何かを為すための覚悟だけではない、誰かに全てを託すこともまた覚悟がいるのだ。そんなことを、仲間たちと景時の母から望美は感じたのだった。

「白龍の言うことは当たってたな」
望美と朔が現れたとき、ヒノエがそう言って笑った。大人しく待っているのは結構、しびれが切れたぜ、と飄々と言う彼の言葉に嘘はないだろう。石牢の中とはいえ、望美と朔の2人で倒せる程度の見張りしか置いていない状況だったのだ、彼らがその気になれば、逃げおおせることなど簡単なことだっただろう。
「けど、先輩の気が近づいてる、って白龍が言うので。
　勝手に俺たちが動いたら、かえって面倒なことになるかもしれないと思って」
再会した譲もそう言い、嬉しげに微笑んだ。
「先輩が生きてて良かった。白龍がそう言っていたけれど、やっぱりこの目で見るまでは安心できなくて」
そう言った譲が、さらに付け加えた言葉に望美は少し言葉を失った。
「やっぱり、景時さんは策を考えていたんですね。何か理由があってのことだと思ってたけど
　皆に相談してくれれば良かったのに」
そこで、皆のほっとした表情は望美が無事なことだけではなく、景時が本当に皆を裏切ったのではないことを心底喜んでいるのだと気づいたのだ。妹である朔だけではなく、仲間ももちろん、景時を大切に思い信じたいと願っていて、そして、信じる覚悟をしていたのだと、わかったのだった。景時に伝えたいと思った。自分自身を信じることができない、と言っていた彼に。
「ま、敵を欺くにはまず味方から、とも言うからわからなくもないけどな。
　でも、けったくそ悪いのは変わらねえし、第一、こんなじめじめした所に閉じこめられるのを我慢したんだ、
　後で景時には充分、礼をしてもらわないと割にあわねえよな」
鈍っていた体を伸ばすように大きく腕を天に伸ばしてヒノエが嘯く。景時と2人でならどんなことも乗り越えられる、そう思って壇ノ浦からここまで必死で道を来たけれど、2人きりのわけではなかった、仲間もいた。そんなことを今更に気づかされる。
（景時さんは、1人じゃない。私がいるよ、って言っていたけど。
　ねえ、景時さん、私たちは2人だけじゃなくて、仲間がいるんですね）
仲間たちは、景時が過去にしてきたことを知らない。けれどきっとそれがどんなことであれ、『自分たちの知っている景時を信じる』と言うだろう。


しかし、源氏軍の中心だった九郎や弁慶、そして平家の中心であった将臣の姿はそこにはなく、何処に連行されたかの手がかりもなかった。仕方なくまずは出来ることからということで、景時の母を連れ出すために鎌倉へ出向き、その景時の家に3人ともが幽閉されていたことを知ったのだった。
「景時の邸にとはまた、随分と景時のことを信用しているんだか、馬鹿にしているんだかわかりゃしないな」
ヒノエが嘆息混じりにそう言う。確かに景時の邸に預けておいて、景時が彼らを逃がすことはないだろう、と考えているのだとしたら、頼朝の景時への信頼はそれだけ深いともいえるだろうが、景時はどうあっても自分逆らえないであろう、と軽んじているともとれる。
「頼朝という人は、景時さんの本質を良くわかっていないんでしょう」
譲がそう言って肩をすくめた。
「けど、手放したくない人材ってことは確かなんだろうな」
将臣が頭をかきながら言った。裏切ることができないようにがんじがらめにしておいてでも、使いたいということなのかもしれない。景時自身にとってそれはけして幸運なことではないだろうが。
「景時は優秀だからな。俺も随分と助けられた」
九郎が呟くように言う。生真面目な御曹司は、自分のせいで景時が難しい立場に立たされているのではと思い悩んでいるのだろう。鎌倉に着いた後も、直接、兄である頼朝に弁明させて欲しいと願っていたらしい。彼もまた、兄か友かの選択を迫られていると言っても過言ではない。その場にいない景時について仲間が思いを馳せているのに、軍師が声をかけた。
「景時を褒めるのも良いですけどね、ほどほどにしておいてくださいよ、
　でないと、あまり図に乗られても仕事をしなくなって困りますからね。
　ヤツと来たら平時にはどうすれば仕事を楽に終わらせるかしか考えませんからね」
笑顔とは正反対の辛辣な言葉に、思わず将臣などは吹き出してしまっている。
「べ、弁慶さん、『ヤツ』って……」
望美もびっくりして弁慶の顔を見返した。
「おや、すみません、望美さん、朔さん。
　でもね、考えてみてください、ヤツが一人であれこれ背負ってしまったおかげで
　僕たちがどれだけひどい目に遭ったか……いえ、梶原邸は随分と過ごしやすかったですけれどね。
　とにかく、忌々しいことに、僕たちとしては景時の言うとおり、逃げることを一番に考えなくてはならない。
　それが景時にとっても、僕たちにとっても一番良い選択なんです。
　景時が、一人で、鎌倉殿に相対しているとき、僕らは逃げるしかできないんですよ。
　全く、ヤツが戻ってきたら倍返しにして働いてもらわなくては割が合いません」
弁慶らしい言葉に、望美も朔もほっとする。そして、少なからず弁慶と同様に、景時に後のすべてを任せて鎌倉を出なくてはならないことに後ろ髪が引かれながらも、景時との約束を果たすために梶原邸を後にしたのだった。



朝夷奈へ向かう道を急ぎながら、ヒノエが考えを巡らせるように呟く。
「景時なら、なんとか頼朝を丸めこんでくれそうな気もするけどさ
　なんだって頼朝はここまで景時を良いように使えると強気なんだろうねえ」
「それは、朔やお母さんを人質に取られていたからだろ。
　もう2人ともこちらに居るんだから、大丈夫なんじゃないのか」
譲がそう答えるが、当の景時の母は心配げな表情を変えなかった。
「頼朝様には異国の神様が護りに憑いていると聞いております。
　景時は陰陽師であったせいか、その気配を良く感じていたようで……」
「政子だ。あいつ、平家の怨霊をたいらげやがった」
厳しい表情で将臣が言う。平家の船団を追っていった政子によって平家は壊滅した。
「どうしてそういう肝心のことを言わないんだよ、兄さんはっ！」
譲が声を荒げるが、「言ったところでどうかできるわけでもないだろう」という返事に返す言葉がない。しかし、黙っていることもできない。
「景時さん一人で大丈夫なのか？　異国の神に殺されたりしないのか？」
そう誰にともなく問うが、誰もそれに答えられる者はいない。仲間と一緒ならあるいは、と思いもするが、たとえ景時が八葉だとしても、傍に神子もおらず鬼神と戦うことが可能なのか。思わず、一行の足が止まる。
「景時さんは政子さんがそうだって知ってた」
望美がそう呟く。鎌倉への旅路の途中で、彼が苦しげに告白したことを思い出していた。
「石橋山でそれを見たんだって言ってたもの。
　……だから、『逃げることを考えて』って……」
そこで望美は、ああ、と小さな悲鳴をあげた。何があったとしても、一番に逃げることを考えて、戦うことが目的じゃないのだから、と景時は言った。それはきっと、もし景時に何かがあったとしても、そうしなさい、ということだったのだ。自分に何かあったとしても、仇を討つとか復讐とかのために戦おうと思わず、ただ平穏に生きるために必要なときだけ戦うようにと言ったのだ。そして、それこそが景時の覚悟でもあっただろう。仲間を生かすために彼は一人頼朝の元へ向かったのだから、それを裏切ることはできない。
逡巡する望美に向かって、リズヴァーンが言う。
「神子、先へ進みなさい。それが景時の助けになるだろう」
「先生…」
望美は顔を上げてリズヴァーンを見上げる。それへ弁慶も頷いた。
「そうですね……鎌倉殿が景時を従わせるのに人質を使っていたことを考えると
　この鎌倉から僕たちを逃がしたくないと思うでしょう。
　それに、望美さんが生きていることを知らないとしても、
　九郎が生きて鎌倉を出ていくことは止めたいと思うはずです。
　しかし、鎌倉殿自身は評定から離れられませんから……となると」
「なるほど、俺たちが囮になるってわけか」
将臣が景気よく声をあげる。頼朝の切り札である異国の神をこちらで引き受けて、封印してしまえばいい。そうすれば景時も頼朝と交渉をやりやすくなるだろう。
「わかりました……先を、急ぎましょう」
景時を信じる。彼もまた、生きるために頼朝へ向かっていったのだ。最初から死ぬために向かったのではない。仲間を生かし、自分も生きるために頼朝と対峙する景時のために、望美たちも景時を生かし、自分たちも生きるために戦うのだ。



そして朝夷奈に差し掛かる手前で、その人が現れた。
「あなた方を、この先、通すわけには行きませんの」
優雅な微笑みの中に残酷さを潜ませた政子が一行の前に立ちはだかる。
「……来てくれて、ありがとう。あなたをここで倒せば、景時さんも楽になれる」
望美は白龍の剣を構えなおして向き直る。強い瞳で見返す望美に対して、政子が微笑みながらも苛立ちを示す。
「あら、かわいいのね。景時を信じているの。景時が今まで、どれほど裏切りを重ねてきたか知らないのね。
　今ごろ、鎌倉殿に命乞いをしているのではなくて？」
「……あなたたちこそ、景時さんのことを何も知らない。
　景時さんは、命乞いなんてしない」
「……あなたに、見せてあげたいわ、あの男が石橋山で鎌倉殿にどう這い蹲って命乞いをしたか」
望美は剣を一閃させた。そのとき命乞いをしたから、今もまた再びそうするだろうと言うのか、と目の前の政子を笑いたく思った。そのとき命乞いをしたことをずっとずっと後悔している景時が、もう一度同じことをするなんてあるはずがないのに。同じことを、もう繰り返したくなくて、死んだのが彼なのに。
（景時さん……私にも覚悟があるとしたら、それは、何があっても、どんなことをしても
　あなたを幸せにすること……あなたと、幸せになること………絶対に、諦めない）
甲高く哄笑する異国の神―荼吉尼天に向かって、望美は剣を向けた。