夕空




 「鎌倉に行きましょう」 そう決めたのは、その前の運命の中で鎌倉で苦い思いをしたということと無関係ではないかもしれない。異世界とはいえ、自分の故郷である鎌倉が怨霊に襲われるかもしれないと知ったからかもしれない。けれど、多分、一番の要因は、きっと鎌倉が自分の故郷だからではなくて、あの人の……景時の故郷だからだと思う。


 京から鎌倉への旅はそうと決めてからすぐに出立となったわけではない。もちろん、急ぐ旅ではあったけれど、総大将の九郎や軍奉行の景時までもが動くのだ、おいそれと勝手に行動するわけにはいかない。まず、鎌倉へ先に遣いが送られた。返事を待っては時期が遅いと日を置いて出立し、途中で鎌倉殿――頼朝の返事を受け取るということになった。今回も熊野行きと同様、少ない人数での旅となったものの、その目的が怨霊を封じ鎌倉を守るためであるために、あのときほど和んだ雰囲気はない。それでも慣れた仲間たちだけの旅は望美の心を落ち着かせてくれた。今回の旅も鎌倉へ入るまでは平家に漏れることのないよう内密のものであったけれど、京より東に平家の威光は既に薄く、熊野へ行く時ほど気を張る必要がなかったのもその要因にあるかもしれない。
 鎌倉を目前にしたその日、早めに宿を求めることになった。先に出した頼朝への遣いの返事をそこで待つことになったのだ。遅くとも明日か明後日には返事が戻ってくるだろう。今回ばかりは鎌倉を怨霊から護るためということもあり、頼朝からも鎌倉入りの許可は下りると思われた。九郎はもちろん、景時もその点については心配はしていないようで、それが望美にも安心できた。
(鎌倉、かあ〜)
今のところ、こちらの世界の鎌倉では良い記憶はない。今度ばかりは話を聞いてもらえるだろうかと溜息の一つも出てしまうというものだ。宿の部屋に荷物を解き、夕餉までの時間を濡れ縁に出て庭を眺める。小さな宿の庭は、京邸のものとは比べるべくもないけれど、それなりに晩秋の風情を見せていた。
「望美ちゃん?」
軽快な足音は聞き慣れた景時のものとわかって、望美は笑顔を向ける。
「九郎さんたちとお話、終わったんですか?」
「うん。まあ、鎌倉に入ってみないとね。実際にもう何か起きているのかわからないし」
ごく自然に景時は望美の隣に腰を降ろす。望美もそれを当たり前のように受け入れた。それは生田から戻った後、京邸でごく普通に見られるようになった光景でもあり。2人が隣り合って座る距離も少しづつ近くなっていた。触れあいそうで触れない微妙な距離にどきどきするよりも、景時の体温を微かに感じることに望美は安心するようになっていた。本当はもっと近づきたい、触れたい、触れて欲しいと思うけれど、今のこの距離でも十分に温かい思いが通じ合っているようで心地よくもあった。景時が柔らかく微笑むその表情を見上げるのがとても好きで、いつも見とれてしまう。そして、時折、その表情が何か考えるように硬くなる瞬間があるときに気付いた。その度に、ざわざわした気持ちが心を過ぎるけれど、景時自身、そんな表情を一瞬しか見せなかったので、望美も深く考えることをしなかった。彼は軽く見せても源氏の軍奉行であり、武士なのだ、表情を引き締めるようなことがあって当然ではないか、と考えるようにしていたのだ。
「もうすぐ鎌倉ですね」
望美は景時を見上げてそう言った。景時はそんな望美に、改まったように頭を下げる。
「望美ちゃん、ありがとう、鎌倉に行くって言ってくれて」
それは京で行き先を決めたときに既に何度も言われたことで、ここでまた改めてそう言われたことに望美は頭を振った。
「もう! 何度もいいですってば。それに、私も行きたかったから選んだんです、鎌倉。
 だから、お礼はもう言いっこなしです」
「うん、でも、ほんと、嬉しかったんだ」
景時が少し照れたような顔で笑いながらそう言った。それからふと望美をじっと見つめて思いついたように言う。
「そっかー、そう言えば、望美ちゃんも鎌倉生まれって言ってたっけ」
「そうですよ〜。 私の世界の鎌倉生まれです」
そう答えると景時は嬉しそうな顔になって言う。
「望美ちゃんの世界の鎌倉ってどんな町?
 似てるかな……ってこっちの鎌倉はまだ見てないからわからないか」
「えーと、私のいた鎌倉にも鶴岡八幡宮とか、ありますよ。大きなお寺とかなら同じじゃないかなあ」
「そっかー! 望美ちゃんの知ってるところ、行けるといいね。
 元の世界と同じものがあったら、ちょっと、慰められるっていうか……」
少し景時が口ごもったのは、もしかしたらそのことは望美の慰めにはならないとふと考えたからかもしれない。むしろ、ただ寂しさを増してしまうだけかも、と思ったのだろう。悪いことを言ったかも、というように口を噤んでしまった景時に、望美は安心させるように笑いかけた。
「そうですね、楽しみかも。景時さん、案内してくれます?」
「も、もちろんだよ!」
ほっとしたような景時に望美もその気遣いが嬉しくなる。
「鎌倉は、景時さんの故郷でもあるんですよね」
「うん、まあ、そうなるかな? 鎌倉はまだ新しい町なんだ。頼朝さまが移ってこられて作ったから」
「そうなんですか?」
「そうだよ。鎌倉は武家が作った町なんだ。京は公家の都だけれど、鎌倉は武家の都だね」
そう言った景時の口調が何処か誇らしげだったのが望美には少し驚きで景時を見遣る。その視線に気付いたように景時は少し視線を落として語り始めた。
「東国はね、元々そんなに豊かな土地じゃない。どちらかというと京に搾取されるばかりだったんだ。
 京から来る役人には、逆らえない。税を上乗せされたり、労働に駆り出されたり。
 自分の郎党たちの暮らしは安堵させてやりたいけれど、京の役人からは押さえつけられるばかり。
 京の平家の絢爛豪華な暮らしも、東国から搾り取った税で成り立っていたんだよね。
 それがどんな風に人を動かすか、考える人が平家にいたら今はもっと違っていたかもしれないね」
「景時さんも?」
「まあね。元々平家だって言ったって、それで優遇されるわけじゃなかったからね。
 京へ収める税の他に、役人の取り分を上乗せしろと言われたらその通りしなくちゃ
 土地を取り上げられかねないから、オレより親父は苦労しただろうと思うよ。
 オレなんて、ほら、跡をついでしばらくしたら頼朝様が挙兵されたし……」
でも、東国で暮らしていたら肌で感じて身に染みているものなんだよね、と景時は呟いた。
「オレなんて、京へ修行へ出されたけれど、
 それまでの暮らしで役人が理不尽なことは決まり切ったことだと思っていたし
 京への文句は幾度と無く耳にしたものだし。
 京へ行ってみれば東国者は暗に田舎者と馬鹿にされたものだし」
「頼朝様はね、そうやって京に支配されていた東国の武家を解放なさったんだ。
 伊豆の目代を討ち取って、無茶な税を京に支払う必要はない、とおっしゃった。
 東国の者たちが頼朝様に味方するのは当然なんだ、皆、頼朝様に恩を感じているんだから」
「……それだけ聞いたら、頼朝さんってすごくいい人みたいなのに」
いつか聞いた石橋山のことを頭に思い浮かべて望美は何げなくそう呟いた。
「オレは鎌倉が好きだよ。ずっと京に支配されてきて、皆苦労してきたけど
 今は、鎌倉こそ武家の都だって、皆誇りを持ってる。自分たちが新しい世を作るって意気込んでる。
 好きなままでいたい、って思ってるんだ……」
「……景時、さん?」
何故だか、そう言った景時が泣いているように見えて、望美は思わず、その肩に触れた。びくり、と景時が震えて顔を上げ望美を見つめる。その彼の頬は濡れてなどいなかった。彼は鎌倉を好きだと言った、武家の都と誇りを持っているのだと言った、なのに、何故哀しそうだと思ってしまうのだろうと望美は自分が不思議だった。
「ごめん、ごめんね。なんだか変なこと言っちゃった」
景時が小さくそう言う。その言葉さえ、どこか儚く聞こえて望美はただ首を横に振り、彼の肩に置いた手を滑らせてぎゅっとその手を握った。捕まえていなければ、彼が何処かへ行ってしまいそうな気がしたからだ。
「……鎌倉を、案内してください。景時さんが好きな鎌倉を。
 東国の人たちが、新しい世を作ろうとしている町を。
 頼朝さんのものだけじゃない、鎌倉の町を、見せてください」
精一杯そう言うと、景時はやっぱり少し哀しげな顔で、それでも頷いてくれた。例えばヒノエが熊野を語るとき、彼の顔は誇りに満ちていて熊野への思いが真っ直ぐに伝わってくる。この世界の人たちの故郷へ向ける思いは、自分たちの世界よりもずっと重くて深いと望美はなんとなく感じていた。土地というものへの思いはとても大きいのだ。景時だって鎌倉が好きだと言った。武家の都と誇りと思うと語ったとき、彼の瞳もヒノエと同じく、輝いていたと思う。なのに、それは一瞬でなりを潜めて、その表情は曇るものになってしまった。それが何故なのかはわからないけれど、けれど、鎌倉を好きで誇りに思う景時の気持ちも嘘ではないはずだ。
「……うん。本当はね、望美ちゃんに、見て欲しいよ、鎌倉を。
 知って欲しいんだ、東国の者たちが何故戦っているのか。
 新しい世を作りたいっていう気持ちを皆、持っているってこと」
知って欲しいんだ、ともう一度景時は繰り返して言った。その繰り返した一言は、まるで誰か違う人に宛てた言葉のようでもあり、望美はただ頷いた。この人は、何か大きな哀しみを背負っているのだと望美は胸が痛くなる。時折見せる硬い表情も、きっとそのせいなのだと腑に落ちた。それはきっと、頼朝や政子と無関係なことではないのだろう。
(……嫌な人たち……! 絶対、会ったら何か言ってやるんだから)
何か酷く悔しい想いで望美は胸の内で悪態をつく。景時の優しさを知っている、彼の強さも知っている、だからこそ、そんな彼を苦しめる存在が許せなかった。彼を守れない自分が悔しかった。
「……望美ちゃん?」
鼻の奥がツンとしてきて望美はそれを誤魔化すように景時に抱きついた。
「約束ですよ! 絶対、鎌倉を案内してくださいね!」
(絶対、頼朝さんなんかに、景時さんを苛めさせないんだから! 政子さんも、嫌いなんだから!)
自分が随分と大胆なことをしたとも気付かず、望美はただぎゅっと景時にしがみつく。驚いたであろう景時も、やがてゆっくりと腕を回して望美の体を抱きしめた。
「うん、約束、するよ――望美ちゃんに、見て欲しいんだ、鎌倉を」
そんな風に触れあうことが、ただ、自然なことであるかのように。
あるいは、自分が触れている温もりを確かめるかのように。






十六夜記をプレイしてなんとなく思ったことは
景時は頼朝を裏切ることはできても、
『鎌倉』を裏切ることはできないのかも、ということでした。
ヒノエが熊野を捨てられないように、泰衝が平泉を護ろうとしたように
景時にとっての鎌倉も大きな意味あるものなんじゃないかな、ということを思ったのです。


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