いつから




『だって、望美ちゃんは可愛いよ?』
その言葉が望美の脳裏から離れてくれない。今朝も目覚めて起きあがった瞬間に、耳の奥にその言葉、その声が響いて、そのまま再びつっぷしてしまった。尚更悪いのは、本人の顔を見てしまったときで、まるで瞬間湯沸かし器の様に、顔に熱が上ってくる。
(お、おかしいよね。おかしいよ。だって、かっ、可愛いって、ヒノエくんだって弁慶さんだって
 良く言うじゃない?)
あの二人に言われるのは、そのときは恥ずかしくて仕方なくとも、後々こんなに尾を引くことは今までなかった。それは言われる頻度に反比例しているということだろうか? それとも、不意打ちの威力というものなのだろうか?
考えれば考えるほど、泥沼になりそうな問題に、望美は溜息をついて頭を振った。
「どうしたの、望美」
心配げに朔がそんな望美に声をかけてくる。慌てて望美は両手をばたばたと振ってみせた。
「なんでもない、なんでもないよ。元気元気!」
かえって怪しいほどのその素振りに、訝しげな表情で朔がじっと望美を見つめる。朔のこの表情には、望美も弱い。それに、ことが景時のこととなれば、朔が一番詳しいのも本当で、相談しやすい相手でもあるのだ。そこで、望美は言い出しにくそうにではあるが、朔に向かって尋ねてみた。
「あのね……あのね、朔、景時さんってさ……もしかして……女たらし?」
朔が唖然とした顔で望美を見返した。しばらくその状態のまま、固まっていたがすぐに望美の肩をがしっと掴むと真剣な顔になり、低い声で問い返してくる。
「……望美、兄上に、何かされたの?」
あまりに真剣な朔の様子に、望美は驚く以上に怖くなるくらいで大慌てで首を振りまくる。ここで頷いた日には、朔がそのまま景時を成敗しに行きそうな勢いだ。たった一言でこんなに自分を動揺させる景時には、何かそういう技でもあるのかと、つい言葉を選ばずに尋ねてみただけなのだ。
「何もされてない、されてないってば! そうじゃなくって! ほら……ええと。
 景時さんって……」
聞きたかったのは、あんな風に不意打ちで言うなんてこと、慣れてる人なのかということで。それはつまり、冗談でからかわれたのかということを聞きたくて、でも、景時はそんな人ではないと望美が思っているのは確かで、では朔に何を確かめたかったのかと言われたら、困ってしまうのだ。
「……景時さんって、……」
言葉に詰まってしまった望美に、朔は掴んでいた肩を離してゆったりと座り直し、そして静かに微笑んだ。
「そうねえ……兄上は調子良いことばかり言うけれど、
 ヒノエ殿や弁慶殿みたいに、物慣れた方ではないから。
 東国でこそ、雅を解するとか京に詳しいとか言われているけれど根は無骨者なのよ。
 とても雅やかに女性に語りかけるなんて真似が出来るとは思わないわね」
まるで、わかっているのよ、と言わんばかりの朔の表情に、望美はどう言って良いのか更に困ってしまった。朔の言う景時評は望美の思う通りのものではあったが、微笑む朔の表情は、昨日の将臣のものと良く似ている。二人には良くわかっていることが、どうやら自分にはわからないらしい。それが胸の奥でとてももやもやとしている。
(……ああ、これ。三草山の後と同じ……っていうか、もっと悪いかも)
喉の奥に何かが詰まっていて取れない感じ、がする。ちゃんとそれについて考えようにも、そうすると
『だって、望美ちゃんは可愛いよ?』
この言葉が甦って思考力を奪ってしまうのだ。朔を目の前にして望美はまた、床に突っ伏しそうになり、自分の頭上で大きく手を振り回した。
(恥ずかしいからっ!! ほんとに、恥ずかしいから!)
「……望美?」
心配げに朔が望美を再び覗き込む。これでは先ほどからの繰り返しにしかならないと気付いた望美がそれでもまた「大丈夫だから!」と言おうとしたその時、部屋の外に騒々しい足音がした。二人がその物音に思わず顔を向けると、勢い良く戸が開けられ、ご機嫌な顔をした景時が顔を覗かせる。
「あ、二人とも居たね! いいものが出来たんだ! 皆に見せたいから、夜になったら砂浜に来てよ」
嬉しげな景時の顔を見た途端に、やはり望美の頬が熱くなる。恥ずかしいのか、でも、それだけではない何か不思議な感情が心の内で動いて、そして、望美は考えるより先に
「はいっ! 絶対に行きますね」
と答えていた。その勢い良い返事に、朔が思わず笑いを零し、景時も尚更に笑みを深くした。
「う〜ん、気持ちいい返事だね! じゃあ、朔も来てくれるんだろう?」
「はいはい、わかりました。望美と二人で参ります」
こちらは半ば呆れたような声ではあったけれど、色好い返事が貰えた景時は、来たときと同じようにご機嫌で戻っていった。
「ねえねえ、皆、あのさ〜……」
他の八葉の集う部屋にそう言いながら入っていく声が聞こえた。
「ああ、そっか〜、出来たんだ、景時さん」
「望美、知ってるの?」
「ううん、ほら、ずっと部屋に籠もって景時さんが作ってたやつ。
 もうすぐ出来上がりそうだって、昨日景時さんが言ってたの。だから」
「本当に大丈夫なのかしら。兄上ったら、あんなに大々的に皆に知らせたりして……
 失敗することの方が多いのよ?」
心配げに朔が溜息混じりに呟くのに、望美は何故か自信ありげに笑いながら答えた。
「何言ってるの、大丈夫に決まってるじゃない。景時さんなんだもん」
そのあまりにも信じ切った望美の表情に、兄上だから心配なのよ、とは朔は口に出せなかった。




「え〜、皆様、本日はこの景時めのためにお集まりくださり……」
勿体をつけた景時の挨拶から始まった夜の砂浜での発明発表会。朔は慣れた調子でそんな景時の話の腰を折ったが、景時はそれでも嬉しげな顔だった。朔にはこれまでもあれこれと出来たものを見せたりしてきたようではあるが、こんな風に皆に見せるのは初めてらしく、九郎や弁慶も興味ありげに見守っている。
 景時はそんな期待を含んだ皆をぐるりと一度見回すと、満を持したように手にした銃を空へ向け引き金を引いた。
軽い発砲音と共に打ち上げられた弾が、空高くで花開く。それは、まさしく望美の知る花火そのものだった。
「……う、わぁ〜……すごい、綺麗……!」
色鮮やかに夜空に広がる大輪の花を、皆は言葉を無くして見上げていた。九郎や弁慶たちにとって、それは初めて見るものであり、尚更に驚きと共に目を奪われている様子だった。景時もどうやら自分でそのものを目にするのは初めて……つまり、今回がぶっつけの本番だったらしく、空を見上げてどこかほっとしたような表情になっている。それを微笑みながら見つめ、そして望美もまた夜空に広がる花火を見上げた。
 綺麗だと見上げても、不思議と元の世界で見た花火を懐かしく思い出すことはなかった。むしろ、この美しいものを景時が作り出したのだという驚嘆と、何処か嬉しく誇らしいような気持ちがあった。同じく目を輝かせて空を見上げている朔に、『ほらね、景時さんなら大丈夫って言ったでしょう?』と、そんな風に言いたくなってしまうほどに。誰もが言葉無く、夜空に咲く花火を楽しんでいる。景時本人はどんな表情でこの空を見上げているのだろう、と望美は気になり、視線をふと景時へと向けた。すると、自分を見つめていた景時と視線が合い、驚く。……景時は、空ではなく、ずっと、花火を見上げている望美を見つめていた。視線が合った瞬間、慌てたように景時はその顔を空へ向けてしまう。天空高くで光を放つ花火の明かりでは、その頬を明るく照らしてはくれない。しかし、僅かにいつもよりも色づいた様が望美にもわかり、その横顔を見た瞬間、望美の胸が高鳴った。
 そして、全てのことが、すとんと望美の腑に落ちた。もやもやした気持ちも、苛々したことも、恥ずかしくて仕方なかったことも、全ての意味がわかったのだ。
――ああ、そうか……私は、景時さんが好きなんだ
そう言葉にして思った瞬間、その望美の想いに重なるように一際大きな花火が夜空に花開く。嬉しいような切ないような心持ちが望美を満たしていく。何故かという理由も、いつからという時間もわからなくて、ただ、今、自分はこの人を好きで好きで堪らないのだということだけが確かにわかった。
 望美は一歩景時の傍へと踏み出すとより近くなった彼の横顔を下から見上げた。近づいた気配に、景時もまた空を見上げていた顔を戻して望美を見つめる。照れたような微笑みが、その顔にはあった。この優しい笑顔が好きだな、と望美は思う。
「すごい、景時さん。本当に綺麗。こんな花火がここで見れるなんて思ってませんでしたよ」
「本当? 良かった〜喜んでもらえて」
嬉しげに笑った景時の言葉に、彼は皆のためにこの花火を作ったのだと望美は気付いた。誰かのために、皆のために、この花火も……先へ進めずにここで過ごすしかなくて苛つき始めた皆の心を楽しませようと考えたのだろう。その優しさに気付かない人もいるだろうが、望美は自分がそんな彼の優しさに気付くことができて嬉しかった。
「さ〜て、もう一発、最後に大きいの打ち上げようか〜!」
景時ははしゃいだようにそう言うと、腕を上げて銃を天空へ向け引き金を引いた。色とりどりの花火が天空に咲き乱れる。嬉しそうに見上げた景時の瞳に、その花火が映っている。望美はやっぱり、そんな景時の横顔に見惚れていた。


 この日に見た、景時の笑顔が長く望美を支えてくれた。曇り無く嬉しそうで、何処か誇らしげでさえある彼のこの日の笑顔と、光を映した瞳が、最後まで彼を信じさせてくれた。そして、この日の花火は戦を離れ、友と過ごした一夜の思い出として、誰にとっても等しく忘れがたい思い出となったのだった。


「景時さんって小さい頃から発明好きだったんですか?」
花火の打ち上げが終わってからも、景時から離れがたく、望美は波打ち際で彼と並びながらそんな風に問いかけてみる。景時はその問いに、少し恥ずかしそうに答えた。
「うん、そうだね〜。小さいころから、色々なものを分解したりするの好きだったなあ」
京での陰陽師の修行のとき、舶来の珍しい品を見るのが楽しみだったこと、暇があれば今でも何か発明していること、でも失敗も多いこと、景時が屈託なく自分のことを話すのを望美は見つめていた。そして、なんとなく気付く。自分のことを語るとき、景時が自分を低く言うこと。以前もそうだった。彼が自分を駄目な人間だと思っていることが、端々に感じられて、それが普段の飄々とした人柄と繋がらなくて不思議に思える。けれど、望美は、景時は彼が言うように駄目ではないと言うことだけは確信を持って言えた。
 こんなに素晴らしい花火を大空に描くことができる人が、他にいるだろうか? たとえ札を書くのが苦手だったからといって、では銃を作ることができる人間が他にいるだろうか。何かが出来ないとしても、それを補うものを作り出すことができるのは、それは素晴らしい力なのではないのか。少なくとも、望美は本当に景時をすごいと思っていて、心を動かされるのだ。そのことを、どう伝えれば良いのだろうと、彼を見上げる。戦のための銃がある世界から来たことを案じ、けれどそれが望美にとっては遠い存在のものだったと聞いて安心する、そんな優しさにさえ胸が締めつけられるというのに、この気持ちをどう伝えれば良いのだろう。そんな望美の視線をどう受け止めたのか、景時は決まり悪そうに、人差し指で頬を掻いた。自分一人が話しすぎたと思ったのかもしれない。
「ごめんね、なんだかオレだけはしゃぎすぎちゃったかな……って、皆ももう宿に戻ってるみたいだね〜
 遅くなっちゃってごめんね」
これだから気がきかなくてオレって駄目だね、と笑いながら景時が言う。望美は一生懸命首を横に振って、そんなことないという意思表示をする。胸が苦しくて言葉が出てこないのだ。何げない言葉の一つにさえ、切ない気持ちがしてしまう。それでも、じっと見上げると景時は少し決まり悪そうにではあったけれど、笑顔を浮かべていた。
「足元暗いから、気を付けてね」
そう言いながら差し出された手に、望美は自分の手を重ねる。いつも、そういえば、もう何度もこの手をこうやって取っていたと気付いて、胸が温かくなる。それが自然なことのように、とっくにもう何度もこの手を取っていた。
 そして今、確かな思いを込めて意思をもってその手をきゅっと握り返す。その強さに驚いたように景時が望美を見返した。望美はそんな景時に向かって笑いかける。いつか、この思いの全てをちゃんと彼に伝えたい。まだ上手くまとまらないこの気持ちを、慌てずに、時間をかけて、きちんと届けたい。そんな思いを込めて。
 まだお互いの気持ちも確かめ合うこともなく、それでも繋いだ手のぬくもりが何かを伝え合っているかのように、二人は宿までの道を手のひらから伝わる互いの熱をただ感じながら歩いて行った。


END




花火イベント〜あっさりしていてごめんなさい。
でも、とりあえず望美側から一歩前進という感じで。
やっぱり、景時と望美は望美がやる気(?)にならないと
なかなか進展しないような気がするのです。


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