■剣の天使 3■ エルスさま
御前試合は、いつも二日間かけて行われる。シーヴァスは無事に一日目を勝ち残り、特別に王宮内に与えられた部屋でくつろいでいた。
(今日の対戦相手の中には、いないようだったな)
すべての相手を撃破したわけだが、かなり夜のふけた今になっても、剣を返しに誰かがやってくる気配はない。
(と、言うことは、明日にならなければ剣は戻ってこないということか)
最悪の場合、決勝を勝たなければならないだろう。さすがにそれは至難の技だ。明日の相手は当然今日よりもずっと手強いだろうし、レイヴもいるのだから。
「明日の参加者を調べておくか」
他にすることもないし、案外名簿の名前から犯人が特定できるかもしれない。シーヴァスは今日のトーナメント表を取りだし、敗北した者の名前を次々と消していった。
「……駄目だ」
残った七人は、シーヴァス以外全員がヴォーラス騎士団の騎士だった。その中にはもちろんレイヴもいる。
どの名前も、これといって思い当たる節のないものばかりだった。レイヴにいたっては、最初から除外する。
(……ちょっと待て。暗くてはっきりとは見えなかったが、あの青年……)
薄暗い街灯の光の下、少しだけ見ることのできた青年の瞳の色を、彼は思い出そうとした。外見的な特徴がわかれば、捜索範囲は縮まる。
こんこん。
「失礼します」
もう少しで微かな記憶に手が届きそうだったのに、そこでちょうどメイドがやってきて、おぼろげだが彼の頭の中に浮かびかけていた人物像は霧散してしまった。
御前試合二日目の朝がきた。
シーヴァスが控え室に行くと、鎧の手入れをしていたレイヴが立ち上がって挨拶してきた。シーヴァスも、軽く手を上げて返す。
第一試合の開始まで少し間があるので、控え室はまだまだ人が多い。
「……」
それぞれの準備をしている出場者たちを、シーヴァスは注意深く観察した。あの青年の印象と酷似した雰囲気を持つ者を、決して見逃すまいとしているその視線は、一種の敵意さえ帯びている。
「誰を探している?」
隣のレイヴから、不意に訝しげに声をかけられて。
「騎士団の者が、なぜそんなに気になるんだ?」
騎士を束ねる立場にある者として、気になったらしい。シーヴァスはあの出来事を話すべきか少し迷った。だが、結局レイヴには話しておいたほうがいいかもしれないと判断した。騎士団長たる彼なら、シーヴァスの探し人を知っている可能性が高い。
「実は、何者かからこの試合に出るよう強制されたんだ」
シーヴァスは、あの夜のことをかいつまんでレイヴに説明した。不覚を取って件を奪われたことは、彼のプライドがひた隠しにしたが。
「それが、騎士団の誰かだと?」
「残念だが、他に考えようがない。出場者は皆私以外騎士なのだから」
「……」
レイヴとしてはシーヴァスに異を唱えたいようだったが、出場者が騎士ばかりというのは事実だ。
「……誰なのか、見当はついているのか?」
「いいや。薄暗かったし、あっという間にいなくなった……」
そこで、シーヴァスは重要なことに思い至り言葉を切った。
「? どうした?」
青年を包み込んだ緑の光のことが、脳裏に蘇った。同時に、夜会で聞いたレイヴの噂も。
『不可思議な光が彼を包み込むと、なんと彼は常人の倍以上の速さで動き……』
「レイヴ」
この奇妙な一致は、きっと偶然ではない。シーヴァスはそう思い友人の腕をむんずとつかんだ。
「淡い緑色の光に、心当たりがあるだろう?」
「……何?」
「お前の動きを高め、人間を一瞬にしてその場からかき消してしまう光だ」
「……………」
レイヴという青年は、ほとんど感情を表に出さない。出してもわからないことが多い。だがシーヴァスの言葉にほんの少し頬を引きつらせたのを、彼は見逃さなかった。
「やはり知っているんだな? では話してくれ、あの光は……」
「シーヴァス卿、次の試合です」
またもや肝心なタイミングを邪魔された。シーヴァスは内心の不機嫌を全開にして、なんの罪もない係の青年をにらみつけた。
「ああああああのっ、お、お支度をお願いします」
哀れな青年は、整っているがゆえに凄みのあるシーヴァスの形相に、ひたすらおののいていた。
外に出た瞬間、歓声が沸き起こった。
さっさと試合を終わらせてレイヴの尋問(?)を再開したいシーヴァスは、ファンの姫君たちの黄色い悲鳴にも頓着せず、剣を抜き放った。
対峙する相手は、彼の正面の出入り口から颯爽と出てきて、同じように剣を構える。兜の面頬をおろしているので、顔はわからない。
(!?)
その剣を見て、シーヴァスは絶句した。
(あれは……!)
それはまぎれもなく、彼の愛剣だったのである。
シーヴァスの琥珀の瞳が、怒りのためにすっと細められた。他人の手に、自分の剣がある事実が許せない。剣を操る者として当然の感情だ。
「始め!」
審判の合図と同時に、両者は動いていた。つばがぶつかり合い、火花が散る。
「……やはり、いい腕をしているな。シーヴァス・フォルクガング」
つばぜり合いの態勢で、相手が口を利いてきた。力を抜かないまま、シーヴァスは押し殺した声で言う。
「私の剣だ。貴様が手にすることは許さん」
「わかってるさ。だがあいにく俺は、自分の剣を持っていなかったんでね、借りることにした」
「どこかで買い求めればいいだけのことだろう。なぜ、こんな方法を取った?」
「簡単なことだ」
がっ! と激しく火花が散り、金髪の青年のバランスが崩れた。予想外の力に、シーヴァスは息を呑む。
一瞬後、彼は地面に倒され、刃を首筋に当てられていた。上からのぞきこんでいる瞳が、憎らしいほど楽しげだった。
「お前に会いたかった。ようやく全部の仕事が終わって、レイヴの友人を見る暇ができたからな」
「何?」
聞き捨てならないせりふの意味を問おうとしたが、彼が口を開く前に相手は立ちあがっていた。
「審判。棄権する」
「は?」
どう見ても優勢だった騎士の唐突な一言に審判だけでなく観客も訝しげな顔をした。もちろん、シーヴァスもだ。
多くの人々の唖然とした視線を背に、騎士は来たときと同じように悠然と去っていった。
「レイヴ!」
勝利宣言を受けるのももどかしく、シーヴァスは控え室に飛びこんだ。驚いている他の出場者を無視し、レイヴを引っ張って別のドアから部屋の外に出る。
「いったいどういうことなんだ!? 説明してもらうぞ!」
「……………わかっている。とりあえず、中庭に行こう」
「中庭?」
「………………彼が、そこで待っているそうだ」
なぜかレイヴの声が思いきり疲労しているので、シーヴァスはそれ以上言を継ぐことができず、しぶしぶレイヴの後について王宮の広い中庭に向かった。
初夏の柔らかくも力強い朝の光は、そろそろ暑さを増そうとしていた。そんな日差しを一身に浴びて、美しく洗練された庭に、身体にぴったりした黒い服を纏った、不ぞろいな短い黒髪の細身の青年が立っていた。瞳の色は砂漠の太陽の鮮烈な金、驚異的なほどに整った顔には不遜な微笑みを浮かべ、その手にはシーヴァスの剣を持って。
彼の雰囲気を改めて目の当たりにして、間違いなくこの印象的な青年が、あの夜の人物であったことをシーヴァスは確認した。
「よう。さっきは楽しかった。約束どおり、剣は返す」
シーヴァスが険悪な目つきでにらんでいるのもまったく意に介さず、青年は剣を彼に差し出した。ひったくるようにそれを取り返し、シーヴァスは今度はレイヴに向き直る。
「誰なんだ? お前の部下なのか? まさかお前もぐるになっていたのか?」
「……………………いっぺんに訊かないでくれ……………………」
レイヴの疲労度はますます増した。
「レイヴにはついさっき話したところだ。最初にばらしてたら、絶対こいつは俺を止めてたからな」
「……貴様は?」
口を挟んできた青年に対するシーヴァスの口調は、依然怒気を孕んだままだ。それに対し、黒髪の青年は喉の奥で笑った。
「こんな手段をとったのは悪かった。だが、こうしないとお前は御前試合には出なかったろう?」
「なぜ、私を試合に出したかった?」
「さっきも言ったように、このレイヴの友人というやつに興味があったからさ。レイヴとは十年近くつきあったことになるが、お前以外の友人の話ってのはまったく聞かなかった」
「……?」
どうもさっきの試合のときから、意味不明な単語を耳にしているような気がして、シーヴァスは怪訝な表情で眉根を寄せた。
「………………………アレクス、最初から説明したほうがいい」
「そうだな」
ぐったりして座りこんでいるレイヴに答え、アレクスという名らしい青年は、口の中で小さく何かを唱えた。
それに呼応して、緑の光が現れた。間違いなくシーヴァスが目にしたものだ。
「これは……っ!?」
光はあのときと同じようにアレクスの身体を包んだが、次に起こったのはシーヴァスの予想の範疇を越えた『変化』であった。
彼は目の前の出来事が信じられず、惚けたようにアレクスを凝視するのみだった。そんな彼に、アレクスは金のまなざしを注いだ。
「まずは俺の翼を見せておこう」
喩えるなら、その色は月光だった。夢のように美しく輝く銀の双翼を背に負って、アレクスは地面から少し離れた中空に浮いて、シーヴァスを見下ろしていた。
「俺はこの世界インフォスを破滅から救うために天から降り、災厄が去った今、改めてインフォスの守護を任された天使だ」
それから銀の天使は、知られざる物語を琥珀の瞳の貴公子に語って聞かせたのであった。