カリスマの忍耐・前編





「朔〜、オレ、自分の部屋に戻るから……」
そわそわとした様子で、湯呑みを片手に景時が居間のソファから立ち上がる。一緒にテレビを見ていた朔は、景時を見上げて片眉を少しつり上げ、意外そうに言った。
「あら、見ないんですの? もう少ししたら始まりましてよ? せっかく望美も一緒に映ってるんですのに?」
望美と一緒だから見たくないのではないか、と内心景時は妹に言い返しながらも、心が揺れたのは確かなことで。
「……ええと、後でひっそり見るから、ビデオに録っておいてくれるかな」
「……兄上、この家でビデオ録画の予約ができるのは兄上だけでしてよ」
そうだった。ビデオ録画はもちろん、炊飯ジャーの予約も、洗濯機の予約も、タイマー予約操作ができるのは景時だけなのだ。スイッチひとつで操作ができるものは朔もさすがに覚えたけれど、タイマーともなるともう駄目らしい。その点だけは、朔がやっと見つけた兄の発明好きの尊敬すべき役立つところなのだった。ごそごそと景時は買い置きのビデオテープを取り出すとデッキに入れて時間予約をする。
「兄上ったら、もっと嬉しがって喜ぶかと思っていましたわ」
朔が背中にそう語りかけてくるが、景時の肩はがっくりと落ちたままだ。そりゃあ、こちらの世界に来て初めての望美と一緒の旅行だったのだ。(朔も一緒だったが)嬉しくないはずはなかったけれど、望美と一緒の自分がどんな有様で映っているか、正視する勇気がない。『ああ、そういえばそんなこともあったねえ』と日向で孫の相手でもしながら望美と二人話せるようになってからなら、見ることもできるかもしれないが。
「朔、お兄ちゃんは今日はもう寝ることにするから、その話はまた今度ね……」
ビデオをセットし終わった景時は、とぼとぼと自室へと向かったのだった。


□■□■


 ことの起こりは、景時に旅の情報番組の出演依頼が来たことだった。『秋の京都 老舗旅館と名刹の旅』そんな1泊2日の小旅行をしてもらえないか、という話しだったのだ。普通にテレビ局がコーディネイトした旅を楽しんでくれればいいと。ただカメラが付いて廻るけれど、特に気にしなくてもいい、というような話で。京都といえば、思い出の土地だが、こちらの世界に来てからは時間もないしお金もかかるしというので、実はまだ訪れたことがなかった。ので、景時はひどく行きたい気分になったのだった。それで、軽く『いいですね〜、オレちょうど京都に行きたかったんですよ』などと言ってしまったのがまず最初。それから、一人旅は間がもたないので、誰かお友だちと一緒に、と言われたものの、そもそもいわゆる「ゲーノー界」と言われるところにお友だちなどいない景時は頭を抱えることになってしまった。だいたい、まだこちらの知識が完璧だという自信がないので、将臣や譲といった景時のことを良く知る人間以外とはあまり深く関わりを持たないようにしているくらいだ。そんな風に頭を抱えてしまった景時に、プロデューサーが『じゃあ、ご家族と一緒に旅行というのはどうですか?』と提案し、景時はおそるおそる朔に切り出してみたのだった。激怒するかと思われた朔は、案外簡単にその件を了承した。朔も京都へ行きたいと思っていたのだろう。ただし、問題は、その場に実は望美もいて『え〜、いいなあ、私も京都行きたい〜!』と言ったことだった。
 とんでもない、と望美を止めてくれるかと思った朔が『あら、いいわね。私も望美と旅行に行きたいわ。兄上と二人なんて、落ち着かないんですもの』と言い出して、景時はどうしたものかと頭を抱えたのだが、プロデューサーまでもが大喜びで『ああ、これは画面が映えますよ、いいですね! 梶原さんが妹さんとそのご友人と京都の旅、っていいんじゃないですかね。若い子でも京都の伝統を楽しんでもらえるという切り口もいけますし、梶原さんの良いお兄さんぶりも好感度高く見てもらえると思いますよ』などと言う始末。最後の砦となるかと思われた望美の両親も、テレビ局の費用で京都旅行なんていいわね〜、とか、お土産は西○のすぐき漬か土○の柴漬けがいいなあとあっさり赦しが出てしまったのだ。最初に軽く京都に行きたいなどと言ってしまった自分の口を呪いつつ、いろいろな不安を抱えて景時は朔と望美と(カメラマンやスタッフも一緒に)京都への旅に出たのだった。



 新幹線の指定席、3人並んだ座席に座って京都への旅は始まったのだが。早朝の集合に、朝が弱い望美は目が半ば閉じたままだ。景色が見れると窓際の席を望美に勧めたのだが、京都まで眠るからと望美は朔にその座席を譲った。おかげで真ん中を望美にして通路側が景時、景時としては望美の隣の座席で嬉しいのではあるが、若干複雑でもある。テレビカメラやスタッフがいるとはいうものの、望美と一緒で浮き立つ自分を何処まで抑えられるか自信がないのだ。今回望美は「朔の親友」という立場の出演であり、誰もが望美と景時の関係は「友人のお兄さん」「妹の友達」というものでしかないと思っている。景時だって、いくらなんでも全国放送で自分と望美のことをお茶の間に放映する勇気は毛頭ない。毛頭ないのだが、一緒にいたらきっとあれこれ我を忘れてやってしまいそうで、旅が始まった当初から緊張の連続なのだ。そもそもが、望美にはあまり、そうした危機意識がないようにさえ思える。
「望美ちゃん、朝ご飯作ってきたけど食べるかい?」
「うーん……名古屋あたりについたら食べるから、起こしてね、景時さん」
すっかりもう眠る気になっている望美に景時は、望美の好きな鮭とたらこのお握りを2つ残して自分は朝ご飯を食べることにする。朔は初めての乗り物に驚いているようで、窓の外に釘付けだ。景時が一つ目のお握りを食べ終える頃には、望美はすっかり夢の中に入ってしまったようだった。こつり、と望美の頭が景時の肩に触れる。
(…………!!)
景時は慌てた。カメラはと見回すと今は撮影はひとまずしていない様子だ。そういえば、富士山のあたりを通るときに車内の様子を撮すと言っていたなと少しほっとする。が、すっかり安心したように景時にもたれかかって眠る望美に、
(友達のお兄さんとしてはこれはどうなんだ? このままでいいんだろうか?
 友達のお兄さんには見えなくない? いいのか?)
と心の中は大パニックだ。しかも、何も掛けずに眠る望美が風邪でもひかないだろうかと、上着をかけてやりたくて仕方がない。
(でも、友達のお兄さんってそこまでやっていいものなんだろうか?
 わざわざ妹の友達に上着を掛けてあげるって、何か下心ありとか見えないかな?
 どうしたらいいんだー、でも望美ちゃんが風邪ひいたら可哀相だし、
 朔ー! 朔、窓の外ばかり見てないで、ちょっとは助けてー)
食べかけのおにぎりを手に、すっかり固まってしまった景時の必死のテレパシー(?)に、気付いたのかどうなのか、朔がやっと窓から視線を戻し、望美の様子に気付く。そっと羽織っていたカーディガンを望美にかけてやると、景時に向かって微笑みかけた。
「あら、望美ったら……兄上、しばらく我慢してやってくださいませね。」
「あ、ああ〜、大丈夫、役得だよねっ!」
白々しい返事を返しながら、ほっとした。もっとも、後で朔から何か言われそうな気がしないでもないが。それでも、そっと望美の寝顔を見下ろすと、フワフワと暖かい気持ちになってしまい、顔が緩む。それではいけない、とわざと顔を引き締めるのだが、それは無理というもので。富士山付近での車内撮影は随分と不自然な様子に見えたのではないかと思う。
 朔が窓から富士山を見て感嘆するのを、通路側から景時も眺めて相づちをうつ、その隣では望美が眠っていたのだ。
『初めての京都ということで朝早くから出発した梶原さん兄妹。妹の朔さんは新幹線から眺める富士山にすっかり魅了されてしまいました。景時さんもそんな朔さんを見て嬉しそうです。今回一緒に旅行する、朔さんのお友だちの春日望美さんは、まだ夢の中。「役得だよねっ!」そう言って笑う景時さんはすっかり、お兄さんの顔です』
とかなんとか、そんなナレーションが入って落ち着いたのだが、景時としては最初からこれでは京都について一体どうなってしまうのかと背筋に悪寒が走ったのだった。
 望美が朝ご飯を食べるために起こしてくれ、と言った名古屋までの間、天国と地獄、喜びと不安の間を行ったり来たりとにかく忙しかったのである。



 京都に着いた景時は、自分たちの居た頃と全く異なる様子にやはり驚いてしまった。いや、そんなことは鎌倉の変わり具合からもわかってはいたのだが、既に京邸も堀川の九郎の邸も面影すら残っていないというのは、少し寂しいものだ。鎌倉ではそれでも少しは名残を辿ることができたというのに。
 そんな感傷的な気分を振り払ってくれるのは、やはり望美の存在だった。
「お天気良くって良かったですね! 駅から遠かったけど、紅葉が綺麗!」
大原散策、嵯峨野で宿泊という予定の旅行に連れてこられたのは、そのあたりが女性に人気ということかららしい。京都の中でも閑静なあたりということで、景時も落ち着いた気分になれた。未だにビルや車ばかりのところでは、どことなく息苦しく感じてしまうのだ。のんびりと歩く景時の手を掴んで、望美が引っ張る。
「ね、景時さん! お土産買うの、付き合ってください。
 紫葉漬け頼まれてるんですよ。他にもいろいろ試食して美味しいもの選びましょう!」
手こそ握られていないが、ジャケットの袖口を掴まれて、景時は慌ててしまう。これは大丈夫なのだろうか、友達のお兄さんラインはセーフなのだろうか! あわあわと頭が真っ白になりかける景時のもう一方の手を朔が取って引っ張った。
「兄上、私たちのお土産も選びませんといけませんもの、早く行きましょう」
おかげで、両手を女の子に引っ張られて歩く困惑気味のお兄さん、という画面が撮影できたとスタッフからは好評で。女子高校生の屈託のない無邪気さと、それに振り回される良きお兄さんで、本当に良い雰囲気ですよ、と褒められ。朔のフォローに内心頭を下げつつも、景時は果たしてこの調子で一泊二日といえども自分は大丈夫だろうかと益々頭を悩ませるのだった。
 望美がお土産と言っていたのは京漬物で、ちょうど予定されていたのも京漬物の紹介だった。その上、店舗内にある食事処で昼食という展開ということで、スタッフが望美と朔にこんな感じでセリフをお願いします、などと説明している。それを二人とも大したものだなあ、と景時は眺めていた。朔にしても、カメラにまったく物怖じしていない。……それはまあ、機械音痴の朔にしてみれば、カメラがどういうものかなど、良くわからないのかもしれなくて、存在自体気にしていないのかもしれないけれど。
「ねえ、朔、こっちではお食事できるんですって。きれいだし可愛いし食べてみたいよね」
「まあ、本当。私、こちらのおかゆ膳など食べてみたいですわ」
メニューの前で二人がそんな会話を撮影されているのを遠巻きに眺めていた景時だが、そのとき、二人が景時を振り向いた。
「兄上」
「景時さん」
「え、なになに?」
「お昼、ここで食べたいです!」
可愛い顔でそんなおねだりをされたら、もちろん、景時に否やはない。それが台本通りの台詞だとしても関係ない。望美の笑顔を見た自分の顔は、かなりしまりがなくなっていたに違いない。そして、この昼食場面のオチは、お会計は兄上、お願いしますわね、という朔の台詞となるわけだが、この時点でもうとっくに、自分が望美に弱弱なのが画面を通じてバレバレなのではないかと景時は冷や冷やしていたのだった。
 向かい合わせにテーブルに座り、コレ美味しい、と話しながら食事をする望美は景時からすれば、本当に可愛らしくて、見惚れてしまう。なんといっても景時ときたら、相変わらず忙しくてせっかく望美が家に来てくれていても、一緒に食事なんてできないことが多いのだ。久しぶりに一緒の食卓を囲んでいるのだから、これは番組、カメラも一緒、こんな熱心にぼうっと望美を見つめていてはいけない、と思いながらも、なかなか視線が離せない。朔と二人隣り合わせであれこれ話をしていた望美が、そんな景時に気付いたのかぱっと顔を向ける。慌てた景時は、さっと顔を伏せて自分の前に置かれた膳に視線を落とした。
「景時さん、美味しいですか?」
「お、おいひいよ……、ほ、ほんと〜、ご飯がすすむよね、は、ははは〜」
みっともなくも声が裏返り掛けている気がしたが、なんとか返事をする。目の前の皿に美しく並べられた京漬物の中から、赤紫蘇で鮮やかに色づけられたものに箸をつける。
「しば漬け〜! それがこのお店の名物なんですよ。それに、しば漬けの謂われって知ってます?」
少し得意げに望美がそう言うのに、景時は少し首を傾げて先を促す。
「ええとね、ちゃんと私、京都の予習してきたんですよ。
 しば漬けは、壇ノ浦で入水したところを助けられた建礼門院様が寂光院で過ごされていたときに
 里の人たちがその心を慰めようと献上したのですって。それで、建礼門院様が『しば漬け』と命名したんだそうですよ」
思いもよらないところで、思いもよらない人物の名を聞いて、景時の箸が少し止まる。多くの人の命が失われた戦で、それでも一人の女人は命を永らえたということを、果たして喜べばいいのか、あるいは本人は一族と同じく果てたかったと思っただろうか。
「死ななくて良かったですよね。美味しいおつけものだって食べられたし」
はっと景時は我に返る。死ななくて良かったし、殺さなくて良かったのだと思い直す。そして、自分の居たところでは、将臣のおかげもあって皆、南方へ落ち延びていったのだから、と息を吐く。
「昼からは、その寂光院に行くんですって」
「そっか〜。謂われも歴史もあるんだね、良く味わって食べないとね!」
「でも、男の人の食事には足りないかな? 私の分もちょっと食べます?」
「えっ!!」
あーんして、と言わんばかりに自分の前に差し出された望美の箸に、景時の頭がとうとう真っ白になってしまったのは仕方のないことだろう。その後、どうやって自分がその場を切り抜けたのか、午後からどうやって歩いていたのか、旅館にたどり着くまでの景時の記憶が曖昧だったのは言うまでもない。


NEXT>>





ということで、カリスマもの、今回は京都へ一泊二日編です。
思いのほか長くなってしまって、前後編にわかれることになってしまいました。
後編も近々アップできるようにしたいと思います(^^;)



メニュー メニュー メニュー