穢 れ




 鎌倉に起きている怪異は、いくつかあるらしく、景時の母は3か所について噂になっているということを望美たちに語った。邸に出入りしている下働きの者たちが怖ろしげに噂していたらしい。これまで京での平家と源氏との戦についてあれこれ話に出ることがあったり、その戦の折りに家族を亡くし、その者の首を持ち帰れなかったばかりに京で怨霊になったという話を聞かされたりということはあったようだが、『怨霊』そのものが鎌倉に現れることはなかったらしい。そのため、戦況は源氏に有利と伝えられているにもかかわらず、その怪異に噂に鎌倉の人たちは落ち着かぬ日を過ごしているという。
「これは早く解決しちゃわないといけませんね。どう考えても3つとも怪しいですから」
望美はやる気満々にそう言うと、駆け出す一歩手前のように足踏みを始めた。
「何処から行きます? どうします?」
気負った様子の望美に景時は勿論、朔や将臣、譲も苦笑する。
「じゃあ、朝夷奈に行ってみようか、一番近い気がするし」
景時がそう言い、行き先が決まった。誰もそれに異を唱えることはなく、一行は朝夷奈に向かった。実際には梶原邸から近いからではなく、景時は朝夷奈に怪異があるというのなら、すぐに確認してしまいたかったのだ。朝夷奈に、もし怨霊が出るとしたら、それは景時の知る人かもしれなかったから。
(……怨霊などに、なるような人ではなかったと思うけれど)
それでも人が死に際に何を思うかは誰にもわからない。
――朝夷奈は、上総介広常の邸があった辺りだった。広常の死後、邸は焼かれて今はもうその跡も残ってはいない。それを為したのは景時自身だった。頼朝の命で、初めて暗殺を行った相手が広常だ。思い出すまいと深く深く、心に沈めたものが浮かび上がってくる。自分は広常を嫌いではなかった。広常も景時に目をかけてくれていた。そんな相手でさえも、自分は切り捨てることができるのだと、自分の弱さと卑怯さを思い知った日があった。あれからずっと、自分は、大切な人を生かすためと言い訳しながら、誰かを殺し続けている。
「……景時さん? 疲れてます?」
無言で歩き続ける景時の隣に望美が並んで、心配そうに顔を覗き込んだ。
「えっ?! や、いやいや、大丈夫。いくらなんだって、こんなすぐには疲れないよ〜」
考えていたことを誤魔化すように景時は両手を大げさに振って歩く速度を少しばかり上げる。望美はといえば、少し疑わしげに唇を尖らせてみせたが、景時に遅れないようにと自分も歩幅を大きくしてついてきた。それに気付いて、景時はまた、歩く速度をゆっくりに変える。
「じきに朝夷奈だからね。通る人が気分が悪くなるなんて、困るからね〜
 なんとか原因突き止めて解決しないとね!」
「そういうのって、怨霊が原因だったりするんですか?」
つい、そんな普通の言葉にまで少しどきりと反応してしまう。
「……そうだね〜怨霊が留まって悪さをしている場合もあるし、そうじゃない場合もあるかな」
「? たとえば?」
「そうだね、例えば、えーと……
 その場所が呪詛で穢されているとか……穢れを呼び寄せるものが置いてあるとか?」
言いながら景時は自分でも、そうやって呪詛が原因であると考える方がこの場合は正しいような気がしてきた。朝夷奈での怪異というだけで過敏に考えてしまうのは、自分が後ろめたいからだ。
「……そっか。その特定の場所でだけ怪異が起こってるってことは
 その場所に何か原因があるって思った方がいいんですね。怨霊は動きますもんね。さすが陰陽師!」
「え、え〜と……そんな大したことじゃない、と思うけど」
苦笑しながら景時は自分でも考えを整理できたことを望美に感謝した。平家の者が朝夷奈を選んだのなら、それは広常とは関係のないものだろう。彼らにとって東国のことはさして重要なことではない、あの頃、広常が死んだことも大して覚えてもいないだろう。東国は搾取するための土地、彼らにとっては東国の御家人など誰が死のうと生きようと、興味もない事柄だっただろう。
「ま、大丈夫ですよ、穢れだって怨霊だって、何とかなります、何とかします」
拳で軽く自分の胸を叩いた望美が、笑って言う。景時は、一瞬目を丸くしてそんな望美を見返し、そして
「……オレ、そんな緊張した顔してた?」
と問い返した。望美は途端に申し訳なさそうな表情になって、心配そうに景時の顔色をうかがう。
「……ごめんね、大丈夫。ただ、朝夷奈は……特に、穢れて欲しくない場所、なんだ」
とっくに自分が血で穢した場所ではあるけれど。こんな自分が、広常に静かに眠って欲しいと思うことは間違っているかもしれないけれど。望美の優しい手が景時の背中にそっと触れた。
「大丈夫、すぐに元通りにしちゃいましょう、皆がいるんだから大丈夫です」
望美の手から、言葉から、景時に流れ込んでくるものがある。護りたいと思う少女に護られていると思うと何かがこみあげてきそうになる。強くなりたいと願うのも、強くなれると思うのも、全て彼女がいるからだ。

「おい! トロトロしてんなよ、先に行くぞ!」
こちらもまた妙にやる気満々な将臣が、立ち止まった先で振り向いて手を突き上げた。
「もう〜! 歩幅が違うの! ちっとも考えてくれないんだから。
 将臣くんっていっつもそう、一人で行っちゃうんだから。協調性って知らないのー?」
膨れっ面になった望美がそう言うのに
「ま、もうちょっとだし、いそごっか」
景時はそう言って手を差し出した。望美は、それは嬉しそうな笑顔になるとその手に自分の手を重ねる。そして景時が駆け出すと望美も負けじと勢い良く走り出した。
「兄上ったら、情けない、望美に引っ張ってもらってますの?」
途中追い越された朔が呆れたように二人を見て言う。
そうかもね、と景時は笑って考える。いつだって、光の方向へ自分を引っ張ってくれるのは、きっと望美だ。



 晩秋とはいえ、朝夷奈の様子は普通ではなかった。秋の花であり、今なら涼やかな花を咲かせているはずの竜胆でさえもが変色し、枯れてしまっていた。荒涼たる死の世界。この一帯だけが他の山の様子を見ても異常なものだと即座にわかる。
「……とにかく、おかしいのは見た目ですぐわかるんだけど」
原因がわからないことには解決のしようがない。九郎はといえば、草木が枯れている異常事態もだが、源氏を表す竜胆が枯らされていることに、平家の嫌がらせを感じて立腹している様子だ。このあたりで遊んでいた少女から話を聴いたところ、一晩で枯れてしまったらしい。
「えーと、草木が枯れるってことは土が原因かな……いや、でもむやみに土を掘り返してもわかんないよね
 やっぱり枯れている草木を良く見た方がいいかな」
ぶつぶつと呟きながら真剣に望美は考えていたが、やがて、決めた、と顔をあげた。
「とりあえず、このあたりの草木を調べましょう!」
その一言を合図に、皆は散らばって枯れた草木の様子を確かめだした。やがて木立の中に分け入って木の虚まで手を伸ばそうとした望美に代わって九郎が人形を見つける。それは、何の変哲もない紙で出来たものだったが、誰もがそれを見て嫌な気分になった。
「ああ、これっぽいな」
将臣の言葉に皆が頷く。
「うう……とりあえず、触ればいいんだよね」
汚れたものを触るように、指先で望美はその人形に触れた。途端に辺りの空気が震えて人形は跡形もなく消えてしまった。澱んで暗かった辺りの空気が清浄なものに変化していく。
「もう大丈夫だよ、神子が穢れを祓ったから」
白龍がにっこりと笑いながらそう告げた。案外に容易く終わったことに望美は拍子抜けしたような顔だったが、白龍の言葉に笑顔になった。
「ほんと? 良かった。じゃ、次行こうか」
「先輩、疲れてませんか?」
「大丈夫〜! やれるうちにやっとこうよ」
呪詛の穢れを祓ったというのに、何の疲れも見せていない望美に景時はほっとした。そして、この場所の怪異の原因が呪詛であったことにも。
 細く険しいこの道は鎌倉の外へ続く道。もう長くこの道を辿ったことはなかった。広常もそうだったように、自分もこの先へ、鎌倉の外へ、出ていくことはできないのかもしれない、などという不安が過ぎるせいでもある。この道を通るごとに、自分の罪を思い知るから、でもある。それでも、ただ、今は心底ほっとしている。この場所が清浄な気に満ちていることに。自分の罪が赦されるとは思ってもいないけれど、ただ偶然ではあっても、望美がこの地を浄めてくれたことに感謝した。

「景時さん! どうですか? 穢れもなくなったし、これでこの場所はもう大丈夫ですか?」
「望美ちゃん……うん、ありがとう。辺りの空気がとても清浄になったことがわかるよ。
 じきに、草木も元に戻るね…………ありがとう」
望美の手を握ろうとすると、さっと望美が自分の手を引っ込めた。
「……あっ、あの、ごめんなさい。なんか、ほら、さっきの人形触っちゃったから……
 別に大丈夫だとは思うけど、手、洗いたいかな〜って……」
恥ずかしそうに赤い顔で懸命にそう言う望美は自分の手をもじもじと揉み合わせていたが、はっと気付いたように駆け出そうとした。
「あ、そうだ、来るとき途中に確か小さい川が……」
「望美ちゃんっ……!!」
その手を強く握って景時が引き留める。――望美が汚れているかもと気にした手を。
「……ほら、大丈夫、別に、なんともないし、望美ちゃんの手は、綺麗だよ」
ね、と笑ってそう言うと、望美は頬を染めて頷いた。そして一緒に歩き出す。
「景時! 次はどちらへ行くんだ?」
将臣と並んで先を歩く九郎がこの道で良いのかと尋ねるかのように問いかけてくる。
「……そうだね〜それじゃここから近い方、隠れ里稲荷にしようか」
へらり、と笑ってそう答えながら景時は思う。
望美の手は、汚れてなどいない。穢れに触れてもなお汚れることなどない、清浄なものだ。
 彼女が手を洗いに向かおうとしたのは、かつて自分が血刀を洗った場所。汚れているのは望美ではなくて、自分の手の方だ。本当なら、こんな汚れた手で彼女の手を取ることは赦されることではないかもしれないけれど。望美があの地の穢れを祓ってくれたように、彼女を護りきることができれば自分の罪もいつか赦されるときが来るかもしれないと思いたかった。

 それでも、生田で芽生えたはずの自信と希望に、翳りが生まれたことも景時には良くわかっていた。




鎌倉にてその1。朝夷奈での怪異ということで広常の邸が
朝夷奈あたりにあったらしいというのでこんなネタを捏造してしまいました。
鎌倉は景時が望美に見せたい町であると同時に、罪の隠された町でもあって
複雑なんじゃないかなあと思うわけです。
しかし、譲や将臣なら「梶原太刀洗い水」とか知ってそうな気が。
そしたら景時の裏の顔とかも薄々気付いたりしそうな気が。
そこは、自分たちの知ってる鎌倉や歴史と違うから、でスルーしてるのかな?


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