景時が望美を単身戦場から救い出したことで、源氏軍の志気は最高潮に高まっていた。すぐにも態勢を建て直し、軍奉行に続けという勢いである。
「み、みんなやる気いっぱいだね〜」
かえって景時の方が戸惑い気味で、その様子が可笑しい。ヒノエに
「皆、あんたの号令を待ってんだぜ」
と促されて、景時は声を挙げた。
「敵は生田の森の平知盛だ、行くよ!」
その様子は自信に満ちているように見えて、これまでの景時とはどこか違って見えた。応える兵たちの歓声も力強い。望美も勿論、軍に加わり生田の森を再び目指す。馬上の景時が気遣うように望美を見つめてくるのに、頷いて返した。
「今度は一人にしませんから」
譲が傍らでそう言い、その言葉に白龍や朔も頷いてくれる。望美は大きく息を吸い込むと手にした剣を握り直した。
 先ほどと違って望美の中に緊張感があるのは、今度は皆に迷惑をかけないという意気込みもあるだろうが、何よりも敵が明確に『平知盛』だと知らされたからだと言えるだろう。望美だけが知る記憶の中で、知盛は源氏軍を嘲笑していた。
『源氏の軍奉行の死に様を教えてやろうか』
その言葉を思い出す度に嫌な汗が出て吐き気がこみ上げる。自分が皆を護ることのできなかった運命。あのとき、大切な仲間を手にかけたのが知盛だった。今度は絶対に、彼に仲間を殺させたりしない。
 戦に大義はあっても正義はないかもしれない。平家にも戦う理由はあるだろう。そんなことはもう望美にだってわかっている。景時の苦しげな様子や政子のやり方を見ていれば、源氏には何の問題もないとは言えないとも思う。それでも、そして、この運命では皆が生きているとしても、望美の大切な仲間を殺した知盛という人間を望美は赦すことはできないだろうと思う。彼の嘲笑を思い出すだけで、たとえ彼の側に大義があったとしても、彼と理解しあうことは無理だと感じる。本当ならもう一度相見えることさえ厭わしいと思うくらいだ。しかし、仲間を護るためには、知盛と戦わなくてはならない。彼がいなくなれば、仲間を失う可能性だって更に低くなるではないか。
 そこまで考えて望美は自分の考えに少しぞっとした。たとえ戦であっても、たとえ敵であっても、誰かの死を願う自分に気付いて怖くなったのだ。それでも、それは確かにひとつの真実で。戦うことを止められないのであれば、大切な人たちを護ることには死がつきまとう。それが戦場なのだ。
「望美、大丈夫?」
朔が少し不安そうに呼びかけてくるのに、望美は頷いた。
(誰かを護るということは、そんな簡単なことじゃないんだ……)
汗に滑る剣の柄を望美はもう一度握り直した。何のために、何故。戦場ではいつも自分が試される。今までもそうだったけれど、今回ほど強くそれを感じたことはなかったかもしれない。いつもとは違う緊張が望美を包んでいた。しかし、その姿を景時が少し心配げに見つめていることに気付いてはいなかった。



体勢を立て直した源氏軍は士気も高く、平家軍が持ちこたえることを放棄したこともあって今度はかなり易々と生田の森の奥まで進軍することができた。
「九郎たちももうすぐ来るだろう、挟み撃ちにするんだ」
本隊を目指して勢いのままに進軍していく。源氏の兵たちは先ほどの狼狽えぶりとはうって変わって今度は思うまま勇猛に突き進んでいった。源氏の勝利は間違いがないと思われたそのとき、先の方で悲鳴に近い声が挙がった。
それまで勢いに乗っていた兵達に緊張が走る。望美たちも声の方へを向かった。そこは平家の陣があったであろう社の中心。最後まで残った平家の兵たちが源氏軍を迎え撃っていたのだ。その中心にいたのは……
(平知盛……!)
望美の目がその姿を捉えた。瞬間、炎に包まれる京邸が脳裏に甦る。現実の目の前の知盛の刀が源氏の兵を切り伏せた。赤い紅葉が更に鮮血に染まる。望美は剣を握り直すと駆け出した。その後を景時や譲たちも追う。
「知盛…! まだ戦うつもり!? それなら私が相手になるわ!」
もう、とうに平家の敗走は決まっていて知盛がここに残って戦う理由は自軍が退却する時間を稼ぐ以外にはない。そして、それはほぼ達成されたと言っていい。あとは自分もこの場を去らねば、ここへ九郎たちの軍も押し寄せればいかに知盛といえども源氏の軍に囲まれては突破できる見込みはない。しかし、知盛はそんなことは大したことでもないかのように薄ら笑いを口に浮かべると望美を見遣った。その表情は見覚えがある。『源氏の軍奉行の死に様を……』かっと望美の頭に血が上る。
「お前……源氏の神子か……? おもしろい、かかってこいよ……」
怠惰な口調で知盛が応える。唇を歪めて笑うと知盛は刀を一閃させた。源氏の兵がまた一人、倒れる。あのときと同じだ、と望美は思った。あのときと同じ、殺すことを楽しんでいる。戦うことではない、自分の力で相手をねじ伏せ、殺すことを楽しんでいる。斃れた者を嘲笑し退屈の故にと戦いを楽しむ。
『源氏の軍奉行の死に様を……』
あのときもこの男は楽しんでいたのだろう。嘲笑したのだろう。嬉しげに楽しげに笑ったのだろう。そう思うと望美はもう我慢ができなかった。何も考えることができなかった。目の前の知盛を許せないと思う以上に殺したいと思ってしまった。
「あぁぁぁ!!」
「望美ちゃんっ…!!」
引き留める声も聞こえず望美は知盛に突進した。がきっと振り下ろした望美の剣を知盛が受け止める。彼は楽しげだった。
「いい瞳をしている、源氏の神子。もっと俺を楽しませてくれよ」
ごめんだ、と望美は内心思う。誰がお前を楽しませてなどやるものか、と。死ねばいい……この男を倒せば、もうあんな風に燃える京邸を見なくて済む、きっと済む。景時も弁慶も死なない、嘲笑を受けることはない、リズヴァーンが戻ってこないなんてこともない。望美は夢中だった。これまでにこんな戦い方をしたことはないだろう。意識を研ぎ澄ますことも、集中することも、リズヴァーンに学んだ戦う心得でさえも忘れていた。ただ目の前の男を殺すのだと、それだけが望美を突き動かしていた。護るためには殺さなくては、と。僅かに知盛が身体を引く。そこへ望美は大きく踏み込もうとした。
しかし、それは知盛の誘いで
「残念だったな、源氏の神子」
望美をなんなく避けた知盛の刀が望美に向かって振り下ろされようとした。間に合わないかもしれないと思った望美だがこんな男に怖れを見せたくなかった。誰であれその死を嘲笑することはできないはずで、それができるような人間に屈したりはしたくなかった。だから目を背けたくなくて見返してやろうと顔を向けたそのとき。
がきっ、という音がして知盛の刀が何かによって遮られる。望美の視界が深い緑色に遮られる。それは景時の陣羽織だった。
「望美、ちゃんっ……!」
景時が銃を両手で支え、銃身の鋼の部分で知盛の刀を受け止めていた。
「景時さんっ!」
力任せに押さえつけようとする知盛の刀を景時が懸命に支え、押し返そうとする。それは、まるで望美の居ないところであった、京での出来事のようで、あのときもこうやって景時は知盛と戦ったのだろうかと思わせ、望美は体勢を整えると剣を握り直し、知盛へ向かった。景時を押さえつけていた知盛はそれに気付いて後ろへと退く。
(絶対、あなたなんかに誰も殺させない……それを楽しむあなたなんかにっ……)
それを逃さず再び向かっていこうとする望美を景時が抑えた。
「駄目だ、望美ちゃんっ!」
景時は知盛に向かう望美が普通ではないことに気付いていた。そして、その普段とは違う戦い方に不安を感じた。いつだって戦うことに納得していたわけではない、怨霊でさえ倒すことに痛みを感じている様子だった望美が、まるで我を忘れたかのようにその剣を振るっている。
「望美ちゃん、そんな風に戦っちゃ駄目だ……」
何が彼女をそうさせているのかはわからなかったが、そのまま戦い続ければ相手は勇猛で知られた平知盛である、望美も無事では済まないかもしれないし、そうでないにせよ、こんな戦い方をした自分をきっと望美は後悔することになると思う。まして仲間がいるというのに、一人で先陣切って戦いに挑むなど。だから景時は望美を止めた。
はっと我に返ったように望美が景時を見上げる。
「オレたちだって居るんだから。一人で戦ったりしないで」
景時の柔らかい笑顔に、やっと望美は自分を取り戻す。
(そう、今の私は一人じゃないんだ。皆、まだ傍に居てくれる。
 私は皆に護られていて、そして、私も皆を護りたくて……でもそれは一人で戦うってことじゃない)
望美は息を吐いて剣を握り直した。知盛にばかり気を取られていたが、残った怨霊武者たちと仲間も戦っている。そう、怨霊こそ望美でなければ封印できないものたちなのに。
「……ごめんなさい、景時さん……封印、します」
いつもの様子に戻った望美に景時も頷く。自分を支えるように触れてくれている景時の手に、望美は自分の手を重ねた。すると、緩やかに、けれど確実に自身の気が満たされていくのがわかった。それは景時も同じらしく、驚いたような顔で望美を見つめている。
「これは……?」
触れあった手から龍脈を通じた金の気が満たされ大きくふくれあがってゆく。
「これは……望美ちゃん、大きな術が使えそうだよ、一発勝負で行こうか。大丈夫かい?」
望美は頷く。その気の流れが尋常でないことがわかるのだろう、平家の怨霊たちも、知盛でさえもが身構えている。景時は銃身を天へと高く掲げると術を詠唱した。
「まばゆき天空より来たれ 星辰の王」
金の気が二人から立ち上り光の矢のように天空へ向かう。
「尊星王招請!」
その声とともに天空へ向かった金の気が空から降りそそぐ幾千の矢の様に平家の兵や怨霊たちへ向かった。その目映い光に知盛も顔を腕で覆う。怨霊を相手にしていた仲間たちも呆気にとられたように空を見上げる。金の気が消えた後、怨霊たちはほとんど残っていなかった。知盛でさえ無傷ではいなかったようだ。忌々しげな顔をして頬に滲んだ血を指でぬぐっている。
「……まだやるというの?」
望美が静かにそう言うと、知盛は歪んだ笑みを唇に浮かべた。
「お前を気に入った、源氏の神子。お前は俺と同じだ。戦うことを楽しんでいる、そうだろう?
 退屈なこの戦、少しは俺を楽しませてくれそうじゃないか」
きっ、と望美は知盛をにらみ返した。誰が、何を、楽しんでいるというのか、と。唇に笑みを浮かべた知盛は、けれどその瞳は少しも笑っていなかった。昏く何の光も届かないような空虚な瞳に、望美は畏れを感じて一瞬、息を呑む。あんなに昏い瞳をした人間を、今までに見たことがない。……いや、何処かで見たような気がする、と一瞬記憶が過ぎって、それがまた望美を不安にさせた。あんな昏い瞳をした人を何処かで見た。そして、そのとき自分はとても不安になったのだ。それが思い出せなくて望美はますます得体のしれない不安が背を這う気がして震えた。その望美を庇うように白龍が知盛を遮る。
「神子はお前とは違う」
その声に望美は震えを止めて知盛を今度こそ見返した。その視線を悠々と受け止めて知盛は
「またな……」
と言い置くとその姿を消した。



九郎たちの軍とも合流し、源氏は勝利を収めた。落ちていった平家を捉えることはできなかったが奇襲は成功したといえる。もちろん、その勝利は苦い。九郎は悔しげでさえある。卑怯なやり方での勝利に単純に喜べないのだ。弁慶と景時に宥められ、やっと気持ちを切り替えた様子ではあったが、かといって納得できるものではなかっただろう。
沢山の矛盾を戦いは孕んでいる。望美は息を吐いた。常になく、とても疲れていた。
「大丈夫? 望美」
心配げに朔が囁いてくる。うん、と頷きながらも、それさえも億劫だった。大がかりな術を初めて使ったからかもしれない。驚いた。いつもは三人とか四人とか、仲間の気を集めないと術を使うことができないのに、二人で、しかもあんなに強力な術が使えたなんて。知盛にも一矢報いることができた。そう考えて、また深く息を吐く。あのとき確かに自分は、知盛を殺そうとしていたのだと思う。自分が、仕方なしにではなく、明確に、意思を持って、戦場で、殺すために戦うことがあるなんて想いもしなかった。
『そんな戦い方をしちゃ駄目だ』
景時がいなかったら怒りと憎しみのままに知盛に向かっていくばかりだっただろう。書き換えた過去の復讐のために彼を殺そうとしただろう。
(それじゃ駄目なんだ……知盛と同じになっちゃ駄目なんだ)
もう、あんな風に我を忘れた戦いはしない。殺したいわけじゃない、護りたいとは思っても、殺したいわけじゃない。でも、もう二度とあんな風に、知盛に仲間を殺させたりはしないためには、やはり、彼を倒さなくてはならないのではないのだろうか? 知盛はそれを望んでいる。昏い瞳を思い出して望美は首を横に振る。殺さなくても仲間を護ることがきっとできるはずだ、できるはずだと何度も念じる。なのに、あの瞳の色が望美を酷く不安にさせた。何故だろう、何がそんなに怖いと思うのだろう。そんなことをぐるぐる考えているうちに、辺りが暗くなって
「望美……!」
朔の叫ぶ声が聞こえた。
「望美ちゃん……!」
大きくて温かい手が自分を支えてくれるのを感じるけれど、身体に力が入らなかった。どうしてこんなに暗いんだろう、と思って、自分がどうやら倒れたらしいと思うときには意識が途切れた。その一瞬前に思い出す。知盛と同じ、昏い瞳を何処で見たか。ああ、あれは、戦の前に景時が見せた瞳と同じだ、と。




「今日は大変だったから……疲れたんだよ。傷や穢れや呪いを受けたって様子はないし」
望美を支えて景時が言う。弁慶も望美の手を取り、脈を測り、額を押さえて熱の具合を確かめた後に頷いた。
「いずれにしても、早く休めるところに連れていってあげないと」
軍は既に京へ戻る準備を進めている。九郎は慌ただしく更に兵たちを急がせた。心配げに朔や譲が望美を覗き込むのに、景時が言う。
「馬だし、オレが望美ちゃんを抱えて帰るよ」
それは柔らかい言葉ではあったが、誰にも有無を言わさないかのような宣言でもあり、朔は少しだけ目を見張って兄を見つめた。その視線に気付いた景時が小さく頷く。他の皆も望美を景時に任せて自分の持ち場へ戻っていった後、朔が小さく景時に向かって呼びかけた。
「……兄上」
景時は望美を抱き上げ、その顔を見つめたまま、呟いた。
「……オレは、望美ちゃんを守りたいと思う。
 今はそれだけしか言えないけれど、それがオレの正直な気持ちなんだ。」
朔の方を見ることなく、それだけ言うと景時は磨墨の方へと向かっていった。




せっかくなので知盛登場。
合間の話っぽくと思っていたのですが、長くなってしまいました。
景時と望美の絆が繋がったということで、術も出してみましたが。


■ 遙かなる時空の中で ■ 銀月館 ■ TOP ■