水 底




「隠れ里稲荷を穢されたなんて、頼朝……さんは怒るんじゃないんですか」
歩く道々、景時に向かって譲が言った。譲の感覚では「頼朝」とついつい呼び捨てにしてしまう歴史の偉人ではあるが、九郎が怒るのと、自分にとっては教科書や歴史書の中でしか会ったことのない人物であれ、ここにいる仲間が仕えている人物ということである程度敬意を払うように弁え、最近は「頼朝さん」と呼ぶようにしているのだ。
「あ〜……譲くんたちの世界にも隠れ里稲荷はあるんだ?」
景時は少し歯切れ悪くそう言った。その少し後ろを歩いていた望美は、二人の間に入ってきて問いかける。
「隠れ里稲荷って何かあるんですか?」
同じ鎌倉に住んでいたというのに、譲や将臣と望美とでは知っていることに差があるらしい、とは景時も朔も……というか八葉みな気付いていた。それなのに、望美は誰も知り得ないようなことを感じ取ったりもするので、そこが神子たる所以と不思議に思えたりもするのだが。
「う〜ん……頼朝様が伊豆に配流の身でおられたときに、ここの稲荷神が
 挙兵のお告げをしたんだよ。頼朝様に味方されたんだ。
 だから頼朝様にとっては、この祠を穢されるのは勿論、不愉快なことだろうね」
軽く言ってはみたものの、景時にしてみれば軽く扱っていいことかどうかが判断つきかねている事柄ではあった。鎌倉に怪異が起きていることは確かで、その原因について、頼朝は……というよりも政子は十二分にわかっているだろう。鎌倉の入り口である朝夷奈と、頼朝を助けたと言われる隠れ里稲荷、鎌倉の水を象徴する十井の一つ星月夜の井……この三か所を穢すことで鎌倉を穢そうという平家の狙いは判りやすい。しかし、わからないのは、それを敢えて放置しているのではないか、と思われる頼朝と政子のことだった。
鎌倉が怨霊に襲われるかもしれない、それを頼朝も政子も気付いていないかもしれない。そう思い、間に合わないと思うからこそここまでやってきたものの。実際には怪異は疾うに人の口に上っており、頼朝も政子もそれについて良くわかっているようであった。
(……もしかして、オレは、間違ったのかな……)
鎌倉には来るべきではなかったのだろうか、とそんな思いが景時の中を過ぎる。それでも、ここまで来たからには怪異を解決しなくてはならない。龍神の神子は有能でなくてはならないのだ。鎌倉を護る者でなくては。
「頼朝さんにとって大切な所を穢すっていうのは、嫌がらせとしては正解ですね〜
 ほっとくと、そういう所が増えそうですし。さっさと解決しちゃいましょう」
望美が景時の思いを破るかのように明るくそう言い、景時もそうだね、と頷いた。どんな思惑があったにしても、もうここからは引き返せないのだから。



「怪異か〜狐火が出るなんてね〜」
祈祷を行っていた僧からも話を聴き、問題の池の周りへ皆が集まる。澱んだ水の底は見えず、問題の火も今は見えない。ただ、水底から何か嫌な感じを受けるのは朝夷奈で感じた気と同じだった。それにしても、と景時は考える。狐火が上がるということは、その原因が何処かにあるはずで。火克金、火生土、五行に当てはめて考えればその元が何処にあるかわかるかもしれない。そんなことを考えていると譲が口を開く。
「狐火って、つまり、俺たちの世界でいう火の玉みたいなものですよね。
 それなら池の底に何かあるかもしれませんね」
「えっ、池の底? 火が水から出来るのかい?」
それは景時たちの考えの中にはない発想で、単純に驚いてしまった。譲はといえば、そんなに驚かれたことの方に驚いたらしく、少し照れたように眼鏡を中指で押し上げる。望美も感心した表情で見上げているのが余計に照れ臭いのだろう。
「僕たちの世界では、火の玉の原因というものの一つとして考えられているんです。
 水の底に溜まった木の葉なんかが発酵してメタンガスを発生させ、それが燃えて火の玉に見えるっていう……」
「へぇ〜、めたんがすとか良くわからないけれど、そんな風に譲くんたちの世界じゃ言われているんだね。
 オレなんかついつい、五行で考えちゃって水克火なんて、水から火が生ずるって思いもしなかったよ」
「いえ、でも、それは僕らの世界の話で、こちらでもそうかはわかりませんし……」
手放しな景時の感心する言葉に譲が慌てる。譲にしてみれば、景時は後から現れたくせしてさっさと望美の心を攫っていった、どうしたって許し難い相手でもあった。けれど、景時という人間は嫌いになるには善良な人間すぎた。どうしたって憎みきれない、嫌いきれない……譲にとってこの世界で裏表無く自分を語れる、信頼できる数少ない人間なのだ。景時を見ていると、望美とのことも、もう仕方ないんじゃないか、とふと思うことがあるほどに、異世界で出会った白虎の対は譲にとっても大切な友人でありもう一人の兄のような人になってしまっていた。
「まあまあ、いいじゃない。試してみようよ、この池の底に何かないか」
「え、でも景時さん、どうやって?」
「おいおい、まさか池の底を皆で浚うとか言うんじゃないだろうな」
そう言われて景時は少し考える。確かに全員でかかったとしても、池の底を浚うなど無理な話だろう。第一、望美や朔にそんな真似はさせられないし、皆ドロドロになってしまう。そうなると別の方法を考えなくてはならない。
(あー……なくは、ないかなあ)
景時にはその方法に心当たりがあった。が、それを皆の前で行うことには少し躊躇いがあった。何故なら、自分は優秀な陰陽師ではない、という自覚があったからだ。
「……うーん……でも、やらなくちゃいけないんなら、さっとやっちゃった方が早いかも?!
 泥まみれになったって、洗えばいいだけだし!」
景時が躊躇っている間に、そう言って望美が立ち上がる。
「の、望美ちゃん!」
慌てて景時はその望美の手を取って引き留めた。驚いたように望美が景時を振り返る。何故、自分が止められたのか、さっぱりわからないという表情に、景時は(本当に、君は……)と感じる。泥にまみれることも躊躇わない。自分に出来る最善を尽くそうとする。そんな望美の前で、自分にできることがあるというのに、躊躇う自分が恥ずかしい。
「待って、オレにいい案があるから」
景時はそう言うと愛用の銃を取り出して構えた。どうか上手く行って欲しいと願いつつ引き金を引く。パシュッという乾いた音と共に何か黒い生き物が弾き出される。それは池の手前の地面にぺとり、と足をつくと、そのままのそのそと水際まで進み、ぱしゃんと音をたてて水中へもぐっていった。
「え、え、今の、何ですか?」
望美は興奮したように、そのものが消えた水面と景時の顔を交互に見交わした。水面を指差すその様子には、嫌悪感はないようで、少しだけ景時はほっとした。
「サンショウウオですか、今の」
「あはは、オレの式なんだけどね。もっとカッコイイのをぱぱっと出せたらいいんだけど
 オレが出せるのって、動きが遅いヤツばっかなんだよね〜」
笑いながら自分の劣等感を誤魔化すようにそう言うと、譲がそれこそ驚くように言う。
「そんなの、俺からしてみたら式が出せるっていうだけですごいことですよ」
望美も大きく頷いている。その背後の朔はといえば、兄を甘やかさないで欲しいというように渋い顔をしているが景時は、そんな風に本当に驚き感心してくれる譲と望美に嬉しくて照れくさくてどう反応して良いか困っていた。今までに、自分の式を褒められたことなどない。修行時代は兄弟子からも師匠からも溜息をつかれるか馬鹿にされるかどちらかだったし、それ以降、人前で式を使ったことなどない。出したところで、自分の式が役に立つと思ったこともないから当然なのだが。たまに手慰みに一人で式を出してみたりしてもみたが、いくらやっても動きの遅い式しか出せなかった。自分の式は、確かに愛着はあるけれど周りから見たらみっともないものだと思っているのだが……心配そうに池を覗き込む望美の姿に、そんな自分の劣等感がひどく小さなものに思えた。
 やがて、ぱしゃん、と小さな水音をあげてサンショウウオの式が姿を見せた。その口には朝夷奈で見つけたのと同じ、人形がくわえられていた。
「あ〜……なんか、ヤなもの見つけてきたみたいだね」
するするとサンショウウオは泳いで景時の元まで戻ってくると、のそりと池から上がり、くわえていた人形を地面へと落とした。そして、まるで褒めてくれといわんばかりに景時たちを見上げている。
「すごい、賢い子なんですね! ちゃんと捜してくるなんて」
望美はそう言うとしゃがんで、指先でサンショウウオの頭をそっと撫でた。それから
「えーっと、これに触ればいいんだよね……何度やっても、ヤな感じなんだけど……」
と呟き、そっと人形に触れた。ぱしん、と乾いた金属音と共に人形が消える。途端にあたりの空気も清々しく変化し、澱んで見えた池も穏やかな表情になった。
「これで、ここも大丈夫だね、良かった」
景時は式を元に戻そうと地面に眼を落とし、そこにその姿がないことを確認する。
「あれ?」
はたと慌てて周りを見回すと、望美がサンショウウオを手に乗せてまるで会話を交わすかのように顔の前に持ち上げまじまじ見つめていた。
「の、望美ちゃん?? 気持ち悪くないの?」
一度朔に見られた時には大いに不評だったのだ。
「ええ? どうしてですか? せっかく頑張ってくれたのに。
 それに、良く見ると、この子、可愛いですよ。つぶらな瞳が何か言いたそう。
 言葉はわからないんですか? あ、でも景時さんの命令がわかるんだから言葉、わかるのかな」
手のひらに乗せてもう一方の手で先ほどの景時のように頭を指先で撫でながら望美がそう言う。言葉がわかるのかどうかは、景時にだってわからない。が、一応、式神ではあるので景時の言葉には従う。今見ている様子では、望美の言葉もわかっているような気はしないでもないが。
「ね、この子、あんな人形くわえて戻ってきたけど、大丈夫ですよね?
 あ、私が触れたら穢れが落ちるんだから、こうやって触ってあげれば大丈夫なのかな」
実際は、式神なので死ぬということはないし、こちらでの身体が消えたとて新たに形代を与えれば戻ってこれるのであるし、心配する謂われは無いのだが、そんな風に愛情と親愛を以て自分の式がもてなされている様子を見るのは新鮮な感動だった。
「大丈夫だよ、動きは鈍いけど、身体は丈夫だから」
そんな風に戯けて言ってみると、望美は安心したように微笑んだ。
「先輩こそ、大丈夫ですか? 穢れを2体も触れて身体はしんどくないですか?」
譲が心配そうにそう問いかけるのに、望美は手の上でサンショウウオを遊ばせながら答える。
「全然平気だよ。アレね、触るときに気持ち悪い、って思うんだけど
 触った後とか別になんともないんだよね」
ねー、と同意を求めるようにサンショウウオを見遣る望美に、景時だけではなく譲も他の面々も苦笑を禁じ得ない。しかし、望美はというとご機嫌で全く気にすることなくそのまま歩き出す。
「さて、これであと残りひとつってとこですね!」
サンショウウオを手にしたまま、歩いていこうとする望美に景時は後から追い掛ける。
「の、望美ちゃん……!」
「あ……やっぱり、黙って持ってってもバレちゃいます?
 池に返してあげた方がいいのかな」
そういうことではないのだけど、と景時は内心思いつつ、ぺろりと舌を出して悪戯っぽく笑いながらサンショウウオを差し出した望美に笑ってしまう。差し出された手の上のサンショウウオに、景時は
「ごくろうさま、お前をこんなに気に入ってくれる人がいて良かったな」
と言うと、小さく呪文を唱えた。途端に望美の手のひらの上で何かが弾けたようにサンショウウオは、姿を消した。
「え、ええ、あの子は? あの子はどうしたんですか?」
「んーと、式神だからね……元の場所に戻ったっていうか。
 また、用事のあるときに呼び出したら来るから」
「あ、ほんとですか? 良かった……びっくりした。
 ……ね、景時さん、京邸の庭の池で、あの子飼えません?」
「ええっ、望美ちゃん、本気??」
「だって、かわいかったんだもの……」
「望美、お願い、それは勘弁してちょうだい、サンショウウオが泳ぐ池なんて……」
二人の会話を聴いていた朔が頭を抱えて間に入ってくる。望美は、そうかなあ、かわいいのに、とまだ諦めきれない様子だ。それをやはり嬉しく受け止めながら、景時は自分の囚われている劣等感を、望美だけが踏み越え打ち破り、そう、まるで穢れを一瞬に祓うかのように消し去ってくれると感じていた。だからこそ、きっと自分は彼女のために強くなりたいと願うのだろう。彼女を護りたいと思うのだろう。
 そして、ふと溜息をつく。怪異を何故頼朝と政子はそのままにしておいたのか。知らなかったのか。そんなはずはないだろう。では、自分たちが出ていくことは他の御家人たちの手前拙いからか。それは確かに考えられなくもない。今、鎌倉に怨霊を放とうとしている者は、まだここに留まり機会を伺っているはずだ。それさえも、政子の目をもってすれば、何処に彼らがいるか、わからないはずはないのだ。なのに、何も手を打とうとしない。何故だろう。
(……待っていた?)
龍神の神子を。その力を頼朝自身が確かめるために。彼女が鎌倉へ来るのを待っていたのだろうか。
そう考えて景時はぶるりと震えた。また、自分は間違えただろうか。不安は募る。しかし、もう、引き返せない。
屈託なく笑いあいながら前を行く望美と朔の二人を見遣って、景時は不安を打ち消すように息を吐き、歩き出した。




鎌倉にてその2。やっぱりサンショウウオは書いておかないと?
景時は望美によってコンプレックスが解放される一方で
なんだか不穏なものを感じて不安に思う部分も出てきて……と微妙な感じだったり。
頼朝と政子って、わかってて放置してんじゃないのかとか思えてしまうわけですが
有る意味、政子VS.惟盛とか見てみたいよーなやっぱり怖いよーな。
嫌味な舌戦の応酬とかになりそうな予感。


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