遠い約束




「うわあ、寒いと思ったら雪!」
望美は、戸を開けて庭を見た瞬間にそう声を挙げた。京邸の庭が白く彩られている。これまでも既に何度かちらちらと雪が舞っていたことはあったけれど、これほどに積もったのは初めてだった。雪はまだ降り続いていて、この分では今日は1日降り続きそうだ。空の雲も重く低くたれ込めている。
「望美ちゃん? 起きたんだね。今日は寒いよ〜、ほら、炭を持ってきたから」
明るい声がかかって廊下の向こうから景時が歩いてくる。手にした桶には寒がりの望美のために用意してくれた炭が入っているものらしい。
「盛大に降ったものだよねえ。
 譲くんも、今日ばかりは台盤所で火を使うのが嬉しいなんて言ってたよ」
望美は戸を少し大きく開けると、景時を部屋へ迎え入れた。外が見える位置に火桶を置くと、景時がそこへ炭を入れてくれ、望美は早速その傍らに座り込んで手をかざした。景時も同じくしゃがみこんで雪景色を眺めながら手をかざす。
「雪景色は見ていたいけれど、やっぱりこう寒いとちょっとねえ。
 せめて止んでくれたらなあ」
屈託ない口調でそう言う景時に、望美も頷く。
「雪が積もっていても、晴れていたら雪だるま作ったり、雪合戦したり遊べるんですけどね」
「雪合戦? 勇ましいねえ」
笑って景時がそう言う、その笑顔を望美は嬉しげに見上げた。
鎌倉から帰ってきた景時は、心配事がなくなったかのように明るい笑顔を見せるようになっていた。一時、何か悩んでいるかのようで、鎌倉でも言葉少なげだったのが心配だった望美はほっとした。きっと、母のことが心配だったけれど、鎌倉の怨霊も封印できたからその憂いもなくなったのだろうと望美は考え、喜んでいた。
 戦自体が終わったわけではないので、景時も九郎たちも日々、あれこれと忙しく働いていたが、それは主に次の戦の準備であったり平家の動きを掴むためであったりで、ここしばらくは合戦もなく、望美たちは少しばかり落ち着いた日を送っていた。年末年始とささやかではあっても祝い事や行事もあって、それが楽しくもあったのだ。望美たちの世界では、クリスマスというものがあって、それは遠い国から伝わったものだけれど、親しい人や子どもたちに贈り物をするのだとか、大晦日の日には歌合戦があるのだとか、そんな話をしては景時たちが感心したり面白がったり。こんな風に暮らせるなら、それが何よりの幸せだろうと思うような静かな日もあったのだ。
 年があけて、再び緊張が高まりつつあるのは望美も感じてはいたけれど、何より景時は落ち着いた様子であったし、九郎たちも意気高く、源氏の優勢は確かなものであるように見えたので特に心配はしていなかった。ただ、早く戦を終わらせて怨霊たちがもう生まれることのないようにと思うばかりで、静けさと穏やかさの中に潜むものに気付くことはなかった。
 あるいは、望美は気付いていて、それでいて怖れから、そのことに目を逸らしたのかもしれない。景時は相変わらず優しかった。いつも望美を気遣ってくれた。思いが通じ、心が重なったと思ったあの日から、確かな言葉は交わしたことがなくても、日々のやりとりの中で感じるものはあった。それは望美の独りよがりというものではなく、他の仲間たちもそうと感じているようで、京邸の中でも自然と誰もがそうと扱い、二人になるように気遣われていたりした。それはくすぐったくもあるけれど、嬉しくもあって、望美は自分が越えてきた悲しい運命はもう繰り返したりはしないのではないかと楽観的な気持ちにもなっていたのだ。
「寒いのは苦手ですけど、でも動いていたらあったかくなってくるし。
 雪は嫌いじゃないんですよね。
 景時さんはどうですか?」
「あはは〜、オレもそうだなあ、寒いのは苦手かもしれないねえ〜。
 でも、雪はそうだね、オレも好きだなあ。何もかも雪に埋まって辺り一面白くなって。
 綺麗だよね、その下がどんなに汚れていたってさ、雪が全部真っ白に隠してくれるじゃない」
目を細めて、まるで憧れるかのような口調で景時がそう言うのに、望美は少しだけ訝しく感じながらも、そうですよね、と頷いただけだった。
「そうそう、雪空見上げていると、空が落ちてきそうなふわふわした気分になったりするし!」
「それで外でずーっと居ると、寒さ忘れちゃって風邪ひいたり?」
「景時さんもですか? で、朔に怒られたりするんでしょ?」
「あはは〜、そうそう。『風邪をひくなんて、情けないですわ! 兄上!』なあんてね」
そうやって笑いながら、それでいて雪空を見上げる景時の目はやはりどこか憧れめいているようで、望美は不意に黙ってしまった。それに気付いて、庭先から視線を望美に移した景時が小首を傾げて無言で望美に問いかける。
その様子に望美は、まるで自分の方が何か景時に対して悪いことをしたような気分になって、なんでもないというように慌てて首を横に振った。そして何か話題をと考えて言う。
「今は雪が降っているから無理ですけど、今度、庭にかまくら作りましょう!」
「鎌倉?!」
びっくりしたように景時が言うのに、望美は違うというように手を振る。
「えーと、雪をこうやって丸い山みたいに固めて、中をくりぬいて、部屋みたいにするんです。
 中に火鉢とか置いて、案外あったかいそうですよ? で、中でお雑煮食べたりするんです」
「へ〜、楽しそうだねえ」
にこにこ笑って景時が言う。望美はその笑顔に安心して笑い返した。
「景時さんも入れるくらい大きいの作りましょう! ね?」
約束、というように望美が言うと、景時は一瞬だけ口を閉ざした。
「ん〜、そうだね、オレがそのとき居たらね?」
少し申し訳なさそうにそんなことを言う景時に望美は、戦がしばらくなかったとはいえ、まだ平家との戦いが続いているということを思い出す。なんといっても景時は軍奉行なのだ、今も日々出かけては帰ってくるのが遅い日も多い。
「えっと、はい、景時さんはお仕事忙しいから、いつ、ってわからないかもしれないですけど。
 雪が積って、でもお天気晴れて、それで、景時さんがお仕事お休みの日に」
「あはは、そんな日が来たらね〜
 でもさ、オレがいなくっても譲くんとか、白龍とかに手伝ってもらって作ればいいよ?
 オレのこと待っていたらさ、いつになっても作れないかもしれないからさ」
いつもなら、こんな楽しいことなら是非にと言いそうな景時が、何故か乗ってきてくれなくて約束さえしてくれないことに、望美は小さな不安を覚えた。けれど、変わらず景時は優しい眼差しで望美を見つめていたし、曇りなく笑っていたので、その不安が間違っているように思えてしまう。やっぱり、かまくらを作るのは大変だし、寒いのが苦手だからしり込みをしているのかもしれない、と思いなおして、あまり無理強いしても悪いと望美は少しだけ残念そうに「そうですね」と頷いた。
「そうそ、オレがいなくても譲くんや白龍とか頼りになる仲間が望美ちゃんにはいるんだからさ!
 朔も忘れちゃいけないね!」
「ん〜でも、朔に力仕事はなんだか申し訳ないですよ〜」
そんなことを話しながら笑いあっている間、やはり望美は何処かふわふわと浮き立った気持ちでいた。

 後になって望美は、このときの優しい思い出を酷く後悔した。嬉しくて楽しくて、幸せだった自分を心から罵った。もし、もっと自分が景時のことを良く見ていたら、彼のちょっとした視線や仕草や、言葉の端々に、彼の本当の思いが表れていたことに気付くことができただろう。思いが通じて、心が重なったと思った。それは間違いではなかったけれど、それはまた、望美の景時を見る目を曇らせた。
 どんなに悔やんでも悔やみきれない、忘れることのできない傷を、自分は自分の不注意で負ったのだと、この日と同じ雪の庭を……京の奥の尼寺で朔と共に眺めながら何度望美は後悔したことだろう。
 だが、まだ望美はそのことを知らない。如何に白龍の逆鱗を手に持っていようとも、過去に遡ることはできても未来を見ることは望美にはできない。


「やっぱり、景時さんがいるときに一緒に作りましょう。
 えーと、皆で一緒に。そして中で遊んだりしましょう?
 ほら、まだ冬は先があるし、そんな日もあるかもしれないでしょう?」
今年が無理でも来年でも……という言葉は望美は口の中に留めた。いつか。いつか戦が終わって、平和になって、そしてその後も一緒に居ることができたなら。そんな願いを込めた言葉は、まだ少し面映ゆくて口に乗せることが出来なかったから。
「…そうだね、そんな日があったら、そうしよっか。
 せっかくなんだから、楽しいことを考えなくちゃね?」
笑ってそう答えた景時に、望美も頷く。そのときの望美は『いつか』は必ず来る日のことなのだと思っていた。けれど、そのときの景時は『いつか』はけして来るはずのない日のことだと思っていたのだった。




ほぼ一月ぶりの更新です(-"=)
屋島の前、悩む景時……なつもりだったのですが、いや、まてよ?
案外吹っ切っちゃって、逆にすごく明るくなっていたりするんじゃない?
なんて思えてしまって、こんなことになりました。が、逆に望美は辛いよなあと思ったり。


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