とまどい




「綺麗だったね、花火」
今は星が瞬く夜空を見上げて、望美はそう言った。
「兄上が人に褒められる発明をするなんて久しぶりだわ」
相変わらず辛辣な言葉ではあるけれど、朔の声は嬉しそうに聞こえる。その響きに気付いて、望美は少し離れた所にいる朔に目を移した。望美の目が笑っていることに気付いたのだろう、朔が少し決まり悪げに肩を竦める。
「だって、兄上の発明ときたら、役に立たないものの方が多いんですもの」
景時について素直になれないのは、実は兄を思う気持ちの裏返しではないのかと望美は思ってしまう。いわゆるブラコンというやつなんだろう、と考えるので、いくら朔が辛辣な言葉を景時に向かって言ったところで微笑ましい気持ちしか湧いてこない。なにしろ、言われた当の景時も気分を害す様子が見られないのだから。(それは景時が妹に甘いからという理由かもしれないが)
 思わず笑ってしまう望美の動きに連れて、湯が揺れる。二人は宿の近くの温泉に来ていた。花火の終わった後、望美が宿の部屋に戻ると朔が誘いに来てくれたのだ。もとより、お風呂好きな望美が否やと言うはずもなく、二人でやってきたのである。熊野への旅は行く先々に温泉が多いこともなんとなくくつろいだ気分になれる原因となっていた。長い旅の途中、疲れを癒す場があることは幸いでもある。八葉の皆も気が向いたときに誘い合って温泉へ行っているようだ。それを想像すると望美はなんとなく可笑しい気分になったりするのだが。
(なんだか修学旅行みたい、じゃない? リズ先生が引率の先生って感じかな〜)
(将臣くんが加わったし……枕投げとか、教えたりしなければいいんだけど)
他愛もないことを考えて、一人くすくすと笑う望美に、朔が少しだけ近づいてきて言う。
「望美ったら。何を考えてるのかしら?」
訝しげな表情の朔に、望美は答える。
「うん、なんだか修学旅行みたいーって修学旅行がわかんないよね。
 つまりは、楽しいなあってことなんだけど。皆でわいわい言い合いながら旅してね。
 夜もずっと一緒でさ、でも宿だと相部屋で皆一緒の部屋で寝るでしょ、
 そしたら、普段は話さないこととか夜に友だちどうし、話し合ったりしてさー。
 八葉の皆なんて、皆同じ部屋で夜、何話したりするのかなーとか考えると面白くて」
「……兄上がくだらないことを言って、皆を白けさせているのが目に見えるようで私は心配だわ」
「そんなことないでしょー? 景時さんだからきっと皆に気を遣って場を保たせてくれてるよ」
思わず、力が入って声が大きくなってしまうのに、望美は思わず口を押さえた。きょろきょろと辺りを見回すが、他に人影はなくてほっとする。朔はそんな望美の様子にくすり、と笑った。
「そうねえ、私たちが八葉の皆さんのことを話しているように、兄上たちも望美のことを話しているかもしれないわね」
少し悪戯っぽく、そう言ってみると、望美の顔が目に見えて紅潮し手を挙げて大きく振った。湯がその動きにつられてばしゃばしゃとしぶきをあげる。
「ち、ちょっと、望美ったら……」
朔がそのしぶきを手を挙げて防ぐと、やっと気付いたように望美は動きを止める。それでも赤くなった頬はそのままだった。
「そ、そんなことないんじゃないかなっ」
「あら、どうして?」
先ほどまでとは立場が逆転したようで、朔が楽しげに問いかけてくる。
「ほら、将臣殿とも一緒になったことだし、譲殿と同じく、望美の昔のこととか話すことがあるんじゃないかしら?
 きっと、皆も龍神の神子の幼い頃の話なんて皆興味あるんじゃないかしら?」
「そ、そんなの困るー! 将臣くんたちとはほんっと小さいころから一緒だったから
 いろいろ失敗とか知ってるんだもん」
絶対、明日、将臣くんには口止めしとかないと、と望美がぶつぶつと小さく呟く。どうやら口の固さでは譲は信用があるが将臣にはないらしい。
「あら、過去の失敗を知られたら恥ずかしい相手でもいるのかしら?」
面白そうにそう言う朔に、望美は独り言を止めて朔の顔を見遣る。そして、その表情を見て
「朔ー! わかってて聞いてるんでしょ、ひどい!」
と頬を膨らませた。途端に朔が声を挙げて笑い出す。
「……ごめんなさいね、望美。だって、面白かったからつい」
「……誰かもわかってる?」
「そうね……なんとなく?」
言われて望美の顔が更に赤くなってしまった。その表情に朔が微笑む。初々しい表情は戦場で見せる凛とした強さを少しも感じさせず、年相応の少女のもので。朔はかつての自分さえ思い出されて、少し切なくさえなった。望美のこの恋は叶えたいと。
「ね、望美、私言ったわよね? あなたが恋をしたなら私はあなたを応援するわ、って」
「……うん」
「私に、出来ることがあったら言ってね?
 ……でも、意外だわ。あなたが兄上を好いてくれるなんて」
そのものズバリと言いきられて、望美の顔はもう茹で蛸状態だ。恨めしげに朔を見つめる。からかっているわけではないのよ、と朔が言うと、望美はこくり、と頷いて恥ずかしそうな表情のまま俯いた。
「わ、私もね、すごく不思議っていうか……わかんないの。
 優しい人だなあ、とか、頼りになるなあ、とか、なんだか力になりたいな、とか。
 笑った顔を見ていたいなあとか思って、でも、なんでそう思うのか全然気付かなかったの」
笑顔の似合う人で、いつも明るくて頼りがいがあって優しくて、だからついつい、望美自身も話がしやすくて頼っていた。言いにくいことも景時なら言えるような気がして。
「お兄さんっていいなあ、朔が羨ましいなあって思っていたんだけど」
「……ほんと、わからないわね、私ならどうせならもっとしっかりした兄が欲しいと思うのだけれど」
「もう、朔ってば……!」
ぷう、と望美が膨れっ面になるのを、朔は笑って見つめた。朔は望美に向かって告げはしないが、おそらく兄も望美を憎からず思っているはずだと感じている。あの兄が浜で花火を見せたのもきっと、望美のためだと思うのだ。しかし。
「……笑わないで聞いてね、朔。私ね、景時さんのことをもっと知りたいって思うの。
 ずっと今まで、私、皆に守ってもらってここまでやってきたし、景時さんにもいっぱい護ってもらった。
 私が挫けないようにってずっと守ってもらってきたって、感じるの。
 でもね、今は私、景時さんのことを守りたいってすごく、思うの。
 守って欲しいんじゃない、守ってあげたい」
朔は望美の言葉にしばし声を失った。そして冗談めかして答える。
「まあ、兄上ったら本当に情けない、望美にまでそんな風に思われるなんて」
「……朔ぅ〜」
「……でも、幸せ者だわ、兄上は。望美なら本当に兄上を守ってくれそうだもの」
 茶化すような朔の言葉に抗議の声を挙げようとした望美は続く朔の言葉がとても真摯に静かだったのに途中で言葉を切る。朔の表情は静かでどこか遠くを見つめているかのようだった。
 守りたいと朔も思った。大切な人をなんとしても守りたいと。けれど、それは叶わなかった。望美の言葉を朔が笑えるはずがない。自分と同じように強く想いを抱いているのだとわかるのだから。
 望美が少し心配げに自分を見つめているのに気付いて、朔は気を取り直したように笑顔を向ける。
「……でも、望美にはいったい、兄上はどんな風に見えているのか知りたいわ。
 私からすれば、お調子者で小心者の、頼りない兄上なのだけれど」
「もう! 朔ってば!」
 ほっとしたように望美が湯船から腕をあげて朔に向かって振る。朔はそれは楽しげに声を挙げて笑った。こんな風に優しい恋が、叶うといい。自分の兄と、目の前の自分の対が幸せに暮らす未来が来ればいい。きっとそんな日が来ると思うのに、なのに、朔には少しだけの不安があった。それを表すかのように望美が不意に真面目な表情になる。
「……もっと、知りたいの、景時さんのこと。私、景時さんのこと少ししか知らないって思うんだ。
 優しくて、意外に頼りがいがあって、明るくて。でもね、でも、それだけじゃないんだよ。
 景時さんは、それだけじゃないの。……少しだけ、いつも隠している景時さんを見せてくれたことがあるの。
 守ってあげたいって、そのときのこと思い出すと強く思うの。
 笑っていて欲しい、絶対、って。だから、もっともっと本当の景時さんを知りたいって」
朔の腕が湯の中伸ばされて、望美の腕に触れた。驚いて望美が朔を見遣ると、朔が微笑んでいた。その瞳が微かに潤んでいる。
「……ありがとう、望美」
「え、ええ?」
 もしかして自分の思い入れは朔にしてみたら可笑しいものかもしれないと思っていた望美は朔のその反応に驚いてしまう。
 朔はどう言えば良いのかわからずしばし口を噤む。お調子者で小心者な兄を、それでも朔は愛していた。いくら自分が兄に向かって小言を言ったとしても、本当に懐深く大きいのは兄の器なのだと思っていた。軽い態度で装いながら、自分と家族を護っていてくれることを知っていた。兄は家族の前ではけして自分の本質を見せようとはしない。お調子者で小心者で、それは彼の本来の姿であることに間違いはないだろうけれど、朔にはそれでも、兄が自分や母の前では本当の弱みを見せようとしないことも気付いていた。おどけてふざけて道化て見せるけれど、辛そうな表情は見たことがない。いつも笑って誤魔化してしまう。そして、自分や母では駄目なのだと感じていた。兄に護られている自分たちでは、駄目なのだと。
「私にも、本当の兄上は見えていないのかもしれない。
 でも、兄上がそれをあなたに少しであっても見せたというなら
 あなたなら大丈夫なんだということだと思うの」
何故自分が朔から礼を言われたのか、まだ理解できないでいる望美は、幾分訝しげな表情でそれでも朔の言葉を聞いていた。大丈夫だという言葉に少し面映げに微笑んで、小さく頷く。
「大丈夫、かな。大丈夫だと、いいなあ。
 ねえ、なんだか自分でも今でもすごく不思議なの。世界が今までと違うものに思えるくらい。
 すごく嬉しくて、すこし怖くて、頑張らなくちゃって思えて、すごく、不思議」
 赤い顔の望美が照れくさそうにそう言って、鼻の下まで湯に浸かる。その様子は戦場で兵から崇められ戦女神とまで言われる神子とは思えず、ただ年相応の少女の姿で。そんな望美を見守る朔も、それは同じことで。
 相変わらず湯に顔半分を沈めたままの望美はちらと夜空を見上げ、それから朔を見つめ、そして可笑しげに笑った。

……温泉でコイバナなんて、やっぱり修学旅行みたいだ

そんな望美を見て、朔もやっぱり笑っていた。

 






温泉、温泉。「ためらい」と対な雰囲気でこちらは望美と朔。
女の子二人は気楽? にコイバナだったり。
熊野編はあと一話ほどで。その後は福原ですね〜


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