銃 声




(ああ、そういうことだったんだ)
今までのことが全て霧が晴れたようにわかって、こんなときだというのに望美はどこかすっきりした気分だった。戦も終わった船の上。何処までも青く澄んだ空。遠く兵たちの声が聞こえるものの、今、この船の上は何処までも静かで、この状況に似つかわしくないように穏やかに思えた。穏やかなのは、ただ自分の心のうちだけかもしれないけれど。
「やめて、兄上!」
朔の叫び声が聞こえるけれど、それも耳には遠かった。ただ海を渡る風の音がよぎっていくのが良く聞こえた。
「景時、早くなさいな」
政子の声もするが、それもどうでも良かった。望美の目には景時だけが映っていた。自分に向けて銃を向けている彼。引き金を引こうとする腕が震えていて。どうしてあんなに悲しそうな顔をしているのだろうと不思議だった。どこまでものどかなこの青い空の下に、悲しそうな顔をするなんて似合わないのに。こんなお天気のよい晴れた日には、洗濯をしながら鼻歌を歌って、笑顔でいることが何よりも似合う人なのに。

 昨晩聞いた、景時の悲痛な声が耳の底によみがえる。
『オレと一緒に逃げてくれないか』
どこまで優しい人なのだろう。あんなに切羽詰まってさえも、彼は本当のことを言ってくれなかったのだ。本当のことを言っていたけれど、全てを明かしてはくれなかった。
望美の暗殺を命じられたのだ、望美を助けるためには逃げるしかないのだ、と言わなかった。言えば自分のために景時に全てを捨てさせてしまうのかと、望美が負い目を感じると思ったのだろう。言えば、自分のために景時まで巻き込んで逃げるなんてできないと、望美が言うとわかっていたのだろう。全部自分のせいにして、全て自分ひとりで背負って、黙って望美を守ろうとしていてくれたのだ。あのとき、やはり一緒に逃げる選択をしなくて良かったと望美は思う。きっと望美を守るためだとしても、あのあと景時は自分を責めたことだろう。望美から仲間を奪ったと、平穏な人生を奪ったと、自分を責め続けたことだろう。そして自分は景時がそうやって自分を守ってくれたことも知らず、景時を救うことができると思ってしまったことだろう。なんて優しくて、なんてずるい人なのだろう、と望美は思う。こんなにも景時を守りたいと思っているのに、けして、守らせてくれない。自分のせいだと、何もかもを自分の弱さのせいだと、今になってもまだ思っていて自分を責めているに違いない。
(泣かなくてもいいのに)
望美は景時の顔を見つめて微笑んだ。まだ、彼は自分の弱さを責めているのだろうか。そうではないのに、と望美は思う。ずっと一人で―全部を一人で背負ってきた景時を、誰が弱いと言えるのだろう。あなたはとても強い人。誰も知らない、景時自身すら知らないけれど、望美を守るために、仲間を守るために、景時が命を捨てたことを望美は知っている。ひとりで全てを背負って笑って死んでいったことを知っている。だから……
「大丈夫だよ、景時さん」
望美はそう言った。けれど、どうしてその言葉を選んだのか自分でもそのとき少しおかしな気がした。何が大丈夫だというのか、と。けれど、すぐにわかった。そう、言ってあげたかったのだ。ずっとこれまで、景時が望美に言ってくれていた言葉。「大丈夫、大丈夫!」その言葉にどれほど力づけられたことだろう。だから、弱い自分を責めて泣いている景時に言ってあげたかったのだ。
―あなたは、本当は強い人なんだから、大丈夫だよ
―私のために泣くことなんてないんだから、大丈夫だよ
―私はあなたを信じているから、大丈夫だよ
今このときも、望美は景時を信じていた。しかし、景時が自分を撃つなどということは有り得ない、という意味で景時を信じていたのではない。景時が仲間を裏切るはずがない、という意味で信じているのでもない。どんな結末であれ、景時が選択したものであれば、それが最善のものであるのだと納得できるという意味で彼を信じていた。景時が考えて、考えて、皆を守るためにと考えて、そしてその結果に出した答えなら、それはきっと、全ての人にとってではなくても、多くの人にとって最善の道となるだろう。
だから、大丈夫、あなたの選んだ道に間違いはないよ。
そう笑って言えるのだ。望美はとてもすがすがしい気分だった。
望美の心からの笑顔に、景時が瞠目して言葉を無くしたように一瞬立ちつくす。

そして、その後、甲高い銃声が青い青い空を切り裂き消えていった。


□□□

冴え冴えとした月の光が、戸の間から差し込んで暗い室の中に一筋の光の道を作っていた。
誰一人として眠る者はおらず、そして誰一人、口を開くものもいなかった。
今日の朝は、何も疑うことなく、ただ平家を追い詰め戦い勝利を信じ、高揚した気分でいたというのに。今は誰もこの先を予想することもできずにいた。
室の片隅、ようやっと光の届く壁際に腰を下ろしていた九郎が、ぽつりと呟いた。
「……景時が、あのような命を受けていたとは」
その低く小さな声が妙に響いて聞こえた。九郎の言葉に誰しもが同じものを思い出していただろう。胸を血に染めて倒れる望美と、それへ向けて駆け寄る、彼女を撃った本人……景時。
誰もが、景時と望美の間の特別な絆を感じていた。戦が終われば、二人もきっと落ち着いて新たな暮らしを始めることができるだろうと思っていた。異世界からやってきたということは、とっくに承知だったのに、望美が戦の終わった後もこの地に留まって……景時の傍にいることをまるで当然のように思っていた。
誰もが九郎と同じ衝撃を持ってあの光景を見つめていたけれど、誰一人として「何故」とは口にしなかった。何故、景時がその道を選ばねばならなかったのか、痛いほどに良くわかるからだ。こと、この世界で自分ひとりのことならず一族郎党をその身が束ね、戦場に身を置く者ならば誰もが、彼が何のためにその道を選ばねばならなかったのかを理解できた。一族郎党を預かる者は、その最大多数を守るために決断をせねばならないのだ。たとえそれが自分と血の繋がった者であれ、愛する人であれ、代々受け継いだ領地と一族を守るためなら切り捨てる覚悟もまた必要なのだ。それでも、何故ひとりでそれを抱え、打ち明けてくれなかったのかという遣る瀬無さは残る。頼朝からの命が望美を殺すことだけではなく九郎たち一行を捕らえることも含まれていたのだとしても。それでも、仲間だと思っていたし、それを明かされたからといって景時を責めたりもしなかったのに。九郎には、そう思えて悔やむ気持ちがどうしても拭えなかった。それは誰も同じだったかもしれないが。
そんな悔しさを滲ませた言葉に弁慶が静かに応える。
「……恨み言は景時に直接伝えてやることですよ」
その言葉に、少し心外な様子で九郎が顔を上げた。
「…俺は別に、景時に対して恨み言など……」
「『何故自分一人で抱え込もうとしたのか』というのは、十分恨み言ですよ。
 今度景時に会ったら、存分に言ってあげると良いでしょう」
存外に事も無げに弁慶が言うので、九郎は少々面食らった様子になった。『今度景時に会ったら』と言われたところで、この次に景時と会ったとき、今までと同じ立場であるかどうかなどわからないし、ましてやもう一度会えるかどうかさえ怪しいと思えたからだ。
そんな思いが表情に出ていたのだろう。弁慶がいつもの調子で低く困ったように笑ったのが伝わった。九郎には、弁慶の意図するところがわからず、つい憮然とした表情になってしまう。
「九郎、いったい僕たちは何のために、おとなしく捕まっていると思うのですか」
小声で弁慶がそうささやく。
「僕や君はともかく、ヒノエやリズ先生、敦盛くんなどその気になればすぐにでも逃げ出せて
 そして、それで何の不都合もないはずでしょう」
そう言われれば確かにそうなのだ。彼らなら見張りなどすぐに倒すこともできただろうし、源氏にしがらみなどないのだから。
「……それは、そんなことになれば景時の立場が……」
「そうでしょうかね? 景時はあのあとどうやら壇ノ浦に残ったようですから、
 今ここで僕たちが逃げ出しても彼の落ち度にはならないでしょう」
否定されて九郎は黙り込む。結局わからないので、とりあえず自分について言う。
「……俺は景時の立場が関係なくとも、兄上に直接お会いして話をしたいと思うから
 逃げようとは思わない」
「まあ、君はそうかもしれませんが。
 ねえ、ヒノエ、君はどうして逃げないんですか」
それまでつまらなそうにごろりと横になって肘をついていたヒノエが、その体制のまま面白くなさそうに言う。
「……そんなことしたら、景時の目論見がどうなるかわからないじゃん」
その答えに九郎は訝しげに首を傾げる。
「まあ、一人でいい格好しやがって、今度会ったら嫌味の一つや二つ、言ってやらなきゃ気が済まないけどな」
ヒノエは面白くなさそうにそう言葉を続けた。
「だいたい姫君をあんな目にあわせたってだけでも、本当なら2,3発殴ったっていいところだぜ」
「……あんな目って……望美はもう……」
「……しっ」
九郎が言いかけるのに、弁慶がそっと制する。ヒノエも小さく舌打ちをして体の向きを変えてしまった。その後をうけて譲が小さく息をついた。
「やっぱり……先輩は……」
どこかほっとしたような声音は、そうと信じたかったけれど今の今まで確信をもてなかったということだろうか。九郎は、皆の指すものがしばらくの間理解できずに考えていたが、やがて驚いたように目を見開く。そのまま口に出そうとして慌てて、口を閉じ、小さな囁くような声で弁慶に言った。
「どういうことだ? 望美は確かに血を流して……」
「どういうことかは僕にもわかりかねますけれどもね……
 でも、景時が何かを考えていると思いますよ」
九郎はしかし、何故弁慶やヒノエや譲がそうと思うのか不思議で、しかし、それをそうと問うていいのかどうかわからず黙り込む。それと察したのであろう弁慶が、小さく笑って言った。
「望美さんに何かがあったとしたら、彼女の守護たる龍神が、こうも暢気にしていられるものかと不思議ですよ、僕は」
それまで大人しく譲の隣に座っていた白龍が訝しげに皆を見回す。身体は大きくなったものの、いまだに無邪気な龍神は何を皆が心配しているのかと言いたげににっこりと笑った。
「そうなのか? 白龍、先輩は無事なんだな?」
譲が小さな声で尋ねると白龍はしばらく何かを辿るように目を閉じて考え、そして頷いた。
「神子の気は消えていないよ。少し弱くなっているけれど、近くに兌の気があるから景時が一緒だよ。
 神子を守る八葉が一緒だから大丈夫」
譲の声にあわせるように小さな声で白龍が答えると、みなの緊張が少し解けた。
「……良かった……ほ、本当に、良かった」
膝の上の手をぎゅっと握り締めて譲が呟く。その声が震えていた。もしかしなくても、泣いていたかもしれない。
「……先輩が、生きていてくれて良かった……」
異世界から共にやってきた望美を失ったかもしれないと思った譲がほっとしたのは九郎にもよくわかった。けれど、それだけでなく続けられた言葉に、九郎は自分も胸を突かれた。
「……景時さんが、皆を裏切ったんじゃなくて、良かった……
 景時さんが、そんなことにならなくて、良かった」
不意に九郎の身体も緩んだ。肩から力が抜けて背中を壁に預ける。
――そうだ、良かった。景時を失わずに済んで、良かった。仲間を、友を、失わずに済んで良かった。
そして、この鎌倉の途上、この先鎌倉に送られて自分たちがどうなるのかもわからないながらも、大丈夫なのだと思うことができた。それはきっと、この場の誰も同じだっただろう。
「……景時に……恨み言を山ほど言ってやらねば、気がすまんな」
九郎は弁慶に小声で呟いた。冷静なままの弁慶もまた、思うところはあるのだろう、頷いた。
「少なくとも、この場にいる皆と望美さんは景時に言いたいことを言う権利があるでしょうね」

混乱と絶望をもたらしたはずの銃弾が、その実、闇に包まれた室に一筋差し込む月光のように
希望へ向かうものだったことを、皆はその夜確信した。




壇ノ浦。
望美からと、仲間達とでした。
ここに景時からの話も入れようと思ったのですが、長いので次回。
ここで望美が言う「大丈夫だよ」という台詞。どんな思いが込められているのか
いろんな解釈が可能で、一言だけれどすごく重い言葉だと思います。
今回は、こんな解釈をしてみました。


■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■