しあわせのかたち




「景時! 昨日の書状の件、どうなった?」
「ええと、昨日の書状ってどの書状、ってあれだよね、鎌倉から来てたやつ。
 返事書いて、今朝遣いをやったよ」
「そうか、そうなると返事は少なくとも5日はかかるな。その間に……」
戦が終わってからというもの、九郎たちの仕事はすっかり様変わりしてしまった。戦の策を考え、陣を決めるのは得意の九郎だが、朝廷と鎌倉の間にあって人事を調整するのは全くもって苦手の様子だった。勢い、景時の負担も増えてくる。戦の最中も確かに忙しかったけれど、今も相変わらず忙しい。もしかしたらそれ以上かもしれない。戦には合間の休息があったような気がするが、この忙しさは……平穏な世を保つという仕事には終わりがないのだからいつ休息が取れるのかもわからない。それでも、それでも景時には毎日が充実したものだった。戦のときのような後ろめたさも、怖れも感じることはない。ただ胸を張ってこの平穏な日を守るために働いているのだと言えることが嬉しかった。
「景時! 朝廷からの書状の意味がわからん。どうしていつも、こうも回りくどい書状なのだ?
 それとも、俺が頭が悪いと朝廷の方々は言いたいのか?」
「そんなわけないでしょー。回りくどく言うのが朝廷の仕事みたいなもんなんだよ。
 オレだって良くわかるわけじゃないけど、見せてみてよ」
「すまん。もし、お前で返事が出来るものであればそうしてくれ」
未だに東国の荒武者、雅を知らぬ坂東武者と源氏と朝廷の間は良好とは言いがたい。政治の実権を朝廷に戻したいと思っている貴族達も多く、九郎のところには時折、彼を取り込もうとする書状がやってくることもあった。しかしながら鎌倉に知られては困るとばかりに、あからさまに事を書くことなく、遠まわしなものであるため、九郎は途中でたいがいは匙を投げてしまうのだった。そういうものは景時や弁慶のところへ廻ってくる。『何が言いたいのか?』という九郎の問いに正直に答えると、潔癖でかつ、兄である頼朝に心酔している九郎が血管が切れんばかりに怒るのが目に見えているので、3割ほど割り引いて内容を説明し、返事をしておくのだが、こうしたことを繰り返すにつれて景時は実感することがある。鎌倉を出るときに頼朝に言われた言葉だ。『お前の望む平穏な世など、人が生きる限り血の流れぬ世などない。人は裏切る弱い生き物。親が子を捨て、子が親を切る。主は臣を切り、臣は主に弓引くもの。そうでないと言うのであれば、お前がそれを証明してみせよ』 平穏な世を保つことは、戦に勝つよりも難しいのではないかと言うことだ。やっと戦が終わったというのに、火種を望み、それに乗じて自らが頂点に立ちたいと願う者は後を絶たない。
(なんでかねえ、オレなんてそんなのめんどくさいって思っちゃうんだけどなあ)
九郎から渡された書状の内容に内心溜息をついて、景時は返書のための筆を取る。毎日練習を続ける書を、望美はすごいと言ってくれる。綺麗な字ですね、と褒めてくれる。心が落ち着くから、と言って続けていた書ではあるけれど、まさかこんな風に毎日、平和に暮らすための書を書き続けることになるとは思ってもみなかった。
『私たちの世界では「ペン……っていうのはつまり、文字や絵を書く道具で、筆みたいなものなんですけど……は剣よりも強し」っていう言葉があるんですよ』
そんな風に望美は言っていたけれど、これもそんなうちに入るのだろうか。そんなことを考えるとなんだか可笑しい。とはいえ、景時が綴っているこの書状は、本心を隠した嘘を上手にまぶしたもので。
(オレって結局、嘘つくことから離れられないのかもねえ)
ちょっと溜息も出そうなもの。けれど、その嘘だって、今は、大切な人や、やっと手に入れた平穏を護るためのものだから、もう迷ったり後悔したりはしない。
その日も結局、全ての仕事が終わったのは夜も深けてからのことだった。
「はあ〜、やっと終わったー!」
大きく伸びをして首をこきこき、と左右に倒す。ここのところずっとこんな調子で、邸で待っている望美も心配しているだろうなあと想像する。すると、少し席を外していた九郎が戻ってきて景時に包みを差し出した。
「先日、二条殿からいただいた唐菓子なのだが、望美と朔殿に持って行ってやれ。
 毎日、お前を夜遅くまで引き止めて申し訳ないからな」
九郎がそんな風に気をまわすとは景時は驚いて九郎を見返してしまって、肝心の包みを受け取ることすら忘れてしまっていた。ずい、と九郎が包みを目の前に突き出してやっと手にとる。その様子を見て弁慶が苦笑した。
「九郎が忘れてしまっていなくて良かったですよ」
その言葉から察するに、元々は弁慶の案らしい。納得して景時は、ほっと息をつきつつも「そんな〜気を遣わなくてもいいのに」と言うが、弁慶から
「君に、ではありません。望美さんと朔さんに、ですよ。間違ってもらっては困りますね」
とぴしゃりと言われて首を竦めた。甘いものの好きな二人のこと、きっと昼間のおしゃべりの共にするだろう。
「それから、明日なのだが」
懐へ包みを収めた景時に向かって九郎が続いて声をかける。まだ何かあったか、明日は急ぎの仕事があったかと考えていると
「明日は午後からの出仕で良いぞ。鎌倉への書状も書いたし、ひと段落だろう」
と言われる。先ほどの唐菓子といい、再び景時が目をぱちくりさせると、やはり弁慶が苦笑しながら言う。
「ですから、望美さんへの気遣いですよ。ま、僕も九郎も偶には休みが欲しいですしね」
もちろん、ゆっくり休みが欲しいのは景時も同じで、せっかくの申し出を断る理由もない。半日だけとはいえ、休みが貰えるのは久しぶりのことでとてもありがたいので、景時はありがたくその申し出を受けたのだった。
「磨墨〜、お待たせ、お前も毎晩遅くまでごめんね〜」
嘶く磨墨に跨り、夜空を見上げると雲のない空に星が瞬いていた。
将臣は敦盛とともに南へ下り、リズヴァーンは鞍馬へ、ヒノエは熊野へと去り、譲は京邸を出て星の一族の元へ身を寄せた。仲間もかつてとは同じでなくなってしまったけれど、それでもいつだってまた、その気になれば会えるという希望が持てるのも自分が前向きに変わったからだろう。
瞬く星に向かって高く手を伸ばす。もちろん、届くはずもないのだけれど、今はそれを馬鹿馬鹿しいと思ったりしない。もしかしたらいつか、この手が届く日が来るのかもしれないとさえ思える。どんなことでさえ、希望を持つことは無駄ではないと今は信じることができる。それをかなえるために努めるなら、きっと応えるものはあるのだと。



「今日もすっきり、洗濯日和ですね〜!」
庭に所狭しと干された洗濯物が風に揺れているのを眺めて望美がそう言う。二人並んで濡れ縁に腰掛け、その様子を眺めていた。最近は日差しも少し柔らかくなり、こうして座っていても心地よい。
「せっかくのお休みだから、何処か連れていってあげられたらいいんだけど
 午後から仕事だから、ごめんね〜」
景時がそう言うと望美はにっこり笑顔で答える。
「一緒にお洗濯も楽しいですよ! 何をするかとか、何処へ行くかとかじゃなくって。
 景時さんが一緒に居てくれるのが一番なんですから」
その笑顔に見惚れてしまって景時は言葉を返せない。ただ胸が温かくなって、その暖かさが指の先、足の爪までじわっと広がっていくような気がした。ああ、自分も、と思う。自分も彼女がこうやって傍に居てくれることがどんなに幸せか。
「景時さん?」
「あ、えーと、うん……オレもね、君がこうして傍にいてくれてとっても幸せだなって思って」
もっと本当は伝えたいことはあった。自分がどれくらい幸せかということ。ずっと絶望の中に生きていて、自分には何も残らないと思っていたのに、欲しかった全てが今ここにあるということ。その幸せの全ては、望美が景時を支えてくれたからこそ手にできたものだった。自分がずっと求めていた平穏な暮らしを与えてくれたのは望美だったし、頼朝が哂ったこのささやかな望みが尊いものだと思えるのもきっと、彼女のおかげだと思う。
「ね、景時さん、お天気の良い日に、仲良くお洗濯して、こんな風にのんびり庭を眺めて。
 何も特別なことはないけれど、でもそういう特別なことのない一日がとても大切な日なんだってことを
 景時さんに教えてもらったと思うんです」
景時にそっと身を寄せて望美がそう言う。その目は眩しそうにはためく白い衣を見つめていた。
「望美ちゃん……」
景時は思わずがしがしと前髪を掻きあげた。
「……景時さん?」
訝しげに少しだけ身体を離した望美が景時を見上げる。景時は気まずそうに望美を見下ろして応えた。
「……オレも望美ちゃんに伝えたいことがいっぱいいっぱい、あるんだけど……
 上手く言えないんだ。今もすごく嬉しくて、胸がいっぱいで、でも、オレはそんな立派じゃないって思う気持ちもあって
 でも、一番はやっぱり、嬉しいんだ。
 オレも、こんな風に特別なことのない日がとても大切で、とても幸せでそう思えるのは望美ちゃんがいてくれるからで……」
「じゃあ、同じですね!」
そう望美が言って、また景時に身を寄せる。
「同じ?」
「そうです! 私と景時さんの、幸せのかたちは同じなんですね」
嬉しそうにそう言う望美の言葉を、景時は噛み締める。自分が望んだ幸せのかたち。ささやかで、けれど何より重いもの。
「……同じ、かあ〜」
「? 違いますか?」
望美が少し不安げに見上げてくるのに、景時は首を横に振る。
「ううん、同じだったら嬉しいなって思って」
「同じですよ! ええ!」
自信たっぷりにそう望美が言って、景時の腕に自分の手を回す。景時はそんな望美の肩に腕を回した。互いの温もりが伝わってきて、ただそれだけで満ち足りた気持ちになる。
景時の幸せを何か形に表すとしたら、きっと望美だと思う。それは『幸せ』であるために絶対に必要なもので、平穏な日々もきっとそれを失くしては『幸せ』というには満ちない。自分が望美にとって同じであればと思い、同じでありたいと思う。互いが互いの幸せに絶対不可欠であること、それもまた「幸せのかたちが同じ」であると言えるんじゃないかと思う。あるいは――
「ああ、そっか〜」
「? どうしたんですか?」
「ううん、オレと望美ちゃんにとっての、同じ幸せのかたち、ってどんなものになるかなあって思ったんだけど……」
「だけど?」
景時は少し考えて、少し恥ずかしそうな顔になって、それから望美の耳に口を近づけてそっと囁いた。
それを聞いた望美の顔が赤く染まり、けれど景時の言葉に賛同するようにすぐに笑顔になって何度も頷く。


どこまでも青い空に向かって景時は手を伸ばす。それを真似るように望美も手を伸ばし、二人の手の影が地面で重なった。
手にした幸せはきっと、いつまでも同じかたちではないだろう。それは護るだけではなくて、育てていくことができるものなのだ。そして、望美と二人なら、必ずそれは確かなものになるに違いない。

END




日常の風景を最後に、と思っていたらこういう感じになりました。
長いマイペースな展開でしたけれども
お付き合いくださった皆様、どうもありがとうございました。


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