ためらい




強く手を握り返された時に、初めて気が付いた。
彼女の視線が強く自分に向かってきていることに。


 景時の打ち上げた花火を見た後、それぞれに宿に戻ってくつろいだ時間をすごした。それまで焦りのあまりぴりぴりした空気が時に感じられたが、今夜ばかりは皆どことなく落ち着いた気分だったようだ。道すがら通ってきた龍神温泉しかり、このあたりの土地は温泉が多い。ここ勝浦も例外ではなく、熊野詣での湯垢離場としても栄えている町だ。一行が宿泊する宿からも温泉は近く、望美や朔などは好んで通っているようだ。
 夜半も過ぎ、一行は宿でもう就寝をしている者がほとんどな中、景時は1人、温泉に浸かりにきていた。仲間とずっと一緒の行動の中で、少しだけ1人になる時間が欲しかったのだ。露天の湯には景時の他には誰もおらず、広い湯船でのびのびし放題ではあるのだが、何故か岩陰にもたれ、こじんまりと湯に浸かる。
「はぁ〜〜〜〜〜」
景時は湯船の中で盛大に溜息をついた。その常の調子で大げさに聞こえるそれではあるが、内心の思いはもっと深くて重い。戸惑いと喜びと怖れとが入り交じった感情が腹の中に重く溜まっている。その中で一番大きいものはといえば、怖れなのだった。
 望美に対する自分の想いを自覚したのはいつだっただろう。三草山に向かう時にはとうに想いは募っていた。けれど、最初から告げるつもりもなければ、実らせるつもりもなかった。そんな筈があるわけもなかった。だから苦しくても、それでも安心していたのだ。彼女にとって自分は、そんな対象には成り得ないだろうと思っていたのだ。言うなれば、それこそ道化のつもりだった。彼女が楽しげであるように、苦痛を感じないように、花火を打ち上げたのも、彼女の笑顔が見たかった、それが半分の理由。もう半分は、多くの人の血を流してきた武器が、それでも何か命を奪う以外のことができればいいと思ったから。まるで自分勝手な贖罪のような気持ちだった。
 だから、あの浜辺で皆が夜空に見惚れてくれて嬉しかった。自分が打ち上げた花火が彼女の頬をほんのりと照らすのを見て嬉しかった。それだけで満足だったのだ。なのに。
 もう一度溜息をつきながら、景時は湯船の中に頭まで浸かった。いっそ、温泉よりも水垢離でもしに行った方が良かったかもしれないなどと考える。そうすれば、この考えすぎて焼ききれそうな頭も少しは冷えたことだろう。
 差し出した手を強く握り返された。その強さに驚いて望美を見遣れば、その瞳には強い光が宿っていて、そして、真っ直ぐそれは自分を見つめていた。それこそ、一心に。まるでその瞬間、心臓を鷲掴みにされたようだった。見つめ返す勇気もなくて、顔を背けてただ黙って宿へと歩いた。繋いだ手だけが熱かった。
 息苦しくなって景時は湯から頭を出すと息を吸い込む。空を見上げると満天の星。星を読むことも陰陽師の仕事のひとつではあるが、自分の行く末は読むことができない。それ以上に、今の時代、気も乱れ星の運気さえ上手く読むことができないのだ。
(もっとも、オレ程度じゃあ大したことはわからないから一緒だけどね)
むしろ、見えないことに感謝した方がいいのかもしれない。この先の流れが幸運なものだとは限らないのだから。あるいは、と溜息をつく。もし星の動きがもっと良く見えたなら。彼女や九郎たちを護る術を考えることもできただろうか。どっちにしても自分は中途半端で役に立たないということでしかないということだと天を見上げるのを止めた。
 強く握られた手を同じく握り返すだけの強さが自分にあればどんなに良かっただろうと思う。第一、一体望美は自分の何処をそんなに好んでくれたのか。情けない姿しか見せていないというのに。好きだという気持ちを伝えるつもりはないと言いながら、彼女に救われたくて弱さを隠しきれない情けない人間なのに。
(……同情、かな。……望美ちゃんは優しいから、そんな風に勘違い、してるかもしれないよね)
そう思った方がずっと自然だと景時は考えてずるずるとまた湯に頭を沈める。いい加減のぼせそうで、そろそろ出た方が良いかなと思いつつ、考えがまとまらなくてこのまま宿に戻ったところで結局眠れそうもない気がしてふんぎりがつかないのだった。
 結局のところ、自分はなんだかんだと言って嬉しいのだ。嬉しいのに、彼女の気持ちを確かめる勇気も自分から彼女に向き合う勇気も持ち合わせていない。むしろなかったことにして逃げ出したいくらいなのだ。嬉しいのに、手にすることが怖い。彼女を裏切らずに済む自信がない。幸せにできる自信がない。今まで何度も繰り返してとっくにわかっている、大切なものが増えても、それを護ることは自分には出来ない。それは何度も何度も自分に言い聞かせてきたことで、なのにそう思うだけで泣きたい気分になる。

「……望美……ちゃん」
思わず口をついてその名前を呟いてしまったとき、
「お、誰かと思ったら景時かよ!」
大きな声をかけられて、驚きのあまり景時は湯の中で飛び上がりそうになった。声で誰かはわかったものの、おそるおそる振り返ると、将臣が立っていた。
「び、びっくりした〜、将臣くん、どうしたの、こんな時間に」
「お前だってどうしたんだよ。俺は暑くて汗かいちまったから、ちょっとさっぱりしにきたんだよ。
 どうにも寝苦しくていけねえよなあ」
そう言いながらざばざばと湯船に入ってきた将臣は景時の傍までやってくる。
「そうなんだ〜。オレもちょっと眠れなくて気分転換にね〜」
景時は、適当にそんな返事を返した。将臣は景時の近くまでやってくるとそのまま湯船に浸かり、鼻歌を歌い出した。出会ってからまだ日が浅い筈なのに将臣は既に一行の中でも馴染んでいた。譲の兄で望美の幼なじみということが、気安い気持ちにさせるのかもしれないし、彼自身の拘りのない性格と持って生まれた資質が人を惹きつけるのだろう、と思う。将臣はたとえて言うならば九郎と同じく明るい世界に選ばれた人間だと感じるのだ。ぼんやりそんなことを考えていると将臣が口を開いた。
「今日はさ、いいもん見せてもらってサンキューな」
「え?」
「花火だよ、花火。懐かしかったぜ。こっちであんなものが見れるなんてな」
屈託ない笑顔でそう言う将臣に、むしろ景時の方が照れてしまった。
「あ〜……うん、皆喜んでくれて良かったよ。オレ、良く失敗やらかすからね〜
 ほんと、今回は成功して良かった。
 皆をあんな集めてさ〜失敗だったら目もあてられないられないじゃない」
「……望美も喜んでたよなあ」
え、と思って顔を上げ、将臣を見つめる。少し面白そうな表情で彼は景時を見つめていた。
「の、望美ちゃん? うん、喜んでくれて。良かったよ」
なんとか無難と思われる答えを返したものの、意図が掴めずに結局景時の方から視線を外した。しかし、将臣の方は特にどうということもないのか、そのまま話を続ける。
「あいつ、自分のことに鈍いところあるから、ぎりぎりまで頑張っちまうんだよな。
 結構、今日のアレで気分も晴れて良かったんじゃねーかな。他の奴らもさ」
「そ、そうだね。望美ちゃん、頑張りやさんだから……」
何故、こんな気まずい思いで返事をしているのだろうと思いつつ、将臣の言葉に夜の庭で1人膝を抱えていた望美を思い出してしまった。つい、真面目な顔になってしまっていたのだろう、将臣もその後しばらく何も言わなかった。しばしの沈黙の後、将臣が明るい声で言う。
「でも! 良かったぜ。あいつらがあんたの家で世話になれて。ほんと面倒かけて悪いな」
「え? ええ? いや、悪いもなにも、譲くんには料理してもらっちゃったりして、
 むしろ、こっちが悪いっていうか本当に……」
慌てて景時が水しぶきをあげながら手を振る。おいおい、と将臣が苦笑いするのにやっと気付いて、景時は手を止めた。
「なんつーかさ、あいつら二人とも、ガキのときからずっと一緒だったから、
 なんか……俺が面倒見てやらなくちゃならない、って感じだったんだよなあ。
 でも、3年以上も離れちまって、今じゃ俺もここで他にやることもあるし……
 一緒に居てやれねえし。だから、あんた、アイツのこと守ってやってくれよ」
「……え?」
何を言われたか一瞬理解できずに、景時は将臣をぽかんとした顔で見返した。その表情に将臣が溜まらず笑い出す。
「なんて顔してんだよ。俺、何かおかしなこと頼んだか?」
「や、だって……なんで、オレなんか……」
「んー……俺があんたに頼みたいから、じゃ駄目か?」
茶化した言葉の割には真面目な顔で将臣がそう言う。
「そんな……オレなんか、だってもっと、九郎とか、譲くんだって……」
「あんたが一番、アイツのことを良くわかっててくれそうだから。
 アイツもあんたのことを一番、頼りにしていそうだから」
そうまで言われて、景時は恐る恐る将臣の顔を見つめた。ああ、彼は知っている。そう思い知って深く息をつく。それでも素直に将臣の言葉に頷くことのできない事情が景時にはあった。
「……もちろん、望美ちゃんは大切な龍神の神子様だし、出来る限り守るよ。
 でも、ホント、オレなんかより違う人に頼んだ方がずっと確実だよ……」
「アイツ、結構頑固だから、言い出したら聞かないところがあるし、引かないところもある。
 自分が納得しなかったらぜってー後に引こうとしない。案外負けず嫌いなんだよな。
 悪気はないんだけど時々、おいおい、それ言うのかよ、なんてこと言ったりもする。
 でも、アイツが言うならしゃーねーか、って皆、何故か思ってしまったりするんだよな」 景時の言葉を無視するように将臣は言葉を続けていて、景時は黙ってそれを聞いていた。それは景時も良く知っている望美のことで。幼なじみだからかもしれないけれど、望美のそんなことを知っている将臣に少し嫉妬した。
「ま、そういうわけで、ちょっと扱いづらいところもあるヤツだけど、よろしく頼むぜ」
しかし、そんな嫉妬もこの将臣の言葉に吹っ飛んでしまう。
「や、将臣くん、だから、よろしくって……」
「あんまり難しく考えんなよ。オレがずっと一緒にいてやれりゃいいけど、そうじゃないからっつってんだろ。
 ……ま、アイツは、案外、のほほんとしてっからほっといても大丈夫かもしんねーけどな!」
「そ、そんなことはないと思うよ!
 望美ちゃん、平気な顔して元気にしてるけど、でも何も感じてないってわけじゃないと思うし……
 怨霊なんてさ、ほら、オレだって気持ち悪いくらいなのにさ、女の子なのに戦わなくちゃいけないなんて
 本当は辛いことだってあると思う……し……」
思わずそんな風に言ってしまい、にやにやした表情の将臣を見て、景時はやっと自分が乗せられたのだと気付いた。のぼせそうなだけではなくて恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「……悪い悪い。でも、やっぱ、あんたなら安心かなって思えて良かったよ。
 アイツ、人を見る目は確かだから大丈夫だとは思ってたけどな!」
もう、その言葉には答えずにざばっと湯から上がる。いい加減、限界に来ていたので本来なら生ぬるいはずの夏の夜風さえも肌に心地よく感じてしまうほどだ。ほうっと息をついて落ち着かせてから、景時は将臣に向かって言った。
「……将臣くんが信じてくれるほどの価値がオレにあるかはわからないけど
 望美ちゃんのことは、オレたち皆、守るから。そのための八葉だから。
 それと、さ。望美ちゃんも心配するから、将臣くんも用事が終わったら、戻ってきてあげてよ。
 怨霊がいなくなって白龍の力が戻れば、皆、元の世界に戻れるんだしね」
なるべく言葉を選んで、けして自分が、とは言わなかった。言わなかったというよりも、言えなかった。将臣に言われるまでもなく、望美を守りたい、誰でもなく自分自身が彼女を護る者でありたい。けれど、そう踏み出すことはまだ景時には出来ないのだ。今まで何一つ、自分の手で大切なものを護り通したことなどない自分が、そう思うことさえ不遜なことだと感じるのに。
「…………ここまできて、まだその返事かよ。あんた、案外喰えねえなあ。ま、いいや。
 あと、それと、俺は元の世界に戻るつもりはない。もし、望美や譲に尋ねられたらそう言ってくれ」
「ええっ?!」
意外な将臣の言葉に景時が再び湯に落ちそうになる。言った方の将臣はといえば、どこを吹く風といった表情でのんびり湯船で空を見上げていた。
「ま、将臣くん、戻らないって……でも……」
「んー……まあ、俺はあいつらより3年近くも長くこの世界に居て、
 なんつーか、こっちの世界に大事なものが出来ちまって、それを置いていけないんだよな。
 だから、正直、今の気持ちとしては戻らなくてもいいかって思ってるんだ。
 それに、あんた、そんなに驚いているけど、望美だって別に……戻りたいから頑張ってるワケじゃねえと思うぞ」
将臣の最後の言葉が、何を言いたいのか景時はわかったけれど答えなかった。その代わり
「のぼせそうだから、もう、行くね」
と一言言い置いてその場を離れる。
「うぃ〜」
将臣も特にその後何を言うわけもなく、気のない返事で景時を見送る。
時は既に遅く、部屋までの夜道で景時の頭は冷えることはなさそうだった。熱帯夜のせいではなく、温泉の熱のせいでもなく、今夜は眠れなさそうだと景時は溜息をついた。

END






温泉、温泉。将臣と景時ってこれも珍しい組合せかしら?
というか、将臣、譲の心配は?
多分、弟のことは安心してるんですよ、しっかり者だから大丈夫だって
譲は将臣にコンプレックス持ってるけど、将臣は譲を信頼してると思うし
でもまあ、そういう所もまた譲のコンプレックスの元なんだろうけど
ってこれは景時と将臣の話しなわけですが。


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