予感




 何を自分が不安に思っているのか、上手く景時は自分でも整理できなかった。漠然とした予想で、頼朝たちが望美の力を試そうとしているのではないか、ということを感じたのではあるが、それが何を意味するかは判断しかねていた。少なくとも政子は、既に望美の持つ力を知っているはずだ。いや、実際に戦に同行したわけではないので、間近く望美が力を振るう様を見たとは言いがたい。しかし、平家の怨霊が少なからず封印されている事実と、神子という存在が源氏の軍にもたらしている効果は目の当たりにしたはずだ。頼朝は、それを政子から聞いただろう。それを今度は頼朝自身がその目で確かめたいと思ったとして何も不思議ではない。
(源氏にとって役立つということを、印象付けた方が良いはずだ)
そう思う。神子とは名ばかりで役にも立たぬとあれば頼朝は望美を源氏軍に置く意味を感じないであろう。それでいて「神子」という名ばかりが上がっているとあれば、その名を敵に利用させぬためにどうするか。だからこそ、望美に二心はなく源氏に組するものであるということを印象づけることは必要だと思うのだが、ここまで順調に鎌倉の穢れを祓ってきて、景時にはわからなくなってきていた。頼朝が、本当に神子の力が役立つものであるかどうかを確認したいと思ってのものなら、それでいいだろう。だが、そうでないかもしれない。頼朝は、望美の力を源氏の役に立つと思うだろうか、それとも、いずれ邪魔になると思うだろうか。戦が終われば彼女は元の世界へ帰るのだとすれば、頼朝には望美を利用する価値を認めこそすれ、その力を恐れる必要はないはずだ。
 いくら望美は大丈夫だと思う要素を考えたところで、それは景時の希望的観測にすぎず、堂々巡りにしかならず、いっそ早く全てを終えて京へ戻るのが一番かもしれないと思い始めたとき。
「景時さん、大丈夫ですか? あともう一箇所、いけます?」
心配げに望美がそっと景時の傍らにより、顔を見上げてきた。もう随分と考え込みながら黙って歩いていたらしい。
「あ、ああ、大丈夫大丈夫。望美ちゃんこそ、大丈夫かい? 一度に二箇所も穢れを祓って疲れない?」
取り繕ってそう問い返すと、望美はぶんぶんと首を横に振って「全然平気ですよ」と言ってみせた。そして遠慮がちにそっと指を絡ませてくるのを、そのままに気を取り直したように他愛もないことを話しながら歩く。星月の井までは一度来た道を戻らねばならず、皆も一度通った道なので景時が特に案内せずとも好き好きに歩き進んでいた。
「景時、こちらでいいのか?」
辻に出たところで九郎が振り向いて景時を呼ぶ。右に曲がれば星月夜の井、左へ進めば梶原邸へ戻る辻だった。景時はしばし考えた末に提案する。
「せっかくここまで戻ってきたしさあ、一度邸に戻って、お茶でもしようよ。ずっと歩き詰めで疲れちゃったでしょ」
今までの旅にしても大抵休憩を切り出すのは景時だったので、今回にしても特に誰も疑問に思うものはいなかった。
「また、兄上ったら、本当にもう……」
溜息まじりに朔が言うが、いつもよりその言葉に勢いがないのは、朔もいささか疲れているからなのだろう。
「そうですね、少し休憩したほうがいいかもしれません」
望美の体調を心配している譲も景時の言葉に頷く。九郎や弁慶も、特に異論はないようだった。少し体力を温存したほうが良いと考えているのかもしれない。穢れが三ヶ所といっても、それで全てが終わる確証はない。むしろ、その穢れを鎌倉に放った者がいるであろうと考えておかしくはない。
「それじゃー、ちょっと休憩しましょっか」
そんな風におどけて言う望美は、きっと景時のことを気遣っているのだろう。それがわかって景時は少しばかり切なくなる。自分が全てのことがわかって、そしてそれに対処できて、彼女を護ることができるなら、何の心配もすることはないというのに。大方のところ、梶原邸に戻る方向に決まったとき、将臣が皆と違う方へ歩き出す。
「お前ら、案外悠長だな。こうしている間にも怨霊がのさばってるかもしんねーってのに。
 俺は戻らずに一人で調べてくるぜ」
「将臣殿、それでは私も一緒に参りましょう」
その後を敦盛が追いかける。
「ああ、俺は怨霊がいるかどうか、よくわからねえからお前が来てくれると助かるな」
にこりと将臣が言い、二人とはそこで別れた。
「将臣くんってば珍しい。いつもは、なんだかめんどくさいって感じなのにね?」
休憩を提案した景時が気まずくならないようにという配慮か、望美がそう言う。
「んー、でもま、頑張ってくれる人がいるってことはいいことだよ」
そう景時は返したものの、確かに望美の言うように違和感を少しばかり感じてはいた。怨霊を放った者を止めなくては、と将臣は言っていた。彼にはあまり時間がないのかもしれない。望美の幼馴染であり、譲の兄でもある彼は八葉でもあるし、信頼できる仲間だとは思うが謎も多い人物だった。困ることがあるなら、少しくらいは頼ってくれてもいいのに、と景時など思いもするのだが、今回ばかりは考える時間が景時も欲しく、将臣についていくことはできそうもなかった。
 梶原邸に戻ると皆、一様にほっとした様子で足を伸ばした。やはり、それなりに皆疲れていたようだ。景時の母が沸かしてくれた茶でほっと人心地つく。
「あとは星月夜の井の一箇所ですね。そこの穢れも祓ってしまったらどうなるでしょう」
「? それで終わりじゃないの?」
 弁慶が考えながら言うことに、望美が不思議そうに問いかける。室の中、思い思いの場所に座って足をほぐしたり、茶を飲んだりしていながらも、皆次のことを考えていた。
「あの三ヶ所はね、多分、鎌倉の土地の力を弱めるためなんだと思うんだよね」
景時は柱に背を凭れさせ、片膝を立てて座りながらそう答えた。それくらいのことは、だいたい皆わかっていたようで、頷く様子もない。
「つまり、土地の力を弱らせた後に、強力な怨霊でもって攻撃を行えば、鎌倉は陥落するという考えでしょうね」
弁慶が景時の言葉の後を受けて言葉を続ける。
「……じゃあ、三ヶ所の穢れを祓ったら、その本体というか……黒幕というか……が出てくるかもってこと?」
望美が考えながら言うと、弁慶はその通りですよ、と頷いた。
「だから、少し休んだ方がいいかと思って景時の口車に乗ったのだ。
 一気に片付けてしまっても良いが、その後すぐ大物の怨霊ともなると、お前の力も穢れを祓うことで影響を受けているやもしれんしな」
 九郎がぶっきらぼうに言うのに、望美はなんとなく悔しそうに頷いた。九郎にもわかっていることが自分はわかっていなかったのが悔しいのだろう。リズヴァーンの兄弟弟子である二人の間には、微笑ましい対抗心が垣間見られるときがある。一方、望美は、そんな悔しげに唇を尖らせた表情から一変してぱっと明るい顔になると景時を振り向く。
「景時さんも、そう思ってたんですね。だから邸に一度戻ってこようって言ったんですね!」
そこに含まれている裏表ない賞賛の色に、景時は「やー、まあねえ」と曖昧に答えて頭を掻く。ヒノエが顔を背けて笑っているのは見間違いではないだろう。とりあえず、今日はこのまま将臣たちの帰りを待って……と景時が考えたとき。嫌なピリピリしたものを後頭部に感じて景時は身体を緊張させた。この感じは知っている。……見ている。
「……嫌なものが見ている。何か……来るよ、神子」
白龍が緊張した声でそう言う。もちろん、皆既に其れを感じ取って身構えていた。そして景時だけはわかっていた。「見ているもの」が誰なのか。「来るもの」と「見ているもの」が別であるということ。
「外へ出よう! 何か来る!」
白龍の切羽詰まった声に、皆立ち上がり邸の外へ向かう。既に手には各々武器を手にしていた。門の外に出ればすぐにわかった。濁った気が空中に凝り固まっていく。
「怨霊だ! 来るぞ!」
九郎が刀を構えて言う。その声より早く望美が前へ出ようと踏み出すのがわかり、景時はその前に割って入って望美を背後に匿った。
「景時さん?」
「望美ちゃんは下がっていて!」
相手は怨霊だ、望美が封印しなくては本当に倒したことにはならない。それは景時にも十分わかっていた。それでも、「見られている」間にそれをさせたくなかったのだ。この怨霊でさえも、彼らがここへ、神子の力を実際に見るために送り込んだのだということを、誰が否定できるだろう?
「大丈夫です、景時さん! 私に任せて!」
それなのに望美はそんな景時の懼れも気付くことなく、するりとその背から抜け出して刀を構えると怨霊へと向かっていく。神々しいまでに清浄なる気が濁った怨霊の放つ気を浄化していくのがわかる。その背は眩しささえ感じるほどに。
「望美ちゃん……!」
望美が刀を振り下ろし、それとともに怨霊が浄化され封印されるのに、思わず手を伸ばしたのは、その力を彼らに見られることを懼れた故か、あるいは、そのあまりに神々しい姿が自分の手が届く存在ではないかのように思えたからか、景時にははっきりしなかった。あまりにあっけなく怨霊たちは封じられ、あたりは再び元の空気が戻ってくる。
「邸への攻撃は防げたようですね」
ほっとしたように弁慶が言う。ここに神子がいるということが怨霊たちに知られたということだろうか、と警戒した表情になるのも無理はない。もし、そうであるとするなら、二度目がないとも言えないからだ。だが、それはないだろう。彼らは見たいものを、既に見ただろうから。

「……景時」

 そんなことを考えていた景時は、まさしく今自分が考えていた相手の声がしたことで、驚きのあまりに身体が震えてしまった。その声は本来なら、このような場所にいるはずもない人間の声だったからだ。
「頼朝様……」
『目』を通してみていたのではないのかと景時は無意識のうちに望美を後ろに庇う立ち位置へと身体を動かしながら頼朝に向かう。
「なにやら妖しの気配がしたものですから、心配になって来てみましたのよ」
艶やかに頼朝の後ろからにこりと微笑みながら表れたのは政子だ。その笑顔は何処までも冷ややかで、その言葉が偽りでしかないことを如実に伝えている。
「申し訳ありません……」
「このようなものが出るとは、景時、穢れを祓うとやら、進んでおらぬようだな
 このようなところで、油を売っている暇があるのか」
頼朝の言葉は冷ややかだ。鎌倉のために役に立たぬのであれば即座に切って捨てると言わぬばかりであり、事実、彼はこれまでそうしてきたことを景時は知りぬいている。
「はっ……」
景時は深く頭を下げ、言い訳はせずに言葉短く詫びた。くどくどしい言い訳を頼朝は好まない。何より結果だけを求めるのが彼だ。そして、おそらく今、頼朝と政子の狙いは、怪異解決の催促ではなく、神子……望美だ。だから、自分が頭を下げてこの場をやり過ごし、望美を前に出さなければ、と景時はただひたすらに頼朝に向かって頭を下げ続けた。
「兄上……」
 景時を庇おうと声を挙げた九郎に対しても頼朝は「黙れ、九郎」と一喝して黙らせてしまう。その威圧感はその場にいる誰もが感じていただろう。相手に飲み込まれてしまうかのような感覚。
「景時さんばかり責めないでください!」
なのに、ただ一人、景時の背後から声を挙げた者がいた。……望美だった。景時はしまった、と思った。彼女を頼朝の前に出したくなかったというのに。慌てて望美を押しとどめようと顔を上げたが、望美はぎゅっと両手を握り合わせ、頼朝をきっと正面から見据えていた。誰もがその王者の風格の前に気圧されるというのに、望美は怖れることなく頼朝へ向かう。
「怪異が解決できないのは、私たち全員の責任です! 景時さん一人を責めないでください」
頼朝の表情が不愉快そうに一瞬動き、政子の表情が楽しげに歪んだ。

(……望美ちゃん、どうして、君は……)

政子にはきっと、望美がこうするだろうことはわかっていたのだろう。彼女は京で望美と会話を交わしていた。望美が仲間を責められて……景時を責められて黙っている人間ではないと知っていた。たとえそれが頼朝であろうとも。景時が望美を何とか隠そうとすることもわかっていただろう。微笑むその口元を袖口で隠す政子の哄笑を、その耳に景時は聞いたような気がした。


どうすれば望美を護れるだろう? どうすれば望美は景時に護らせてくれるだろう?
景時のためになど動かなくとも良いのだと、どうすればわかってくれるだろう?
頼朝は、望美をどう見ただろう? 源氏に役立つと見たか、自らに刃向かう者と見たか。

(オレが、君を、鎌倉に連れてきた)

それは間違いだったかもしれないと、景時は感じていた。そしてそれは、予感でもなく、今となってはもう、確信に近い思いだった。

(オレは、また、間違ってしまったのか)

景時の耳には、政子の楽しげな笑いが何時までも聞こえているような気がした。




頼朝&政子夫婦。きっと神出鬼没なんだろうな。
あの怨霊はどう考えてもこの二人がけしかけたっぽいとか思うのですが
違うんでしょうかね?
さて、次は星月夜の井……はさらりと流して惟盛な予定です。


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