重なる想い




 彼がとても辛そうな顔をしていたので、どうしても傍にいたかった。自分が傍にいることで、何かできるとは思っていなかったけれど、それでも傍にいたいと思った。自分に運命を変える力があるというのなら、彼が苦しまなくても良い運命を紡ぎたいと思う。神子というものは、そんな風に誰か一人のことを考えるべきではないのかもしれないけれど、今になってもまだ、「神子であるべき自分」に慣れないのだから仕方ない。
(神子ってなんだか神聖な感じだけど、私はそんな特別な人間じゃないもの)
たまたま、白龍に選ばれたというだけの、普通の17歳だと思っている。ただし、普通というには京での経験のおかげで逞しくなったかもしれない。それでも、今でも本当は戦場は怖いし、本当に運命を変える力が自分にあるのか半ばは信じられずにいる。
 そんな自分が、それでももし「神子」として皆を護る力を持っているというのなら、この人を護りたいと思った。
『オレは駄目な武士だから、さ』
そう言った時の表情がとても苦しそうだった。苦しそうで、そしてそんな彼の表情は望美をひどく不安にした。だから、そんな彼を一人にしたくないというよりも、自分自身が安心したくて、彼の側にいたいと思ったのかもしれない。彼を一人にしてしまったら、また何か間違ってしまいそうな気がしたのだ。



 荒い息をなんとか整えようと望美は周りを見回し、そして誰の姿も今はないことを確認してから足を止めた。遠く人の声が聞こえるが、源氏の兵ではないかもしれない。戦場で一人になったなど、初めてのことだった。いつだって、仲間が傍にいてくれたし、こんな混戦になったこともなかったのだ。
(本当はいつだって、守られていたんだ)
いつも誰かが傍にいてくれた。白龍が、譲が、朔が、景時が。ぜいぜいと喉に絡むほどに荒い息に咳き込み、吐き気がこみ上げる。仲間の元に帰らないと。望美は少し呼吸が楽になると、再び走り出した。足が重い。下草が生え、足元が整わない場所だけに余計に走りづらく、体力を奪われる。敵に見つかってはならないと焦る気持ちが恐怖となって望美の心を弱くする。この世界に来て、戦場に出て、それでも本当に死ぬかも知れないという恐怖は味わったことがなかった。いつも誰かが傍にいてくれたから。死はいつもとても近いところにあって、なのに遠いものだった。そんな風に思っていた自分が今更に不思議で仕方がない。
(皆のところに戻らなくちゃ……)
きっと皆心配しているだろう。それでも、再び戦場に戻ってこれるはずもない。まとめなくてはならない源氏軍がある。ましてや単身敵の直中に戻るなど、なかなか出来ることではないだろう。自分でなんとかしなくてはならない。そう思い、望美は自分がこれまで皆に守られてきたということをますます実感する。こんなにも無力でありながら、それで皆を守りたいと思っていたなんて。なんて傲慢だったのだろう。
「女だ! 源氏の女武者がいるぞ!」
少し離れたところで声がした。びくり、と望美は震える。見つかったのだ。がさがさと草木の揺れる音がして平家の兵たちが現れた。望美は覚悟を決めると手にした剣を握り直す。
「なんだ……やる気だぞ」
「こいつ、龍神の神子とかいうんじゃないのか? 怨霊をけしかけて弱らせてやれ!」
元はきっと、同じ平家の兵であっただろうに、怨霊となった者はこうやって蔑まれ使い捨てにされてるのだと思うと、尚更に怨霊を作り出す平家を許し難く感じ、また、自分に向かってくる怨霊を哀れに感じた。そんなことを思う余裕もないはずなのに。嫌な声を挙げて前へと進んでくる怨霊へ向けて、望美は気を集中し封印の技をかける。疲れている分、意識を集中することが難しく、時間がかかる。それでもなんとか怨霊から攻撃を受けるまでに、その姿は霧散しきらきらと輝く光に呑まれていった。しかし、たった一体の怨霊を封印しただけというのに、その後の疲弊感、脱力感が激しい。
(どうしよう……もう、もたないかもしれない)
それでも死ぬのは嫌だ。なのに、剣を持つ手が思い。足も泥がまとわりついたかのように重くて動けない。そんな望美の様子がわかるのだろう、平家の兵たちは薄笑いを顔に浮かべたまま、次の怨霊をけしかけようとしている。人の心を無くして、ただ苦しみのままに敵を襲うその姿を、望美も最初はおぞましいと感じ、怖ろしいと思った。今だって半ばはそう感じる。しかし、半分は哀れに思う。彼らを使う平家に怒りを感じる。
(だから、封印してあげなきゃいけないんだ……)
なのに、もう力が入らない。怨霊が刀を持った骨ばかりの腕を振り上げるのがゆっくり見えた。それを防がなくてはと、自分も剣を持ち上げようとするのに、腕が上がらない。あんなにゆっくりとした怨霊の動きに自分の身体がついていかないのがとても不思議だった。
(もう、駄目……)
望美が目を閉じたとき、金属音が空気を裂いて、怨霊の怨嗟を込めた叫びが耳をつんざく。何が起こったのかと望美は目を開けて、そして怨霊がいたはずの場所にその姿がなくなっていることに気付いた。遠く、馬の嘶きが聞こえて視線を上げると、そこに有るはずのない姿を見つけて目を見張る。
「……景時さん……」
驚きと安堵と入り交じった呟きが唇から漏れる。しかし、はっと気付く。平家の兵たちがいるのに、と。しかし、景時は磨墨の速度を落とすことなくぐんぐんと望美に近づいてくる。まるで周囲の兵たちには気付いていないかのようだ。そして、景時の腕が馬上から望美に伸ばされ、望美もまたまるで先ほどまでの身体の重さが嘘のように一心に彼に向かって腕を伸ばした。触れあったと思った瞬間に、ぐん、と身体が持ち上げられるのを感じる。そしてその次の瞬間にはもう既に馬上に抱え上げられ、景時の腕の中に望美はいた。
「この子は大切な人なんだ、お前たちに触れさせるわけにはいかないな」
胸に強く抱きしめられた頭上から、景時の声が聞こえた。その声に、自分を抱きしめる腕の力強さに、胸の温かさに、望美は自分が生きているということを実感してほっとする。そして同時に『大切な人』という景時の言葉に胸が熱くなった。軽く背を撫でられて顔をあげると、大丈夫かと問うように心配げな景時と目が合った。大丈夫だと返したくて、なのに声が出なくて望美はただ頷く。すると景時はほっとしたように小さく微笑むと
「皆、森の外で態勢を建て直しているんだ、そこへ向かうよ」
と言い、再び磨墨を駆けさせた。望美は落ちないようにと景時にしがみつく。当たりに景時以外の源氏の兵がいる様子もなく、供が付いてきている様子もない。景時はたった一騎、敵の直中に望美のために戻ってきてくれたのだと思うと、申し訳ない気持ちとともに嬉しさがこみ上げてきて、望美は尚更強く景時にしがみついた。
「ごめんね、望美ちゃん」
それを怖かったからと思ったのだろう、景時が小さくそう言う。望美は強く頭を横に振った。謝らなくてはならないのは、自分の方だと思ったのだ。思い悩む景時を守りたいと望美は思った筈だった。けれど、本当に守られていたのは自分の方だった。
(誰かを守るっていうことは、そんな簡単なことじゃないんだ)
誰かを守るために傷つくことを厭わないことと、自分の身も守れずに傷つくことは全く違う。景時は誰かのために傷つくことを厭わない人間で、そして、自分の身を守ることはできる人間なのだ。それに引き換え、望美自身は、自分の身を守ることさえまだできない……。
(強くなりたい。本当に、ちゃんと皆を守ることができるように。
 守られるだけじゃない、私も景時さんを守りたいんだもの……)
望美は胸の中でそう呟いた。運命を変えるために、ここへ戻ってきた。皆を守りたくて戻ってきたのだ。あの最初の気持ちは今も忘れてはいない。その中で特別に大切だと思う人を見つけてしまったとしても。それでも仲間全ての命を守る気持ちは変わらない。誰も犠牲になどさせないと決めたのだ。剣技だけではない、きっともっと様々なことが自分には足りないのかもしれない。それでも、少しずつでも強くなりたいと望美は願った。
(景時さんみたいに。心も強くなりたい……)



「ごめんね、皆」
無事に戻った望美を仲間が囲む。
「先輩、すみません……俺が一人にしてしまったばかりに」
「ち、違うよ、譲くん、私が勝手にはぐれちゃったんだし……」
わかっていたことだが、譲と朔、白龍のすまなさげな表情に、望美の方が申し訳なくなってしまう。そして、多くの仲間に大切に思ってもらっている自分という存在に気付く。この仲間たちは、望美が龍神の神子だからではなく、望美が望美であるがゆえに大切に思ってくれるのだ。そんな仲間が望美も大切で、失いたくないと思った。そして、そんな彼らに大切に思ってもらえる自分でありたいと思う。
「本当に、今日ばかりは兄上を見直しましたわ」
素直でない朔が随分と遠回しに景時を褒めるのを望美は笑いながら聞いていた。そして、自分が景時にちゃんとお礼を言っていないことに気付いて慌てて彼の元へと向かう。
「景時さん……!」
珍しく朔にまで褒められて照れたような顔の景時が望美を見下ろす。少し上気した頬に柔らかな笑みを浮かべたその表情は、戦に出る前の苦しみを抱えた顔とは全く違っていて、望美は(景時さんには、こういう表情の方が似合うのに……こんなふうに明るいのがきっと本来の景時さんなんだ)と思い、そして景時がそんな表情を取り戻していることを嬉しく思った。そんな風に景時に見とれていたせいで、景時が訝しげに望美を見下ろして少し首を傾げる。はっと気付いた望美は慌てて
「あのっ、あの、景時さん、本当にありがとうございました」
と言う。そこまで口に出してしまったら後は何故か言葉が勝手に口をついて出てきた。
「助けに来てくれて、すごく嬉しかったんです。
 大切な人って言ってもらったとき、すごくほっとして……」
言ってから、まるでこれでは告白をしているようだと気付いて顔が赤くなる。けれど、見上げた景時の顔もまた照れた表情で、でもとても嬉しげだったので望美はほっとして笑顔になった。一瞬、景時の顔が真顔になって、そして彼から一歩、望美に近づかれる。その手が上がって頬に触れて、望美は驚いた。戸惑いを含んで彼を見上げると、とても優しい顔で景時が自分を見つめていて胸が高鳴る。
「やっと、笑ったね。……君には笑顔でいて欲しいな」
その言葉に、望美は(ああ……)と思った。景時のその言葉に込められた想いが自分にはわかった気がしたのだ。彼もまた、望美と同じ気持ちでいてくれるということが。「好き」という言葉を使わなくても、想いが通じ合うことがあるのだと望美はわかって、嬉しくなった。そしてそんな景時の言葉に答えるように言う。
「……それは、景時さん次第ですよ」
私が笑顔でいられるかどうかは、景時さん次第。景時さんが元気で笑っていてくれたら、きっと私も笑顔でいられます。その思いは景時に届いたことだろう。頬に触れる景時の手を取りそっと握ると、彼もまたそれに応えてくれたから。
 望美は幸せだった。景時が笑っていてくれたから。自分の思いが彼に通じたから。



 ――だから、本当は彼の苦しみは何一つ解決していなかったということに気付かなかったのだ――




二度駆けの望美側です。
望美は単純に景時の抱えている問題が自己嫌悪というか
自分は駄目だっていうコンプレックスだと思っていたでしょうから(この時点では)
自信を取り戻した景時は大丈夫なんだ、と思っても無理はないかなとは思ったり。


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