ひとつところに落ち着いていなくて、元の世界の言葉で言えば「アウトドア派」のように思えたのだ。
 洗濯好きでも戦嫌いでも、机に向かって静かに何かをする、というイメージとはほど遠い気がしていた。ので、いわゆる『知的』かつ『芸術的』な趣を感じる書道というものと、普段の彼が繋がらなかったのだ。しかも毎日続けているという根気強さも朔の言うところの『いい加減』とはほど遠く思えた。

「すごい、景時さんって努力家なんですね。毎日続けるってなかなか出来ないのに」
「えっ、ええ?? いや、努力っていうのとは違うっていうか……好きだから続いてるようなものだし
 ほら、オレ、お調子者だし、心を静めるのにはちょうどいいっていうか
 それに、出来上がったのをこんな風に見せびらかしにきちゃうのは、やっぱり……お調子者だよねえ」
「え。見せに来てくれたんですか?」

あはは、とバツが悪そうに頭を掻いて景時が笑う。

「ほら、オレってばいつも、こう、情けないところばっかり見られちゃってるからさ。
 たまに自分でも嬉しくなっちゃうようなものが出来たりすると、見せたくなっちゃうんだよねえ」

特に、望美ちゃんには洗濯好きとか、いろいろどうしようもない秘密がバレちゃってるし、と景時は続ける。
 その様子を見つめる望美は自然と微笑んでいた。10歳も年上の、以前は皆のお兄さんみたいだと思っていた目の前の人物を、そのとき『かわいいなあ』と思ってしまったのだ。そして、そのことに気付いて赤くなる。さすがにそれは、景時に失礼な気がしたのと、自分が無意識に感じたそのことに戸惑ったせいであった。それを誤魔化すように望美は景時の手から短冊を取って言った。

「私、まだ文字が読めないんですけど、でも本当にこれ、いい書だって思います。
 景時さんって、ほんと何でも器用にこなしちゃうんですね。驚いちゃう」

途端に景時の顔が赤くなって照れた様相になる。彼は慌てたように両手を顔の前で振り少し後ずさった。

「い、いやいやいやいや、そんな、ほんとにたいしたことじゃないからっ
 それに、オレ、全然器用じゃないっていうか、なんでもこなすなんてそんなことないよ〜
 逆にもう、どれも駄目っていうか、何ひとつコレっていうものがないっていうか……」
「もう、景時さんが器用じゃないなら私なんて、ダメダメじゃないですか。
 お世辞じゃなくて、本当にすごいって思ってるんですから、素直に褒め言葉として受け取ってください」

普段の大言壮語とうって変わって自分なんてたいしたことがない、という景時に望美は可笑しくなったものの、笑いながらそう言う。すると、それまで何処か戯けた様子だった景時の纏った空気が変わったような気がした。

「……ほんとに、そんな風に望美ちゃん、思ってくれるの?」

静かなその声に、望美は驚いて顔を上げ景時を見つめる。常とは全く違う、どこか頼りないような表情の景時がいて、望美は口を噤んだ。驚きと共にひどくその表情は胸に迫るものがあって、彼が何故そんな顔をするのか不思議ではあったけれど、その理由を尋ねるのも憚られ、望美はただ、こくり、と頷いた。

 その望美の表情に景時ははっと我を取り戻したかのように、またいつもの笑顔になると嬉しそうに頬を掻いた。

「あはは、ありがとう、望美ちゃん。小言を言われ慣れている身としては、そこまで褒めてもらっちゃうと
 ちょっと照れるなあ〜。でもすっごく嬉しいよ。
 君に言われると、なんか、オレって凄いんじゃないかなって気になっちゃうね!」
「す、凄いんですから、実際!
 だから、自慢していいんですよ。ほんと!」
望美もどこか気まずい空気を誤魔化すようにそう言う。そして、手にしていた景時の書を返そうとすると、それを景時が押しとどめた。

「や、えーと、それ、望美ちゃんにあげる。というか、受け取って」
「え? いいんですか? だって、せっかく会心の出来なんでしょう?」
「うん、いいんだ。望美ちゃんに貰って欲しい、かな」

その声に先ほどと同じような空気を感じて望美は景時を見上げたが、表情はいつもの少し照れたような笑顔だった。なので望美はその書を受け取ると
「ありがとうございます、じゃあ、もらっちゃいますね。
 そうだ、私のお習字の練習のお手本にしようかな。
 私、お習字苦手で、字も子どもっぽくて綺麗な字って憧れなんですよ。」
と明るい調子で言ってみせる。すると景時はやっぱり少し慌てた様子になって
「えっ、望美ちゃんの手習いの見本? や、それはもっとわかりやすくて違うのを探してあげるよ」
と言う。その慌てぶりがおかしくて、なんだかもっと困らせてみたくなってしまうのは何故かな、などと望美は思ってしまう。そんな自分を不思議に思いながらも、景時に貰った書を大切に胸に抱いて受け取ったのだった。



 今朝からずっと、そして文机の上に置いて眺めては手に取り、また文机においては眺めているその短冊を、望美はまた手にとって眺めた。何度思い出しても、景時のあの嬉しげな顔には望美の顔も綻んでしまう。

「望美、そろそろ夕餉よ……って、あら」

そこへ戸を開けて顔を覗かせたのは朔だった。目ざとく望美が手にしている短冊を見つけると、困ったように溜息をつく。

「兄上ね……望美にそんなものを押し付けるなんて。
 望美も処分に困るなら無理して受け取らなくてもいいのよ」
「ち、ちょっと朔ー。困ってなんかいないよ。
 どこかに飾ろうか、それとも大事に仕舞っておこうか悩んでるだけ!
 あ、でもお手本にするならやっぱりどこか飾っておきたいかなあ。でもお日様で色あせるとやだなあ」
「……本当に? 兄上の書が嬉しいの?」
妙に驚いた顔をされて、望美は力いっぱい頷いた。自分でも何故そこまで思い切り肯定するのかよくわからなかったが、不意に気付く。

「えっとね。だって、初めてだから」

 そうだ、この京に来て初めての『嬉しい』贈り物だからなのだ。これ以前に貰ったのは白龍の逆鱗だけ。元の世界に戻ったとき手の中にあったのは逆鱗だけだった。それだけが元の世界とこの京を結ぶ唯一のものだった。
 けれどそれは、あまりにも悲しい贈り物で。こんな風に嬉しげに手渡されたものは初めてだったのだ。いつか自分が元の世界へ戻ることがあるなら、そのときにもきっと持っていく。いきたい。そんな贈り物だったのだ。

「すごく大切にしたい、贈り物なの」

そういって笑うと、それまで眉間に皺を寄せていた朔もひどく嬉しそうな顔をしたのだった。





景時×望美、にはまだなってない雰囲気のSSです。
でも、そろそろ意識し始めるかなあ、というあたり。
景時も自分を褒められ慣れていなくて、普段自画自賛していても
いざ本気で自分を褒められると、リアクションに困ってしまうタイプ(でも嬉しい)
そして朔も普段景時に小言を言ってばかりだったりして
いざ本気で兄を褒められてしまうと、やっぱり困ってしまうタイプ(でも嬉しい)



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