風来る




 熊野への旅は概ね順調に進んでいた。海沿いの道から本宮へ向かうことにしたのだが、夏の海沿いの道は景色も良く、長い旅程も苦にならずに進んだ。途中、将臣との再会を果たし、また、ヒノエとの出会いを経て、八葉がやっと揃うということになった。そうとわかっている望美であっても、やはり八葉が揃う熊野路は、どう思い出しても楽しかったという記憶が先に立ち、そして、それ故にその先の運命をどうあっても変えてみせると決意せずにはいられない。
 そういう強い思いを抱きつつも、やはり今のこの仲間とのひとときは楽しくて仕方ないのも本当だった。行く手の吉野の川が増水のため、勝浦にしばらく滞在することになった今も、この先を考えるよりもしばらくここで仲間とのんびりできることが、とても貴重なことに思えて、それを内心嬉しく思ってしまったほどである。
 本当はそんなにのんびりと喜べる状況でないことはよくよくわかっているのだが、あるいはこの先を怖れる気持ちが望美の中に無意識にあるのか、皆とのひとときを楽しむのだというような意気込みさえ感じられた。
 他の皆も、突然降って湧いた休日を、宿で、あるいは町に出て思い思いに過ごしているようだ。弁慶のように町へ出た者もいるし、景時のように宿の部屋に籠もっている者もいる。とはいえ、景時について言えば、朔曰く『また悪い癖が……』ということらしいが、邪魔をするには忍びないほどの集中ぶりなのだ。望美はなんとなく海が見たくなり、一人、浜へと向かった。
 鎌倉も海に面した町で、望美にとっても海は馴染みの深いものだったが、熊野の海は鎌倉の海とは全く表情が違う。明るい海の色は南国を思わせて、夏の日差しをより一層際だたせる。港の活気ある様子もまた、海の色に似合い、京の何処か緊張した町の様子とは全く表情が違う。
 海岸線に立ち、望美は大きく伸びをした。そろそろ日が傾き始める時間で、空の上の方がうっすらとサーモンピンクがかった色に変わり始めている。そろそろ帰ろうかと海に背を向けたとき、目の前に立つ人に気付いて望美は驚いた。
「きゃっ!」
「姫君、出会った途端に悲鳴とは、そりゃあんまりじゃないかい?」
そこに立っていたのはヒノエだった。
「ヒノエくん! びっくりしたー。本当にもう神出鬼没なんだから」
皆と行動を共にしていないヒノエは、気まぐれに姿を現してはまた何処かへ行ってしまう。八葉であるということにも拘りがなく、他の八葉とも仲間という感覚はとても薄いようだ。とはいえ、九郎たちも八葉としての仲間というより、源氏の仲間という感覚の方が強いようにも思えるので、一概にヒノエだけがそうとは言えないが。それでもヒノエはなんだかんだと言いつつ、皆の先を廻って姿を現しているところを見れば、一緒に行動するのは面倒だと思いながらも気に掛けてくれているともいえる。
「熊野の海はどうだい、姫君」
「とても綺麗だね。海も、空もとっても綺麗」
望美は思ったままをそう口にした。途端にヒノエの表情が嬉しげになる。その表情だけで、彼がこの土地をどれほどに愛しているか良くわかるくらいだった。
「どうだい、二人であの上へ夕陽を見に行かないかい」
そのままヒノエが海の上へ突き出した岬を指す。
 突然現れて、そして思うままに振る舞い、言葉を伝える。ヒノエはいつも率直な物言いをする。そのわかりやすさが気安さにも取れて、望美は笑いながら、いいよ、と答えた。
 岬の上から眺める夕陽に染まった海は、確かに美しかった。目の前に広がる壮大な景色全てが夕陽に染まって見える。望美のいた現代のように無機質な人工物が視界を遮ることもない。
「どうだい、姫君、綺麗だろう?」
まるでこの海も夕陽も自分のものだと言わんばかりにヒノエが言う。
「ほんと、とても綺麗。二人だけで見るのが勿体ないね」
望美もその風景に目を奪われながら、心に思ったままのことを言った。皆も一緒にいたらもっと楽しいだろうになあ、と。しかし、途端にヒノエがげんなりした顔になって言う。
「二人きりだからいいんじゃないか。野暮なことは言わないでくれよ、姫君。
 オレと二人じゃ退屈かい? 退屈できないくらいのこと、しようか?」
すっと二人の間の距離を詰められて、望美はまじまじとヒノエを見つめた。
「なっ、何言っちゃってるの、ヒノエくんってば、もう!」
その距離の無さに心拍数が上がったのを誤魔化すように望美はそう言い、後ろへ下がった。ヒノエはいつも率直で、それでいて本心が見えない。冗談だとしても、そんなにストレートに想いをぶつけられたことのない望美はどう反応していいのか困ってしまうのだ。恥ずかしいのだが、止めてくれと言うのもそれこそ野暮なように思えるし、冗談だとさらりと流してしまえるほどに大人でもない。こういう自分の反応がヒノエをより面白がらせているような気がするのだが、どうにも仕方ないのだ。これで朔でも傍にいれば窘めてくれるのだろうが。
「おや、オレは本気だよ? 姫君。照れているのかい? 可愛いね」



 せっかくの夕陽が吹き飛ぶほどにヒノエにからかわれ、望美は半ば疲れて宿へと戻ってきた。陽はその姿を沈めてしまい、空にはまだ夕焼けの名残が残りながらも、辺りは薄暗い。建物へ続く庭を歩いていると
「望美ちゃん? おかえり〜!」
と声を掛けられた。見ると、出かけるときは部屋に籠もっていた景時だった。
「あ、景時さん。お部屋でしていたこと、もういいんですか?」
「え? ああ、あれ? うん、もうちょっとだけど、気分転換にね〜。
 望美ちゃんは?」
気分転換に、とはいうものの薄暗い庭で何をしていたのだろうと一瞬不思議に思ったものの、問われて望美は思わず勢い良く話し出してしまった。
「海を見に行ってたんです。そしたら、ヒノエくんに出会って。
 ほんと、ヒノエくんって神出鬼没ですよね!
 それでね、夕陽が綺麗だから一緒に見よう、って誘われたんで見てたんです。
 ほんとに綺麗でしたよ! 浪がきらきら光ってて、オレンジ色に染まって、
 ヒノエくんが自慢するのも本当に良くわかるくらい」
「……そう、良かったね。せっかくの勝浦なんだし楽しめないとねえ」
どこかしんみりしたような声で景時がそう相づちをうつ。並んで歩いているとじきに邸の階に辿り着き、二人で縁に腰掛けてそのまま話し続ける。
「本当に綺麗で、ヒノエくんと二人だけで見てるのが勿体なくて。
 皆も一緒だったら良かったのになあって思いましたよ。
 そうだ、景時さん、ずっと部屋に籠もりっぱなしで海も見てないんじゃありません?
 明日もここ泊まりだったら、夕陽を見に行きませんか?」
望美の言葉に、景時は随分と驚いた様子だった。薄暮の中、はっきりした表情はわからないものの、言葉を無くしたようにじっと望美を見つめる。それから嬉しそうに、そして何処か寂しそうに答える。
「うん、ありがとう、いいね〜。でも、ほら、今日も朝からやってたヤツがね、もうちょっと時間かかりそうでさ。
 だから、明日はそれを仕上げちゃいたいかな〜って」
「え〜。何やってるんですか?」
少し膨れっ面になって唇を尖らせた望美には、景時が口の中で小さく『夕焼けの海は苦手でさ』と呟いた言葉は聞こえなかった。景時は、拗ねたような望美の表情に笑いながら
「うん、出来たら皆に見せるから、もうちょっと内緒」
と答えた。望美としては、もっと尋ねたい気持ちもあったが、後の楽しみも残しておきたくて「じゃあ、出来たら絶対見せてくださいね?」と念を押すだけにした。
「じゃあ、朔や白龍と見に行こうかなあ」
少し体を反らせて後ろに手をつき、足をぶらつかせながら望美がうっすらと夕陽の余韻が残る空を見上げてそう言う。
「ヒノエくんもさあ、皆と一緒にいればいいのにね。
 熊野に詳しいみたいだし、景色の綺麗なところだって良く知ってて教えてくれるのに。  おかげで助かってるし、旅も楽しいし、皆歓迎してるのにね」
「ヒノエくんはさ、『望美ちゃんに』、熊野の良いところを教えたいんじゃないかなあ?」
「う、それって、私が何も知らなすぎるからかな? それとも龍神の神子ってことと関係あるのかな」
「そうじゃなくてさ……」
景時の声に苦笑の色が濃くなる。何故か、景時にそんな風に苦笑されると望美はムキにならずにはいられなくて、そんな景時の言葉にかぶせるように更に言い募る。
「絶対に、ヒノエくんは、私のこと面白がってるんですよ! だって『姫君』なんて呼ぶんですよ?
 もう、なんて返していいかわかんないと思いません? からかわれちゃってほんと悔しいったら。
 もうね、上手くかわせれないものだから、ヒノエくんたら調子に乗っちゃって
 ほんとに、口から先に生まれたみたいに、なんであんな口説き文句がすらすら出てくるんでしょうね?!」
「そうかなあ、ヒノエくんは正直なだけだと思うよ?」
「かっ、景時さんまで!」
「本当だってば。……だってさ、望美ちゃんは、可愛いよ?」
景時がそう言った瞬間、望美の時間が止まった。景時の言葉が何度も何度も頭の中で繰り返されて、身体が固まってしまう。
「……? 望美ちゃん?」
それまでぶらぶらさせていた望美の足の動きが止まってしまい、景時が不思議そうに顔を覗き込む。
 途端に、それまで止まっていたものが急に動き出したかのように、望美の身体の全てが慌ただしく動き出す。心臓はうるさいほどに鼓動を跳ね上げ、顔に血が上る。何か言いたいのに、頭の中は真っ白で、何を言っていいのかさえわからない。
「かっ、かわいい、なんてっ、そのっ!」
なんとか言葉を絞り出してみたものの、どこか裏返ってしまっていて更に恥ずかしさが募るばかりだ。
「あっ、ごめんね、オレがそんなこと言っても似合わないよね」
「そ、そうじゃなくて」
そうじゃなくて、ではどうなのかと言われたら望美も上手く言えない。
 そのまま黙り込んでしまって、二人は隣あって腰掛けたまま、気まずい雰囲気になってしまった。未だに望美の鼓動はおさまらず、変に隣の景時の熱を意識してしまう。恥ずかしくて、景時の方を見ようにも見れず、どうしていいのかわからなかった。こんな気まずい雰囲気なのは嫌なのに、自分がもどかしくて仕方がない。
 望美がなんとか勇気を出して景時の表情を見ようとしたとき、廊下の先から声を掛けられた。
「なんだ、こんなところに二人とも居たのかよ」
顔を挙げると、そこには将臣がいた。
「将臣くん」
「もう夕食だぜ、早く来いよ。町に出てた弁慶も戻ってきたし、何か話があるっぽいぜ」
 まるで天の助けのような将臣の出現に、ほっとして望美は立ち上がる。
 景時も「ありがとう〜、将臣くん」と良いながら立ち上がり、階を上がった。そして、そのときに、まるで自然に景時は望美に手を差し出し、望美も先ほどまでの照れが何処へ行ったのかと思うほどに自然にその手を取り、自分も階上へと上がった。そこで景時は手を離すと
「今日は、譲くんが腕を振るったのかなあ?」
と暢気に言いながら歩き出す。無意識に景時の触れた手をもう一方の手で握りながら、その後に続く望美に、立ち止まって二人を待っていた将臣が、手招きをする。訝しげに望美が将臣に向かうと、その耳にこっそりと将臣は耳打ちをしたのだった。
「お前なあ、もうちょっと上手くやれよ」
言われたことの意味が全くわからない望美は目をぱちくりさせて将臣を見返す。その表情に将臣は呆れたように溜息をついた。
「……なんだよ、お前、わかってねーのかよ、超鈍感だな……。
 まあいいや、俺が来て助かっただろ? 恩に着ろよ」
前半の意味はわからなかったが、後半の意味は良くわかった。要するに、将臣は気まずい雰囲気の二人をわかって助け船を出してくれたのだ。
「……ありがとう」
多少疑問も残るが、とりあえずそう礼を言う。どこか納得いかない様子の望美と連れだって歩き出しながら、将臣は苦笑しながら言った。
「ま、いいさ。お前よりは景時の方が話が見えてそうだから、後で景時にも恩を着せに行ってきてやろう」
「な、なんかわかんないけど、駄目! 駄目だからね!」
笑いながら景時の後を追っていこうとする将臣に、引き留めるように続きながら望美はふと
(……こんな日が、ずっと続けばいいのに)
と心に想いが過ぎるのを感じずにはいられなかった。そしてぎゅっと一瞬、目を閉じて思い直す。
(こんな日が、ずっと続くように、頑張らなくちゃいけないんだ)
そして、「景時ー!」と声を挙げて先へ行く将臣に向かって「ちょっと、駄目、待ってよ、将臣くん!!」と声を張り上げながら、その後を追っていく。


 そのすぐ後に、朔から「なんですの、もう、騒々しいったら!」と3人並んで小言を喰らったのは言うまでもない。

END




風のように現れて風のように去っていく、ヒノエと将臣。
そして、そんな二人と絡めつつ、進展したようなしていないような望美と景時。
景時は絶対、望美が帰ってくるのを心配して庭に出て待っていたと思います。
そして、景時は無意識なところが始末に負えないのだと思います。
狙って言うのじゃなくて、思わず言っちゃうんだね「可愛い」とか(笑)
いや、それにしても熊野は、やっぱり楽しいですね。


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