覚 悟 ―1―




鎌倉へ入る手前の寺に朔が待っていると聞かされて望美は少し驚いた。景時が前もって既にそのような手立てを考えていたことに、改めて彼の先を見る目に感心したのだ。鎌倉の梶原邸に、先に朔への言づてを送ってあったということで、景時自身は「悪いことばかり考えてしまうから、朔にあわせる顔があって良かったよ」と言っていた。
今日にもその寺へたどり着けるだろうという日の朝、景時は望美に向かって言った。
「……いろいろ望美ちゃんに話したけれど、オレは頼朝様を恨んだり、憎んだりはしていないんだ。
 頼朝様に命令されたこととはいえ、全部、自分自身が行ってきたことだしね。
 それに、そんな頼朝様でなければ、東国をひとつにまとめることも
 平家を倒すことも出来なかっただろうと思うんだ」
それは東国に武家の都を造ることも頼朝でなければできなかっただろうと景時が考えているということでもあった。望美も教科書で習った歴史しか知らないから、頼朝以外に誰が鎌倉幕府を作れるかと問われても答えられないし、景時たちにとって、東国が京の支配から逃れることが願いであったというのなら、頼朝は東国に必要な人だったのだろうとも思う。それと頼朝を良く思うのとは全くの別問題ではあるが。
「今までの、平家との戦いはね、相手を倒す戦いだった。オレたちも兵を預かってた。
 でも、これからは違う。倒すための戦いじゃない。生き延びるための戦いなんだ。
 だから、望美ちゃん、覚えておいて欲しいんだ。
 勝つことじゃなくて逃げることが目的だってこと。絶対に、無理はしちゃだめだ。
 頼朝様を相手にするけれど、頼朝様を倒すことが目的じゃない。わかったね?」
たとえ仲間と合流することがあったとしても平家との戦いのときのように兵を率いているわけでもない中、鎌倉の御家人たちを統率する頼朝に対して戦いを挑んだところで無理なのは目に見えている。そういう意味では望美とて頼朝が平家の次に倒すべき敵、などとみなしているわけではない。ただ、好きになれないだけであって。
「……景時さん、私のこと、どれほど無茶する人間だって思ってるんですか。
 私だって、たとえ仲間みんな助けたとしても鎌倉軍全部相手にできるなんて思ってませんよ。
 っていうか、私よりも景時さんの方が心配ですっ。無理しそうなんだから」
ぷっくりと膨れて望美がそう言うと、景時は笑って応えた。
「オレは大丈夫だよ〜。望美ちゃんと違って、そんな度胸はないんだから。
 それにね、オレは頼朝様がなさろうとしていることに反対しているわけじゃないんだ。
 ただ、その方法に反対するだけで。そこをわかっていただけるなら
 ちゃんと頼朝様にお仕えしたいと思っているんだよ」
頼朝のことはやっぱり大嫌いだけど。と望美は考える。景時に対して彼がしてきたこと、九郎に対してのこと、そのほかいろいろ考えてもどうやったって、頼朝を良く思える要素など何一つないのではあるけれど。
「景時さんがそう言うなら、本当だったら頼朝さんのこと、タコ殴りしたいくらいなんですけど
 カンベンしておいてあげることにします」
「の、望美ちゃ〜ん、ほんと、大倉御所まで乗り込みそうだよね、駄目だよ、逃げることを一番に考えて。
 オレも、皆が無事に生き延びられるように頑張るから」
「わかりました、無茶はしません。皆と一緒に逃げることを考えて行動します」
皆を助けることが目的なのだ、頼朝への腹いせや報復が目的なのではない。それは望美だってわかっている。
そんな約束を交わしたとき、景時はとても晴れ晴れと笑っていたので、望美は過去の話を終えた彼が何かを吹っ切って、前向きな心持ちになったのだと嬉しく思っていた。
 いつだって平気な顔をしているときは、何かを決意したときのことで、そんなときの彼の軽い言葉には重い覚悟が隠されているなんてことに気づいたのは、後になってからのことで、彼と再会するまでの間、ずっと思い悩むことになるなんて思ってもいなかったのだった。



久しぶりに会った朔は相変わらず景時に厳しいしっかり者だったけれど、望美の姿を見たときには一瞬泣きそうな表情になった。幻術とはいえ、確かに胸から血を流して倒れる望美を見たのだから、いくら生きているかもしれないと聞かされたとしても本当にその目で真実を見るまでは信じ切れなかったのだろう。ほっとした顔で望美を抱きしめ、再会を喜ぶ朔の目尻に光るものがあるのを望美は見逃したりはしなかった。もちろん、自分も朔に会えたことが嬉しいけれど、望美はもう二度と会えないかもしれない、などと思ってもいなかったので、朔の喜びように少しとまどい気味なのも確かだった。
「望美、良かった、本当に良かったわ」
けれど、じきに朔のその思いと言葉が、望美一人に向けられたものなのではなく、景時に対しても向けられたものなのだということが望美にもわかった。望美の恋を応援してくれた朔は、きっと兄である景時の思いにも薄々と感づいていただろうし、その兄が自らの想い人を手にかけることにならなくて良かったと、景時のためにも喜んでいるのだろう。でも、それを景時に対しては素直に表すことができないのだ。そんな朔を微笑ましく思って望美は親友の肩を抱くと素直に言葉に思いを表した。
「……朔、心配かけてごめんね」
そう言葉にしたとたんに、こみ上げてくるものがあり望美は自分でも驚いた。全然なんでもないことで平気だと思っていたのに。その後に言葉が続かない望美を見て朔も少し目を潤ませ、それを誤魔化すように殊更大きな声をあげた。
「……望美が悪いのではないわ……! 悪いのは兄上ですっ!」
「はっ、はい〜って、朔、その通りなんだけど、ちょっと、今は、待って待って!」
二人を見守っていた景時が、突然朔にそう言われて慌てたように声を裏返させる。
まるで京邸に居たときと変わりのないような遣り取りにほっとしてしまいそうになるけれど、望美は景時の言葉にはっと表情を引き締める。本当に以前と変わりなく屈託なく笑いあうためには、まだこれからやらなくてはならないことが残っている。
「皆は伊豆で投獄されているんだね。まずは、皆を助け出さないとね」
「それは任せてください!」
望美はどん、と自分の胸を叩いた。それを見て景時が苦笑する。望美はあわてて付け加える。
「もちろん、無茶はしませんよ」
「うん。それに、本当に申し訳ないけど仲間を助け出すまでは望美ちゃんと朔の2人に任せなくちゃいけないから。
 みんなを助け出したら、皆で協力して、なるべく早く鎌倉を脱出して京へ戻ってね」
「景時さんは…?」
「オレは頼朝様に報告しなくちゃいけないんだ。オレが行かないと怪しまれちゃうしね。
 それに、ただ逃げるだけじゃなくて、ちゃんとその後も安心できるようにしたいんだ。
 だから、頼朝様ときちんと話をしないといけないと思って。
 本当のことを言うと、まだいい案が浮かばないんだけど……でも、なんとかするよ。
 なんとか頼朝様を煙にまいて、皆が安心して無事に暮らせるように話をつけてくるようにする。
 ……なんたって、望美ちゃんが言ってくれたでしょ、オレなら智恵と勇気でなんとかできるってさ」
明るい顔でそう言う景時のその言葉の内容が如何に難しいものであるのかは望美には十分に理解できた。危険があるという意味では望美と朔も大変だと言えるが、それでも景時の方がはるかに難しいことをやらねばならないのだということはわかった。しかし望美は景時の手を取ると、小さく頷いてその顔を見上げた。
「……大丈夫、景時さんならきっと。私、信じてます。
 だから、景時さんも私を信じてください。絶対に、皆を助けます。
 お母さんのことも、安心してください」
気にかけながらも口にすることができないのであろう景時に代わって望美は自分から景時の母のことを口にした。驚いたように少し目を見張った後に景時もまた、微笑んで力強く頷いた。
「ありがとう、望美ちゃん。これでオレも心置きなく頼朝様に話ができるよ」
それから少しばかり遠慮がちに口ごもりながら言う。
「……それでね、オレ、望美ちゃんを殺した証拠に「逆鱗」を獲ってこいって言われてて……
 その、良かったら、オレに預けてもらえないかな」
朔はその言葉に、景時に逆鱗を渡して大丈夫かと心配したが、望美は迷うことなくそれを首から外して景時へと渡した。まるでお守りのように、幾度となく握りしめてきたもの。時空をさかのぼると決めるときも、このままの道を突き進むのだと心に決めるときも、皆を助けると誓った気持ちを思い出すときにも、いつの間にかこれをぎゅっと握りしめるのがくせになっていた。いろんな意味で、確かにお守りだったのかもしれない。それが今度は一人で頼朝と武器を使わずに戦おうとする景時を守ってくれればいいと望美は切に思った。
「それじゃあ、皆のことを頼むね。
 それから、絶対に二人とも、無理はしないで、無事でいてね」
そう言って景時は心配げに何度も振り向きながら、馬を駆けて行った。任せてください、と大きく手を振りながら、望美は景時の背中を見送った。いつかの遠ざかっていく彼の背中が不意に重なって突然不安が襲ってくる。それを誤魔化すようにぎゅっと傍らの朔の手を握り締めた。あのときとは違う。あのとき景時は『死ぬために』遠ざかっていった。今、彼は『立ち向かうために』先へ進んでいるのだ。大丈夫。小さくなっていく背中を目に焼き付けるように、ぎゅっと目を強く閉じる。そして深く深呼吸をしてから目を開けた。
「……じゃあ、朔、皆を助けに行こうか!」
景時との約束を果たして、そして必ずもう一度笑って再会するために。




ここからは二人別行動なんですよね〜
でも離れ離れでありながらもお互い信じあうのが景望の良さでもあるのですが。
とはいえ、早く再会して欲しい〜って再会したらEDなんですけどもね


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